第5話 気まずい
文字数 3,238文字
――むかしむかし、ほんとうにおおむかし。
おおきなうちゅうのかたすみに、おほしさま がうまれました。
おほしさま は、ひとりぼっち。まっくらやみのうちゅうで、ぷかぷか、こどくに まわっています。
さいしょは それでよかったのです。
けれど 0が1になって おほしさまが かみさまになると、さみしいなあ とおもいました。
じゃあ ふたりになればいいんだ。そう かんがえつくと、かみさまはすぐ2になりました。
かみさまは 天 と 地 にわかれました。
ふたりはながいあいだ、ふたりでいました。たくさんおはなしをして、たくさんわらいました。
ちょっとだけけんかもして、けれどすぐなかなおりしました。
あるとき、ふたりのあいだに、ふたりのこどもがうまれました。
ちいさくて、ともすれば、ふたりもすぐには きづけなかったくらい はかないいのち。
ふたりはとてもよろこびました。
けれどふたりのこどもは、すぐ しにました。こどもは、ふたりよりもずっとずっと たんめいだったのです。
2のうちの1、地のかみさまは かなしみました。
こどものたましいをだきしめながら、きれいにしながら、ずっとなきました。
もうひとつの1,天のかみさまは そんな地のかみさまをなぐさめるために、こどもへ あたらしいいのちを よういしました。
するとこどもは、またうまれることができました。
こどもは、ほんとうにたんめいで、またすぐにしんでしまいました。
しかし、ふたりはまたおなじようにして、こどものいのちを つぎからつぎへと、つなげました。
あるとき、1のこどもが 2になりました。
ふたりのまねをしたのです。こどもも、ひとりはさみしかったのかな?
それからは2が4に、4が8になって、やがて、こどもはたくさんのこどもたちになりました。
とてもにぎやかです。だからふたりはおおいそがしです。
なんてったって、みんなたんめいでした。
たんめいなのに、みんなもっと生きたいと、ふたりにおねがいしたからです。
だから、こどもはたくさん、たくさんたくさん、ふえたのです。
不意に玄関のドアを叩く音がして、響は読んでいた絵本から顔を上げた。
リビングルームの片隅にある玄関ドアを開けるとそこに立っていたのはヴァイス。相変わらずペストマスクやロングコートに覆われた不気味な姿ながら気軽な様子で手を上げてくる。
「やあ響くん、今日も来たよ。体調はどうかな」
「悪くないです」
「それは良かった」
「ていうかもう一日経ってたんですね。昨日貸していただいた絵本を読んでいたらあっという間で、気づきませんでした」
響の言葉にヴァイスは笑い声を上げる。
「それは貸した甲斐があるというものだ。面白かったかい?」
「はい。絵がきれいで楽しめました」
言えばヴァイスは己の背後を振り返る。
「君が小さなころ読んでいた絵本を響くんに貸したんだ」
「……そうでしたか」
「! アスカ、さん」
ヴァイスが身体をひねったことで彼の後ろに立っていたアスカに気づき、響は思わず目を見開いた。
ここを訪れてくるのは毎回ひとり、しかもディルかヴァイスだけだったため、今回もそうだと疑っていなかったのだ。
アスカは最初に見たときと同じで眉間にシワを寄せた仏頂面をしていた。響と視線が合うとバツが悪そうに目を逸らして気まずそうに唇をもたつかせる。
「……どうも」
「あ、ど、どうも」
「アスカは今日退院したんだ」
「え、ってことは身体治ったんですか? 一週間くらい前は包帯だらけでフラフラでしたけど……」
「ヤミ属は生物よりずっと治癒能力が高い。峠を越してからは傷の治りが速かったね」
確かに今のアスカの立ち姿は草原で出会ったときとは似ても似つかない。
服を着ているため包帯の有無は分からないが――以前見たものと同じ灰色のツナギ、靴はエンジニアブーツ――苦しそうに面を歪めてはおらず、背筋はまっすぐ伸びており顔色も良かった。
