第16話 家族
文字数 2,717文字
エレンフォールは懇願する者たちすべてにうなずいた。
そうして次々と治癒を施し、人々は奇跡の力に畏れつつも感謝を示し、エレンフォールに祈りを捧げた。
数名を一気に治癒させたエレンフォールは疲労を隠せない。だがそれでも彼は微笑みながら歩き出す。
エレンフォールの行いを後方で見つめるばかりだったヴァイスは、それに重々しい様子でついていった。
「……これが君の目的、私に『誘拐してほしい』と乞い願った理由か」
「半分はそうだ。もう半分は俺の予想が正しければこの先にある」
ディルもついていく。察知能力がずば抜けて高いにもかかわらず、ヴァイスは前回と同様追いかけているディルに気づかない。それくらいエレンフォールに意識を向けているということか。
「実は昨夜、ヴァイスが帰ったあとにね。相手部族の兵が窓から俺の部屋に侵入しようとしてきて、さらわれそうになったんだ」
「……、」
「俺はそれでも良かった。あっちの族長に会いたかったからね。でも途中で見張りに見つかってしまって、反対に彼が捕らえられてしまったんだ」
「その彼を訪ねるために?」
「そうだ。重罪となった人はこの地区にある牢獄につながれるのが普通だ。生きていてくれるといいんだけど……」
エレンフォールの予想どおりだった。罪人は牢獄にいた。
とはいえ、もはや牢獄と呼んでいいものか。建物の大半はすでに崩れ、外からも内部が丸見えになっている状態だった。
罪人はその壁に両腕を吊られる形できつく縛られていた。
全裸の体躯は傷だらけの血だらけ、おびただしい数の虫が周囲を飛び回り、傷口にはウジもわいている。
首はだらりと真下に下がってピクリとも動かない。しかし聴覚に足音が触れたと思しき瞬間、罪人は弾かれたように顔を上げた。
辛うじてでも生きていた事実に胸を撫で下ろしたエレンフォールを、当の彼は敵意剥き出しで睨めつける。
だが、エレンフォールは怯まない。小走りに近づき、大罪人の全身に何重にも巻きつく縄を途中で拾ったらしい刃物で切っていった。
呆気に取られる彼などどこ吹く風だ。そのまま膝をついた彼のすべての傷に治癒の能力を施していく。
腕が動くようになれば、いくつかの小果実――恐らく自分の食料を差し出した。
「食べてください。あなたは今すぐここを脱しなければなりません」
その言葉に、罪人は数秒黙ったあとで恐る恐る口を開く。
「ど、どういうことだ……何故だ? 忘れたのか、俺はお前をさらおうとしたのだぞ。抵抗するなら殺そうと思った、実際にナイフを突きつけもした。
なのに……何故今、助けたんだ。神の力を使った、貴重な食料を与える……!?」
「敵ではありません。俺たちは同じ時を生きる仲間ではありませんか」
「……、」
「急いでお腹を満たしてください。治癒が終わったならすぐ逃げてください。また捕えられてしまったら今度はもっと痛い思いをしてしまうはずです」
「……」
「無事に帰れたなら、どうかそちらの族長にお伝えください。こちらは戦争の終結を、和解を望んでいると。俺はあなたがたの傷も癒したいと強く思っていると」
「ッああ、ああ神の子エレンフォール……!!」
罪人は大粒の涙をこぼし、床に額をぶつけながら何度も何度もエレンフォールに頭を下げ祈った。
エレンフォールが「そんなことより」と果実を渡せばガムシャラに摂取し、すべての傷が完治すれば神の導きに従うかのごとく迷いなく立ち上がった。
そしてもう一度深く祈ったあと夜闇のなかを駆けていく。エレンフォールは彼の姿が見えなくなるまで祈っていた。
「……エレンフォール。君はどうして」
そんなところでヴァイスが呟くように言葉を発する。
「治癒の能力を使うたび自分の生命力が削れていくことが分かっているはずなのに。毎日水ばかりで本当は腹が空いて仕方がないはずなのに。
どうしてそこまで……自分を害そうとした人間ですら、君は守ろうとするんだ」
ヴァイスを振り返るエレンフォールは小さく笑っていた。
「ヴァイス。この世に生ける者たちはね、皆見えないところで繋がっている仲間なんだ」
何の陰りもない笑顔だった。
「つまり家族だ。それが戦争を終わらせたい理由で、この力を使う理由――家族には永く幸せでいてほしいからね」
心からそう信じている笑顔だった。あまりに清く、あまりに人間の精神性から離れている――
「エレンフォール様」
