第10話 憂慮
文字数 3,467文字
話が一段落すると、ディルはまず苦笑した。
「いやぁ……アスカと響だけがいなくなった時点で想定はしていたが、改めて聞くと信じがたいもんだ。
響が階層を降下させて、しかも戦闘中はビルから飛び降りてオトリになり、さらに紋翼を失ったアスカが罪科獣を討伐してみせたなんてな」
「あはは、色々必死でした……」
「自力で紋翼を出したんだろ? ヴァイスが絶対に使えないよう細工してたってのにさ。こりゃヴァイスに大目玉コース確定だな~俺が」
どうやら響のなかにある紋翼は口止めだけに留まらず、使えないように細工までされていたらしい。
ヴァイスが紋翼についての一切を響に伝えないよう根回しをしていた理由は、アスカに対しての配慮というだけでもなさそうだと響はそこで思った。
「ていうかディル、気にするトコロそこだけー? ボクたちディルが居なかったせいで大変だったんだよぉ」
そんなところでキララが腰に手を当てたプンプンポーズを取りながら口を尖らせた。ディルがそれに応答する前に口を開くのはルリハだ。
「気持ちは分かるけど抑えなさいよ、キララ。ディルさんは私たちに任せて、私たちもそれを受け入れた。
何より罪科獣の速度に追いつけず難航したのは私たちが反省すべきことよ。今は生物やアスカ、響さんに大事がなかったことを幸いに思うべきだわ」
「むー。そうだね」
「もちろん俺も今回のことは重く受け止めるさ。怖い思いさせて悪かったな、響」
「僕は大丈夫です。アスカ君が守ってくれたので」
「……そうか!」
ディルはニカッと笑いながらアスカに視線を投げる。投げられたアスカは反応に困るような顔をした。だが、悪い気はしていないようだった。
「とりあえずアレだ、今回の件はエンラ様に報告する必要がある。アスカとルリハ、今からもう少し詳しく状況の説明をしてくれ」
「はい」
「了解」
「えー、ボクは?」
「響と仲良しタイム」
「やったー☆」
自分だけ抜かされて不満げな様子から一転、キララはウキウキとした様子で響へ向き直ってきた。
それを見送るとアスカとルリハは真面目な顔をしながらディルに一から詳しく状況説明を始める。
「そうだ、頑張った響クンの手当してあげよーっと」
その言葉に響は視線をキララに移すと、彼女はポケットからキラキラポーチを意気揚々取り出しているところだった。
響は慌てて首を横に振る。
「大丈夫ですよ。僕、全然ケガしてないので」
「あ、敬語禁止だよー? それにね、響クン気がついてないみたいだけど細かい傷が結構ついて……あれ? 傷がすごい勢いで治ってる?」
「へ?」
キララが視線を注ぐ己の手指に目を落とす。
すると確かにそこにはいくつか切り傷があり、さらにそれが驚異的な速度で治っていくのが見えた。響は自分の身体の著しい反応に目を見開かざるを得ない。
「ほんとだ……な、なんでだろう。ヤミ属の血のせい?」
「確かにヤミ属は生物とかヒカリ属よりも傷の治りが速いけど、それ以上の治癒力だよ。すごいなぁ。だから〝混血の禁忌〟に遭っても響クンは助かったのかも知れないね」
感心するキララ。どうやら生物界常駐組である彼女にも響の事情はしっかり伝わっているらしい。今さらではあるが。
そんなことを思っていると、ポーチをポケットに戻したキララは水色の瞳をキラキラ輝かせて身を乗り出してきた。
「ていうかさ、まさか響クンとアスカで罪科獣を倒しちゃうなんて驚いたよ!」
「って言っても僕はほとんど何もしてないんです。アスカ君の小脇に抱えられてるばっかりで」
「そんなことないよ、響クンも頑張った♡ フツーはパニックになったっておかしくないんだからね?
