第24話 平行線
文字数 3,264文字
己の言葉によって時を止めたヴァイスへ、エンラは続けて口を開く。
「ヤミ神からの指名勅令、エレンフォールの〝魂魄執行〟執行期限まであと少しもない。ぼやぼやしておるヒマなどありはせぬ」
「……私の話を、聞いていなかったのですか?」
今度はヴァイスが理解不能と言わんばかりの声色を出す番だった。しかしエンラはそれを歯牙にもかけない。
「無論聞いておったよ。言ったではないか、貴様の主張はよく分かったとな」
「ならば今の命はおかしい。『ヒカリ属が関わっているならばエレンフォールを執行すべきでない』と言っているのに、まずはエレンフォールを執行してこい? 私の主張とは真逆です」
「ああ、貴様の主張を理解しようが納得したわけではないゆえな。
ヴァイスよ、エレンフォールなる生物によほど肩入れしていると見える。普段の貴様らしかぬ早計さ、そして盲目さだ」
エンラは紅の垂れ髪を揺らしながら白の仮面に覆われたヴァイスの目を見据えた。
「冷静に思考せよ。ヒカリ属とは〝生物の生を守る〟ことを使命とする存在、如何なる思いを抱こうとその責務から外れることは許されぬ。
さらに白亜は〝始まりの六肢〟だ。つまるところ双神に代わってこの世界の循環を最初に任されし高位の一体であり、ヒカリ属神託者として何億年とこの星の循環を守ってきたのだ。
その白亜が一個人に干渉し特別な力を授けるとは到底考えられぬ」
「ですが彼にだって例外はあるでしょう。今までがそうだったからといって今回もそうだという証明にはなりません」
「加えてヤミ属の神託者たるアウラーエとヤーシュナを見ても分かるように、神託者は神核のそばを決して離れぬ。彼らは〝神託〟の他に神核の守護も責務であるからだ。
ゆえに生物界へ降り立つことはなおさら有り得ぬ。万にひとつ白亜に願望があったとて、あの堅物のヒカリ属統主が許すとは非常に考えがたい」
「ッしかし、エレンフォールが口にした者の特徴は確かに白亜様と酷似していました。
私が実際にお会いしたことはありませんが、過去に読んだ書物やエンラ様が仰った白亜様の特徴と酷似しています。
あの土地の人間が信仰する神には光輪や翼を持つ者などなく、妄想の産物とはとても考えられません」
「確かに人型を取って以降に顔を合わせた白亜は金髪紅眼であった。白翼も背に持っておる。だが違う。白亜の紋翼は三対ではなく二対であり、頭上に光輪もない。
そもそも三対の紋翼を持つ属子はおらぬ。光輪もヒカリ属統主しか持たぬ。そして神力の表出紋様たるそれらの数や規模が変わることは未来永劫ない。
分かるか? エレンフォールの前に現れた者は白亜に似せられた別の何かなのだ」
「……っですが、ならば誰がエレンフォールに治癒の能力を与えられるというのです。
何千年と生き永らえた罪科獣のなかには神のような力を有する者もいます。彼らなら能力を授けることも不可能ではないかも知れません。
しかしその場合、生物界に決して下りないという白亜様の姿に自身を似せることができたのは何故ですか」
「高次存在にまで成り上がった罪科獣は我らヤミ属、ヒカリ属の存在も当然のごとく存じておる。我らの手から逃れんがため、生物界に下りた執行者を陰から観察し学習する者もおる。
なれば執行者らの不用意な発言を聞き集めて〝白亜〟を演じることも不可能ではあるまい?」
「確かに不可能ではありませんが無理がある。そもそも罪科獣がそこまでしてエレンフォールを陥れる理由がありません」
「我には白亜がエレンフォールを陥れるという方が理解しがたいがのう。
あやつは我らと役割こそ違えど、我らと同じ〝生物の循環を守る〟ことを使命とする同胞である。対して罪科獣は生物を存在養分とする。どちらがエレンフォールを狙う必要があるかは明白であろうに」
エンラの言葉は変わらず滔々と流れ、ヴァイスはついに反論ができなくなる。しかし、それでもヴァイスは必死に次の反論を探しているように見えた。
