第3話 グチャグチャな心
文字数 3,280文字
響の懇願にも似た問いにヴァイスは首を横に振った。
「寿命の契約を破ってでも生き続ける生物は〝生物の生を守る〟ヒカリ属の加護を受けられなくなる。寿命の契約が切れると、その者の存在を感知できなくなってしまうんだ。
加護を受けられないと魂魄の汚れや傷、歪みが著しくなって、時には壊れてしまう。するとどうなるか。転生までの時間が非常にかかったり、壊れてしまえば転生が二度と叶わなくなってしまったりする。
完全に壊れてしまったものは私たちでも修復できない――だからそうなる前に執行しなくてはならないんだ」
「ああ、そういうことなら確かに……」
確かに〝生物の死を守る〟と言えるかも知れない。生物としての自分が納得できるかは別としてもだ。
「じゃあ……僕もそうだったんですか? 寿命の契約というものを破って生き続けていたから、アスカさんは僕を殺しに来た?」
「いや。君の場合はまだ寿命が残っていた。何もなかったなら君は八十三歳まで生きられたはずだ」
その言葉にふと思い出す。
『コイツ、見たところまだまだ寿命残ってるしワケありなんだろ?』
そうだ、シエルにも似たようなことを言われていた。なるほど生物の寿命はヤミ属たちに見えるモノらしい。
しかし一方で響は眉根を寄せる。これまでのヴァイスの話が本当ならば、響が寿命を無視して生きていたことが前提にならないと筋が通らない。
「じゃあどうして僕は……」
「勅令、つまり命令が下りたからだ。〝織部 響の魂魄を回収せよ〟と、ヤミ神からね」
「ヤミ、神?」
「ヤミ属の大元、主神だ。生物からすれば地の神様、ヤミからすれば最高司令官でもある。
私たち執行者はヤミ神から勅令任務を受け、それを遂行するために生物界へ下りる。その神が命じた、君を執行せよと」
「だ、だからって……神様に命令されたからって僕の命を狙ったんですか? まだ寿命があったのに?」
「それはアスカも葛藤したことだろうね。だから彼は君を執行することを躊躇してしまった」
「……、」
「真相が明らかとなった今ならアスカもヤミ神の勅令は正しかったと分かるだろう。
ヤミ神は君が〝混血の禁忌〟に遭う可能性を観測し勅令を下した。〝混血の禁忌〟は寿命の契約を破棄してでも阻止しなければならないくらい、良くないことだから」
「……」
「だが、神は勅令に理由を添えない。君の命を狙っていたころのアスカは、何故寿命がまだまだ残っていて元気に生きている君を殺さなければならないのか、ひどく迷ったはずだ」
確かに、思い当たるフシはいくつかあった。
嫌な視線が数日続いたことを鑑みるに、アスカは恐らく何日も前から響を捕捉していたに違いない。いざ待ち伏せられたときも発砲こそすれ彼は帰路でも家のなかでも響を逃した。
あのときは必死すぎて弾丸が当たらなかったことを幸運としか思っていなかったが、鋭利な大鎌を軽々扱うような輩なのだ、わざと外したと考えた方がしっくりくる。
「とはいえ、アスカを擁護する気はないよ。彼は任務に感情を交えた。〝混血の禁忌〟を止められなかった。
直接的な原因ではなかったとしても結果として君を転生の循環から外れさせた。これはヤミ属執行者として致命的なことだ。……まぁ、私が言えたことでもないけれどね」
そう言うヴァイスに今までとは違う音色を感じ取って、響は彼を見上げる。しかし彼は響の視線に気づくと何事もなかったかのように肩をすくめ、それだけだった。
いつの間にか街を離れ、見渡す限り地面が草花に覆われた場所を歩いていた。
頬を撫でる風、ザアアと鳴る草の音が心地よい。しかし足もとも定まらない今の響にはそれをじっくりと感じる余裕はなかった。
「でも……どうして僕は助かったんでしょうか。僕は死ぬはず、だったんですよね」
「ああ。本来ならば君は苦痛の果てに死ぬはずだった。まずは肉体が、次に魂魄が壊れてしまうはずだった。本当に何故だろうね。ディルも色々調べているが、今も分からずじまいだ」
