第6話 大罪者の果て

文字数 2,922文字

「問題なくヤミ属に溶け込めていたように見えた彼がどうして突然仲間を殺めたかは分からない。

 一種の事故とか気の迷い、突発的なケンカが行き過ぎたのではないかとか色々考えもした。もしやヒカリ属で大罪を犯したころの記憶が戻ったのか、とかね。

 しかし離反後も自らアスカの前に姿を現して紋翼を奪ったり、君に〝混血の禁忌〟を犯したり他のヤミ属執行者に重傷を負わせたりしては、彼の行動の意味を考える必要すらなくなってしまった」

「……」

「だが、そんなシエルもついにアスカによって討たれた。神核片を砕かれた。

 私たちヤミ属やヒカリ属は、肉体という外殻が壊れても神核片が完全に壊れなければ自分の属神のもとへ還ることができる。

 還ることができれば生物のように転生できるとも信じられていて、後に同じ権能を持って生まれた直系属子を〝生まれ変わり〟なんて考える者も多い。

 だが、神核片まで砕かれた者はそもそも神のもとへ還ることができない。

 だからシエルは終わった。彼が生まれ変わる可能性はない。正真正銘に終わったんだ。アスカの奮闘によってね」

「…………」

「――これが終焉を迎えたヒカリの一生、シエルの物語だ。

 とはいえ、私は安堵しているよ。彼をヤミ属界に連れてきた者としての責任はもちろん今も感じているが、シエルがこれ以上罪を重ねずに終われて良かった、アスカがようやく覚悟を決められて良かったと……ふたりの育て親だった者として心からそう思っている。