「ヴァイスよ。貴様も存じておるとおり、この星の天地たる双神は太古の昔に自我を破棄された。
それは我が子たる生物たちの循環がため、彼らの礎とならんがためである。感情を廃された緻密な観測と礎に徹されるのが今の双神なのだ」
エンラは次の言葉など与えぬと言わんばかりに再び神殿へ声を響かせた。
「ゆえに神の下される勅令に間違いはない。これまでもそうであった。これからもそうだ。
例え勅令任務の内容が不可解に思えようと、すべては生物を思っての命であり、遂げたのちには神の命が正しかったことを必ず理解できよう」
「……今回が初めての間違いかも、知れないです」
「まだ言うか。貴様も存じておるだろうに。エレンフォール自身が既に大罪を犯していることを――他の生物の契約寿命を何百と反故させたことを」
「ですがそれは、それはエレンフォールが皆を助けたい一心での行動であり、」
「エレンフォールにどんな背景があろうと罪を犯している自覚がなかろうと、生物の魂魄に歪みや傷をつけたのは事実だ。我らがヤミ神はそれを観測されたのだ」
「ッならば二度と能力を使わないよう説得を、」
「一度でも罪を刻みつけた時点で執行は免れぬ。
他者の契約寿命を脅かすことはそれほどの大罪であること貴様も知っておるはずだ。〝ヤミ属執行者の頂点〟よ」
「ですがっ……」
私利私欲のない、淡々とした今までのヴァイスはどこへ消えたのか。彼は声を震わせながらまだ食い下がろうとする。
ゆえにとうとうエンラは眉を吊り上げた。
「いい加減にせよ。貴様は〝生物の死を守る〟ヤミ属だ。殺したくない、生かしたいなどと生物と同じ目線になることは許さぬ」
厳しい声が離れたディルの耳までもつんざくのと同時に、エンラは玉座から凛と立ち上がった。
そうしてヴァイスと額が触れあうほどに顔を寄せ、白仮面の奥にあるであろう双眸を黒き眼光で刺し貫く。
「貴様の言うとおり確かに不可解な面はある。ゆえにエレンフォールに能力を授けた者の調査は行うと約束しよう。
だが、それとエレンフォールの執行の是非は無関係だ。貴様のすべきは執行期限内にエレンフォールの執行を完遂すること――それ以外にありはしない」
「……」
「ヴァイスよ。執行を厭うな。我らは生物を苦しめたいがために殺すのではない。
死は循環の一幕であり、エレンフォールも例外ではない。誰しもが魂魄ある限り次の生を保障される」
「……」
「高次存在に目をつけられ力を与えられたこと、良かれと他者の契約寿命を脅かし続けたことは誠に災難であった。
だが、我はその不幸を無視することはない。手厚い裁定を施し、次の転生に加味するようヒカリ属統主に掛け合おう」
「……」
「だからこそ早急に遂げて参れヴァイス。これ以上の罪を負わせぬよう、その手で優しく終わらせてやるのだ」
「…………」
神殿内に静寂が舞い戻った。ふたりは至近距離でしばらく見つめ合い続けていたが、それはヴァイスがうつむいたことで終わりを迎えた。
次の瞬間、ヴァイスは踵を返す。エンラから身を離し、靴音を鳴らしながら裁定神殿を走り出ていく。
エンラはそれを止めることはなかった。ただ見送るばかりだったが、ヴァイスが神殿を完全に後にすれば目を伏せ深い吐息をつく。
リンリンは心配そうにそんなエンラの傍らへ歩み寄った。
「我が主。ヴァイス殿はとても納得したようには見受けられません。強制収監が正解だったのでは?」
「……今回の任務はヤミ神がヴァイスを直々に指名されたものである。最後まであやつに任せる所存だ」
「承知しました。しかし、念のため追うべきと考えますわ」
言ってリンリンは一歩踏み出そうとした。
「必要ない」
だがエンラはそれを止める。
「ですが……」
「ここからは相棒の仕事だ。そうであろう、ディル?」
――大扉の方に投げられたその言葉に、ディルは返事をできなかった。そのあとすぐ神殿内で反響した笑い声も背中で聞くのみ。