「すごいんだなぁヤミ属って……退院おめでとうございます」
響の言葉にアスカは小さく頭だけを下げてきた。依然として逸らされた視線は戻ってこなかったが。
「今日は外で食べないかい。良かったらアスカも同席させたいんだが、いいかな?」
「は、はい。大丈夫です」
ヴァイスの提案に若干動揺を示しつつも響は頷く。
正直なところアスカは得意でないタイプだった。無愛想でどことなく不良っぽい。
しかも何度か発砲されて殺されかけているのだ、緊張するのは仕方がないだろう。
「よし、じゃあ出発進行といこう」
「お、おー……」
かくして一行は、ヴァイスの号令を合図にアビー食堂へと向かっていったのである。
草原でヴァイスと話し、満身創痍のアスカと再会してから既に一週間が経っていた。
響は相変わらず部屋に引きこもってはいたものの、就寝目的以外でブランケットに包まり続けることもなくなり、窓からカーテンの外を眺めるくらいはできるようになっていた。
一日一回ヴァイスかディルによって届けられる食事――ヤミ属はヤミ属界にいるだけで存在を保てるらしく食事は嗜好品であるようだが、人間だった響を慮ってこれまで用意してくれていたらしい。確かに一日一回の食事でも特に不足はなかった――も毎日完食できるようになり、それにつれて精神状態が少しずつ回復していくのも実感していた。
ヤミ属界に来た当初、響の家族が無事であることを証明するために使用した〝窓〟という謎の道具をディルが貸し与えてくれたのも大きかった。
生物界の状況をリアルタイムに覗くことができるこの道具は、「〝窓〟開眼せよ」の一言で生物界を映し出してくれる。
響はもっぱら妹の乃絵莉や祖父母の元気な様子を観るために使用していたが、これが響の精神の安定を非常に後押しした。
とはいえ、彼らはもう〝家族だった人々〟でしかない。そういった空虚は眺めるたびに発生する。それでも彼らが平和に暮らしている事実は響の心を癒やし、前を向かせてくれる手助けをしてくれたのだ。
そして元気になれば何かをしたいという欲求も湧いてきた。
ディルは外出を勧めてきたが、ひとりで外に出るのはまだ勇気が要るとこぼしたところ、話が伝わったか昨日ヴァイスが貸してくれたのがたくさんの絵本だったというわけだ。
無論、絵本とはいえヤミ属が読むものだ。人間の常識が前提にあるはずもなく、平易な表現が使われていてもどこか地に足のつかない読み味ではあったが、先にヴァイスへ述べたとおり絵がきれいだったので読後感は良かった。
――ちなみに、ヤミ属の世界には生物界にあるような言語の壁は発生しないようだ。
例え響が母国語である日本語で話したとしても意味だけが伝わるようになっているらしい。
ヤミ属特有の文字も存在するのだが、確かにそれらを何ひとつ知らないはずの響にも絵本を読むことができた。
ヴァイスやアスカと共にアビー食堂へ向かうなか、響は道を行くヤミから何度も声をかけられた。
前回ヴァイスと初めて外に出たときと同じだ。ヤミ属は気さくな性格の者が多いのだろうか。子どもたちも足にまとわりついてきたりして、響は狼狽えつつも自分の存在が受け入れられていることに密かな安堵をした。
食堂へ着き、店主アビーからも熱烈な歓迎を受けながら空いている席へ促された。なかなか繁盛しているみたいだな、などと考えつつ食べたいものを決める。
食事を運んできてもらっていたころから思ったことだが、メニューには意外と馴染み深いものばかりが並んでいる。カレーとかオムライスとか。
「ヴァイス先輩。注文は俺が」
「いいよ。退院直後なんだ、座っていてくれ」
「あ、ありがとうございますヴァイスさん……」
メニューが決まり、ヴァイスがアビーのもとへ告げに行ってしまえばアスカとふたりきりになってしまった。しかも小さめのテーブルに向かい合わせ。
「……」
「……」