「そう、ですか……」
「私は当時あの近辺で任務を終えたところでね。シエル――金髪碧眼のヒカリが君を害する現場へ割って入れたのは偶然だったんだが、状況はすぐ察することができた。
だから私は君を殺そうとした。苦しみを長引かせないために。魂魄が壊れてしまう前に」
響はまた恐る恐るヴァイスを見上げた。
「肉体は死んでも、魂が無事なら転生はできるから……?」
ヴァイスは首肯する。
「そうだよ。〝混血の禁忌〟は魂魄を激しく歪ませた末に壊してしまう。だが、完全に壊れる前に執行してしまえば修復に時間はかかっても転生は可能だ。
〝混血の禁忌〟にさらされた時点で織部 響が生物として助かる可能性はなかった。当時の私は最善の判断をしたつもりだ」
「……」
「だが、私が殺す前に君を蝕んでいた禁忌は鳴りを潜めた。そればかりか驚異的な回復力で心臓まで達した傷すら完全治癒し、さらには君の存在が根底から変化したことを察知した。
だから私は君を殺すことをすんでのところで止めたわけだが……すまないな。生物に私たちの要素が入って無事なんてことは初めてでね」
「じゃあ……その理由を見つけ出せたら、僕が普通の人間に戻れる方法も分かりますか?」
その問いにヴァイスは動きを止める。だが響の唇は止まらない。
「ただの人間に戻れたなら、全部元どおりになってくれますよね」
「……」
「いや、この際普通の人間に戻れなくてもいい。皆に僕のことを思い出してもらえれば……ううん、全員じゃなくてもいい。
家族が、乃絵莉やじいちゃんばあちゃんだけでも僕のことを思い出してくれさえすれば、僕は……」
「……すまない」
謝罪はただの否定よりも残酷な肯定だった。半ば予想していた返事であるにもかかわらず、響の心臓はズキリと痛む。
「例え原因を究明できたとしても君が人間に戻る方法はない。君の家族を始めとする生物が君を思い出すこともない。
他でもないヤミ神が――この星そのものが君をヤミ属として定義し直してしまったからね、私たちにも成すすべがない」
「じゃあ、その神様にお願いすることは」
「無理だ。神には自我がないから」
「……」
「ヤミ神はこの星の地であると同時に〝生物の死を守る〟ため私たちに勅令任務を下す存在であって、私たちの声に耳を傾けてくれる存在ではない」
「……」
「君には今後、このヤミ属界で生活してもらうことになる。生物には生物に適した、ヤミ属にはヤミ属に適した場所があるからね」
「……」
「生物――というか魂魄がヤミ属界に足を踏み入れられるのは肉体を脱ぎ捨てたときだけだ。
ヤミ属も生物界に長く留まることはできない。もし長く留まれば生物界に在ってはならないものとして執行の対象になってしまうんだ」
「……」
「ヤミ属は生物と任務外で関わることも禁止されている。だから君が家族だった人々と接触することも不可能だ」
「いや、です」
「……響くん」
「嫌です。僕は人間です……帰してください、返してください……」
空気を求めるように本心を口にする。首は頭を支える力を失ってうなだれるしかなくなる。
涙腺が痛い。噛みしめた唇が痛い。哀しくて苦しくて、胸が痛くてたまらない。
誰か助けてほしい。何でもするから救ってほしい。心から会いたくて、戻りたい。
乃絵莉、じいちゃん、ばあちゃん――
肉体や存在そのものが変貌を遂げようと響の心は未だ人間のそれだった。どうして自分が、と考えてしまう。理不尽な運命に叫びだしたくなる。誰彼かまわず責めたくなる。いっそ消えてしまいたいと、そう思ってしまう。
ヴァイスもかける言葉が見つからないのだろう。無言のまま響の背中を撫でるのみだ。しかし今の響はそれだって振り払いたくなっている。
だが、振り払えないでいる。一人じゃなくて良かったと心底安堵しながら突き放したくなっていた。それくらい心は未だグチャグチャだったのだ。
「――ん?」
と、そんなところでヴァイスが声を上げた。
響もようよう顔を上げてヴァイスが見ている方角を振り返る。