理由は簡単、ディルはヴァイスを追うことにだけ意識を集中させていたからだ。
「ヤミ神からの指名勅令、エレンフォールの〝魂魄執行〟執行期限まであと少しもない。ぼやぼやしておるヒマなどありはせぬ」
「……私の話を、聞いていなかったのですか?」
今度はヴァイスが理解不能と言わんばかりの声色を出す番だった。しかしエンラはそれを歯牙にもかけない。
「無論聞いておったよ。言ったではないか、貴様の主張はよく分かったとな」
「ならば今の命はおかしい。『ヒカリ属が関わっているならばエレンフォールを執行すべきでない』と言っているのに、まずはエレンフォールを執行してこい? 私の主張とは真逆です」
「ああ、貴様の主張を理解しようが納得したわけではないゆえな。
ヴァイスよ、エレンフォールなる生物によほど肩入れしていると見える。普段の貴様らしかぬ早計さ、そして盲目さだ」
エンラは紅の垂れ髪を揺らしながら白の仮面に覆われたヴァイスの目を見据えた。
「冷静に思考せよ。ヒカリ属とは〝生物の生を守る〟ことを使命とする存在、如何なる思いを抱こうとその責務から外れることは許されぬ。
さらに白亜は〝始まりの六肢〟だ。つまるところ双神に代わってこの世界の循環を最初に任されし高位の一体であり、ヒカリ属神託者として何億年とこの星の循環を守ってきたのだ。
その白亜が一個人に干渉し特別な力を授けるとは到底考えられぬ」
「ですが彼にだって例外はあるでしょう。今までがそうだったからといって今回もそうだという証明にはなりません」
「加えてヤミ属の神託者たるアウラーエとヤーシュナを見ても分かるように、神託者は神核のそばを決して離れぬ。彼らは〝神託〟の他に神核の守護も責務であるからだ。
ゆえに生物界へ降り立つことはなおさら有り得ぬ。万にひとつ白亜に願望があったとて、あの堅物のヒカリ属統主が許すとは非常に考えがたい」
「ッしかし、エレンフォールが口にした者の特徴は確かに白亜様と酷似していました。
私が実際にお会いしたことはありませんが、過去に読んだ書物やエンラ様が仰った白亜様の特徴と酷似しています。
あの土地の人間が信仰する神には光輪や翼を持つ者などなく、妄想の産物とはとても考えられません」
「確かに人型を取って以降に顔を合わせた白亜は金髪紅眼であった。白翼も背に持っておる。だが違う。白亜の紋翼は三対ではなく二対であり、頭上に光輪もない。
そもそも三対の紋翼を持つ属子はおらぬ。光輪もヒカリ属統主しか持たぬ。そして神力の表出紋様たるそれらの数や規模が変わることは未来永劫ない。
分かるか? エレンフォールの前に現れた者は白亜に似せられた別の何かなのだ」
「……っですが、ならば誰がエレンフォールに治癒の能力を与えられるというのです。
何千年と生き永らえた罪科獣のなかには神のような力を有する者もいます。彼らなら能力を授けることも不可能ではないかも知れません。
しかしその場合、生物界に決して下りないという白亜様の姿に自身を似せることができたのは何故ですか」
「高次存在にまで成り上がった罪科獣は我らヤミ属、ヒカリ属の存在も当然のごとく存じておる。我らの手から逃れんがため、生物界に下りた執行者を陰から観察し学習する者もおる。
なれば執行者らの不用意な発言を聞き集めて〝白亜〟を演じることも不可能ではあるまい?」
「確かに不可能ではありませんが無理がある。そもそも罪科獣がそこまでしてエレンフォールを陥れる理由がありません」
「我には白亜がエレンフォールを陥れるという方が理解しがたいがのう。
あやつは我らと役割こそ違えど、我らと同じ〝生物の循環を守る〟ことを使命とする同胞である。対して罪科獣は生物を存在養分とする。どちらがエレンフォールを狙う必要があるかは明白であろうに」
エンラの言葉は変わらず滔々と流れ、ヴァイスはついに反論ができなくなる。しかし、それでもヴァイスは必死に次の反論を探しているように見えた。
