第27話 喜色
文字数 2,017文字
『少しの間ここを離れる。だが待っていてくれ。必ずすぐ戻ってくるよ』
『私の道を君の道と同じにする。私は今、自分の気持ちに気づくことができた。私は友と、君と一緒にいたい』
『ここに戻ってきたならもう二度と君と離れることはない。君を守るために、この命を使う』
ここを発つ間際、ヴァイスが口にした言葉には並大抵でない覚悟があった。
何を成しに発ったかは分からずとも、彼が重大な決断をしたことはエレンフォールにも察せられた。
「――まだかな。ヴァイス」
エレンフォールは一人、幽閉部屋のなかでぼやいた。
祈りの最中だというのに気が緩んでいる。それに気づいて集中しようとするも、しかしまたすぐ同じことを考えてしまう。まったくどうしようもない。
ヴァイスがどこぞへ姿を消してからまだ一時間も経っていない。待ち遠しく思うにはまだまだ時期尚早だ。だがそう言い聞かせたところで気持ちは逸ったままなのだ。
エレンフォールは気持ちを落ち着けるために左耳のターコイズに触れる。
つい先刻まで両方にあったピアスも今ではひとつだけだ。ヴァイスに〝友の証〟として贈ったもう片方は今どこにあるだろうか。
今もヴァイスのそばにあってくれるといいな――そんなことを考えて小さく笑ってしまうのだから、何をしたところでこの弾んだ気持ちを押さえつけることなど不可能ではないかと思えてしまう。
エレンフォールは知っている。人間である自分と死神であるヴァイスでは住む世界が違いすぎること。
だが、それでもただひとりの大事な友だちであること。交流した日々がたった数日であることなど関係ない。大事な大事な友だちだ。
しかしエレンフォールはこうも理解していた。ふたりにはそれぞれの道があり、分岐はすぐ目の前にあること。そして別れは必然であること。
『約束する――次はとっておきの話をすると』
だが、ヴァイスが〝共に同じ道を歩く〟と決断してくれたとき、エレンフォールは何よりも先に喜びを覚えてしまった。
嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。もちろん命が奪われなかったことではない。
まだ一緒にいられる、いてくれる――その事実だけで生きていられると錯覚しそうになるくらい、エレンフォールの心には鮮烈な暖色がほとばしったのだ。
エレンフォール・トゥラン。
彼は幼いころ貧困のために身売りされて以来、奴隷として生きてきた。戦争が始まり、主が死んで自由の身になると神に祈りを捧げ、傷ついた人々をどうにか助けようとする毎日を送った。
我がもとへ降臨した正真正銘の神に奇跡の力を授けられて以降は状況が様変わりした。
〝神の子〟などと呼ばれたのは居心地が悪かったものの、今にも死にそうな人々さえ確実に助けられるようになったのは感謝にたえなかった。
代償として片目を失い、奇跡の力を使うごとに生命力も刻々と減っていくが、それは大した問題にならなかった。
それからすぐ一方の部族長・イスマによって彼の邸宅に案内され、一室にかくまわれたことで万人を助けることができなくなってしまった事実は心から歯がゆい。
だが、自分が外に出ることによって理不尽に命を奪われる者が出ると主張されたならば。そして実際にその悪夢が起こってしまったならば、エレンフォールには選択肢がなかった。
ゆえにここ最近は四六時中神に祈り続ける日々。イスマや彼の家族、運ばれてくる血まみれの兵だけを治癒する日々。
しかし、自分の存在が戦争終結に結びついてくれるならば。自分が与えれば、辛抱すれば。それで家族たる皆が平和に、幸せになれるのならば。
エレンフォールは自分がどうなろうと構わなかった。何も求める気はなかった。そのはずだった。
「たくさん話を聞きたいな。本当に楽しみだ」
だのに今、求めている。自分の心が真っ白で空っぽだったのをようやく自覚し、その心を友と過ごす時間で満たしたくてたまらなくなっている。
無論、戦争を終結させて家族たる皆が平和に幸福に過ごすことが一番の目的であることは揺らがない。
だがその目的に向かって進む道程で、かけがえのない友と言葉をかわし笑いあえるなら。これほど幸せなことはないのだ。
一日の終わりにやって来るイスマも先ほど帰ったので、現在時刻は深夜だろう。少しばかり浮ついてしまった神への祈りも一段落。
あとはヴァイスの帰りを待ち、ただワクワクと頬を熱くするのみ。未来に思いを馳せるのみ。
「!」
と、そのときだった。
部屋と階段スペースとを分ける薄布のベールがわずかにひらめいた。
どうやら今回はそちらからやってきたらしい。今まではすぐ近くに姿を現していたのに、まさか驚かせようとでもしているのか?
