第35話 災難は幾重にも
文字数 2,173文字
時間軸は現代に戻る。
つまり外見年齢が二十七歳の〝ヤミ属執行者の頂点〟となって久しいヴァイスと、普段はヤミ属界で医師業に勤しむ外見年齢が三十二歳のディル。
ふたりが合成キメラ〝天国の地獄〟イスマを探し当て、戦闘を終えた直後だ。
イスマが落命したと同時に逆円錐状にすぼまっていた砂床は平坦に戻った。相変わらず霊体に戻れないため実体のまま脱出口を探さねばならないが、「その前に」とディルは現在調査用にイスマの残骸を採取しているところだった。
「ッぐ……!」
「ヴァイス、どうした」
ヴァイスが苦しげにうめき声を上げたのはそんなときだ。嫌な予感がしたディルは急いで振り返る。
ヴァイスの権能〝茨〟によってイスマは瞬殺された。よってヴァイスが不意打ちを食らった可能性はない。
もとよりヴァイスはヤミ属執行者のなかで一番、それもずば抜けて強い。ゆえにディルに眉をひそめさせるのは別のことだ。
つい先刻まで息ひとつ乱さなかったヴァイスは今、前傾姿勢で小刻みに震えていた。
彼は己の懐に手を伸ばしているが、そんな簡単な動作すらままならない。ようよう赤に満たされた透明ボトルをつかみはしたものの、手に力が入らないのか落とし割ってしまう始末だ。ついには己の身体を立たせることすら困難になったと見えて膝までつく。
ディルは迅速な動きで採取を終えるとヴァイスのもとへ走り寄った。
「俺の毒血の効果が切れたんだな」
「わる、い……」
「大丈夫だ。待ってろ」
予備用に持たせていたボトルは今割ってしまったモノで最後だったはずだ。
ディルはそう思い至ると、着ている白衣の下から取り出したメスで己の手首を深々と切り裂いた。瞬時に血があふれてくれば逡巡なくヴァイスの肌をも傷つけ、傷口に己の血を流しこんでいく。
これは三百年前から今日まで続けられてきたことだ。ただし今回のような血の直接的な受け渡しは約三百年ぶり、つまりイレギュラーだ。
普段はディルが己の血で満たした注射針つき透明ボトルを用意しておき、ヴァイスはそれを定期的に打ちこんで苦痛を持続的に緩和させていた。
ヴァイスも血の効果が切れる間際は体感で分かるらしく、こうして苦痛を表に出すことは稀有なことだった。
もっとも最近は血を打つ頻度も増え、効果の切れ方も突発的になっているようだが、それにしても今回は明らかに早かった。ヴァイスは〝天国の地獄〟任務直前にも血を打っていたはずなのに――心理的な影響だろうか?
「! なんだ?」
そんなことを考えつつヴァイスに血を与えていた矢先、激しい縦揺れと轟音がふたりを襲いにかかる。さらに左右の壁中央にある出入り口から何かがやってくるのを察知。ディルは目を疑った。
「合成キメラ……しかも大量! イスマの他にも居たのか。気配は感じなかったが」
「もしかしたら、騒ぎを聞きつけて、別の場所から移動してきたのかも、知れないな」
ディルの血によって少々落ち着きを取り戻したヴァイスの言葉にディルは苦笑する。
「イスマを執行したら発動する仕掛けなのかね。俺たちごと証拠隠滅か?」
「さあ、な。ここもじきに、崩れるようだ。早急に討伐して、脱出しよう……脱出口があるかは、分からないが」
「その身体で動けんのか」
「馬鹿を言うな。私ひとりで、充分だ」
ヴァイスは言いながら立ち上がる。まだフラついてはいるが、確かに今のヴァイスだけでも合成キメラの相手は務まるだろう。
それは周囲を囲む合成キメラが大量でも、戦闘能力が高めの個体が複数あっても関係がない。彼が背負う〝ヤミ属執行者の頂点〟の称号は今も昔も飾りではないのだ。
「俺にも戦わせてくれよ。実はさっきから動きたくてウズウズしてたんだ」
しかしディルは言ってヴァイスと背中合わせの態勢を取った。返答はないが、言葉など交わさなくとも彼の考えていることは分かる。
合成キメラが一斉に襲ってくればふたりは応戦を開始。依然として神陰力は制限されているが権能を使えないことはない。
ヴァイスは権能〝茨〟を縦横無尽かつ的確に。ディルは〝毒〟を繊細に技巧的に。各々好き勝手に動きながら、それでも妙に息が合いながら。
ボヤボヤしていると天井が崩れてしまいそうだ。実体の今、生き埋めになってしまうと絶望的だ。
そんな状況ではあるのに、ディルは笑みを止められなかった。
「はは、昔を思い出すなぁヴァイス!」
「そうだな。もっとも、今のお前の〝毒〟は完璧だ。昔とは全然違う」
「だろ。俺もオトナになったんだ」
そうだ、あの日からもっともっと成長したんだ――戦いながら、笑みを浮かべ続けながらディルは胸中で思う。
「――参上ご苦労である。ディルよ」
話は再び三百年前、呪禍に侵されつつ一命を取り留めたヴァイスをディルがヤミ属界に連れ帰ってしばらく経ったころにさかのぼる。
裁定神殿。ヤミ属統主であるエンラの艶やかな声に迎え入れられたディルは硬い表情を浮かべていた。
それを見返すエンラは神殿内に浮かぶ無数の魂魄たちに〝裁定〟を行いながら、玉座にてスラリとした足を組み替えた。
「貴様を呼びつけたのは他でもない。人の子エレンフォールの〝魂魄執行〟について一部の事後調査が一段落したゆえな。再度の事情聴取もかねて貴様にも聞かせておこうと思った次第だ」
