第6話 罪科獣《追跡》

文字数 3,742文字

 急いで十字路まで走り寄った。念のため身を隠しつつも悲鳴のした方向へ首を巡らす。

 するとまず中幅な大通り、後方の上空で毛玉がビルとビルの間を跳ね返りながらこちらへ向かってくるのが見えた。

 悲鳴を上げた女性は響のすぐ近くにいた。毛玉の移動で発生した突風、それによって遠くまで飛んだ小石が目に入って声を上げたようで、それほど大事ではないようだ。

 女性に大きな危害がなかったこと自体は喜ばしい。しかし響は安堵できなかった。悪寒を重ねていた。毛玉がやはり自分を追いかけている気がしてならなかったのだ。

 何故ならアスカはこちらへ向かってくる毛玉を察知してすぐ進路を九十度変更し細道へと入った。この中幅な大通りも突っ切って、今の響はその奥の細道にいる。

 毛玉は当初ビル間を跳ね返りながらヒトトコロに留まっていたはずだが、響が目が合ったと思った瞬間から明確に進み始めた。

 そんな毛玉が進んでいた元の大通りを離れて隣の、つまり響に近いこの大通りを進んでいる。

 これは偶然か? 響が方向転換したのを見ていたからではないのか?

 毛玉の位置は三百メートルほど後方だ。今の響の位置を毛玉が知っているかは定かではないが、見つかるのは時間の問題な気もする。

 アスカは隠れていろと言ったが、逃げるべきではないだろうか。いや、アスカは響を守るために向かっていったのだ、アスカを信じて隠れているべきか。

 そんなことを考えている間にもビル壁をバウンドする音、風を切り裂く音は近づいてくる。それとキララとルリハ、アスカのかけ合う声も。

 もう逃げる時間はない。せめて見つからないように隠れていよう。響はそう思い、細道の奥へ戻ろうとした。

「うわああああん!」

 ――幼な子の泣き声が耳に入ってさえこなければ。

 足は再び細道を抜け、今度こそ中幅の大通りへと出た。

 毛玉の引き起こした突風のせいか、それとも偶然か。少し離れた場所に転び伏した幼な子を認めれば、響は逡巡なく駆け寄る。

 今の響からは恐怖が抜け落ちていた。痛みに泣く子どもを早く助けなければ――それだけで身体が動いていた。

 しかし、その行為は愚行でもあった。

「響!!」
「わっ!?」

 少年を立たせてあげた瞬間、響の身体に横合いから衝撃が加わる。

 一瞬何かがぶつかってきたのかと思ったが、自分を小脇に抱えて疾走するアスカを傍らに認めれば安堵を覚えた。

「アスカ君!」
「隠れていてくれと言ったはずだ!」
「ごめん、」
「いい、子どもも無事だから安心しろ」

 言いながらアスカは響を小脇に抱え器用に人を避けながら全速力で走っていく。

 いつの間にか彼は霊体でなくなっている。

 気になって背後に目を向けると、ピンポン玉のように動く毛玉が響とアスカの方へ向かってくるのが視認できた。それと毛玉をどうにか討伐しようと追いかけるキララとルリハも。

 毛玉はやはり自分を追いかけてきている――そんな気がしてならなかった。

「! っうわぁ!?」

 と、そんなところで毛玉が一直線に響とアスカへ突進してきた。それはアスカが素早く身を切り替えしたことで回避、しかし毛玉は地面を跳ね返り、ビル壁に戻っては再び同じ構図に戻った。

「今の動きって、」
「攻撃してきたな」
「だよね!? 実はさっき目が合った気がして、それからずっと追いかけられてるような――うわっ!」
「チッ!」

 毛玉の再びの突進に舌打ちをしながら避けるアスカ。狙われているのはもはや明らかではないか?

