第11話 アスカの目を忍んで

文字数 3,057文字

 〝窓〟を見つめる。家族だった人たちの生きる道を、響はいつものように遠くヤミ属界から眺めている。

 生物界、東京。響が生まれ育った古家のリビングルームで、祖父母や妹の乃絵莉は相変わらず平凡で幸せそうな日々を送っていた。

 日本は現在夜であるらしく、三人は寝巻の格好で映画番組にご執心だ。

 物語も佳境なようで、電気を消した部屋のなか三人は一様にハラハラとした表情で物語の行方を追っている。乃絵莉などはポップコーンを口へ入れる寸前の姿勢のまま動けないでいた。

 わざわざ部屋を暗くして雰囲気を出し、ジュースとポップコーンを食べながら家族全員でする映画鑑賞は響も大好きだった。だからそんな三人を見て自然と笑顔が浮かんできてしまう。

 もはや自分はその輪に入ることが叶わなくても、家族だった人たちが幸せそうに生きる様は響にとって精神安定剤だ。

「響ー、いるー?」

 と、そんなところで玄関の方から呼び鈴と子どもの声が聞こえてきた。響は夢から覚めたように我に返る。〝窓〟を閉じ急いで部屋を出ては玄関へ向かった。

 ドアを開くと、そこに立っていたのは何回か遊びに付き合ったことのある子どもたち数名だ。響は意外な来訪者に眉を上げる。

「皆、こんにちは。どうしたの?」
「今ヒマー?」
「おれたち響と遊びたくてさ、さそいにきた!」
「ねー鬼ごっこしようよー」
「アタシはオママゴトがいいー」

 一度遊びに付き合って以降、公園で遊んでいる彼らに見つかるたびに響は遊びに誘われ、それなりに応じてきた。決まって食事帰りの帰路だったため腹ごなしの意味もあったし、時間があり余っていたのもある。

