第9話 兆し
文字数 2,700文字
ディルの問いかけに、ヴァイスは己の顔の上半分を覆う白に触れた。
「考えたことはなかったが、そうなのかも知れないな。これを着けていると皆、私が真っ白で空っぽなことを言葉にせずとも理解してくれる気がするから」
「安心すんの?」
「……分からない」
「ふうん。じゃあちょっと取ってみろよ」
「え?」
「取ってみろ。こっ恥ずかしい話のついでだ、顔見せろ」
「……」
ディルの提案にヴァイスは数秒黙ったあとでもう片方の手も持ち上げた。そうして仮面に手をかけ、一度逡巡したように動きを止め。それでも意を決したように仮面を外す。
「……へぇ。お前意外と……」
現れた素顔について、ディルは少しばかり口走ったあとで感想を控えた。
今さら遠慮をする仲でもない。そのまま続けてしまっても良かったが、何故だか自分のなかに留めておきたくなってしまったからだ――恐らく初めて、あるいは久々にさらけ出したであろうヴァイスの〝本当〟を。
「意外と、なんだ」
様々な角度から眺めるディルの視線を避けるようにヴァイスが仮面を着け直し、問う。だからディルは思わず吹き出した。
「なんだよお前、一丁前に気になんのか」
「お前が途中で言葉を止めるからだ」
「そりゃお前、なぁ?」
「だから意味深に濁す理由は何だ」
「教えてほしけりゃもう一回顔見せろよ」
「……断る。どうせお前は同じことをする」
「ははは、分かってんじゃん」
そうやって初めて小競り合って、ディルは笑い声を上げて、ヴァイスは相変わらずの無表情をしつつもどこか不満げで。
ゆえにディルの胸からはいつの間にか怒りが消えていたのだった。
「別にいいんじゃねぇの。愛? なんかなくてもさ」
歩みを再開し、ヴァイスが隣を並んでくるのに満足しながらディルは言葉を続ける。
「だって俺ら、自我があっても所詮は神の手足だぜ。任務さえ遂げられれば他はオマケみたいなもんだ。
なら真っ白で空っぽが悪いなんてことはない。むしろそういうモンのせいで争いとか葛藤が生まれることもあるんだ、知らなくていいまである」
「……そうなのか」
「おう。でもまぁ、お前の場合は思いこんでるだけな気もする。本当に正真正銘の真っ白だったら〝うらやましい〟なんて気持ちも湧かねぇよ。
とりあえず俺はそうだ。少しは周りのヤツらが気になるから、少しは強いから。だから愛されてるヤツとか俺より強いヤツに色々思っちまう。お前もそうだと思うぜ」
「……」
「アスカのこともさ。アイツが泣いてたとき、お前はどうにかしないとって思って泣いてる理由を訊いたんだろ。なら何とも思ってないわけじゃねぇ。
ま、その後の対応はまずかったと思うが、そういうのも言ってくれれば俺が教えてやるから相談しろ」
「……」
「つうかあれだな、もっとガキ同士で遊ばせようぜ。キラは絶対喜ぶし、ルリハもそうだ。きっとアスカやシエルだって」
「育て子たちが喜ぶのか。そうか。それはとても、良いことだ」
「だろ」
「……ありがとう、ディル」
ヴァイスは言って何度か小さくうなずいた。
表情がないのは変わらない。声色もいつもどおりだ。しかし以前とは違う。少なくともディルの心持ちは。ヴァイスというヤミを見る目は。
ヴァイスに感情の類が見られないこと。それは彼が感情を必要としていないからだとディルは思っていた。
ディル自身、感情を邪魔だと思っていた。感情があるから背を向けられることが苦しかった。強くいられないのも感情が邪魔するせいとさえ思っていた。
だが、ヴァイスは必要がないから感情を排除していたわけではなかった。天才も手に入らないモノに手を伸ばしていた、同じように悩みを持ち続けていた。そこに親近感を覚えていた。
しかし何より、ヴァイスが初めて悩みを打ち明けてくれた事実。
それが一番、どんなことよりも――
「あー、じゃあよ。……」
「?」
「俺、頑張るわ。毒を完全に制御できるようになってやる。そうじゃねぇとお前に堂々とアドバイスしづらいし。
だからさ、俺が晴れて完全に制御できるようになったら、お前もその仮面外せよ」
「……、」
「つっても今々じゃねぇ、心の準備しとけってことだ。仮面外して『頑張ったな』って笑顔で労え。それくらいあっていいだろ――相棒なんだからよ」
最後の方は妙に照れくさくなり、目を逸らしぶっきらぼうに言ってしまった。