「ヴァイス、俺の大切な友だち。ずっと待ってたよ」
だから意趣返しとばかりにベールの奥へ声をかけた。
イタズラっぽい顔をしながら、声を喜びに弾ませながら――エレンフォールは色にあふれた未来が始まることを、信じて疑わなかった。
『私の道を君の道と同じにする。私は今、自分の気持ちに気づくことができた。私は友と、君と一緒にいたい』
『ここに戻ってきたならもう二度と君と離れることはない。君を守るために、この命を使う』
ここを発つ間際、ヴァイスが口にした言葉には並大抵でない覚悟があった。
何を成しに発ったかは分からずとも、彼が重大な決断をしたことはエレンフォールにも察せられた。
「――まだかな。ヴァイス」
エレンフォールは一人、幽閉部屋のなかでぼやいた。
祈りの最中だというのに気が緩んでいる。それに気づいて集中しようとするも、しかしまたすぐ同じことを考えてしまう。まったくどうしようもない。
ヴァイスがどこぞへ姿を消してからまだ一時間も経っていない。待ち遠しく思うにはまだまだ時期尚早だ。だがそう言い聞かせたところで気持ちは逸ったままなのだ。
エレンフォールは気持ちを落ち着けるために左耳のターコイズに触れる。
つい先刻まで両方にあったピアスも今ではひとつだけだ。ヴァイスに〝友の証〟として贈ったもう片方は今どこにあるだろうか。
今もヴァイスのそばにあってくれるといいな――そんなことを考えて小さく笑ってしまうのだから、何をしたところでこの弾んだ気持ちを押さえつけることなど不可能ではないかと思えてしまう。
エレンフォールは知っている。人間である自分と死神であるヴァイスでは住む世界が違いすぎること。
だが、それでもただひとりの大事な友だちであること。交流した日々がたった数日であることなど関係ない。大事な大事な友だちだ。
しかしエレンフォールはこうも理解していた。ふたりにはそれぞれの道があり、分岐はすぐ目の前にあること。そして別れは必然であること。
『約束する――次はとっておきの話をすると』
だが、ヴァイスが〝共に同じ道を歩く〟と決断してくれたとき、エレンフォールは何よりも先に喜びを覚えてしまった。
嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。もちろん命が奪われなかったことではない。
まだ一緒にいられる、いてくれる――その事実だけで生きていられると錯覚しそうになるくらい、エレンフォールの心には鮮烈な暖色がほとばしったのだ。
エレンフォール・トゥラン。
彼は幼いころ貧困のために身売りされて以来、奴隷として生きてきた。戦争が始まり、主が死んで自由の身になると神に祈りを捧げ、傷ついた人々をどうにか助けようとする毎日を送った。
我がもとへ降臨した正真正銘の神に奇跡の力を授けられて以降は状況が様変わりした。
〝神の子〟などと呼ばれたのは居心地が悪かったものの、今にも死にそうな人々さえ確実に助けられるようになったのは感謝にたえなかった。
代償として片目を失い、奇跡の力を使うごとに生命力も刻々と減っていくが、それは大した問題にならなかった。
それからすぐ一方の部族長・イスマによって彼の邸宅に案内され、一室にかくまわれたことで万人を助けることができなくなってしまった事実は心から歯がゆい。
だが、自分が外に出ることによって理不尽に命を奪われる者が出ると主張されたならば。そして実際にその悪夢が起こってしまったならば、エレンフォールには選択肢がなかった。
ゆえにここ最近は四六時中神に祈り続ける日々。イスマや彼の家族、運ばれてくる血まみれの兵だけを治癒する日々。
しかし、自分の存在が戦争終結に結びついてくれるならば。自分が与えれば、辛抱すれば。それで家族たる皆が平和に、幸せになれるのならば。
エレンフォールは自分がどうなろうと構わなかった。何も求める気はなかった。そのはずだった。
「たくさん話を聞きたいな。本当に楽しみだ」
だのに今、求めている。自分の心が真っ白で空っぽだったのをようやく自覚し、その心を友と過ごす時間で満たしたくてたまらなくなっている。
無論、戦争を終結させて家族たる皆が平和に幸福に過ごすことが一番の目的であることは揺らがない。
だがその目的に向かって進む道程で、かけがえのない友と言葉をかわし笑いあえるなら。これほど幸せなことはないのだ。
一日の終わりにやって来るイスマも先ほど帰ったので、現在時刻は深夜だろう。少しばかり浮ついてしまった神への祈りも一段落。
あとはヴァイスの帰りを待ち、ただワクワクと頬を熱くするのみ。未来に思いを馳せるのみ。
「!」
と、そのときだった。
部屋と階段スペースとを分ける薄布のベールがわずかにひらめいた。
どうやら今回はそちらからやってきたらしい。今まではすぐ近くに姿を現していたのに、まさか驚かせようとでもしているのか?
「ヴァイス、俺の大切な友だち。ずっと待ってたよ」
だから意趣返しとばかりにベールの奥へ声をかけた。
イタズラっぽい顔をしながら、声を喜びに弾ませながら――エレンフォールは色にあふれた未来が始まることを、信じて疑わなかった。