アスカもやっぱりすごいんだなぁ。紋翼がなくても罪科獣と渡り合えるなんてさ♪」
「あの……紋翼ってヤミ属にとってかなり大事なものだったりするんですか?」
響が少しの逡巡のあとで問うと、キララは大きく頷いてくる。
「そりゃあ大事も大事だよ、執行者には必要不可欠だもん。
紋翼は『やるぞー!』って神核片――えーと。生物でいう魂魄だね、そこにエイヤッて力を入れると背中に表れる神陰力のカタマリでね。
生物界に移動するのにも、階層変更にも、空中移動にも戦闘にも使うモノなんだよ」
「すみません。ジンインリョク……?」
「神核片にある、権能を使うための力源のことだよ。ヤミ属の」
「ケ、ケンノウ……」
「……そんな状態でアスカと一緒に戦って勝ったんだ。ホントのホントにすごいね!」
とびきりの笑顔で称賛される。そこに嘘は感じられなかったものの、微妙に褒められていない気がするのは恐らく響自身の心持ちのせいだろう。
「とにかくね、紋翼がなくなったってことは執行者として戦闘能力の大半を失ったってことと同じなんだ。アスカの場合はそのせいで神核片も半分くらいになっちゃったし」
「そ……そうなんですか?」
「そだよ。紋翼と神核片って本質的には同じモノなんだ」
そこでキララは物憂げに目を伏せた。
「アスカが執行者の資格を失って、しかも二度と戻れないって聞いたときはボクもつらかった。
命が助かったのは本当に本当に嬉しかったんだけど……アスカには執行者としてどうしても果たしたかったコトがあったのにって思っちゃってさ」
かける言葉に悩む響に、しかしキララは意を決した様子で視線を上げる。驚く響。キララは水色の瞳を揺らしながら言うのだ。
「響クンあのね。ボクからのお願いなんだけど……これからもアスカの希望になってあげて欲しいんだ。今のアスカは響クンを守るって気持ちのおかげで少しずつ持ち直してきてると思うから」
「……、」
「本当はボクが支えてあげたいんだけど、任務上なかなか近くにいてあげられないし……なんて、ゴメンなさい。ボクらヤミ属が君にお願いなんて厚かましいにもホドがあったね」
「そんなことないです」
心から友を心配する音色に、響はすぐ首を横へ振る。
「僕も可能なら協力したいです。どれくらいできるかは分からないけど、アスカくんには色々気にかけてもらってるから」
「っ……えへへ、響クン大好きー♡♡」
「わぁ!?」
ガバリ。可憐に咲いたアイドルスマイルに響の心臓が大きく跳ねた次の瞬間、キララは響へとぶつかる勢いで抱きついてきた。
普通ならば顔を真っ赤にして喜ぶ事態かも知れない。しかし当の響はふわりと漂う美少女の香りも、触れ合った部分に感じる柔らかな感触にも気を払えなかった。
「ッ、ッ……!!」
何故なら――力が強い。ものすごく強い。背に回された腕の力も圧迫感もオブラートに包めないほど強いのだ。
遠のく意識のなかで先ほどの諸々を思い出す。
キララに接触されるたびに顔を渋くさせていたアスカ。あれは決して照れくささによるものではなかったのだ。
両手で手を握られたときに感じた力の強さも偶然ではなかったのだ。ルリハがキララを〝馬鹿力〟と形容したのも揶揄ではなく真実だったのだ。
そう確信したころには響はキララの華奢に見える腕のなかで意識を失ってしまった。きゅう。
「響、大丈夫か!」
「キララ……あんたね!」
響がぐるぐる目になってノビてしまったことに皆が気づく。
キララは半泣きになり、アスカは響を揺り動かし、ルリハは目を三角にして怒りモード。それらを遠巻きに眺めて微笑ましそうに笑うのはディル。
「ディル先輩、笑ってないで響を診てくれませんか!」
「いやぁ、ずいぶん親交を深めてくれたなって思ってさ」
言いながらディルは育て子たちのもとへ歩み寄っていく。
しかしその一方で彼が考えているのはアスカとルリハの報告内容。そのなかでも気になった二点だ。
ひとつ。低級の罪科獣がヤミ神に観測されなかった、つまり勅令として下命されず偶然居合わせた者たちで処理せざるを得なかったこと。
そしてもうひとつ。
「響を狙っていた可能性が高い、ねぇ……なんとも穏やかじゃない話だ」
響を見下ろし、無事を確かめながらディルは口のなかで言う。