気まずい。何か話を振らなければ。気遣い気質の響は話題を必死に探した。
おおきなうちゅうのかたすみに、おほしさま がうまれました。
おほしさま は、ひとりぼっち。まっくらやみのうちゅうで、ぷかぷか、こどくに まわっています。
さいしょは それでよかったのです。
けれど 0が1になって おほしさまが かみさまになると、さみしいなあ とおもいました。
じゃあ ふたりになればいいんだ。そう かんがえつくと、かみさまはすぐ2になりました。
かみさまは 天 と 地 にわかれました。
ふたりはながいあいだ、ふたりでいました。たくさんおはなしをして、たくさんわらいました。
ちょっとだけけんかもして、けれどすぐなかなおりしました。
あるとき、ふたりのあいだに、ふたりのこどもがうまれました。
ちいさくて、ともすれば、ふたりもすぐには きづけなかったくらい はかないいのち。
ふたりはとてもよろこびました。
けれどふたりのこどもは、すぐ しにました。こどもは、ふたりよりもずっとずっと たんめいだったのです。
2のうちの1、地のかみさまは かなしみました。
こどものたましいをだきしめながら、きれいにしながら、ずっとなきました。
もうひとつの1,天のかみさまは そんな地のかみさまをなぐさめるために、こどもへ あたらしいいのちを よういしました。
するとこどもは、またうまれることができました。
こどもは、ほんとうにたんめいで、またすぐにしんでしまいました。
しかし、ふたりはまたおなじようにして、こどものいのちを つぎからつぎへと、つなげました。
あるとき、1のこどもが 2になりました。
ふたりのまねをしたのです。こどもも、ひとりはさみしかったのかな?
それからは2が4に、4が8になって、やがて、こどもはたくさんのこどもたちになりました。
とてもにぎやかです。だからふたりはおおいそがしです。
なんてったって、みんなたんめいでした。
たんめいなのに、みんなもっと生きたいと、ふたりにおねがいしたからです。
だから、こどもはたくさん、たくさんたくさん、ふえたのです。
不意に玄関のドアを叩く音がして、響は読んでいた絵本から顔を上げた。
リビングルームの片隅にある玄関ドアを開けるとそこに立っていたのはヴァイス。相変わらずペストマスクやロングコートに覆われた不気味な姿ながら気軽な様子で手を上げてくる。
「やあ響くん、今日も来たよ。体調はどうかな」
「悪くないです」
「それは良かった」
「ていうかもう一日経ってたんですね。昨日貸していただいた絵本を読んでいたらあっという間で、気づきませんでした」
響の言葉にヴァイスは笑い声を上げる。
「それは貸した甲斐があるというものだ。面白かったかい?」
「はい。絵がきれいで楽しめました」
言えばヴァイスは己の背後を振り返る。
「君が小さなころ読んでいた絵本を響くんに貸したんだ」
「……そうでしたか」
「! アスカ、さん」
ヴァイスが身体をひねったことで彼の後ろに立っていたアスカに気づき、響は思わず目を見開いた。
ここを訪れてくるのは毎回ひとり、しかもディルかヴァイスだけだったため、今回もそうだと疑っていなかったのだ。
アスカは最初に見たときと同じで眉間にシワを寄せた仏頂面をしていた。響と視線が合うとバツが悪そうに目を逸らして気まずそうに唇をもたつかせる。
「……どうも」
「あ、ど、どうも」
「アスカは今日退院したんだ」
「え、ってことは身体治ったんですか? 一週間くらい前は包帯だらけでフラフラでしたけど……」
「ヤミ属は生物よりずっと治癒能力が高い。峠を越してからは傷の治りが速かったね」
確かに今のアスカの立ち姿は草原で出会ったときとは似ても似つかない。
服を着ているため包帯の有無は分からないが――以前見たものと同じ灰色のツナギ、靴はエンジニアブーツ――苦しそうに面を歪めてはおらず、背筋はまっすぐ伸びており顔色も良かった。