「ヴァイスよ。貴様も存じておるとおり、この星の天地たる双神は太古の昔に自我を破棄された。
それは我が子たる生物たちの循環がため、彼らの礎とならんがためである。感情を廃された緻密な観測と礎に徹されるのが今の双神なのだ」
エンラは次の言葉など与えぬと言わんばかりに再び神殿へ声を響かせた。
「ゆえに神の下される勅令に間違いはない。これまでもそうであった。これからもそうだ。
例え勅令任務の内容が不可解に思えようと、すべては生物を思っての命であり、遂げたのちには神の命が正しかったことを必ず理解できよう」
「……今回が初めての間違いかも、知れないです」
「まだ言うか。貴様も存じておるだろうに。エレンフォール自身が既に大罪を犯していることを――他の生物の契約寿命を何百と反故させたことを」
「ですがそれは、それはエレンフォールが皆を助けたい一心での行動であり、」
「エレンフォールにどんな背景があろうと罪を犯している自覚がなかろうと、生物の魂魄に歪みや傷をつけたのは事実だ。我らがヤミ神はそれを観測されたのだ」
「ッならば二度と能力を使わないよう説得を、」
「一度でも罪を刻みつけた時点で執行は免れぬ。
他者の契約寿命を脅かすことはそれほどの大罪であること貴様も知っておるはずだ。〝ヤミ属執行者の頂点〟よ」
「ですがっ……」
私利私欲のない、淡々とした今までのヴァイスはどこへ消えたのか。彼は声を震わせながらまだ食い下がろうとする。
ゆえにとうとうエンラは眉を吊り上げた。
「いい加減にせよ。貴様は〝生物の死を守る〟ヤミ属だ。殺したくない、生かしたいなどと生物と同じ目線になることは許さぬ」
厳しい声が離れたディルの耳までもつんざくのと同時に、エンラは玉座から凛と立ち上がった。
そうしてヴァイスと額が触れあうほどに顔を寄せ、白仮面の奥にあるであろう双眸を黒き眼光で刺し貫く。
「貴様の言うとおり確かに不可解な面はある。ゆえにエレンフォールに能力を授けた者の調査は行うと約束しよう。
だが、それとエレンフォールの執行の是非は無関係だ。貴様のすべきは執行期限内にエレンフォールの執行を完遂すること――それ以外にありはしない」
「……」
「ヴァイスよ。執行を厭うな。我らは生物を苦しめたいがために殺すのではない。
死は循環の一幕であり、エレンフォールも例外ではない。誰しもが魂魄ある限り次の生を保障される」
「……」
「高次存在に目をつけられ力を与えられたこと、良かれと他者の契約寿命を脅かし続けたことは誠に災難であった。
だが、我はその不幸を無視することはない。手厚い裁定を施し、次の転生に加味するようヒカリ属統主に掛け合おう」
「……」
「だからこそ早急に遂げて参れヴァイス。これ以上の罪を負わせぬよう、その手で優しく終わらせてやるのだ」
「…………」
神殿内に静寂が舞い戻った。ふたりは至近距離でしばらく見つめ合い続けていたが、それはヴァイスがうつむいたことで終わりを迎えた。
次の瞬間、ヴァイスは踵を返す。エンラから身を離し、靴音を鳴らしながら裁定神殿を走り出ていく。
エンラはそれを止めることはなかった。ただ見送るばかりだったが、ヴァイスが神殿を完全に後にすれば目を伏せ深い吐息をつく。
リンリンは心配そうにそんなエンラの傍らへ歩み寄った。
「我が主。ヴァイス殿はとても納得したようには見受けられません。強制収監が正解だったのでは?」
「……今回の任務はヤミ神がヴァイスを直々に指名されたものである。最後まであやつに任せる所存だ」
「承知しました。しかし、念のため追うべきと考えますわ」
言ってリンリンは一歩踏み出そうとした。
「必要ない」
だがエンラはそれを止める。
「ですが……」
「ここからは相棒の仕事だ。そうであろう、ディル?」
――大扉の方に投げられたその言葉に、ディルは返事をできなかった。そのあとすぐ神殿内で反響した笑い声も背中で聞くのみ。
理由は簡単、ディルはヴァイスを追うことにだけ意識を集中させていたからだ。