しかしヴァイスが黙るので結局は視線をおそるおそる戻さざるを得なくなる。ヴァイスが口を開いたのはそのときだ。
「そうだな。私たちは相棒だ。ならばお前の努力に、私も努力で報いよう」
ヴァイスの返事には特に照れはない。やはり淡々としていた。
しかし、だからこそ当たり前にその事実を受け入れているのだと分かって、ディルの胸のなかは暖色でいっぱいになる。
背中を押された気がした。頑張れる気がした。
途方のない努力が必要だが、これからさらに気を張り続けなければならないが。
努力の先にきっと誰も目にしたことがないであろうヴァイスの笑顔が待っているのならば。絶対、今まで以上にできる気がした。
ディルは意気揚々とヴァイスを見る。
「うし、じゃあ手始めに今からガキたちを会わせて皆で遊ぶか」
「……もしかして、それは私たちも遊びに混ざるということか」
「当たり前だろ。あいつら追いかけっこ、かくれんぼ、ボードゲーム……何でも一緒にやりたがるぜ。だがその時間は俺やお前の鍛錬にもなる。それに」
「育て子たちも喜ぶ。そうだな」
ヴァイスの言葉にディルはニヤリと笑う。そうして足を速め、自分たちの帰りを待つ育て子たちのもとへ向かっていったのだった。
「――ずいぶん成長したのう」
そんなふたりの様子を、裁定神殿の玉座に座ったままのエンラは権能〝千里眼〟を用いて眺めていた。
「えっ、私太りました?」
それを知るよしなく傍らで別の仕事を進めていたリンリンが、不安げな表情でエンラに視線を送る。
「ちがわい。ディルとヴァイスだ」
「ああ、〝裁定〟を行いながら〝千里眼〟でふたりを視ていらしたのですね」
「ディルが守る対象を持つことで育つヤミであることは当初から分かっておった。ヴァイスが強すぎたゆえか自覚を持つのがずいぶん遅かったが、これからはさらに目覚ましい成長を遂げるであろうな」
「喜ばしいことですわ」
「ヴァイスは、そうだな――色を持ちつつある。それが凶と出るか吉と出るかは〝千里眼〟にも視えぬことであるが、我はあやつをリヴィアタのようにはしたくない。これからたくさんの感情を抱いてほしいものだ」
「……我が主」
「ディルとヴァイス、あやつらはいずれヤミ属執行者を牽引する立場となろう。
ふふ、今後の成長も楽しみだのう」
「考えたことはなかったが、そうなのかも知れないな。これを着けていると皆、私が真っ白で空っぽなことを言葉にせずとも理解してくれる気がするから」
「安心すんの?」
「……分からない」
「ふうん。じゃあちょっと取ってみろよ」
「え?」
「取ってみろ。こっ恥ずかしい話のついでだ、顔見せろ」
「……」
ディルの提案にヴァイスは数秒黙ったあとでもう片方の手も持ち上げた。そうして仮面に手をかけ、一度逡巡したように動きを止め。それでも意を決したように仮面を外す。
「……へぇ。お前意外と……」
現れた素顔について、ディルは少しばかり口走ったあとで感想を控えた。
今さら遠慮をする仲でもない。そのまま続けてしまっても良かったが、何故だか自分のなかに留めておきたくなってしまったからだ――恐らく初めて、あるいは久々にさらけ出したであろうヴァイスの〝本当〟を。
「意外と、なんだ」
様々な角度から眺めるディルの視線を避けるようにヴァイスが仮面を着け直し、問う。だからディルは思わず吹き出した。
「なんだよお前、一丁前に気になんのか」
「お前が途中で言葉を止めるからだ」
「そりゃお前、なぁ?」
「だから意味深に濁す理由は何だ」
「教えてほしけりゃもう一回顔見せろよ」
「……断る。どうせお前は同じことをする」
「ははは、分かってんじゃん」
そうやって初めて小競り合って、ディルは笑い声を上げて、ヴァイスは相変わらずの無表情をしつつもどこか不満げで。
ゆえにディルの胸からはいつの間にか怒りが消えていたのだった。
「別にいいんじゃねぇの。愛? なんかなくてもさ」
歩みを再開し、ヴァイスが隣を並んでくるのに満足しながらディルは言葉を続ける。
「だって俺ら、自我があっても所詮は神の手足だぜ。任務さえ遂げられれば他はオマケみたいなもんだ。
なら真っ白で空っぽが悪いなんてことはない。むしろそういうモンのせいで争いとか葛藤が生まれることもあるんだ、知らなくていいまである」
「……そうなのか」
「おう。でもまぁ、お前の場合は思いこんでるだけな気もする。本当に正真正銘の真っ白だったら〝うらやましい〟なんて気持ちも湧かねぇよ。