 結果として子どもたちに懐かれてしまい、今日はついに家にまで訪れてくるようになったというわけだ。

「うーん、別にいいけど……」

 響は言いよどみながら考える。

 よぎったのはアスカの顔だ。彼は自宅外において響の守護を欠かさず、一日一度の食事のときも、ふらりと散歩に出るときも、子どもたちと遊ぶときも必ず響の近くに控えた。

 それ自体は響の負担ではない。アスカへの人見知りも消えた今は気楽になっている。ただ、アスカの時間を自分の都合で中断させるのには常々申し訳なさを感じていた。

 この家でそれぞれ過ごしているとき、アスカは必要以上の干渉をしてこない。

 響は今も自室で本を読んでいることが多いが、アスカが食事の時間を告げにくる以外で読書を中断したことがなかった。

 リビングルームで偶然顔を合わせても響が二言三言声をかけ、アスカがそれに短く応じるくらいだ。アスカは安全な場においては積極的に接触してこないのだ。

 自分がアスカに悪く思われているとは考えていないが、かといってアスカが好きで響に同行しているわけではないとも思っている。彼にとって響の守護はあくまで仕事なのだ。

 響と同じように、アスカにだって別に時間を費やしたいことはあるようだ。何故なら彼は在宅時の大半を家の屋上で過ごしていた。

 屋上で何をしているのか――一度興味本位で訊いたことがあったが、渋い顔で濁されてしまったため詳しくは分からない。

 しかし階段を下りてきたアスカに出くわしたことは何度かあり、そのときの彼はいつも息を荒らげ汗に濡れていた。

 身体に傷がついていることもあった。恐らくアスカは時間が許す限り鍛錬に励んでいるのだろう。

 数時間前、響はドアの開閉音と階段を登る振動を感じた。そのあと下りてくる気配も感じないのでアスカは今も恐らく屋上にいる。

 子どもたちと遊びに行くならばそれを伝えた方が無難だが、そうすると彼は確実に自分の時間を中断してついてくるに決まっている。

 それにいくら響がアスカが屋上で何をしているか察しをつけているとはいえ、アスカは自分の口で明言しようとはしなかった。

 照れくさいのかバツが悪いのかは分からないが、知られたくなさそうな彼に水を差すのも憚られる。

「響ー?」
「どしたの?」
「はやくいこうよー」
「……まぁ、大丈夫か。よーし、皆行こう」

 だから響はアスカに自分の外出を伝えないことを選んだ。

 子どもたちの甲高い声は屋上にいるアスカにも聞こえているはずだが、彼は一向に下りてこない。

 それほどに夢中になっているのかも知れないし、もしかしたら寝ているのかも知れない。ならば余計に邪魔をするのは野暮だ。

 生物としての存在養分を得て以降は、目眩も嘘のように消えて体調もいいのだ。

 少しくらい何も言わず外出をしたってバチは当たらないだろう――響はそんなふうに己へ言い聞かせた。

「やったー! 響、はやくはやく!」
「秘密のとこに連れてってあげるー!」
「秘密のところ? それは楽しそうだけど、転ばないようにね」

 子どもたちはわらわらと響に群がると手を引っ張って急かしてくる。響はそれに引きずられるようにして彼らについていったのだった。



* * *



『おーいアスカ。なんだよ、全然戻ってこないと思ったら屋上で寝てたのか』

『しかも寝てるときまで眉間にシワ寄せるヤツがいるか。なに、夢のなかでも鍛錬してた? 強くならなくちゃって焦ったって?』

『……バカだなぁ。休むときはちゃんと休まないと全部中途半端になっちまう。こういうのはメリハリが肝心なんだよ』

『だから戻ろうぜ。あったかい部屋でふわふわブランケットに包まってさ、頑張ってる自分にご褒美を与えてやるんだ』

『ほら早く! 分からず屋はヴァイスに言いつけるぞー』


「待って、シエ、ル……」


 幼い背中へかける自分の声があまりに低いことに驚いて、アスカは目を覚ました。何がどうなったのか分からず何度も瞬きを繰り返す。

 やがて今の今まで現実だと信じていたものがただの夢、それもありふれた過去の記憶だったと悟ると小さく唇を噛んだ。

 自宅の屋上。延々と孤独な鍛錬を繰り返し、疲れきって床に倒れこんだことまでは覚えているが、いつの間にか眠っていたらしい。

 こうして屋上で寝落ちしてしまうことは初めてではなかった。

 幼いころ、アスカは育て親だったヴァイスから執行者として自立するための訓練を受けてきた。

 ヴァイスはたびたびアスカへ告げた。

『素質はあるがまったく活かせていない』
『心が弱すぎる』
『それでは執行者など務まらない』

 だからアスカはヴァイスが不在のときも屋上でひとり鍛錬に勤しんだ。置いていかれないためにだ。

 そうして部屋に戻る余力さえ失くし、この屋上の床に倒れ込んで気づけば眠っていた、なんてことが過去に何度もあった。だから屋上で眠ることには慣れているといっても過言ではない。

 アスカは横になったままぼんやりと空を見上げている。そんなことをしているとあの頃と何も変わらないような気がしてくる。

 視線の先の常夜の空も同じだったし、星がきれいなことも、風が少し肌寒いことも、強くなろうと躍起になることも、何も変わらない。

 起こしてくれる存在と、幼い自分がいないだけで。

「……」

 異様に重い右手を眼前へ持ち上げ、手のひらへと視線を注ぐ。あの頃よりずっと大きくなった手。たくましくもなった手。

 しかしすぐ、今度は何も見たくないとばかりに目を覆う。

 どうやら鍛錬に身を入れすぎてしまったらしい。だからこんな夢を見て、後ろ向きなことを考えてしまうのだろう。

 逃れるように意識を外へ集中させる。すると今度は胡乱に眉根を寄せることになった。

 目を覆っていた手をどけ、さらに意識を研ぎ澄ます。しかし結果は同じだ。

 ――いない。どこにもいない。この家にいるはずの響が、こつ然といなくなっている。
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