第7話 成長は苦みとともに
文字数 3,158文字
権能〝毒〟は繊細な制御を常時求められる。
権能を行使していないときですら全身から毒気を放ってしまうため、ディルは常に気を抜かず漏れ出す毒を最小限にしている。
罪科獣を相手にしなければならない戦闘時はさらに技術を求められる。
〝毒〟を放ちながら飛散させず、可能な限り罪科獣を苦しませず。しかしすぐに終わらせようと集中すればするほど周囲への配慮が疎かになってしまう。そしてその奮闘の結果が厳しい叱責で、バディ解消で、謹慎で、強制拘束なのだ。
だから、ずるい。自分の方が努力しているのに、辛酸を舐めてきたのに。
ただ生まれ持った権能が優秀だっただけで評価されて、褒められて、頼りにされて――自分には手の届かないものを次々手に入れていくヴァイスはずるいと。
「確かにあやつは強い。執行者の祖であるリヴィアタと同様の権能、神核片の大きさ。ゆえにリヴィアタの生まれ変わりとも囁かれておるほどだ。まだまだ強くなろう」
そんなところでエンラが追い打ちをかけてくる。ディルは下げた拳をぎゅうと握りこんだ。
「だがな、強き者は相応の責務も併せ持つのは忘れるでない。ディルよ、貴様はリヴィアタが落命した理由を知っておるか?」
「……ガキのころ絵本で読みました。数億年前、突然この星に落ちてきた大彗星をひとりで打ち砕いたんですよね」
「然り。そのまま落ちたなら生物が一瞬にして星ごと粉々になるほどの規模であったよ。
リヴィアタは確かに命を賭して打ち砕いてみせた。しかし実際のところ、直接的な死因はそれではないのだ」
「え?」
「あやつはその後、生物のためにすべてを捧げた。ゆえに死んだ」
「すべてを捧げた?」
「ああ、……そうだ」
そこでエンラが遠い目をする。
彼女は眼球自体が真っ黒なのでいつも目の感情が分かりづらいのだが、それでも分かった。懐かしむような、そして悼むような色が灯っていることを。
「――我らは責務を遂げんがため、属親たるヤミ神に生み落とされた。権能とはその責務を遂行するがために与えられし力である。
そして権能、つまり遂げるべき責務を持つ者はそれに耐えうる自我を持って生まれてくる。この点において常に例外はないのだ」
「……?」
「分からぬか。これは貴様にも当てはまる話なのだ。
ヤミ神は扱いの難しい、しかし強力な〝毒〟の権能を貴様へお与えになった。貴様なら耐えられる、いつか必ず使いこなせると信頼なさってな」
「……」
「ゆえに挫けるでない。研鑽を続けよ。どれほど険しき道であろうと、いつかはその道程を微笑ましく思えよう。貴様が己の権能を誇りに思うときだってきっと来るぞ」
「そうかな……」
「そうだとも。それに今の貴様は決して孤独ではない。貴様の毒にも怖気づかぬバディが隣にいるのだ。違うか?」
ニイと笑うエンラ。その笑みを真っ向から受けたディルは、一瞬間のあとで渋い顔を作ってみせた。
依然としてヴァイスのことは気に食わない。だが、確かにヴァイスはいつまで経ってもバディ解消を申し出てこない。
その理由は彼自身が強いから。ディルが制御しきれない〝毒〟を些事とばかりに対処するから。
「……ケッ」
ならば自分より強い存在も悪くないのかも知れない――そんなことを一瞬思ってしまったのは絶対にナイショだ。
それからもディルとヴァイスのバディ関係は続いた。五回もバディが代わったことが遠い昔に思えるほどに。
生物界における歳月で言えば数百年――直系属子たる執行者に寿命はない。成長はあるが老いもない――身体年齢で言えばディルが二十一歳、ヴァイスが十六歳ごろ。
とはいえ、特に大した変わり映えがあるわけでもない。毎日のように〝魂魄執行〟や〝罪科獣執行〟の任務をこなす日常は変わらない。
それでも変わったことを上げるなら、ディルがカナリアに拘束されることがほぼなくなったこと。ヴァイスがS級に、ディルがA級に昇格したこと。ディルがヴァイスに食ってかかることがなくなったくらいだ。
数多の任務やいくつかの死線を共に超えて、それなりの信頼関係はできあがっていたのだ。ディルが時間の経過とともにオトナになったのもあるだろう。
「――して貴様たち。育て子を与えてまぁまぁ経ったが。アスカやキラは順調に育っておるか?」
そしてもうひとつ、大事な変化を忘れてはならない。執行者の中堅となったふたりはそれぞれ育て子を迎えたのだ。
「アスカは問題ありません。以前はよく泣いていましたが、シエルを新たに迎えてからは笑うことの方が多くなりました」
最初に淡々と述べたのは、最近アスカの他にヒカリ属であり〝堕天の子〟であるシエルを育て子にしたヴァイスだ。エンラは細首を傾げる。
