第9話 異変

文字数 2,893文字

「すまない。最後まで見守っていようかと思ったが、悠長にやっている時間はなさそうでね」

「えっと、どういうことか分からないんですが……階層をもっと下げるって?」

「言葉のとおりだ。さらに深い階層へ移動しよう。深度は君に分かりやすく言うなら20くらいかな。感覚で大丈夫だ、やってごらん」

 ヴァイスが重ねて言うものだから、響もまたそれ以上の疑問を飲み込んで再度紋翼を展開した。

 この星は〝各世界が乗った層〟が無数に重なった状態にあり、層同士はそこに在るのみで干渉し合うことはない――ヴァイスが以前説明してくれたこの事実は、数ヶ月前までただの人間でしかなかった当時の響には理解しづらい概念だった。

 そのためヴァイスは響にも分かりやすいよう生物界の階層を100、ヤミ属界の階層を1として説明し直してくれたことがあった。

 無論このナンバリングは適当であり実際の数ではない。生物界の階層100とヤミ属界の階層1の間には無数の階層がある。

 100と1の階層とでは優位となるものがまったく違う。生物界の階層100では物的要素が優位となり、ヤミ属界の階層1では霊的要素が優位となるのだ。

 物体と霊体は基本的に干渉不可。特に物体はそれ自体が大きな枷であるため、物体である生物および大抵の罪科獣を小細工なしで移動できる階層には限度がある。

 それゆえ通常の執行に使用する階層は生物ならば99から90、罪科獣ならばおおよそ70まで。

 長年を生き永らえ霊的存在に偏り始めた罪科獣でも50より下の階層にはなかなか至れないという。

 だから響は驚いたのだ。あまりに深すぎると。

「階層降下(レイヤ・ダウン)――ものすごく深く……!」

 ヴァイスが示した20とは霊体最優位のヤミ属界にほど近い階層だ。

 〝罪科獣討伐〟の任務で使う階層でないのはもとより、そもそも大抵の罪科獣は至れない階層なのだ。生々しい殺気を放つモノが存在できるとは思えなかった。

 そんな疑問を覚えつつも響とアスカ、ヴァイスは20の階層への移動を完了する。

 景色がガラリと様変わりしたので分かりやすい。

 むしろ本当に同じ場所に立っているのだろうかと疑ってしまうのは、周りにあれほど茂っていた草木の鮮やかさが一切消失し――彼らも生物なので20の階層では姿が現れない――、不確かな残影のみになっているからだ。

 そのため岩や砂、水などの非生物だけが残り、視界はかなり開けている。

「――え」

 きょろきょろと見回して変わり果てた周囲を確認する響。

 しかしヴァイスが変わらず視線を注ぎ続ける先で〝それ〟を見つけた途端、視線が動かなくなる。

 〝それ〟との距離はまだ遠い。

 しかしやけに近く感じた。恐らく〝それ〟が放つ圧倒的なプレッシャーと殺意のせいだ。

「さっきの、キツネ……?」

 そう。

 〝それ〟はキツネだった。

 先ほどアスカが相手にしたキツネ型罪科獣と酷似した罪科獣が、アスカやヴァイス、響を着座の姿勢で遠巻きに見据え並々ならぬ殺気を放っていたのだ。

「……違う。まるで別物だ」

 アスカが響のつぶやきに低い声で答える。

 確かに改めて見ればその身体が先ほどのキツネ型罪科獣の倍以上に大きく、毛色も銀がかっていることに気づいた。

 何より神に似た気配が格上であることを強く告げている。

 さらに言えば巨体の背後で揺らめく尾も一本ではない。軽く数えただけでも七本以上は確認できた。

「えっ……も、もしかして九尾のキツネなんじゃ!?」

 そして知識と視線の先の存在が符号した瞬間、響は反射的に一歩後ずさってしまう。

 その動揺を察したかヴァイスが響の傍らに並んだ。

「響くん。九尾のキツネというのはどんなものだい」

「え、えと。日本とか中国に昔からある伝承で……今でもマンガとかアニメに登場したりするくらい有名な妖怪です。伝承でも物語でも恐ろしく強いモノとしてよく描かれます」

「なるほど。伝説とされた存在が実は罪科獣だったパターンだね。もっとも、彼は八尾のようだが」

 どうやらキツネの尾は九つではなく八つのようだ。しかし一本の違いなど誤差に思えた。

 何故なら醸し出す雰囲気がやはり尋常ではない。毛玉型罪科獣や先ほど討伐したキツネ型罪科獣とはまったく違う。

 だというのに、未だこちらを睨んだまま動かない八尾の銀キツネも同じ罪科獣だという。

「あれも罪科獣なんですか? か、神様っぽい雰囲気ですけど……」

「ああ、罪科獣だ。彼らも生物を摂取し続け、何百年何千年と生き永らえれば神気に近い気配を発するようになるんだ。

 私たちは本当の神が何であるかを知っているから紛いモノだと分かるが、人間ならば騙されてしまうだろうね」

「確かに僕も少し思いかけてました……」

「響。すぐに階層を移動してくれ」

 と、響の数歩前方で八尾のキツネ型罪科獣と睨み合っていたアスカが声をかけてきた。響は合点がいって頷く。

「逃げるってことだよね。じゃあすぐ用意――」

「いや、俺はここに残るから含めるな。お前だけ離脱してほしい」

「ど、どうして?」

「明らかに強敵だ。こうして見つけた以上、野放しにはできない」

 響の位置からアスカの顔は視認できないが、声の調子から険しい表情を浮かべていることが察せられた。

 つい先ほどの戦闘では疲弊や動揺のひとつも見せなかったアスカが、八尾のキツネ型罪科獣に対峙している今は緊迫を露わにしている。

「で、でも。強力な罪科獣ならなおさら出直したほうが」

「一度離れてまた見つけられる保証はない」

「……けど、僕だけ逃げるなんて……」

 そう言いはするものの、自分が戦うすべを持たないことを思い出せば言葉は尻すぼみに消えていく。

 アスカは小さく首を横に振った。

「逃げるんじゃない、離脱だ。

 ここを離れたら速やかにエンラ様へ報告してほしい。『高次存在にまで成り上がった罪科獣が深階層に身を隠している』と……そうすれば俺が駄目でも他の執行者が討伐してくれる」

「……!」

 聞き捨てならない言葉に響は目を見開いた。

 アスカは今、至極冷静に己の死を覚悟している。いや、受け入れている。

 だから今度は響が首を横に振る番だった。足が勝手に一歩を踏み出しアスカと肩を並べようとする。

「っ僕も一緒に戦う。権能は使えるんだ、少しくらい――」

 だがそれをアスカ自身が阻む。

「いい。早く行ってくれ。俺は最優先任務を全うしたい。何があってもお前を守り通すという任務をな」

「アスカ君」

「俺はお前に誓った。約束した。執行任務も、お前の守護もやり遂げると」

「……」

「だから構わず行ってくれ」

 言いながら大鎌を持つ手に力を込めるアスカ。

 その背には言葉どおり並々ならぬ意志がにじみ出ていて、響は唇を噛まざるを得なかった。

 アスカの力になりたい、アスカを死なせたくない――そう思えど、響には武器もなければ戦闘能力もない。

 自分はただの守護対象。ただの足手まといでしかないのだ。


「――いやぁしかし、逆にちょうど良かった。実は滞りなく終わりすぎてどうしたものかと考えていたんだ」


「へ……!?」

 と、そんなところでコツコツと靴音を響かせ、響の傍らを通り過ぎる者があった。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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