第5話 一触即発

文字数 2,847文字

 エンラは響の返事を予想していたとでも言うように、満足げな顔でひとつ頷いた。

「そうか。やはり見込みがあるのう、響よ」

「でもあの、……僕にはやっぱり執行者の仕事はできそうにないです。銃も刃物も扱えませんし、紋翼を使うことくらいでしか役に立てないと思います。それでもいいのならやってみたいと思っただけで……」

「だそうだが、アスカ」

「……響が望む道を、俺は全力で守るのみです」

「うむ、うむ。貴様もずいぶん意欲的になったのうアスカよ。さすが毎日欠かさず鍛錬を重ねているだけある」

「……」

 エンラのイタズラっぽい言葉にアスカは露骨に苦い顔をした。エンラはそれを見届けると一転してヤミ属統主の顔に戻り、玉座から凛と立ち上がる。

「では響、そしてアスカよ。貴様らをヤミ属執行者に任命し、早速任務を授け――」

「お待ちください。エンラ様」

 そのとき、背後で第三者の声が上がった。

「私は容認できません」

「……!」

 反射的に振り返った先には、開いた大扉を背にするヴァイスが立っていた。

 相変わらずその面はペストマスクに隠され、右耳にはターコイズのピアスが揺れ、身体は赤褐色のロングコートと装飾具に覆われている。肩には先刻別れたカナリアだ。

 響は思わず肩を揺らした。表情など知りようもないのに、声色はあくまで平坦であったのに、彼が怒気を孕んでいることが分かってしまったからだ。

 しかしエンラは突然のヴァイスの来訪に驚くことはなかった。

「ヴァイス。貴様に参上を命じた覚えはないが」

「ええ。二名の気配をここに感じ取り、近寄ってみれば聞き捨てならない話が聞こえてきましたので勝手に参りました」

「相変わらず察知能力も五感もずば抜けておるのう」

「エンラ様、本気でいらっしゃいますか。彼らをヤミ属執行者に任命し任務を与えるなど」

「ああ本気だ。我はアスカと響を執行者にしたい。こやつらもたった今応じたところよ」

「ならばもう一度言いましょう。容認できません」

 靴音を鳴らしながら響とアスカの傍らを通り過ぎたヴァイスは、はっきりとした物言いでエンラを刺し貫いた。

 だがエンラは取り出した檜扇で己に悠々と風を送るばかり。

「貴様が容認できずともよい。我の許可と響ならびにアスカの意志さえあれば両名はヤミ属執行者となれる。我とこやつらを力づくで止めるというのなら話は別だがな」

「……私はそれでも構いませんが」

 その一言。たったそれだけで、空気が明らかに様変わりした。

 ヴァイスの声はやはり平時と変わらないが、彼から放たれるプレッシャーが刹那に裁定神殿内を緊迫で埋め尽くした。

 響は蛇に睨まれた蛙のごとく動けない。横目にしたアスカもまた顔をこわばらせている。

 ヴァイスはだらりと下げたままの左手指の具合を確かめるように動かし、エンラはそれを漆黒の眼球で楽しげに見つめている。数秒の沈黙がやけに長く感じられた。

「我が主。そこまでにされてください」

 その張り詰めた空気に割って入ったのがエンラの傍らに控えている側近長・リンリンだ。

 それだけではない。リンリンの像が横振れしたかと思えば、突然同じような中華風の格好をした女性四名が分身するかのように出現したのだ。

「ヴァイス殿もお収めください」
「おふたりがやり合えば裁定神殿壊滅は必至」
「いいえ、ヤミ属界全体が満足に機能しなくなるでしょう」
「そもそも裁定の御手を止めないでくださいませ、我らが主」

 それら呼びかけによって裁定神殿に充満していた剣呑さはわずかに消失した。もっとも、あくまでわずかだ。

 エンラは彼女たちに視線を投げることもせず笑い声を上げる。

「側近ども、分かっておる。ヴァイスが珍しい真似をするのでな、少しばかり興が乗っただけのこと。戻ってよい」

 その一声で四名の側近たちは同じように横振れし、いつの間にかリンリンだけに戻る。

 不可思議な光景ではあったものの、今はそこに首を傾げられるほどの余裕は皆無だ。ヴァイスが依然として引き下がる気がないことはエンラも分かっているはずだ。

 エンラ同様、ヴァイスもまた一度としてリンリンの方へ視線を動かさない。そればかりかエンラのもとへまた一歩踏み出した。

「エンラ様。ディルからの報告書には目を通されましたか」

「無論。目を通したからこそ我はアスカと響を執行者にしたいと思い立ったのだ」

「そこには毛玉型罪科獣が響くんを狙っていた可能性が多分にあると記してあったはずですが」

「ああ、確認しておる。確認したうえで我は提案した」

 その言葉にヴァイスは数秒黙り込む。

「……正気でいらっしゃいますか」

「正気も正気、本気も本気だ。そもそも我は両名に〝罪科獣執行〟の任務まで与える気はない。

 ディルの報告書にて評価したのはこやつらの気概であり、戦闘能力を評価しての提案ではないゆえな」

「難易度の低い任務だけを任せようとも、罪科獣に狙われたとされる響くんを生物界に下ろす時点で危険はつきまといます。

 エンラ様は彼が任務のたびに罪科獣に狙われることを良しとされるのですか」

「罪科獣すべてが響を狙うと決まったわけではなかろうに。こやつを執拗なほど狙いにかかったのは、あの毛玉型罪科獣のみの特性である可能性は否定できぬ」

「それは逆も言えます。今の響くんはヤミ属と生物の中間存在〝半陰〟として成立した前例のない存在です。〝半陰〟を好むという特性が罪科獣全体にある可能性だって否定できない」

「仮にそうであっても、その折にまた考え判断し直せばよいことだ。アスカは響を守ることを使命とし、響は紋翼を持っておる。罪科獣が響につられて寄ってくることがあったとしても大事にはならん。違うか?」

「それはある程度の強さの罪科獣だけに適用されることです。容易には感知できないレベルの罪科獣が彼らの前に現れた場合、響くんもアスカも気がついたころには核を打ち砕かれていることでしょう」

 エンラの言葉に滔々と反論するヴァイス。

 響がようよう視線を動かして事の次第を見つめるなかで、エンラは一呼吸ののちに肩を揺らした。

「ヴァイス。貴様、どうあってもこやつらを執行者にしたくないのだな」

「無論です。アスカはともかくとして響くんは今も半分は生物……我々の失態で〝半陰〟の状態にしてしまった以上、彼の安全を保障することは義務といっても過言ではありません。だからこそ私は彼のなかにある紋翼も使用不可にしておりました」

「我の考えは違う。響が今も半分は生物である以上、そして我々の失態で〝半陰〟にしてしまった以上、こやつの自由は最大限尊重され保障されなくてはならぬ。

 貴様の意見も一理あるゆえ、我や響の承諾なく紋翼を封じた過去には目をつぶろう。だが、響が意志を示したからには勝手な真似は許さん」

「自由を尊重した結果響くんが傷つく可能性があるのなら、私は彼の自由を全力で阻む。例えあなた様に許されなくとも関係などない」

 ヴァイスはきっぱりと言い切り、リンリンがあまりの物言いに眉根を寄せるのも無視してエンラを見据え続けた。
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