「よく泣いていた? その理由は」
「訊いても口をつぐむので不明です。淋しいのではないかとディルは以前言いましたが、彼にそう問うても『大丈夫』と首を横に振るだけでした」
「ちょっと待て。そのあとはどうしたんだ」
報告途中ではあるが聞き捨てならず、ディルが話に割って入る。ヴァイスは傍らのディルの方を向いて口を開いた。
「彼が『大丈夫』と言うならば問題ないと判断した。シエルが来てからは笑うことの方が圧倒的に多くなったしな」
「ってことは放置? お前さ……どう考えてもアスカ気ィつかってんだろ。その『大丈夫』は『大丈夫』じゃねぇんだよ」
「そうなのか」
ヴァイスが相変わらず何事もないような口調で返してきたので、ディルは抗議の眼差しを送るしかない。
裁定神殿。いつものように〝罪科獣執行〟の任務を終え、エンラにその旨を報告し、新たな任務を受けた。その帰り際にふとエンラから育て子の話を振られたのだ。
出会ったときに比べるとヴァイスはずいぶんと変わった。年長のディルと背丈が同じになり、まとう雰囲気もオトナびた。
だが、こういう淡々とした受け答えは変わらない。顔の上半分を覆う白の仮面も未だ健在だ。
ちなみにヴァイスの敬語はずいぶん前にディルがやめさせた。いちいちウザったかったからだ。
そう指示されたときのヴァイスは敬語以外を使ったことがなかったようで珍しく困惑していたが、ディルの口調を少しばかり参考にして事なきを得たようだ。
「そうなのかじゃねぇよ。前に言ったろ、アスカは気ィつかいだって。注意深く見てやれって。
忙しいからある程度淋しい思いをさせるのは仕方がねぇとしてもな、時間があるときは意識して愛情かけてやれ。シエルのフォローに甘えんなよ」
「……」
「ふむ。ディルよ、キラはどうだ」
「ああ、キラはホント元気ですよ。今のマイブームはヘアゴムで、髪遊びしてカワイイカワイイ言ってます。ルリハもよく遊びに来ますね。ただ……」
「ただ?」
「よくせがまれるんですけど、抱っこはしてやれず。それは悪ィなって思ってます」
頭を掻き、バツの悪い顔をしながらディル。
「毒気を周りに放つことはさすがにもうないですけど、俺は身体自体も毒なんで。一度気分悪くさせてからは断ってます」
「貴様はずいぶんと〝毒〟の制御を上達させたが、やはり日常のこととなると厳しいか」
「そうですね。毒と同義の俺の身体を丸ごと概念変えするのは段違いに難しいです。できて一秒、しかもそれをやってる間は何も手につかなくなります」
「完全に不可能なわけではないのだな。ならばさらに研鑽せよ。せがまれずとも自分から抱きしめてやれるくらいになれ」
「……いや……話聞いてました?」
「無論だ。〝毒〟制御の最難関を遂げてみよ。見事遂げた暁にはS級昇格も夢ではないぞ? 懐こいキラも喜ぶ。一石二鳥だ」
「……簡単に言わないでくれますか」
エンラの言葉にディルは苛立ちを隠すことができなかった。
話の途中にもかかわらず踵を返し、エンラやリンリン、ヴァイスが見ている前で裁定神殿を出ていく。
権能を行使していないときですら全身から毒気を放ってしまうため、ディルは常に気を抜かず漏れ出す毒を最小限にしている。
罪科獣を相手にしなければならない戦闘時はさらに技術を求められる。
〝毒〟を放ちながら飛散させず、可能な限り罪科獣を苦しませず。しかしすぐに終わらせようと集中すればするほど周囲への配慮が疎かになってしまう。そしてその奮闘の結果が厳しい叱責で、バディ解消で、謹慎で、強制拘束なのだ。
だから、ずるい。自分の方が努力しているのに、辛酸を舐めてきたのに。
ただ生まれ持った権能が優秀だっただけで評価されて、褒められて、頼りにされて――自分には手の届かないものを次々手に入れていくヴァイスはずるいと。
「確かにあやつは強い。執行者の祖であるリヴィアタと同様の権能、神核片の大きさ。ゆえにリヴィアタの生まれ変わりとも囁かれておるほどだ。まだまだ強くなろう」
そんなところでエンラが追い打ちをかけてくる。ディルは下げた拳をぎゅうと握りこんだ。
「だがな、強き者は相応の責務も併せ持つのは忘れるでない。ディルよ、貴様はリヴィアタが落命した理由を知っておるか?」
「……ガキのころ絵本で読みました。数億年前、突然この星に落ちてきた大彗星をひとりで打ち砕いたんですよね」
「然り。そのまま落ちたなら生物が一瞬にして星ごと粉々になるほどの規模であったよ。
リヴィアタは確かに命を賭して打ち砕いてみせた。しかし実際のところ、直接的な死因はそれではないのだ」
「え?」
「あやつはその後、生物のためにすべてを捧げた。ゆえに死んだ」
