第8話 深淵

文字数 2,182文字

「あークセェ……油断すると意識持ってかれちまいそうだ。妙な術持ってやがる」

「アスカはそのまま響を守ってな、アタシたちでパパッと終わらせちゃうから! それまでは呼吸禁止!」

「邪魔ですよ。アナタがたはお呼びではありません」

 しかしふたりが神官へ攻撃を仕掛けるより先に、五感や意識を奪う謎の匂いが何倍も強くなる。

 するとこれまでは平気なように見えたベティ、ジャスティン、アスカの身体までもがふらりと揺らいだ。

「ッ……!」

「呼吸などしてもしなくても結構。もっと言えば霊体でも実体でも防御不可です。

 〝神〟より与えられしこの御力の本来は、強制的に意識や痛覚を奪うものですからね」

 その言葉を証明するかのように神官を拘束していたベティの包帯が空気に融けるかのごとく霧散していく。

 響の意識もさらに遠くなり、アスカも響の前でガクリと膝を折りかけた。

 戦闘不能状態に陥るのは時間の問題である。ベティとジャスティンだって危ないだろう。絶体絶命だ。

 包帯が消えたことで自由の身になった神官が軽やかに着地する。そうして意識を失わないよう抗うジャスティンとベティを睥睨しながら左手を前に突き出した。

「死神よ、失態を犯した己を恥じる必要はありません。

 〝彼〟をここまで連れてきてくれただけで、汚らわしきアナタたちにも存在理由は与えられます」

「――!!」

 〝それ〟にまず気づいたのはアスカだった。

 響の背後。つまり教会の出入り口と響との間の空間が歪み、突如ぽっかりとした深淵のごとき穴が出現したのだ。

 〝それ〟はまるで生物の口のごとく動き、響を丸ごと飲み込もうとしてくる。

 響はそれをおぼろげな意識のなかで確認していた。既視感も覚えていた。しかし動けない。

 ユエ助が球状シールドを張るも無意味。アスカは響の襟元を力の限り引いて穴から引き離そうとするが、穴がゴオオォと勢いよく吸引を始めればそれも阻まれる。

「くっ……!!」

 アスカがどうにかして響を助けようとする。必死の形相をしながら響を掴んだ手を決して離さない。

 だが、不可思議な術とすべてを飲み込まんとする穴の前ではあまりに無力だった。

 真っ暗な教会のなか、さらに真っ暗な絶望が頭上から降り注いでくる。

 こんな切迫した状況にもかかわらず、途切れる直前の意識ではすべてがスローモーションのように見えた。

 あぁそっか――それゆえに響は理解した。はっきりと自覚した。己の終焉を。

 今までは運良く助かってきた。

 ただの人間だった時分にアスカに命を狙われても、必ず命を落とすという〝混血の禁忌〟に遭っても、戦闘能力のないヤミ属執行者でも奇跡的に生き永らえてきた。

 だが今度こそ自分は死ぬ。真っ黒に飲み下されて終わる。

 ――ゆえにすべきことはただひとつ。

「ッひびき……!?」
「アスカく、……いきてッ」

 腕に最後の力を込めた。己を懸命に掴んでいたアスカの手を引きはがして突き飛ばした。

 意識を失いかけた響に一体どれほどの力があったのか。アスカは呆気なく後方へと離れていく。響はそれを見届けホッと胸を撫で下ろした。

 そうして響は安堵とともに意識を手放し――ひとり深淵へと飲み込まれていったのだった。















「っ!?」

 再び意識が浮上したとき、響は真っ暗闇のなかだった。

 それゆえここが現実であり知らぬ場所だと気づくのにかなりの時間を要した。

 どうやら倒れているらしい。背にした地面もしくは床はゴツゴツと凹凸があり固く、ひんやりとしている。

「あ、あれ? 僕生きてる?」

 身体は湿度が高いのかペタペタしているものの特に痛くない。五感も鈍くない。

 立ち上がって辺りを見回すが、やはり一切の光がなくぼんやりとしか周囲が視認できない。

「アスカ君……?」

 恐る恐る呼びかけた。しかし何の応答もない。ただ少し遠くからピチョン、ピチョンと水滴の音が響いてくるだけだ。

「ベティさん、ジャスティンさん……」

 新たに呼びかけても結果は同じだ。しかし当たり前だと思い直す。

 響には意識を失う直前、深淵のごとき穴を前にしてアスカを突き飛ばした記憶が確かにあった。

 恐らくあのあと自分はひとり穴に吸い込まれた。ならば誰もそばにいるわけがないのだ。

 ユエ助もいつの間にか左胸に戻っているようだ。しかもいくら呼びかけようが出てきてくれない。

 真っ暗闇のなかにひとり。底知れない不安が募ってくる。

 何よりここは一体どこなのか。ようよう立ち上がって目を凝らしてみたり――ヤミ属の血ゆえか真っ暗闇でもある程度目がきく――辺りにあるモノに触れたりしてみた結果、洞窟内であるように感じられた。

 少なくとも狭い場所に閉じこめられてはおらず、道の途中に見える。道幅は充分に両手を広げられる程度の広さがあり、進もうと思えば前にも後ろにも進むことができるだろう。

 もっとも、どちらも行き止まりという可能性はあったが。

「生きてたのは良かったけど、一生出られなかったりして……怪物とか出たらどうしよう……」

 真っ暗闇にひとり、見通しが一切きかない状況もあって頭のなかには悪い想像が際限なく湧いてくる。

 しかしこれではいけない。とにかく生きていただけ幸いと思うしかない。

 響は必死でそう思い直し、やたら重い首を持ち上げて顔を上げた。

「バア」

「おどわあぁあああああああああ!?!?」

 その瞬間。第三者の声がした。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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