「……、」
するとそこに小さな人影を認めた。
「寿命の契約を破ってでも生き続ける生物は〝生物の生を守る〟ヒカリ属の加護を受けられなくなる。寿命の契約が切れると、その者の存在を感知できなくなってしまうんだ。
加護を受けられないと魂魄の汚れや傷、歪みが著しくなって、時には壊れてしまう。するとどうなるか。転生までの時間が非常にかかったり、壊れてしまえば転生が二度と叶わなくなってしまったりする。
完全に壊れてしまったものは私たちでも修復できない――だからそうなる前に執行しなくてはならないんだ」
「ああ、そういうことなら確かに……」
確かに〝生物の死を守る〟と言えるかも知れない。生物としての自分が納得できるかは別としてもだ。
「じゃあ……僕もそうだったんですか? 寿命の契約というものを破って生き続けていたから、アスカさんは僕を殺しに来た?」
「いや。君の場合はまだ寿命が残っていた。何もなかったなら君は八十三歳まで生きられたはずだ」
その言葉にふと思い出す。
『コイツ、見たところまだまだ寿命残ってるしワケありなんだろ?』
そうだ、シエルにも似たようなことを言われていた。なるほど生物の寿命はヤミ属たちに見えるモノらしい。
しかし一方で響は眉根を寄せる。これまでのヴァイスの話が本当ならば、響が寿命を無視して生きていたことが前提にならないと筋が通らない。
「じゃあどうして僕は……」
「勅令、つまり命令が下りたからだ。〝織部 響の魂魄を回収せよ〟と、ヤミ神からね」
「ヤミ、神?」
「ヤミ属の大元、主神だ。生物からすれば地の神様、ヤミからすれば最高司令官でもある。
私たち執行者はヤミ神から勅令任務を受け、それを遂行するために生物界へ下りる。その神が命じた、君を執行せよと」
「だ、だからって……神様に命令されたからって僕の命を狙ったんですか? まだ寿命があったのに?」
「それはアスカも葛藤したことだろうね。だから彼は君を執行することを躊躇してしまった」
「……、」
「真相が明らかとなった今ならアスカもヤミ神の勅令は正しかったと分かるだろう。
ヤミ神は君が〝混血の禁忌〟に遭う可能性を観測し勅令を下した。〝混血の禁忌〟は寿命の契約を破棄してでも阻止しなければならないくらい、良くないことだから」
「……」
「だが、神は勅令に理由を添えない。君の命を狙っていたころのアスカは、何故寿命がまだまだ残っていて元気に生きている君を殺さなければならないのか、ひどく迷ったはずだ」
確かに、思い当たるフシはいくつかあった。
嫌な視線が数日続いたことを鑑みるに、アスカは恐らく何日も前から響を捕捉していたに違いない。いざ待ち伏せられたときも発砲こそすれ彼は帰路でも家のなかでも響を逃した。
あのときは必死すぎて弾丸が当たらなかったことを幸運としか思っていなかったが、鋭利な大鎌を軽々扱うような輩なのだ、わざと外したと考えた方がしっくりくる。
「とはいえ、アスカを擁護する気はないよ。彼は任務に感情を交えた。〝混血の禁忌〟を止められなかった。
直接的な原因ではなかったとしても結果として君を転生の循環から外れさせた。これはヤミ属執行者として致命的なことだ。……まぁ、私が言えたことでもないけれどね」
そう言うヴァイスに今までとは違う音色を感じ取って、響は彼を見上げる。しかし彼は響の視線に気づくと何事もなかったかのように肩をすくめ、それだけだった。
いつの間にか街を離れ、見渡す限り地面が草花に覆われた場所を歩いていた。
頬を撫でる風、ザアアと鳴る草の音が心地よい。しかし足もとも定まらない今の響にはそれをじっくりと感じる余裕はなかった。
「でも……どうして僕は助かったんでしょうか。僕は死ぬはず、だったんですよね」
「ああ。本来ならば君は苦痛の果てに死ぬはずだった。まずは肉体が、次に魂魄が壊れてしまうはずだった。本当に何故だろうね。ディルも色々調べているが、今も分からずじまいだ」
「そう、ですか……」