罪科獣の存在養分は生物。
あの毛玉型罪科獣が存在養分を補給するためにあの繁華街に現れたのならば、毛玉はひしめく人間たちを無差別に狙うだけで事足りたはずだ。
だが、毛玉は無数の人間たちを差し置いて響を執拗に狙ったという。
「ディル?」
「よし、響の無事も確認完了だ。生物としての存在養分もたっぷり補給できたみたいだし、そろそろ帰還するか」
ディルの様子を察したキララが心配そうにディルの灰瞳を覗き込む。
元育て子の察しの良さに何でもない表情を浮かべ直しつつ、ディルは響を担ぎ上げ立ち上がったのだった。
「いやぁ……アスカと響だけがいなくなった時点で想定はしていたが、改めて聞くと信じがたいもんだ。
響が階層を降下させて、しかも戦闘中はビルから飛び降りてオトリになり、さらに紋翼を失ったアスカが罪科獣を討伐してみせたなんてな」
「あはは、色々必死でした……」
「自力で紋翼を出したんだろ? ヴァイスが絶対に使えないよう細工してたってのにさ。こりゃヴァイスに大目玉コース確定だな~俺が」
どうやら響のなかにある紋翼は口止めだけに留まらず、使えないように細工までされていたらしい。
ヴァイスが紋翼についての一切を響に伝えないよう根回しをしていた理由は、アスカに対しての配慮というだけでもなさそうだと響はそこで思った。
「ていうかディル、気にするトコロそこだけー? ボクたちディルが居なかったせいで大変だったんだよぉ」
そんなところでキララが腰に手を当てたプンプンポーズを取りながら口を尖らせた。ディルがそれに応答する前に口を開くのはルリハだ。
「気持ちは分かるけど抑えなさいよ、キララ。ディルさんは私たちに任せて、私たちもそれを受け入れた。
何より罪科獣の速度に追いつけず難航したのは私たちが反省すべきことよ。今は生物やアスカ、響さんに大事がなかったことを幸いに思うべきだわ」
「むー。そうだね」
「もちろん俺も今回のことは重く受け止めるさ。怖い思いさせて悪かったな、響」
「僕は大丈夫です。アスカ君が守ってくれたので」
「……そうか!」
ディルはニカッと笑いながらアスカに視線を投げる。投げられたアスカは反応に困るような顔をした。だが、悪い気はしていないようだった。
「とりあえずアレだ、今回の件はエンラ様に報告する必要がある。アスカとルリハ、今からもう少し詳しく状況の説明をしてくれ」
「はい」
「了解」
「えー、ボクは?」
「響と仲良しタイム」
「やったー☆」
自分だけ抜かされて不満げな様子から一転、キララはウキウキとした様子で響へ向き直ってきた。
それを見送るとアスカとルリハは真面目な顔をしながらディルに一から詳しく状況説明を始める。
「そうだ、頑張った響クンの手当してあげよーっと」
その言葉に響は視線をキララに移すと、彼女はポケットからキラキラポーチを意気揚々取り出しているところだった。
響は慌てて首を横に振る。
「大丈夫ですよ。僕、全然ケガしてないので」
「あ、敬語禁止だよー? それにね、響クン気がついてないみたいだけど細かい傷が結構ついて……あれ? 傷がすごい勢いで治ってる?」
「へ?」
キララが視線を注ぐ己の手指に目を落とす。
すると確かにそこにはいくつか切り傷があり、さらにそれが驚異的な速度で治っていくのが見えた。響は自分の身体の著しい反応に目を見開かざるを得ない。
「ほんとだ……な、なんでだろう。ヤミ属の血のせい?」
「確かにヤミ属は生物とかヒカリ属よりも傷の治りが速いけど、それ以上の治癒力だよ。すごいなぁ。だから〝混血の禁忌〟に遭っても響クンは助かったのかも知れないね」
感心するキララ。どうやら生物界常駐組である彼女にも響の事情はしっかり伝わっているらしい。今さらではあるが。
そんなことを思っていると、ポーチをポケットに戻したキララは水色の瞳をキラキラ輝かせて身を乗り出してきた。
「ていうかさ、まさか響クンとアスカで罪科獣を倒しちゃうなんて驚いたよ!」
「って言っても僕はほとんど何もしてないんです。アスカ君の小脇に抱えられてるばっかりで」
「そんなことないよ、響クンも頑張った♡ フツーはパニックになったっておかしくないんだからね?
