第13話 ぎこちない日々
文字数 2,996文字
そこは絵に描いたような楽園だった。
虹彩が戸惑うほどの青空と陽光、みずみずしい草花。そして雄大な木の下で、家族が楽しげな時間を過ごしている。
祖父は頭上の木に実っている赤い果実をもぎ、祖母は受け取ったそれを食べやすいように切り分け、妹の乃絵莉が美味しそうに頬張る。重なり合う話し声、軽やかな笑い声。幸福な時を過ごす三人。
響はそんな彼らを遠くから見つめていたが、存在に気づいてくれた乃絵莉が響に手を振った。それで響の存在を認識した祖父母もまた手招きをしてくれ、響は泣きそうになった。
ああ、覚えていてくれたのか。自分は忘れられていなかったんだ、そっちへ行っていいんだ!
涙がこぼれないように気をつけながら駆け出す。一目散に家族のもとへ向かう。これまでと同じように四人で過ごすために――ドチュッ。
ふと、左胸に衝撃を感じて動きを止める。一体なんだと振り返る。するとそこに立っていたのは金髪碧眼の麗しき者。
彼は笑っていた。笑いながら左手に握り込んだものを見せつけてきた。
抉り取った響の心臓を。
楽園にふさわしい美しい面を真っ赤な血で汚しながら。
「ッ……!!」
そんな夢を見た。最高潮の幸せから急降下だ。心臓が痛いほど胸を叩き、脈の音が聴覚を脅かし、全身が粘質の汗で濡れそぼっていることにも構えない、そんな夢。
急いで身を起こして〝窓〟を起動した。
これは少し前にディルが貸し与えてくれた道具で、生物界の様子をヤミ属界にいながら確認できるというものだ。
響はこれを家族の――いや、家族だった者たちの様子を見るため毎日使用していた。
眼球のようなカタチをした〝窓〟に映し出された馴染みのある人たちは三人ともリビングルームで寛いでいる。
どうやら日本の現在時刻は夜のようで、響も好きだったクイズ番組を三人でああでもないこうでもないと推理しながら真剣に鑑賞している。
それを眺めていると響の緊張状態も少しずつ緩んでいく。ふうと吐息をひとつ。
と。そんなところで響の部屋のドアを叩く音がした。
「……食事の時間だ。外出るぞ」
ぶっきらぼうなこの声は少し前から同居することになったアスカのものだ。
「あ、あれ。もうそんな時間ですか?」
「ああ」
「っていうか過ぎてる! すみません。起きるの待っててくれたんですね」
ヤミ属界は常夜の世界だ。生物界とは時間の流れる速度も違うようだが、時刻の概念自体はある。
ちらりと掛け時計を見上げ、ようやく午後の十二時半であることに気づいた響は慌ててベッドから立ち上がった。
その折、クラリと目眩を感じつつも軽く身だしなみを整え、そのまま〝窓〟を閉じようとしたところで一瞬動きを止める。
「……行ってくるね。じいちゃんばあちゃん、乃絵莉」
誰にも聞こえないような小声で映像のなかの三人に告げる。
もちろん彼らが反応するわけもない。しかし響の唇は笑みを刻んだ。
傍目から見ればただの独り言だ。それでも響は彼らと今も繋がっているような気分になれるのだ。
* * *
それからすぐにリビングルームで待っていたアスカと合流し、彼のあとに続いて外へ出た。
アスカとの同居生活を開始して既に数日。宣言どおりヴァイスとディルはパタリと響を訪れなくなり、代わりにアスカが響の世話を焼く日々を送っていた。
とはいえアスカは基本的に不干渉の姿勢を取った。
響は依然として部屋に引きこもってヴァイスに借り受けた絵本や本棚にあった本を読む毎日を送っていたが、アスカがそんな響の部屋のドアを叩いてくるのは決まって一日一回、午後十二時ごろ。共にアビー食堂へ向かい食事を摂るためだった。
「……体調は」
道中、傍らのアスカは短く問うてくる。これもまた日課になりつつあることだ。
アスカは相変わらず眉を寄せた仏頂面で、口数も少なく、声色もぶっきらぼうだ。同居開始から一日二日はカツアゲされているような気分になっていたが、最近は少し慣れてきた。
「今日も元気です。あ、けど最近目眩がするようになってきたかも……」
「目眩?」
「はい。立ち上がった瞬間とかにクラッとすることがあります。別に気にするようなものではないと思うんですが」
「そうか。ディル先輩に伝えておく」
「や、でも……そんな大したことじゃないんで!」
『どんなに小さな体調変化でも正直に話してくれよな』と以前ディルに言われていたため話したものの、単なる目眩程度で大げさだったかも知れない。そう思って撤回した。
実際に多くなってきているのは確かだが、すぐに収まってくれるので日常生活に支障はないのだ。
行きつけのアビー食堂へ到着すれば、いつもどおり店主アビーに熱烈な歓迎を受けながら席へ案内された。各々向かい合って座りメニューをじっくり眺める。しばし吟味タイム。
「わぁ塩ジャケ定食がある。今日はこれにしよう」
「……」