「すごいんだなぁヤミ属って……退院おめでとうございます」
響の言葉にアスカは小さく頭だけを下げてきた。依然として逸らされた視線は戻ってこなかったが。
「今日は外で食べないかい。良かったらアスカも同席させたいんだが、いいかな?」
「は、はい。大丈夫です」
ヴァイスの提案に若干動揺を示しつつも響は頷く。
正直なところアスカは得意でないタイプだった。無愛想でどことなく不良っぽい。
しかも何度か発砲されて殺されかけているのだ、緊張するのは仕方がないだろう。
「よし、じゃあ出発進行といこう」
「お、おー……」
かくして一行は、ヴァイスの号令を合図にアビー食堂へと向かっていったのである。
草原でヴァイスと話し、満身創痍のアスカと再会してから既に一週間が経っていた。
響は相変わらず部屋に引きこもってはいたものの、就寝目的以外でブランケットに包まり続けることもなくなり、窓からカーテンの外を眺めるくらいはできるようになっていた。
一日一回ヴァイスかディルによって届けられる食事――ヤミ属はヤミ属界にいるだけで存在を保てるらしく食事は嗜好品であるようだが、人間だった響を慮ってこれまで用意してくれていたらしい。確かに一日一回の食事でも特に不足はなかった――も毎日完食できるようになり、それにつれて精神状態が少しずつ回復していくのも実感していた。
ヤミ属界に来た当初、響の家族が無事であることを証明するために使用した〝窓〟という謎の道具をディルが貸し与えてくれたのも大きかった。
生物界の状況をリアルタイムに覗くことができるこの道具は、「〝窓〟開眼せよ」の一言で生物界を映し出してくれる。
響はもっぱら妹の乃絵莉や祖父母の元気な様子を観るために使用していたが、これが響の精神の安定を非常に後押しした。
とはいえ、彼らはもう〝家族だった人々〟でしかない。そういった空虚は眺めるたびに発生する。それでも彼らが平和に暮らしている事実は響の心を癒やし、前を向かせてくれる手助けをしてくれたのだ。
そして元気になれば何かをしたいという欲求も湧いてきた。
ディルは外出を勧めてきたが、ひとりで外に出るのはまだ勇気が要るとこぼしたところ、話が伝わったか昨日ヴァイスが貸してくれたのがたくさんの絵本だったというわけだ。
無論、絵本とはいえヤミ属が読むものだ。人間の常識が前提にあるはずもなく、平易な表現が使われていてもどこか地に足のつかない読み味ではあったが、先にヴァイスへ述べたとおり絵がきれいだったので読後感は良かった。
――ちなみに、ヤミ属の世界には生物界にあるような言語の壁は発生しないようだ。
例え響が母国語である日本語で話したとしても意味だけが伝わるようになっているらしい。
ヤミ属特有の文字も存在するのだが、確かにそれらを何ひとつ知らないはずの響にも絵本を読むことができた。
ヴァイスやアスカと共にアビー食堂へ向かうなか、響は道を行くヤミから何度も声をかけられた。
前回ヴァイスと初めて外に出たときと同じだ。ヤミ属は気さくな性格の者が多いのだろうか。子どもたちも足にまとわりついてきたりして、響は狼狽えつつも自分の存在が受け入れられていることに密かな安堵をした。
食堂へ着き、店主アビーからも熱烈な歓迎を受けながら空いている席へ促された。なかなか繁盛しているみたいだな、などと考えつつ食べたいものを決める。
食事を運んできてもらっていたころから思ったことだが、メニューには意外と馴染み深いものばかりが並んでいる。カレーとかオムライスとか。
「ヴァイス先輩。注文は俺が」
「いいよ。退院直後なんだ、座っていてくれ」
「あ、ありがとうございますヴァイスさん……」
メニューが決まり、ヴァイスがアビーのもとへ告げに行ってしまえばアスカとふたりきりになってしまった。しかも小さめのテーブルに向かい合わせ。
「……」
「……」
気まずい。何か話を振らなければ。気遣い気質の響は話題を必死に探した。