「私は当時あの近辺で任務を終えたところでね。シエル――金髪碧眼のヒカリが君を害する現場へ割って入れたのは偶然だったんだが、状況はすぐ察することができた。
だから私は君を殺そうとした。苦しみを長引かせないために。魂魄が壊れてしまう前に」
響はまた恐る恐るヴァイスを見上げた。
「肉体は死んでも、魂が無事なら転生はできるから……?」
ヴァイスは首肯する。
「そうだよ。〝混血の禁忌〟は魂魄を激しく歪ませた末に壊してしまう。だが、完全に壊れる前に執行してしまえば修復に時間はかかっても転生は可能だ。
〝混血の禁忌〟にさらされた時点で織部 響が生物として助かる可能性はなかった。当時の私は最善の判断をしたつもりだ」
「……」
「だが、私が殺す前に君を蝕んでいた禁忌は鳴りを潜めた。そればかりか驚異的な回復力で心臓まで達した傷すら完全治癒し、さらには君の存在が根底から変化したことを察知した。
だから私は君を殺すことをすんでのところで止めたわけだが……すまないな。生物に私たちの要素が入って無事なんてことは初めてでね」
「じゃあ……その理由を見つけ出せたら、僕が普通の人間に戻れる方法も分かりますか?」
その問いにヴァイスは動きを止める。だが響の唇は止まらない。
「ただの人間に戻れたなら、全部元どおりになってくれますよね」
「……」
「いや、この際普通の人間に戻れなくてもいい。皆に僕のことを思い出してもらえれば……ううん、全員じゃなくてもいい。
家族が、乃絵莉やじいちゃんばあちゃんだけでも僕のことを思い出してくれさえすれば、僕は……」
「……すまない」
謝罪はただの否定よりも残酷な肯定だった。半ば予想していた返事であるにもかかわらず、響の心臓はズキリと痛む。
「例え原因を究明できたとしても君が人間に戻る方法はない。君の家族を始めとする生物が君を思い出すこともない。
他でもないヤミ神が――この星そのものが君をヤミ属として定義し直してしまったからね、私たちにも成すすべがない」
「じゃあ、その神様にお願いすることは」
「無理だ。神には自我がないから」
「……」
「ヤミ神はこの星の地であると同時に〝生物の死を守る〟ため私たちに勅令任務を下す存在であって、私たちの声に耳を傾けてくれる存在ではない」
「……」
「君には今後、このヤミ属界で生活してもらうことになる。生物には生物に適した、ヤミ属にはヤミ属に適した場所があるからね」
「……」
「生物――というか魂魄がヤミ属界に足を踏み入れられるのは肉体を脱ぎ捨てたときだけだ。
ヤミ属も生物界に長く留まることはできない。もし長く留まれば生物界に在ってはならないものとして執行の対象になってしまうんだ」
「……」
「ヤミ属は生物と任務外で関わることも禁止されている。だから君が家族だった人々と接触することも不可能だ」
「いや、です」
「……響くん」
「嫌です。僕は人間です……帰してください、返してください……」
空気を求めるように本心を口にする。首は頭を支える力を失ってうなだれるしかなくなる。
涙腺が痛い。噛みしめた唇が痛い。哀しくて苦しくて、胸が痛くてたまらない。
誰か助けてほしい。何でもするから救ってほしい。心から会いたくて、戻りたい。
乃絵莉、じいちゃん、ばあちゃん――
肉体や存在そのものが変貌を遂げようと響の心は未だ人間のそれだった。どうして自分が、と考えてしまう。理不尽な運命に叫びだしたくなる。誰彼かまわず責めたくなる。いっそ消えてしまいたいと、そう思ってしまう。
ヴァイスもかける言葉が見つからないのだろう。無言のまま響の背中を撫でるのみだ。しかし今の響はそれだって振り払いたくなっている。
だが、振り払えないでいる。一人じゃなくて良かったと心底安堵しながら突き放したくなっていた。それくらい心は未だグチャグチャだったのだ。
「――ん?」
と、そんなところでヴァイスが声を上げた。
響もようよう顔を上げてヴァイスが見ている方角を振り返る。
「……、」
するとそこに小さな人影を認めた。