「神の子エレンフォール……」
「どうか、我が息子を助けてください」
「妻を救ってくだされ」
ヴァイスが何か言おうとした瞬間、また救いを求める人間たちの声が聞こえてきた。ゆえにエレンフォールはまた守る。助ける。救う。寿命を削りながら。
そう、彼は己の寿命を使いながら人々を治癒している。いくら〝原初返り〟があるといっても彼は神力を持たない。補給するすべもない。だから己の生命力を代償にするしかないのだ。
対価だってない。涙ながらに礼を言われるのが関の山で、それすらないときもある。だが、エレンフォールは先刻の言葉どおり、家族が元気になってくれて良かったと微笑むのだ。その生を、善性を、心底喜んで。
エレンフォールの力によって救われた人々が次々と身を起こした。それを待っていた人々が涙をこぼす。歓喜の声を上げ、抱き合う。
地獄のごとき環境のなか、この瞬間、この場所だけは確かに幸福だった。
「おい。やれ」
――だからこそ、ディルは背後から聞こえたその声をすぐには認識できなかった。
「誰がエレンフォールの脱走を手伝ったか分からん、群がっている者全員やれ。もしや拷問後に放置していたあの罪人も居なくなっているか? ならばそいつも決して逃がすな」
振り返るとイスマが立っていた。彼の背後には何十という兵が控えており、命令はその兵たちに告げられたものだ。
恐らくエレンフォールが幽閉していた部屋からこつ然と消えていることに気づき、死にものぐるいで捜索していたのだろう。顔が鬼気迫っていた。
イスマの命を受けても、兵士たちはしばらく逡巡していた。
彼らはもともとこの街の住人だ。族長であるイスマに無理な招集をかけられて兵として働かされているだけであり、エレンフォールに群がる人々は仲間なのだ。殺せるはずがない。
「おい……貴様らの家族を先にやってもよいのだぞ」
しかし、イスマの一声で兵は苦しげな顔をしながらも動き出した。イスマはそれを悠々と追いながらニヤニヤと笑っている。
「情けなどかけるな。確実にやれ。貴重な治癒の能力、これ以上卑しい者たちに使われてはたまらんからな」
数十秒後――
「ああッ、ああ……ッッなんで、どうして!!」
惨たらしい音のなか、エレンフォールの悲痛な声が響く。
そうして次々と治癒を施し、人々は奇跡の力に畏れつつも感謝を示し、エレンフォールに祈りを捧げた。
数名を一気に治癒させたエレンフォールは疲労を隠せない。だがそれでも彼は微笑みながら歩き出す。
エレンフォールの行いを後方で見つめるばかりだったヴァイスは、それに重々しい様子でついていった。
「……これが君の目的、私に『誘拐してほしい』と乞い願った理由か」
「半分はそうだ。もう半分は俺の予想が正しければこの先にある」
ディルもついていく。察知能力がずば抜けて高いにもかかわらず、ヴァイスは前回と同様追いかけているディルに気づかない。それくらいエレンフォールに意識を向けているということか。
「実は昨夜、ヴァイスが帰ったあとにね。相手部族の兵が窓から俺の部屋に侵入しようとしてきて、さらわれそうになったんだ」
「……、」
「俺はそれでも良かった。あっちの族長に会いたかったからね。でも途中で見張りに見つかってしまって、反対に彼が捕らえられてしまったんだ」
「その彼を訪ねるために?」
「そうだ。重罪となった人はこの地区にある牢獄につながれるのが普通だ。生きていてくれるといいんだけど……」
エレンフォールの予想どおりだった。罪人は牢獄にいた。
とはいえ、もはや牢獄と呼んでいいものか。建物の大半はすでに崩れ、外からも内部が丸見えになっている状態だった。
罪人はその壁に両腕を吊られる形できつく縛られていた。
全裸の体躯は傷だらけの血だらけ、おびただしい数の虫が周囲を飛び回り、傷口にはウジもわいている。
首はだらりと真下に下がってピクリとも動かない。しかし聴覚に足音が触れたと思しき瞬間、罪人は弾かれたように顔を上げた。
辛うじてでも生きていた事実に胸を撫で下ろしたエレンフォールを、当の彼は敵意剥き出しで睨めつける。
だが、エレンフォールは怯まない。小走りに近づき、大罪人の全身に何重にも巻きつく縄を途中で拾ったらしい刃物で切っていった。
呆気に取られる彼などどこ吹く風だ。そのまま膝をついた彼のすべての傷に治癒の能力を施していく。
腕が動くようになれば、いくつかの小果実――恐らく自分の食料を差し出した。
