第10話 ペストマスクとメガネ医者

文字数 2,624文字

「ぼ、僕を殺した人……!!」

 まるで弾丸のごとき速さでベッドの上を後ずさる。油断していたところに自分を殺した相手、しかもビジュアルの怖すぎる相手に声をかけられたなら平静でいられるわけがなかった。

 口から心臓が出るかと思った。というか現在進行系で出そうだ。恐らくあと少しマスクをつけた顔をズイと近づけられたら出るだろう。

 しかしペストマスクは前傾姿勢を正し、それ以上響に近づくことはなかった。

「私が君を殺したというのには語弊がある。何故なら君は生きているからね」
「……、」
「もっとも、生きているというのにも半分語弊があるが」

 小さくそう続けて、身体が勝手に震え始めた響へ左手をゆっくりと差し出してくる。

「自己紹介が遅れたが、私の名はヴァイス。出会い方は君にとって最悪だったろうが、私が今後君を殺すことは絶対にないから安心してほしい」

 差し出された金属グローブの手はきっと握手を望んだものなのだろう。しかしそんなことを言われて「はいそうですか」なんて握り返せるわけがない。

 色なきミディアム・ヘア、右耳にはターコイズのピアス。赤褐色の生地の所々に金具装飾がついたロングコート、その右半身を覆う金古美色の装飾具。

 さらに金属グローブに覆われた手。肩にはゼンマイ仕掛けの小鳥、そして何より顔全体を覆うペストマスクという怪しく恐ろしい風体なのだ。安心など夢のまた夢だ。

「こ、ここは、どこですか!? 帰してください……!」

 握手に応じない代わりに言葉を返すと、彼・ヴァイスは何事もないように手を戻しながら首を横に振った。

「それは不可能だ。君は元の場所へ二度と帰ることができない。何より君の家族は既に君の知る家族ではなくなってしまった」

「――!」

 淡々とした音色に響は目を見開く。夢のような現実がありありと思い起こされる。

 妹の乃絵莉、親代わりの祖父母。大事な家族――必死になって探したがどちらも最後まで見つけることができなかった。

 もしかしてこの男が!?

「ッ、僕の家族に何をした!?」
「私は何もしていない。君の家族は無事だ」
「でも今、僕の知る家族じゃなくなったって!」
「とにかく落ち着いてほしい。それ以上下がるとベッドから落ちてしまう」
「意味が分からない、詳しく説明してください、僕の家族に何をしたんですか!」
「危ないよ」

 ヴァイスは言って響の方へと再び身を乗り出した。言葉のとおりベッドから落ちそうになっていたのを助けようとしたのだろう。しかし響はベッドから落ちる方がマシだと思った。

 ドシン! 尻を強く打ったが今はその痛みすら気にしていられない。それでも足りず落ちた姿勢のまま後ずさる。

「アナタは僕を殺そうとした、そんな人の言うことなんか信じられません! ッあ、あの黒髪の男と一緒に僕の家族に何かしたんだ……! やめてください、返して、帰してください!!」

 もはや錯乱状態だった。意味不明の事態が立て続けに起こり、何度も命を狙われ、神経をすり減らし、家族の安否も確認できず、響の心は限界に近づいていた。

 ヴァイスは「どうしたものか」とでも言うようにペストマスクの顎部分に手を当ててその場に佇んでいる。これ以上近づくことは諦めたようだ。

「おー起きたか。それは喜ばしいがずいぶん賑やかだな。声が廊下にまで響いてきたぜ」

 そんなところで不意に何やら開閉音が響の鼓膜に届く。どうやら部屋に誰かが入ってきたようだ。

 三十代前半くらいに見える男性だ。彼はカツカツと軽快な足音を立てつつ響を刺激しない程度の距離まで近づいてきてはヴァイスを見上げた。

「めちゃくちゃ怯えてんな。大方お前が何かしでかしたんだろ」
「……まあ、そうだな」
「落ち着かせたかったんだと察するが、色々と悪手だったんじゃないか相棒。ただでさえ見た目が怖いんだからそういうのは俺に任せ――っておい大丈夫か」

 ヴァイスに向けていた目を響へ戻した男は、響に異変を感じ取ったのか声色を変えた。

 呼吸が苦しくなってきて背を丸めた響に素早く近寄り、慌てることもなく現状を把握し始める。

「なるほど過呼吸ってやつか。苦しいよな。ゆっくり息を吐いて、吸って、吐いて……そう、上手だ」

 男は言って響の背中を安心させるように優しく撫でた。響は呼吸が苦しすぎて触れられたことにすら何の反応も示せず、それを受け入れることとなった。

 入室してきた彼がヴァイスの仲間だと認識した途端、響はさらに絶体絶命の心地になり、それが引き金となって過呼吸を起こしてしまったのだ。

 ゆえに響の背を撫でている彼自身も原因のひとつではあるのだが、その処置と声色に響の心は少しずつ平静を取り戻していく。

 だが苦しみから脱することができた安堵のせいか、今度は涙があふれてきた。しかも止めようと思っても止められない。

「よしよし、意味不明なことばっかで怖かったよなぁ」

 男は響の頭をわしわしと撫でて声をかけてくれる。それは幼いころ祖父にされた行為に似ていて、響はさらに安堵を覚えてしまう。

「安心しろって言われても、安心できる要素がひとつもないんだから不安は続いちまうだろうが……俺たちに君を害する気がないのだけは本当だ。信じるか信じないかは任せるがな」

「……か、ぞく……」

「ああ、君の家族も無事だ。その証拠も今から見せるから、とりあえずベッドに座ろうか。それとも一旦横になるか?」

 その問いに響はすぐ首を横に振った。

「ぃえ、このままで、大丈夫です。それより……」

 ヨレた音色を必死に紡げば、男はひとつ頷き、懐から何かを取り出しては口を開く。

「君の家族――祖父、祖母、妹の三人はいずれも健在だ。証拠を見せるぜ。〝窓〟開眼」
「……!?」

 男が声を張って宣言すると、手にしていたモノが宙に浮いては巨大化していく。それは薄膜に覆われた球形をしていて、宣言と同時にまぶたを開くかのごとく薄膜を開けては中の眼球を露わにした。

 響が呆気に取られているすぐ前で〝窓〟と呼ばれたものは自動的に映像を流し始めた。

 初めは遥か上空から日本全土を、次に関東地区、さらに東京と、徐々に近景へと近づき、やがて響にはとても馴染み深い家の前を映し出す。

「ここは……僕の家!」

 そう口にするころには屋内へと映像が移り変わっている。

 一体どういう仕組みなのかと一瞬考えるも、リビングルームで食事を摂る家族を認めればそんな疑問などすぐ些事となってしまった。

「乃絵莉! じいちゃんばあちゃんも……!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み