第26話 白には戻れない
文字数 2,592文字
反射的。そう、もはや反射的な動きだった。
自分の立場などどこ吹く風でエレンフォールを生かすことしか考えられないヴァイス。
そんな相棒を見ていられなくて、見ていたくなくて、ディルはヴァイスを渾身の力で殴り飛ばしたのだ。
だがそれでも収まらない。ディルはズンズンとヴァイスへ肉薄し、口から血をこぼしつつもすぐ起き上がろうとするヴァイスの胸ぐらをまた掴みにかかった。
「お前分かってねぇだろ、分かってねぇよな!? お前がエレンフォールを安全な場所に逃して生かしたいって思いがただの独りよがりだってこと、ただの自分勝手だってことをよ!!」
「っ……」
「エレンフォールは自分だけがのうのうと生きることなんか一度たりとも望んじゃいねぇ、戦争を止めて皆で平和に生きたいがために自分をすり減らしながら生きてんだ!」
「……」
「お前だってエレンフォールの意志を何度も聞いてきたはずだろうが! あいつの心情を無視してる時点でお前のそれは生ぐせぇエゴでしかねぇ!!」
「……」
「言っておくがな、お前と一緒にいる限り安全な場所だってねぇよ!
生物界に長期間とどまり続けたヤミはヤミ神に〝生物界を脅かす異分子〟と観測されて執行対象になっちまう、しかも執行者の不始末はそのバディの不始末――俺がお前を殺すことになっちまうんだ!」
「……」
「エレンフォールの〝魂魄執行〟だってお前が執行しなかった場合は別の執行者に引き継がれるだけだ!
そいつらを殺しでもしてみろ、お前は〝同属殺しの禁忌〟を負う、いくらお前でも禁忌を負えば相当に弱体化するだろうよ!」
「……」
「それだけじゃねぇ、離反すればヤミ属界にも二度と戻ってこられなくなる、そうなったら存在養分も満たせず弱っていく!
禁忌を負い、存在養分が枯渇していくなかで俺を相手にしてエレンフォールを守れんのか!?
エレンフォールは自分に関係のない争いに巻き込まれ、戦も止められないなかで弱っていく……これがお前の願うことかよ!?」
「……」
「既にエレンフォールは執行を免れねぇ、だったらお前が執行するのが最良じゃねぇか!
ヤミ神もエンラ様もエレンフォールが憎いわけじゃねぇ、このまま放置すると最悪の事態になるからこその勅令だろうが!」
「……」
「目を覚ませよヴァイス、俺はお前の死に顔なんて見たくねぇんだ……!!」
――事実と正論を激情のままに吐き出しながら、しかしディルは気づいている。
〝殺したくない〟
〝生きてほしい〟
〝一緒にいたい〟
ヴァイスへ抱くこれら願望が、ヴァイスがエレンフォールに抱くものと同一であること。
だからこそヴァイスの心情を理解できてしまうこと。ならば願いを叶えてやりたいと、そう思わなくもないこと。
そしてこうも気づいている。絶対に叶えてやりたくないという気持ちが勝ってしまうこと。
擦り切れそうな心が叫んでいるのだ。自分が何百年と肩を並べた相棒であることを忘れないでくれと。
――それでも、ヴァイスにぶつけたモノはあくまで事実、正論だ。
事実と正論で外側を装える程度には、ディルもオトナに片足を突っ込んだのだ。
ヴァイスはしばらく無言だった。その面はいつの間にか下がっており、彼が今どんな表情を口もとに浮かべているかはうかがい知れない。
「……お前の言ったことは想定済みだった。覚悟もしていた。そのうえで、私はエレンフォールを守りきろうとしていた。独りよがりなのも分かっていた、つもりだ」
やがてヴァイスは顔を上げる。身体に力を込め、中腰の姿勢から立ち上がる。
「だが、そうだな……改めて言葉にされると胸の内がひどく重くなってしまった。きっとこれが苦しいという感情なんだろう。お前と殺し合うなんて、そんなことは、考えたくもない」
ディルを見下ろし、言葉を噛みしめるようにヴァイスは言った。
ゆえにディルは安堵しかかったのだ。
分かってくれたのだと。あちらに傾きかけた天秤がこちらに傾き直してくれた、相棒は相棒のままでいてくれるのだと。
「ディル。どうか頼まれてくれないか。お前にしか頼めない大事なことだ」
しかし、ヴァイスの胸ぐらをつかむ手を緩めようとしたときだった。