「ア、アスカさんは何にするんですか?」
「……同じものにする」
「今日も僕と同じでいいんですか? 色々ありますけど」
「ああ。問題ない」
アスカは毎日響と同じものを選ぶのだ。しかも何故か仏頂面をさらに仏頂面にして選ぶため少し怖い。
注文を終えると一番会話に困る時間を迎えた。すなわち食べ物が来るまでの手持ち無沙汰なヒトトキだ。
沈黙が平気なタイプなのか、アスカは基本的に自分から話すことは少ない。しかし響はこういう場面において話さなければと思ってしまうタチだった。
「そ、そういえば、ヤミは食事をしなくてもヤミ属界にいるだけで生きていけるんですよね。物を食べるのはあくまで趣味の範囲のことだって」
ゆえにいつものごとく口を開くと、アスカは少しの間のあとで応じてくる。
「ああ。本来なら睡眠も不要だ」
「じゃあなんで食堂とかベッドがあるんですか?」
「……生物、特に人間の学習のためだ。人間は他の生物と比べると色々複雑だからな。人類が繁栄し始めて以降、模倣して学ぶようになったらしい」
「へえ~」
そういえばヴァイスも職務地帯について話しているとき同じようなことを言っていたことを思い出す。
「食べ物に見えるものはね、ぜーんぶ存在養分を凝縮したものなんだよ」
と、そこで突然会話に割って入ってくる声があった。見上げると盆を両手に持ったアビーがにこやかに立っている。
「存在養分、ですか?」
「自分の存在を維持するために必要な栄養、って意味さ。
確かにヤミ属界にいるだけで事足りはするんだけどね、ケガしたときとか元気が出ないときは積極的に食事や睡眠をとって存在養分をたっぷり取り込んだ方がいいわよぉ。はい、塩ジャケ定食お待ちどう」
「ありがとうございます。良い匂いだな~!」
「そ、れ、に。こうして味や食感、香りを味わうことは楽しいだろう?」
「確かに! 僕も食べたり寝たりが大好きです」
響の言葉にアビーは満足げに頷き、「たんとお食べ」と笑って去っていく。響は目をキラキラさせながら温かな湯気を立てる塩ジャケ定食に向き直った。いただきます!
メインの塩ジャケは皮がこんがりと香ばしく焼けており、さらに白米は粒が立ってぴかぴか、かぐわしい味噌汁、漬物までそろっている。しかも添えられているのは箸で芸が細かい。嬉しい。
ヤミ属界ではフォークやスプーンの使用が一般的なようで、目の前のアスカは箸の扱いに少々難儀していた。響はそんなアスカに箸の使い方を指南しつつも久々の日本食を味わった。
虹彩が戸惑うほどの青空と陽光、みずみずしい草花。そして雄大な木の下で、家族が楽しげな時間を過ごしている。
祖父は頭上の木に実っている赤い果実をもぎ、祖母は受け取ったそれを食べやすいように切り分け、妹の乃絵莉が美味しそうに頬張る。重なり合う話し声、軽やかな笑い声。幸福な時を過ごす三人。
響はそんな彼らを遠くから見つめていたが、存在に気づいてくれた乃絵莉が響に手を振った。それで響の存在を認識した祖父母もまた手招きをしてくれ、響は泣きそうになった。
ああ、覚えていてくれたのか。自分は忘れられていなかったんだ、そっちへ行っていいんだ!
涙がこぼれないように気をつけながら駆け出す。一目散に家族のもとへ向かう。これまでと同じように四人で過ごすために――ドチュッ。
ふと、左胸に衝撃を感じて動きを止める。一体なんだと振り返る。するとそこに立っていたのは金髪碧眼の麗しき者。
彼は笑っていた。笑いながら左手に握り込んだものを見せつけてきた。
抉り取った響の心臓を。
楽園にふさわしい美しい面を真っ赤な血で汚しながら。
「ッ……!!」
そんな夢を見た。最高潮の幸せから急降下だ。心臓が痛いほど胸を叩き、脈の音が聴覚を脅かし、全身が粘質の汗で濡れそぼっていることにも構えない、そんな夢。
急いで身を起こして〝窓〟を起動した。
これは少し前にディルが貸し与えてくれた道具で、生物界の様子をヤミ属界にいながら確認できるというものだ。
響はこれを家族の――いや、家族だった者たちの様子を見るため毎日使用していた。
眼球のようなカタチをした〝窓〟に映し出された馴染みのある人たちは三人ともリビングルームで寛いでいる。
どうやら日本の現在時刻は夜のようで、響も好きだったクイズ番組を三人でああでもないこうでもないと推理しながら真剣に鑑賞している。
それを眺めていると響の緊張状態も少しずつ緩んでいく。ふうと吐息をひとつ。
と。そんなところで響の部屋のドアを叩く音がした。
「……食事の時間だ。外出るぞ」
ぶっきらぼうなこの声は少し前から同居することになったアスカのものだ。
「あ、あれ。もうそんな時間ですか?」
「ああ」
「っていうか過ぎてる! すみません。起きるの待っててくれたんですね」
ヤミ属界は常夜の世界だ。生物界とは時間の流れる速度も違うようだが、時刻の概念自体はある。