 そして、だからこそアスカの心の支えになってくれた君には感謝している。ありがとう、響くん」

「……そんなこと……」

 ふと、大空の遠くを見ていたペストマスクが響を見下ろしてきて、響は言いよどむ。

 響にはアスカを支えているという自負はない。

 むしろ足を引っ張り、今も大した言葉をかけられないでいる自分に不甲斐なさを感じるばかりだ。

 それゆえヴァイスから向けられた感謝にもどう返答をすればいいか分からない。

 だが、それ以上に――フルフェイスマスクの下の、一度として見たことがないヴァイスの面が何故か淋しげに笑んでいるような気がして、言葉が出ないのだ。

 シエルもまたアスカ同様にヴァイスの育て子だったという事実。ヴァイスはふたりが仲睦まじく過ごす日々を親として近くで見てきた。

 ヒカリ属でも。何か大罪を犯した〝堕天の子〟でも。仲間を殺されても。もうひとりの育て子を害されても。

 シエルもきっと、ヴァイスにとって大事な子どもだったのだろう。

「ヴァイスさ――」

「響、ヴァイス先輩」

「おわぁ!?」

 だから意を決して何か言葉をかけようとしたそのときだった。

 突如真上から響のすぐ傍らへ着地してきたアスカに響は大きく身体を反らした。

 木に登って上から執行対象の居所を確認していたアスカが戻ってきたのだ。しかし響はヴァイスとの話に頭を持っていかれていたため、そのことを完全に忘れていたのだった。

 対してヴァイスは特にリアクションもなくアスカへ向き直る。

「アスカ。収穫があったようだね」

「執行対象を確認しました。現在この方角からこちらに向かって疾走中、待ち受けていれば一分程度で鉢合わせする見込みです」

「そうだね。わざわざ私たちのもとへ向かってくるなんてずいぶん勇猛果敢な罪科獣だ。それで、君はどう出るつもりかな」

「ここで迎え討ちます」

 アスカがはっきり言うと、ヴァイスは大きく頷いた。

「いよいよだね。私は君たちの頑張りを見届けさせてもらおう。アスカ、響くん。戦闘準備は万全かい」

「はい」

 ヴァイスのどこか楽しげな言葉に、左胸の奥から鉄パイプを取り出したアスカは先端に灯した炎で大鎌の刃を形作りながら応じた。

 アスカの数歩うしろに立つ響は戦闘要員でないため戦闘での出番はない。しかし戦闘を行うための階層へアスカや自分を移動しなければならない。

「っ……はい!」

 だから紋翼を展開しながら大きな声で返事をする。するとまた満足げに頷くヴァイスが視界の端に映った。

 禍々しい気配が近づいてくる。響でも感じられるほど既に接近しているということだ。

 響は緊張で口内に溢れてくる生唾を飲み下しながら、その時が来るのを待った。





 ――所変わってここは生物界、ある無人島の海辺。

 四日前に生物ならざる者たちが水や炎を扱い激戦を繰り広げた場所である。

 夜に満ち満ちたあの時とは違い、空に広がるのは澄んだ淡青。そこに浮かぶものも月ではなく太陽であり、下で軽やかな波音を奏でるのも清い青の潮水だ。

 さんさんと降り注ぐ陽光はきらきらと水の粒を輝かせ、海鳥たちも気持ちよさそうに大空を滑空する。

 そこには穏やかな日常の情景が存在していた――ただあるひとつを除いては。

「ッあーイテェ! 死ぬかと思ったわマジで!」

 平和な海上で不意に声が上がる。

 四日前にもここで響き渡った声。最後は苦鳴でブツリと途切れたはずの声。

「まさか本当に〝断罪〟使ってくるとは思わなかった。失敗した。オレとしたことが油断しすぎた」

 もし空を飛ぶ海鳥が声の主を見下ろせたなら、海鳥は彼のあまりの美しさに脳しんとうを起こしてしまっていたかも知れない。

 それくらい、海上にプカプカと浮かぶだけの彼はこの世のものとは思えぬ美しさをたたえていた。

 目が眩むほどまばゆい金糸のウルフヘアは雲の隙間から溢れる陽光を集めたかのように神々しく、碧眼はすべての空を凝縮したかのごとく鮮やか。

 そんな彼の名はシエル。四日前に弟分だったアスカに神核片を砕かれ、殺されたはずのヒカリだ。

「……だが、良かった。アイツのツメが甘くて助かった」

 依然として水面に身体を浮かばせながら、シエルは右手を持ち上げて左胸をさする。

 アスカの放った権能〝断罪〟によって、内にある神核片もろとも抉られたはずのそこには放射状の傷跡があるのみ。

 傷跡のいくつかは首や脇腹の方にまで及んでいるものの、血や傷口はない。他の受傷箇所も同じように完治している。

 彼はアスカと響が去ったあと、死の淵をさまよいながらもなけなしの神力を用いて権能〝水〟を発動、紋翼を形作っていた水を使用して自身を海へ引き寄せた。

 生物の羊水たる海中へ己を沈めたあとは同じく〝水〟を用いて身体の傷を癒やし、壊された神核片はもうひとつの権能〝傀儡の糸〟で縫合した。

 アスカの権能〝断罪〟は外殻である肉体を無視して神核片を直接砕くものだ。

 それゆえ本来であれば死を免れなかったが、すぐ近くに大海があったことが功を奏した。

 大量の水の力をもってしても完治には相当の時間がかかり、直接攻撃を受けた神核片も縫い合わせただけの不格好なままだ。

 だが、シエルは復活した。復活してしまった。

 神核片を砕いたのち、身体が完全に空気へ融けきるのをアスカが見届けなかったばかりに。

「ハァ~だる。つら。相変わらず収穫もねぇし、神核片壊され損だし最悪すぎんだろ。

 でもまぁ、……幸先は悪くねぇか」

 彼の美しい面に浮かぶは到底似つかわしくない表情。

 海を撫でる潮風はまるで背筋を凍らせたかのようにザアアと足早に過ぎていく。

「待ってろよ……絶対に、殺してやるから……」

 ――その光景を、木陰の白蛇だけが眺め続けていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み