「……俺もそのつもりで参じました。聞かせてください」
つまり外見年齢が二十七歳の〝ヤミ属執行者の頂点〟となって久しいヴァイスと、普段はヤミ属界で医師業に勤しむ外見年齢が三十二歳のディル。
ふたりが合成キメラ〝天国の地獄〟イスマを探し当て、戦闘を終えた直後だ。
イスマが落命したと同時に逆円錐状にすぼまっていた砂床は平坦に戻った。相変わらず霊体に戻れないため実体のまま脱出口を探さねばならないが、「その前に」とディルは現在調査用にイスマの残骸を採取しているところだった。
「ッぐ……!」
「ヴァイス、どうした」
ヴァイスが苦しげにうめき声を上げたのはそんなときだ。嫌な予感がしたディルは急いで振り返る。
ヴァイスの権能〝茨〟によってイスマは瞬殺された。よってヴァイスが不意打ちを食らった可能性はない。
もとよりヴァイスはヤミ属執行者のなかで一番、それもずば抜けて強い。ゆえにディルに眉をひそめさせるのは別のことだ。
つい先刻まで息ひとつ乱さなかったヴァイスは今、前傾姿勢で小刻みに震えていた。
彼は己の懐に手を伸ばしているが、そんな簡単な動作すらままならない。ようよう赤に満たされた透明ボトルをつかみはしたものの、手に力が入らないのか落とし割ってしまう始末だ。ついには己の身体を立たせることすら困難になったと見えて膝までつく。
ディルは迅速な動きで採取を終えるとヴァイスのもとへ走り寄った。
「俺の毒血の効果が切れたんだな」
「わる、い……」
「大丈夫だ。待ってろ」
予備用に持たせていたボトルは今割ってしまったモノで最後だったはずだ。
ディルはそう思い至ると、着ている白衣の下から取り出したメスで己の手首を深々と切り裂いた。瞬時に血があふれてくれば逡巡なくヴァイスの肌をも傷つけ、傷口に己の血を流しこんでいく。
これは三百年前から今日まで続けられてきたことだ。ただし今回のような血の直接的な受け渡しは約三百年ぶり、つまりイレギュラーだ。
普段はディルが己の血で満たした注射針つき透明ボトルを用意しておき、ヴァイスはそれを定期的に打ちこんで苦痛を持続的に緩和させていた。
ヴァイスも血の効果が切れる間際は体感で分かるらしく、こうして苦痛を表に出すことは稀有なことだった。
もっとも最近は血を打つ頻度も増え、効果の切れ方も突発的になっているようだが、それにしても今回は明らかに早かった。ヴァイスは〝天国の地獄〟任務直前にも血を打っていたはずなのに――心理的な影響だろうか?
「! なんだ?」
そんなことを考えつつヴァイスに血を与えていた矢先、激しい縦揺れと轟音がふたりを襲いにかかる。さらに左右の壁中央にある出入り口から何かがやってくるのを察知。ディルは目を疑った。
「合成キメラ……しかも大量! イスマの他にも居たのか。気配は感じなかったが」
「もしかしたら、騒ぎを聞きつけて、別の場所から移動してきたのかも、知れないな」
ディルの血によって少々落ち着きを取り戻したヴァイスの言葉にディルは苦笑する。
「イスマを執行したら発動する仕掛けなのかね。俺たちごと証拠隠滅か?」
「さあ、な。ここもじきに、崩れるようだ。早急に討伐して、脱出しよう……脱出口があるかは、分からないが」
「その身体で動けんのか」
「馬鹿を言うな。私ひとりで、充分だ」
ヴァイスは言いながら立ち上がる。まだフラついてはいるが、確かに今のヴァイスだけでも合成キメラの相手は務まるだろう。
それは周囲を囲む合成キメラが大量でも、戦闘能力が高めの個体が複数あっても関係がない。彼が背負う〝ヤミ属執行者の頂点〟の称号は今も昔も飾りではないのだ。
「俺にも戦わせてくれよ。実はさっきから動きたくてウズウズしてたんだ」
しかしディルは言ってヴァイスと背中合わせの態勢を取った。返答はないが、言葉など交わさなくとも彼の考えていることは分かる。
合成キメラが一斉に襲ってくればふたりは応戦を開始。依然として神陰力は制限されているが権能を使えないことはない。
ヴァイスは権能〝茨〟を縦横無尽かつ的確に。ディルは〝毒〟を繊細に技巧的に。各々好き勝手に動きながら、それでも妙に息が合いながら。
ボヤボヤしていると天井が崩れてしまいそうだ。実体の今、生き埋めになってしまうと絶望的だ。
そんな状況ではあるのに、ディルは笑みを止められなかった。
「はは、昔を思い出すなぁヴァイス!」
「そうだな。もっとも、今のお前の〝毒〟は完璧だ。昔とは全然違う」
「だろ。俺もオトナになったんだ」
そうだ、あの日からもっともっと成長したんだ――戦いながら、笑みを浮かべ続けながらディルは胸中で思う。
「――参上ご苦労である。ディルよ」
話は再び三百年前、呪禍に侵されつつ一命を取り留めたヴァイスをディルがヤミ属界に連れ帰ってしばらく経ったころにさかのぼる。
裁定神殿。ヤミ属統主であるエンラの艶やかな声に迎え入れられたディルは硬い表情を浮かべていた。
それを見返すエンラは神殿内に浮かぶ無数の魂魄たちに〝裁定〟を行いながら、玉座にてスラリとした足を組み替えた。
「貴様を呼びつけたのは他でもない。人の子エレンフォールの〝魂魄執行〟について一部の事後調査が一段落したゆえな。再度の事情聴取もかねて貴様にも聞かせておこうと思った次第だ」
「……俺もそのつもりで参じました。聞かせてください」