「アスカとシエル――私の大事な育て子たち。彼らの次の育て親を、見つけてやってほしい」
「あ……?」
「私の愚行は洗いざらい話してくれて構わない。アスカは泣いてしまうだろうが、シエルがいるからすぐ持ち直してくれるはずだ。大変な思いをさせてしまうことには変わりないが……」
「……お前、」
「ディル、すまない。お前にも多大な迷惑をかけてしまう。だが私にはもう時間がない。だからどうか、私の大事な育て子たちをよろしく頼む……」
「……お前……なんで……」
「友だちなんだ」
その一言。たったそれだけの言葉が、残酷に聴覚を引っ掻いた。
「自分の行いが最低で自分本位だと理解できても、仲間だった者たちと刃を向け合うことになっても。それでも私は選択を変えられない。
エレンフォールを生かしたい。せめて残り少ない時間だけは、平穏に過ごしてほしいんだ」
「……」
「私は友と、エレンフォールと一緒にいたい。たくさんの話をしたい。この仮面を外して素顔で笑いあってみたい」
「……」
「だから殺さない。殺させない。私はエレンフォールを、何があっても守りとおす」
――いつから言葉にこれほどの意志が灯るようになったのか。
空っぽの白がこんなにも様々な色で充満するようになったのか。
そうしたのが自分でないことに、胸を引き裂かれてしまうのか。
「……そうか」
去っていく育て親に『行かないで』と追いすがった幼いころのように無様になれたなら良かった。
何百年前のように『全然つらくねぇし』と強がれたなら良かった。
「相棒〝だった〟俺は殺せるんだな」
――だがもう、自分が今どんな顔をしているのかすら分からないのだ。
笑っているような気もするし、泣いているような気もする。何もかもが不明瞭だ。
しかしもういい。結論は出てしまったのだから。
自分の存在をもってしても、永くを共にした者の選択を変えられなかったのだから。
「ディル、……」
だから掴んでいた胸ぐらから手を離し、踵を返す。
己の名を呼ぶヴァイスの声を認識しても振り返らない。振り返れない。
ディルの足は止まらない。どこに向かおうとしているのかも分からないのに、距離だけが、離れていく。
自分の立場などどこ吹く風でエレンフォールを生かすことしか考えられないヴァイス。
そんな相棒を見ていられなくて、見ていたくなくて、ディルはヴァイスを渾身の力で殴り飛ばしたのだ。
だがそれでも収まらない。ディルはズンズンとヴァイスへ肉薄し、口から血をこぼしつつもすぐ起き上がろうとするヴァイスの胸ぐらをまた掴みにかかった。
「お前分かってねぇだろ、分かってねぇよな!? お前がエレンフォールを安全な場所に逃して生かしたいって思いがただの独りよがりだってこと、ただの自分勝手だってことをよ!!」
「っ……」
「エレンフォールは自分だけがのうのうと生きることなんか一度たりとも望んじゃいねぇ、戦争を止めて皆で平和に生きたいがために自分をすり減らしながら生きてんだ!」
「……」
「お前だってエレンフォールの意志を何度も聞いてきたはずだろうが! あいつの心情を無視してる時点でお前のそれは生ぐせぇエゴでしかねぇ!!」
「……」
「言っておくがな、お前と一緒にいる限り安全な場所だってねぇよ!
生物界に長期間とどまり続けたヤミはヤミ神に〝生物界を脅かす異分子〟と観測されて執行対象になっちまう、しかも執行者の不始末はそのバディの不始末――俺がお前を殺すことになっちまうんだ!」
「……」
「エレンフォールの〝魂魄執行〟だってお前が執行しなかった場合は別の執行者に引き継がれるだけだ!
そいつらを殺しでもしてみろ、お前は〝同属殺しの禁忌〟を負う、いくらお前でも禁忌を負えば相当に弱体化するだろうよ!」
「……」
「それだけじゃねぇ、離反すればヤミ属界にも二度と戻ってこられなくなる、そうなったら存在養分も満たせず弱っていく!
禁忌を負い、存在養分が枯渇していくなかで俺を相手にしてエレンフォールを守れんのか!?
エレンフォールは自分に関係のない争いに巻き込まれ、戦も止められないなかで弱っていく……これがお前の願うことかよ!?」
「……」
「既にエレンフォールは執行を免れねぇ、だったらお前が執行するのが最良じゃねぇか!