アスカもやっぱりすごいんだなぁ。紋翼がなくても罪科獣と渡り合えるなんてさ♪」
「あの……紋翼ってヤミ属にとってかなり大事なものだったりするんですか?」
響が少しの逡巡のあとで問うと、キララは大きく頷いてくる。
「そりゃあ大事も大事だよ、執行者には必要不可欠だもん。
紋翼は『やるぞー!』って神核片――えーと。生物でいう魂魄だね、そこにエイヤッて力を入れると背中に表れる神陰力のカタマリでね。
生物界に移動するのにも、階層変更にも、空中移動にも戦闘にも使うモノなんだよ」
「すみません。ジンインリョク……?」
「神核片にある、権能を使うための力源のことだよ。ヤミ属の」
「ケ、ケンノウ……」
「……そんな状態でアスカと一緒に戦って勝ったんだ。ホントのホントにすごいね!」
とびきりの笑顔で称賛される。そこに嘘は感じられなかったものの、微妙に褒められていない気がするのは恐らく響自身の心持ちのせいだろう。
「とにかくね、紋翼がなくなったってことは執行者として戦闘能力の大半を失ったってことと同じなんだ。アスカの場合はそのせいで神核片も半分くらいになっちゃったし」
「そ……そうなんですか?」
「そだよ。紋翼と神核片って本質的には同じモノなんだ」
そこでキララは物憂げに目を伏せた。
「アスカが執行者の資格を失って、しかも二度と戻れないって聞いたときはボクもつらかった。
命が助かったのは本当に本当に嬉しかったんだけど……アスカには執行者としてどうしても果たしたかったコトがあったのにって思っちゃってさ」
かける言葉に悩む響に、しかしキララは意を決した様子で視線を上げる。驚く響。キララは水色の瞳を揺らしながら言うのだ。
「響クンあのね。ボクからのお願いなんだけど……これからもアスカの希望になってあげて欲しいんだ。今のアスカは響クンを守るって気持ちのおかげで少しずつ持ち直してきてると思うから」
「……、」
「本当はボクが支えてあげたいんだけど、任務上なかなか近くにいてあげられないし……なんて、ゴメンなさい。ボクらヤミ属が君にお願いなんて厚かましいにもホドがあったね」
「そんなことないです」
心から友を心配する音色に、響はすぐ首を横へ振る。
「僕も可能なら協力したいです。どれくらいできるかは分からないけど、アスカくんには色々気にかけてもらってるから」
「っ……えへへ、響クン大好きー♡♡」
「わぁ!?」
ガバリ。可憐に咲いたアイドルスマイルに響の心臓が大きく跳ねた次の瞬間、キララは響へとぶつかる勢いで抱きついてきた。
普通ならば顔を真っ赤にして喜ぶ事態かも知れない。しかし当の響はふわりと漂う美少女の香りも、触れ合った部分に感じる柔らかな感触にも気を払えなかった。
「ッ、ッ……!!」
何故なら――力が強い。ものすごく強い。背に回された腕の力も圧迫感もオブラートに包めないほど強いのだ。
遠のく意識のなかで先ほどの諸々を思い出す。
キララに接触されるたびに顔を渋くさせていたアスカ。あれは決して照れくささによるものではなかったのだ。
両手で手を握られたときに感じた力の強さも偶然ではなかったのだ。ルリハがキララを〝馬鹿力〟と形容したのも揶揄ではなく真実だったのだ。
そう確信したころには響はキララの華奢に見える腕のなかで意識を失ってしまった。きゅう。
「響、大丈夫か!」
「キララ……あんたね!」
響がぐるぐる目になってノビてしまったことに皆が気づく。
キララは半泣きになり、アスカは響を揺り動かし、ルリハは目を三角にして怒りモード。それらを遠巻きに眺めて微笑ましそうに笑うのはディル。
「ディル先輩、笑ってないで響を診てくれませんか!」
「いやぁ、ずいぶん親交を深めてくれたなって思ってさ」
言いながらディルは育て子たちのもとへ歩み寄っていく。
しかしその一方で彼が考えているのはアスカとルリハの報告内容。そのなかでも気になった二点だ。
ひとつ。低級の罪科獣がヤミ神に観測されなかった、つまり勅令として下命されず偶然居合わせた者たちで処理せざるを得なかったこと。
そしてもうひとつ。
「響を狙っていた可能性が高い、ねぇ……なんとも穏やかじゃない話だ」
響を見下ろし、無事を確かめながらディルは口のなかで言う。
罪科獣の存在養分は生物。
あの毛玉型罪科獣が存在養分を補給するためにあの繁華街に現れたのならば、毛玉はひしめく人間たちを無差別に狙うだけで事足りたはずだ。
だが、毛玉は無数の人間たちを差し置いて響を執拗に狙ったという。
「ディル?」
「よし、響の無事も確認完了だ。生物としての存在養分もたっぷり補給できたみたいだし、そろそろ帰還するか」
ディルの様子を察したキララが心配そうにディルの灰瞳を覗き込む。
元育て子の察しの良さに何でもない表情を浮かべ直しつつ、ディルは響を担ぎ上げ立ち上がったのだった。