「食べてください。あなたは今すぐここを脱しなければなりません」
その言葉に、罪人は数秒黙ったあとで恐る恐る口を開く。
「ど、どういうことだ……何故だ? 忘れたのか、俺はお前をさらおうとしたのだぞ。抵抗するなら殺そうと思った、実際にナイフを突きつけもした。
なのに……何故今、助けたんだ。神の力を使った、貴重な食料を与える……!?」
「敵ではありません。俺たちは同じ時を生きる仲間ではありませんか」
「……、」
「急いでお腹を満たしてください。治癒が終わったならすぐ逃げてください。また捕えられてしまったら今度はもっと痛い思いをしてしまうはずです」
「……」
「無事に帰れたなら、どうかそちらの族長にお伝えください。こちらは戦争の終結を、和解を望んでいると。俺はあなたがたの傷も癒したいと強く思っていると」
「ッああ、ああ神の子エレンフォール……!!」
罪人は大粒の涙をこぼし、床に額をぶつけながら何度も何度もエレンフォールに頭を下げ祈った。
エレンフォールが「そんなことより」と果実を渡せばガムシャラに摂取し、すべての傷が完治すれば神の導きに従うかのごとく迷いなく立ち上がった。
そしてもう一度深く祈ったあと夜闇のなかを駆けていく。エレンフォールは彼の姿が見えなくなるまで祈っていた。
「……エレンフォール。君はどうして」
そんなところでヴァイスが呟くように言葉を発する。
「治癒の能力を使うたび自分の生命力が削れていくことが分かっているはずなのに。毎日水ばかりで本当は腹が空いて仕方がないはずなのに。
どうしてそこまで……自分を害そうとした人間ですら、君は守ろうとするんだ」
ヴァイスを振り返るエレンフォールは小さく笑っていた。
「ヴァイス。この世に生ける者たちはね、皆見えないところで繋がっている仲間なんだ」
何の陰りもない笑顔だった。
「つまり家族だ。それが戦争を終わらせたい理由で、この力を使う理由――家族には永く幸せでいてほしいからね」
心からそう信じている笑顔だった。あまりに清く、あまりに人間の精神性から離れている――
「エレンフォール様」
「神の子エレンフォール……」
「どうか、我が息子を助けてください」
「妻を救ってくだされ」
ヴァイスが何か言おうとした瞬間、また救いを求める人間たちの声が聞こえてきた。ゆえにエレンフォールはまた守る。助ける。救う。寿命を削りながら。
そう、彼は己の寿命を使いながら人々を治癒している。いくら〝原初返り〟があるといっても彼は神力を持たない。補給するすべもない。だから己の生命力を代償にするしかないのだ。
対価だってない。涙ながらに礼を言われるのが関の山で、それすらないときもある。だが、エレンフォールは先刻の言葉どおり、家族が元気になってくれて良かったと微笑むのだ。その生を、善性を、心底喜んで。
エレンフォールの力によって救われた人々が次々と身を起こした。それを待っていた人々が涙をこぼす。歓喜の声を上げ、抱き合う。
地獄のごとき環境のなか、この瞬間、この場所だけは確かに幸福だった。
「おい。やれ」
――だからこそ、ディルは背後から聞こえたその声をすぐには認識できなかった。
「誰がエレンフォールの脱走を手伝ったか分からん、群がっている者全員やれ。もしや拷問後に放置していたあの罪人も居なくなっているか? ならばそいつも決して逃がすな」
振り返るとイスマが立っていた。彼の背後には何十という兵が控えており、命令はその兵たちに告げられたものだ。
恐らくエレンフォールが幽閉していた部屋からこつ然と消えていることに気づき、死にものぐるいで捜索していたのだろう。顔が鬼気迫っていた。
イスマの命を受けても、兵士たちはしばらく逡巡していた。
彼らはもともとこの街の住人だ。族長であるイスマに無理な招集をかけられて兵として働かされているだけであり、エレンフォールに群がる人々は仲間なのだ。殺せるはずがない。
「おい……貴様らの家族を先にやってもよいのだぞ」
しかし、イスマの一声で兵は苦しげな顔をしながらも動き出した。イスマはそれを悠々と追いながらニヤニヤと笑っている。
「情けなどかけるな。確実にやれ。貴重な治癒の能力、これ以上卑しい者たちに使われてはたまらんからな」
数十秒後――
「ああッ、ああ……ッッなんで、どうして!!」
惨たらしい音のなか、エレンフォールの悲痛な声が響く。