とりあえず俺はそうだ。少しは周りのヤツらが気になるから、少しは強いから。だから愛されてるヤツとか俺より強いヤツに色々思っちまう。お前もそうだと思うぜ」
「……」
「アスカのこともさ。アイツが泣いてたとき、お前はどうにかしないとって思って泣いてる理由を訊いたんだろ。なら何とも思ってないわけじゃねぇ。
ま、その後の対応はまずかったと思うが、そういうのも言ってくれれば俺が教えてやるから相談しろ」
「……」
「つうかあれだな、もっとガキ同士で遊ばせようぜ。キラは絶対喜ぶし、ルリハもそうだ。きっとアスカやシエルだって」
「育て子たちが喜ぶのか。そうか。それはとても、良いことだ」
「だろ」
「……ありがとう、ディル」
ヴァイスは言って何度か小さくうなずいた。
表情がないのは変わらない。声色もいつもどおりだ。しかし以前とは違う。少なくともディルの心持ちは。ヴァイスというヤミを見る目は。
ヴァイスに感情の類が見られないこと。それは彼が感情を必要としていないからだとディルは思っていた。
ディル自身、感情を邪魔だと思っていた。感情があるから背を向けられることが苦しかった。強くいられないのも感情が邪魔するせいとさえ思っていた。
だが、ヴァイスは必要がないから感情を排除していたわけではなかった。天才も手に入らないモノに手を伸ばしていた、同じように悩みを持ち続けていた。そこに親近感を覚えていた。
しかし何より、ヴァイスが初めて悩みを打ち明けてくれた事実。
それが一番、どんなことよりも――
「あー、じゃあよ。……」
「?」
「俺、頑張るわ。毒を完全に制御できるようになってやる。そうじゃねぇとお前に堂々とアドバイスしづらいし。
だからさ、俺が晴れて完全に制御できるようになったら、お前もその仮面外せよ」
「……、」
「つっても今々じゃねぇ、心の準備しとけってことだ。仮面外して『頑張ったな』って笑顔で労え。それくらいあっていいだろ――相棒なんだからよ」
最後の方は妙に照れくさくなり、目を逸らしぶっきらぼうに言ってしまった。
しかしヴァイスが黙るので結局は視線をおそるおそる戻さざるを得なくなる。ヴァイスが口を開いたのはそのときだ。
「そうだな。私たちは相棒だ。ならばお前の努力に、私も努力で報いよう」
ヴァイスの返事には特に照れはない。やはり淡々としていた。
しかし、だからこそ当たり前にその事実を受け入れているのだと分かって、ディルの胸のなかは暖色でいっぱいになる。
背中を押された気がした。頑張れる気がした。
途方のない努力が必要だが、これからさらに気を張り続けなければならないが。
努力の先にきっと誰も目にしたことがないであろうヴァイスの笑顔が待っているのならば。絶対、今まで以上にできる気がした。
ディルは意気揚々とヴァイスを見る。
「うし、じゃあ手始めに今からガキたちを会わせて皆で遊ぶか」
「……もしかして、それは私たちも遊びに混ざるということか」
「当たり前だろ。あいつら追いかけっこ、かくれんぼ、ボードゲーム……何でも一緒にやりたがるぜ。だがその時間は俺やお前の鍛錬にもなる。それに」
「育て子たちも喜ぶ。そうだな」
ヴァイスの言葉にディルはニヤリと笑う。そうして足を速め、自分たちの帰りを待つ育て子たちのもとへ向かっていったのだった。
「――ずいぶん成長したのう」
そんなふたりの様子を、裁定神殿の玉座に座ったままのエンラは権能〝千里眼〟を用いて眺めていた。
「えっ、私太りました?」
それを知るよしなく傍らで別の仕事を進めていたリンリンが、不安げな表情でエンラに視線を送る。
「ちがわい。ディルとヴァイスだ」
「ああ、〝裁定〟を行いながら〝千里眼〟でふたりを視ていらしたのですね」
「ディルが守る対象を持つことで育つヤミであることは当初から分かっておった。ヴァイスが強すぎたゆえか自覚を持つのがずいぶん遅かったが、これからはさらに目覚ましい成長を遂げるであろうな」
「喜ばしいことですわ」
「ヴァイスは、そうだな――色を持ちつつある。それが凶と出るか吉と出るかは〝千里眼〟にも視えぬことであるが、我はあやつをリヴィアタのようにはしたくない。これからたくさんの感情を抱いてほしいものだ」
「……我が主」
「ディルとヴァイス、あやつらはいずれヤミ属執行者を牽引する立場となろう。
ふふ、今後の成長も楽しみだのう」