「確かに、お前を狙っている可能性がある……! 俺がキララたちに加勢しに行ったときはこんな動きはしなかった、霊体だったことも関係しているかも知れないが」

「だ、だとしたら何で!? 目が合ったからムカつかれた!?」

「気にはなるが考えるのは後だ! 生物へも被害が出始めてる、さっさと執行しないとまずい!」

 そんなところでまた毛玉が突進してきた。

 アスカは背中に目がついているのかと思うほど的確に避ける。

 足も毛玉に負けず劣らず速く、生物へ突進の際の風圧が及ばないよう計算しながら避けているフシもあるが、それでも毛玉は少しずつ距離を詰めてきていた。

「でもどうやって!? ていうか武器がないと倒せないんじゃ!?」

 見たところ、アスカもキララもルリハも手には何も持っていない。

 過去にアスカが響を殺しに来たとき、彼は銃や大鎌を手にしていた。

 一人の無力な人間に対しても武器を使用するのだから、妖怪のような存在にはなおさら武器が必要なはずだ。

「生物界で武器を振るうことは原則禁止だ、武器を使用するにはまず階層を降下させて執行対象を移動させる必要がある」

「ッ、階層」

 その単語自体はヴァイスらの口から聞いたことがあったが、肝心の内容がなかなか思い出せない。アスカが続けて口を開いた。

「簡単に言えば同じ場所にある別の層、領域のことだ。

 俺たちヤミ属の存在は生物に認知されてはいけない。銃や大鎌を持ったヤツがいたら大騒ぎになるのは当然として、それで生物たちの運命を変える可能性だってあるからな」

「だから別の場所にまず移動しなくちゃならないってことか……でも階層を降下させるっていうのはどうすれば!?」

 響の問いにアスカはまた毛玉の攻撃を避けたあとで再び口を開いた。

「対象を捕捉できれば一瞬、簡単だ。だが今回はそれが難しい。あまりに速すぎる。懸念していたことが的中したな」

 先ほどアスカが言っていた懸念とはこのことか。

 戦闘能力は下の下でも捕捉できないほどに毛玉の動きが素早い。それがゆえに討伐するための準備ができず、キララやルリハは手を焼いているのだ。

「あのまま三名で相手していれば捕捉できたんだろうが、これではさっきの状況に持ち込み直すことも難しい……!」

「ほんとごめん、僕がアイツに見つかっちゃったから――、っ!」

 毛玉はさらに距離を縮めながら何度も体当たりを仕掛けてきた。そのたびにアスカは回避してみせるが、攻撃はいつまで続くのか。

 そもそも妖怪のような存在に体力の限界はあるのか? いや、例えあったとしてもその前にアスカが限界を迎える可能性もあるだろう。

 いくらアスカに並外れた身体能力があったとしても、響を小脇に抱えながらこの全力疾走を維持し続けられるとは思えなかった。

 ならば現状を速く打破しなければ――響は必死で考えを巡らせる。

「! あのさ、アイツが攻撃してきた瞬間を狙うのはどうかな!? かなり近づくし、それなら捕捉できるんじゃ!?」

 名案が浮かんだ心地でアスカを見上げた。しかしアスカは苦い横顔で目を細める。

「確かに毛玉が近づいてきた瞬間は狙い目だ。だが紋翼がないと階層の移動はできない……紋翼を失った俺には無理だ」

「ッ、なら僕がキララさんたちの方へ移動すれば……!」

「このまま身を切り返して後ろのキララたちと合流すれば、恐らくだが毛玉もお前を追ってくる可能性が高い。そうなれば三対一にも持ち込み直せる。一番現実的な線だろうな」

「じゃあ、」

「だが、お前をみすみす危険に晒すことはできない。お前だってヤミ属の守るべき生物、俺が守らねばならないものだ、――ッ!」

「アスカ君ッ……!」

 毛玉の攻撃がついにアスカの脇腹を掠めてしまった。やはりアスカの速力が少しずつ落ちている。

 判断力も鈍り始めているように見えた。そんな状態で響を庇ったために避けきれなかったのだ。受傷したことによって速力が落ちるわけではなかったものの、このままではアスカが危ないのは明白だ。

 背後を振り返る。そこには勢いの緩まぬ毛玉。そのうしろには必死で追いかけ続けるキララとルリハ。

 どうすればいい。どうすれば状況は好転する。このまま見ているだけなんて嫌だ、何か自分にできることはないか!?


『ねーねー、紋翼見せてー』


「……、」


『だってアスカの紋翼もらったんでしょ?』


「――あ」

 ふと、数日前にヤミ属の子どもたちから言われたことを思い出して響は目を見開いた。

 同時に己がただの人間でなくなってしまったときの記憶がフラッシュバックしてくる。

 金髪碧眼の美しきヒカリ属・シエルに紋翼を根本から引き抜かれたアスカ。

 引き抜いた血まみれのそれを圧縮し、心臓を突き破って魂魄に埋め込まれた自分――〝混血の禁忌〟。

 子どもたちと話しているときは深く考えなかった。当時は紋翼が何かも知らなかったし、知ったあとだって自分に翼のようなモノなど一切見受けられなかったため、今の今まで忘れてさえいた。

 だが、そう。響は確かにアスカの紋翼を埋めこまれたことによって人間とヤミ属の中間存在〝半陰〟になった。

 そして今もそうである以上、響は現在進行系でアスカの紋翼を持っているのではないか。

 子どもたち以外に言及されたことはない。今も自覚できない。ただの勘違いかも知れない。

 でも――

 響はもう一度背後を振り向いた。そうして意識を集中しては目を凝らし、毛玉の動きを見定める。

 毛玉が突進してくる一瞬、そこを狙う。どうすればいいか分からないけれど、でも!

 ビルの間を跳ね返っていた毛玉がまたアスカ目がけて突進してきた。響はギッと目を見開き唇を噛みしめながら〝瞬間〟を見定める。

「今だッ……!!」

 刹那――辺りが一瞬ブレた、気がした。
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