第1話 目眩の正体

文字数 2,904文字

 予想外の出来事というものは、なんだってこう、人の語彙を容易く奪い取っていくのだろうか。

「みんな~今日もぉ、ボクたちの的になりに来てくれてありがと~♡」

「あんたたちの心臓、コレでぶち抜いてあげるから覚悟しなさい」

「オオォオオオオオ!!」

 カワイイを具現化したような声と鋭利な刃物のごとき美声、そして男たちの熱苦しい咆哮を背中で聞きながら、響は茫然と立ち尽くしていた。

 小さなライブ会場。キュートでポップな曲が流れ、キラキラのカスタム軍服衣装で身を飾ったふたりの女の子アイドルがステージで歌い始めれば、戦争が始まったと言っても過言ではなくなる。

 男たちは大量かつ色とりどりのサイリウムを一心不乱に振ってステージ上の少女たちに忠誠と愛を誓い、彼女たちが歌声を響かせつつゴツい銃を観客に向けて撃つふりをすると、それを受けた男たちは「ありがとうございます上官!」「名誉ある死!」と一際興奮しながら左胸を押さえる。

 彼らを横目にする響の顔は宇宙を漂う猫のごとし。

 それは傍らのアスカも同じようで、この空間で起きていることが一切分からないとでも言うように深く眉を寄せている。

「おい最前!! ちゃんとサイリウム振れやぁ!!」

「ルリハ曹長にボコられてぇのか!!」

「ひぃっ!?」

 茫然とし続けているとすぐ後ろから剣呑な声を投げられた。振り返らずとも明らかに自分たちのことを言っているのが分かり、思わず身をすくめる。

「さてはテメェ、キララちゃん軍曹の〝反省〟目当てかぁ!?」

「おいおいおいご褒美の抜け駆けは禁止つったろ何ッ年サントーヘーやってんだ!!」

「すみません、すみません!」

 すべてが意味不明だ。もはや何故自分が謝っているのかも分からない。この状況で分かることと言えば、ファンと思しき彼らの言うとおりにしないと命が危ないということくらいだ。

 ステージで踊り歌うアイドルたちを見上げながら事前に預けられたピンクと水色のサイリウムを必死で振る。すると不思議、謎の一体感が湧いてくる。あ、意外と楽しいかも。

 ――だがしかし、しかしだ。この状況は一体なんだ!?





 事の発端は約二時間前、ヤミ属界にて。

「あー、なるほどねぇ……」

 防衛地帯にある診察室に呼ばれ、知らないうちに担当医師となっていたディルの健康診断を受けているとき。

「何が原因でしょうか。響の目眩は」

 イスに座る響の背後に控えているアスカが問う。ここ最近の目眩をディルに伝えたのは彼だった。

 確かに頻度が少しずつ多くなっているような気はしていたが、日常生活に支障をきたすほどではなかったため、響自身はディルに伝えることを気兼ねしていたのだ。

 ディルは響の前で合点がいったような顔をしながら口を開く。

「簡単に言うと栄養失調だ。今の響は色々足りていない」
「えっ」

 たかが目眩だと思っていた響は意外な言葉に肩を揺らす。

「栄養失調ですか? 全然自覚ないです」
「まぁ、まだ軽度だからな」

 ヤミ属は食事を必要としない。さらに言えば睡眠も必要としない。非生物であり霊体である彼らは基本的にヤミ属界で存在しているだけで満たされるらしく、職務地帯に数多くある食堂や菓子店などは生物――特に人間の学習のためにあるということは以前ヴァイスやアスカに教えてもらったことだ。

 今の響はヤミ属と生物の中間存在〝半陰〟。それも世界の判定としてはヤミ属側だ。ただの人間であったころの習慣を引きずって食事を続けていたが、それもなければないで問題ないのだろうと思っていた。

「ヤミ属としての栄養状態に問題はない。生物としての栄養状態が悪いんだよ」

「せ、生物としての栄養状態?」

「俺たちは存在養分なんて呼んでるんだがな。存在するために必要不可欠な養分ってことだが、お前には生物としての存在養分が足りてないんだ」

 存在養分という単語には聞き覚えがあって眉を持ち上げる。以前アビー食堂へ訪れたとき、店主アビーも同じようなことを言っていた。

 存在養分とは〝自分の存在を維持するために必要な栄養〟のことであり、ヤミ属界において食べ物に見えるモノはすべてヤミ属の存在養分を凝縮したものであると。

「生物にも存在養分というものは必要なんですか?」

「もちろん。それこそ食事とか睡眠とか水とか日光とか色々必須だろ、生物は」

 紫の短髪を首肯で揺らしながらのディルに、響は「確かに」と頷いた。

 ヤミ属界で摂る食事がヤミ属としての存在養分を濃縮したものでしかないのなら、少なくとも響は今まで生物としての食事を一ヶ月近く摂っていないということになる。

「お前は今も半分は生物だからな。いくらヤミ属界で存在養分を取り入れても維持できるのは半分てことだ。

 だがあいにくヤミ属界と生物界では階層がまったく違う。よって生物としての存在養分をここに持ってくることはできない。

 お前の半分を維持する栄養は生物界でしか取り入れることができないってわけだ」

「……」

「ってわけで早速行くか、生物界!」

「えっ、かるー!?」

 自分は二度と生物界へ行くことが叶わない、だからこの先ずっと栄養失調のままなのだろう。

 そう落ちこんでいた響はウキウキとした様子で立ち上がったディルに思わずツッコミを入れてしまった。



* * *



 宣言どおり一行はすぐに生物界の日本、それも響の地元だった東京に降り立った。

 場所は繁華街、人気がない路地裏の片隅。

 時刻は昼のようだ。診察室からすぐ移動となったわけだが、あまりに一瞬で一体何が起こったのかすぐには理解できなかった。

 ちなみに生物界とヤミ属界間を移動するには紋翼が必要であるらしい。しかし紋翼を持っていない者も同伴という形を取れば生物界に来ることができるようで――確かに以前、紋翼のことを知らなかったころの響もヴァイスに連れられて生物界へ来たことがあった――ディルの紋翼によって響はもちろんアスカも一緒だ。

 ヤミ属界は霊体が実体のように存在できる領域なので、生物界へ移動した直後の響も霊体のままだった。

 以前響が自分のことを覚えているか確かめるため家族へ会いに行ったときは、ヴァイスが響を霊体から実体へ変化させてくれた。

 しかし生物と必要以上の干渉を禁じられているらしいヤミ属は、基本的に霊体で動くように定められているらしい。

 ディルが言うには、霊体でも生物界にしばらく留まれば生物としての存在養分はある程度得られるようだ。

 だがせっかくの生物界、それも自分の馴染みのある場所に再び来られたのだ。普通の人間だったころのように実体で過ごしたいのが本音だった。

 ディルにおずおずとそれを言うと、彼は少しだけ考えるフリをしたあとで「ナイショだからな」と実体化することを許してくれた。やったー! と目を輝かせてしまったのは言うまでもない。

 早速アスカに方法を教えてもらって自分で実体化をする。

 その瞬間、視界を眩しく感じた。繁華街特有の環境音も耳いっぱいに響き、あらゆるものの混ざった匂いが鼻をつんざき、ビルの合間を吹く早春の風が少々強めに響の頬を撫でる。それと肉体の重さ。足元もヤミ属界のようにふわふわしていない。

「うわぁああ……!!」
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