第10話 バトンタッチ

文字数 2,547文字

 はっとして焦点を合わせれば、そこには後方で見学を続けていたはずのヴァイス。

 正直アスカの話でいっぱいいっぱいになりすぎて、彼に頼るという発想はもちろん、彼がいたことすら頭から抜け落ちていた響である。

 しかもヴァイスは自ら前に出ていくのだから言葉がさらに出ない。

 響が硬直してその背を見つめるのを知ってか知らずか、彼は息の詰まるような緊迫も意に介さず八尾のキツネ型罪科獣のもとへ近づいていく。

「これほどの威圧を身にまとい、生物や並の罪科獣がおいそれとは到達できない階層へ至り、ヤミ神の観測もくぐり抜けてしまうんだ。

 相当な齢を重ねてきたのだろう。そしてずいぶんと死が嫌いなようだね」

 言葉を理解しているのか、それとも無防備に近づいてきたヴァイスを威嚇をするためか。

 八尾のキツネ型罪科獣はギュルルルウゥと大気揺るがす唸り声を上げる。

 しかしヴァイスはそれにすら頓着しない。

「ヴァ、ヴァイスさん……!?」

 遠のいていく背中にようよう声をかけるが、それでもヴァイスの歩みは止まることを知らない。ただ歩を進めながら小さく頷くのみだ。

「ああ響くん、心配しなくていい。あの罪科獣は私が相手をする」

「……、」

「君たちの任務は一尾を討伐した時点で完了しているし、私をやすやすと頼らないアスカの覚悟も充分なほど受け取った。

 何よりこの階層に移動させたのは私だからね。次は君たちが見学しているといい」

 アスカはヴァイスの申し出が予想外だったのか、動揺しているように見える。もっと言えば振り上げた拳の持っていき場に困っているように見えた。

 だからだろう、アスカは己の傍らをも通り過ぎるヴァイスの背を見ながら一歩踏み出した。

「ヴァイス先輩。俺も一緒に戦います」

「気持ちは嬉しいが、君は響くんを守ることに徹していてくれ。それが君の最優先任務だろう?」

「……、了解です」

「えっ大丈夫なんですか、大丈夫じゃないですよね!?」

 アスカひとりだと死を免れられないらしい八尾のキツネ型罪科獣との戦いも、アスカとヴァイスふたりで戦うならば勝機を見い出せるような気がした。

 しかしヴァイスはアスカの申し出を断り、ひとりで戦うという。有利な状況をわざわざ捨てるヴァイスに響の疑問符は止めどない。

 ヴァイスはそれがおかしかったらしい。絶えず歩を進めながら肩を揺らしている。

「ふふふ、新鮮な反応をどうもありがとう。しかし心配は無用だ」

 そうして不意に立ち止まったかと思えば、毛を逆立て臨戦態勢に入った八尾のキツネ型罪科獣の約十メートル前で、おもむろに神陰力を行使し始める。

「!!……」

 ヴァイスの背後。何もなかった空間から姿を現したのは歯車の超大群だ。

 金古美色あるいは銀古美色をした大小様々な歯車が噛み合っては影響し合って動く、巨大で膨大な歯車機構――それこそがヴァイスの神陰力表出紋様、つまり紋翼であった。

 響は絶句する。これほどに大きな紋翼を目にしたことは今までなかったのだ。

「さてふたりとも、少し離れていてくれ。周囲への影響は少なめに終わらせたいが、相手はそうでもなさそうだからね」

 そしてその言葉に重なるのは八尾のキツネ型罪科獣の雄叫び。

 響が恐れおののく前で、戦いの火蓋は切って落とされた。



* * *



『――有り得ません。アスカおよび響、両名に〝罪科獣執行〟の任務はあまりに荷が重すぎます』

 裁定神殿の大扉を珍しく乱暴な様子で開け放ち、内部にて〝裁定〟を行っていたエンラへ遠慮なく近づきながらヴァイスは言った。

 日ごろどんな強敵を前にしても悠々としている彼の歩みは心境を代弁するかのように荒々しい。

 エンラはそんな彼を驚く様子もなく迎えた。

 響とアスカ初めての〝罪科獣執行〟任務遂行当日、ヴァイスが響らの前に姿を現す一時間前のことである。

『ヴァイス、ようやく参ったか。まだかまだかと待っておったぞ』

『それは失礼しました。つい先ほどまで生物界で任務をこなしておりましたので』

 ヴァイスが硬い声でそう言えば、エンラは肩ひじをついて玉座に座す姿勢のまま神殿に笑い声を響かせた。

 ヴァイスは側近長リンリンが制止するのも構わずもう一歩エンラに近づく。

『エンラ様。どういうおつもりですか』

『何がだ』

『もちろん〝罪科獣執行〟の任務をふたりに指示されたことです』

『我は指示しておらぬぞ。ヤミ神から直々のご指名であるとはいえ、あやつらの戦闘能力は貴様も知るとおり。

 ふたりを合わせても他の執行者ひとりに及ばぬゆえ、アスカと響を呼んで判断を委ね決めさせたのだ』

『それこそが指示に他なりません。エンラ様の前で首を横に振れる者などなかなか居ないでしょう』

 ヴァイスが言い切るとエンラは確信犯的に笑みを深める。

『まあな。我の心は確かにアスカと響が〝罪科獣執行〟を遂げることを望んでおった。

 当初の主張と違うとは言うな。他ならぬヤミ神があやつらをご指名なさったとあればのう。

 我が千里眼で視た執行対象も大して強敵には見えなんだ、あやつらの双眸がやる気に満ちていたとあれば止める道理もなかろうよ』

『……アスカは紋翼を奪われ神陰力の大半を失っている。響くんはアスカの紋翼を埋め込まれただけの〝半陰〟、戦闘能力はほぼありません。

 〝罪科獣執行〟は熟練のヤミ属執行者ですら命を落とすこともある危険な任務です。

 〝魂魄執行〟ならまだしも、彼らに〝罪科獣執行〟の任務など負わせるものではない。死にに行かせるようなものだ』

『貴様の言い分、そして憂慮が分からぬわけではない。アスカは力の大半が欠けた状態でひとり罪科獣を討伐し、かつ響を守りきらねばならぬ。

 響もまたアスカが傷つくのを眺めるしかなく、アスカがやられれば両者とも終わりだ。

 そんなバディである、茨の道であることは間違いあるまい。他の執行者どもも我の判断には顔を曇らせているであろうな』

『ならば』

『だが言おう。断る。貴様が止めようと知ったことではない。我は響やアスカの望むように羽ばたかせる』

『……、』

『貴様のなかに如何なる思いがあろうと、あやつらをカゴのなかの鳥にすることは許さぬぞヴァイス。

 自由なき鳥はいつしか飛ぶ術すら失う――真なる苦境が訪れたとき飛べぬ鳥がどのように相なるか。知らぬ貴様ではあるまい?』
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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