ヤミ神もエンラ様もエレンフォールが憎いわけじゃねぇ、このまま放置すると最悪の事態になるからこその勅令だろうが!」
「……」
「目を覚ませよヴァイス、俺はお前の死に顔なんて見たくねぇんだ……!!」
――事実と正論を激情のままに吐き出しながら、しかしディルは気づいている。
〝殺したくない〟
〝生きてほしい〟
〝一緒にいたい〟
ヴァイスへ抱くこれら願望が、ヴァイスがエレンフォールに抱くものと同一であること。
だからこそヴァイスの心情を理解できてしまうこと。ならば願いを叶えてやりたいと、そう思わなくもないこと。
そしてこうも気づいている。絶対に叶えてやりたくないという気持ちが勝ってしまうこと。
擦り切れそうな心が叫んでいるのだ。自分が何百年と肩を並べた相棒であることを忘れないでくれと。
――それでも、ヴァイスにぶつけたモノはあくまで事実、正論だ。
事実と正論で外側を装える程度には、ディルもオトナに片足を突っ込んだのだ。
ヴァイスはしばらく無言だった。その面はいつの間にか下がっており、彼が今どんな表情を口もとに浮かべているかはうかがい知れない。
「……お前の言ったことは想定済みだった。覚悟もしていた。そのうえで、私はエレンフォールを守りきろうとしていた。独りよがりなのも分かっていた、つもりだ」
やがてヴァイスは顔を上げる。身体に力を込め、中腰の姿勢から立ち上がる。
「だが、そうだな……改めて言葉にされると胸の内がひどく重くなってしまった。きっとこれが苦しいという感情なんだろう。お前と殺し合うなんて、そんなことは、考えたくもない」
ディルを見下ろし、言葉を噛みしめるようにヴァイスは言った。
ゆえにディルは安堵しかかったのだ。
分かってくれたのだと。あちらに傾きかけた天秤がこちらに傾き直してくれた、相棒は相棒のままでいてくれるのだと。
「ディル。どうか頼まれてくれないか。お前にしか頼めない大事なことだ」
しかし、ヴァイスの胸ぐらをつかむ手を緩めようとしたときだった。
「アスカとシエル――私の大事な育て子たち。彼らの次の育て親を、見つけてやってほしい」
「あ……?」
「私の愚行は洗いざらい話してくれて構わない。アスカは泣いてしまうだろうが、シエルがいるからすぐ持ち直してくれるはずだ。大変な思いをさせてしまうことには変わりないが……」
「……お前、」
「ディル、すまない。お前にも多大な迷惑をかけてしまう。だが私にはもう時間がない。だからどうか、私の大事な育て子たちをよろしく頼む……」
「……お前……なんで……」
「友だちなんだ」
その一言。たったそれだけの言葉が、残酷に聴覚を引っ掻いた。
「自分の行いが最低で自分本位だと理解できても、仲間だった者たちと刃を向け合うことになっても。それでも私は選択を変えられない。
エレンフォールを生かしたい。せめて残り少ない時間だけは、平穏に過ごしてほしいんだ」
「……」
「私は友と、エレンフォールと一緒にいたい。たくさんの話をしたい。この仮面を外して素顔で笑いあってみたい」
「……」
「だから殺さない。殺させない。私はエレンフォールを、何があっても守りとおす」
――いつから言葉にこれほどの意志が灯るようになったのか。
空っぽの白がこんなにも様々な色で充満するようになったのか。
そうしたのが自分でないことに、胸を引き裂かれてしまうのか。
「……そうか」
去っていく育て親に『行かないで』と追いすがった幼いころのように無様になれたなら良かった。
何百年前のように『全然つらくねぇし』と強がれたなら良かった。
「相棒〝だった〟俺は殺せるんだな」
――だがもう、自分が今どんな顔をしているのかすら分からないのだ。
笑っているような気もするし、泣いているような気もする。何もかもが不明瞭だ。
しかしもういい。結論は出てしまったのだから。
自分の存在をもってしても、永くを共にした者の選択を変えられなかったのだから。
「ディル、……」
だから掴んでいた胸ぐらから手を離し、踵を返す。
己の名を呼ぶヴァイスの声を認識しても振り返らない。振り返れない。
ディルの足は止まらない。どこに向かおうとしているのかも分からないのに、距離だけが、離れていく。