ちらりと掛け時計を見上げ、ようやく午後の十二時半であることに気づいた響は慌ててベッドから立ち上がった。
その折、クラリと目眩を感じつつも軽く身だしなみを整え、そのまま〝窓〟を閉じようとしたところで一瞬動きを止める。
「……行ってくるね。じいちゃんばあちゃん、乃絵莉」
誰にも聞こえないような小声で映像のなかの三人に告げる。
もちろん彼らが反応するわけもない。しかし響の唇は笑みを刻んだ。
傍目から見ればただの独り言だ。それでも響は彼らと今も繋がっているような気分になれるのだ。
* * *
それからすぐにリビングルームで待っていたアスカと合流し、彼のあとに続いて外へ出た。
アスカとの同居生活を開始して既に数日。宣言どおりヴァイスとディルはパタリと響を訪れなくなり、代わりにアスカが響の世話を焼く日々を送っていた。
とはいえアスカは基本的に不干渉の姿勢を取った。
響は依然として部屋に引きこもってヴァイスに借り受けた絵本や本棚にあった本を読む毎日を送っていたが、アスカがそんな響の部屋のドアを叩いてくるのは決まって一日一回、午後十二時ごろ。共にアビー食堂へ向かい食事を摂るためだった。
「……体調は」
道中、傍らのアスカは短く問うてくる。これもまた日課になりつつあることだ。
アスカは相変わらず眉を寄せた仏頂面で、口数も少なく、声色もぶっきらぼうだ。同居開始から一日二日はカツアゲされているような気分になっていたが、最近は少し慣れてきた。
「今日も元気です。あ、けど最近目眩がするようになってきたかも……」
「目眩?」
「はい。立ち上がった瞬間とかにクラッとすることがあります。別に気にするようなものではないと思うんですが」
「そうか。ディル先輩に伝えておく」
「や、でも……そんな大したことじゃないんで!」
『どんなに小さな体調変化でも正直に話してくれよな』と以前ディルに言われていたため話したものの、単なる目眩程度で大げさだったかも知れない。そう思って撤回した。
実際に多くなってきているのは確かだが、すぐに収まってくれるので日常生活に支障はないのだ。
行きつけのアビー食堂へ到着すれば、いつもどおり店主アビーに熱烈な歓迎を受けながら席へ案内された。各々向かい合って座りメニューをじっくり眺める。しばし吟味タイム。
「わぁ塩ジャケ定食がある。今日はこれにしよう」
「……」
「ア、アスカさんは何にするんですか?」
「……同じものにする」
「今日も僕と同じでいいんですか? 色々ありますけど」
「ああ。問題ない」
アスカは毎日響と同じものを選ぶのだ。しかも何故か仏頂面をさらに仏頂面にして選ぶため少し怖い。
注文を終えると一番会話に困る時間を迎えた。すなわち食べ物が来るまでの手持ち無沙汰なヒトトキだ。
沈黙が平気なタイプなのか、アスカは基本的に自分から話すことは少ない。しかし響はこういう場面において話さなければと思ってしまうタチだった。
「そ、そういえば、ヤミは食事をしなくてもヤミ属界にいるだけで生きていけるんですよね。物を食べるのはあくまで趣味の範囲のことだって」
ゆえにいつものごとく口を開くと、アスカは少しの間のあとで応じてくる。
「ああ。本来なら睡眠も不要だ」
「じゃあなんで食堂とかベッドがあるんですか?」
「……生物、特に人間の学習のためだ。人間は他の生物と比べると色々複雑だからな。人類が繁栄し始めて以降、模倣して学ぶようになったらしい」
「へえ~」
そういえばヴァイスも職務地帯について話しているとき同じようなことを言っていたことを思い出す。
「食べ物に見えるものはね、ぜーんぶ存在養分を凝縮したものなんだよ」
と、そこで突然会話に割って入ってくる声があった。見上げると盆を両手に持ったアビーがにこやかに立っている。
「存在養分、ですか?」
「自分の存在を維持するために必要な栄養、って意味さ。
確かにヤミ属界にいるだけで事足りはするんだけどね、ケガしたときとか元気が出ないときは積極的に食事や睡眠をとって存在養分をたっぷり取り込んだ方がいいわよぉ。はい、塩ジャケ定食お待ちどう」
「ありがとうございます。良い匂いだな~!」
「そ、れ、に。こうして味や食感、香りを味わうことは楽しいだろう?」
「確かに! 僕も食べたり寝たりが大好きです」
響の言葉にアビーは満足げに頷き、「たんとお食べ」と笑って去っていく。響は目をキラキラさせながら温かな湯気を立てる塩ジャケ定食に向き直った。いただきます!
メインの塩ジャケは皮がこんがりと香ばしく焼けており、さらに白米は粒が立ってぴかぴか、かぐわしい味噌汁、漬物までそろっている。しかも添えられているのは箸で芸が細かい。嬉しい。
ヤミ属界ではフォークやスプーンの使用が一般的なようで、目の前のアスカは箸の扱いに少々難儀していた。響はそんなアスカに箸の使い方を指南しつつも久々の日本食を味わった。