「すべてを捧げた?」
「ああ、……そうだ」
そこでエンラが遠い目をする。
彼女は眼球自体が真っ黒なのでいつも目の感情が分かりづらいのだが、それでも分かった。懐かしむような、そして悼むような色が灯っていることを。
「――我らは責務を遂げんがため、属親たるヤミ神に生み落とされた。権能とはその責務を遂行するがために与えられし力である。
そして権能、つまり遂げるべき責務を持つ者はそれに耐えうる自我を持って生まれてくる。この点において常に例外はないのだ」
「……?」
「分からぬか。これは貴様にも当てはまる話なのだ。
ヤミ神は扱いの難しい、しかし強力な〝毒〟の権能を貴様へお与えになった。貴様なら耐えられる、いつか必ず使いこなせると信頼なさってな」
「……」
「ゆえに挫けるでない。研鑽を続けよ。どれほど険しき道であろうと、いつかはその道程を微笑ましく思えよう。貴様が己の権能を誇りに思うときだってきっと来るぞ」
「そうかな……」
「そうだとも。それに今の貴様は決して孤独ではない。貴様の毒にも怖気づかぬバディが隣にいるのだ。違うか?」
ニイと笑うエンラ。その笑みを真っ向から受けたディルは、一瞬間のあとで渋い顔を作ってみせた。
依然としてヴァイスのことは気に食わない。だが、確かにヴァイスはいつまで経ってもバディ解消を申し出てこない。
その理由は彼自身が強いから。ディルが制御しきれない〝毒〟を些事とばかりに対処するから。
「……ケッ」
ならば自分より強い存在も悪くないのかも知れない――そんなことを一瞬思ってしまったのは絶対にナイショだ。
それからもディルとヴァイスのバディ関係は続いた。五回もバディが代わったことが遠い昔に思えるほどに。
生物界における歳月で言えば数百年――直系属子たる執行者に寿命はない。成長はあるが老いもない――身体年齢で言えばディルが二十一歳、ヴァイスが十六歳ごろ。
とはいえ、特に大した変わり映えがあるわけでもない。毎日のように〝魂魄執行〟や〝罪科獣執行〟の任務をこなす日常は変わらない。
それでも変わったことを上げるなら、ディルがカナリアに拘束されることがほぼなくなったこと。ヴァイスがS級に、ディルがA級に昇格したこと。ディルがヴァイスに食ってかかることがなくなったくらいだ。
数多の任務やいくつかの死線を共に超えて、それなりの信頼関係はできあがっていたのだ。ディルが時間の経過とともにオトナになったのもあるだろう。
「――して貴様たち。育て子を与えてまぁまぁ経ったが。アスカやキラは順調に育っておるか?」
そしてもうひとつ、大事な変化を忘れてはならない。執行者の中堅となったふたりはそれぞれ育て子を迎えたのだ。
「アスカは問題ありません。以前はよく泣いていましたが、シエルを新たに迎えてからは笑うことの方が多くなりました」
最初に淡々と述べたのは、最近アスカの他にヒカリ属であり〝堕天の子〟であるシエルを育て子にしたヴァイスだ。エンラは細首を傾げる。
「よく泣いていた? その理由は」
「訊いても口をつぐむので不明です。淋しいのではないかとディルは以前言いましたが、彼にそう問うても『大丈夫』と首を横に振るだけでした」
「ちょっと待て。そのあとはどうしたんだ」
報告途中ではあるが聞き捨てならず、ディルが話に割って入る。ヴァイスは傍らのディルの方を向いて口を開いた。
「彼が『大丈夫』と言うならば問題ないと判断した。シエルが来てからは笑うことの方が圧倒的に多くなったしな」
「ってことは放置? お前さ……どう考えてもアスカ気ィつかってんだろ。その『大丈夫』は『大丈夫』じゃねぇんだよ」
「そうなのか」
ヴァイスが相変わらず何事もないような口調で返してきたので、ディルは抗議の眼差しを送るしかない。
裁定神殿。いつものように〝罪科獣執行〟の任務を終え、エンラにその旨を報告し、新たな任務を受けた。その帰り際にふとエンラから育て子の話を振られたのだ。
出会ったときに比べるとヴァイスはずいぶんと変わった。年長のディルと背丈が同じになり、まとう雰囲気もオトナびた。
だが、こういう淡々とした受け答えは変わらない。顔の上半分を覆う白の仮面も未だ健在だ。
ちなみにヴァイスの敬語はずいぶん前にディルがやめさせた。いちいちウザったかったからだ。
そう指示されたときのヴァイスは敬語以外を使ったことがなかったようで珍しく困惑していたが、ディルの口調を少しばかり参考にして事なきを得たようだ。
「そうなのかじゃねぇよ。前に言ったろ、アスカは気ィつかいだって。注意深く見てやれって。
忙しいからある程度淋しい思いをさせるのは仕方がねぇとしてもな、時間があるときは意識して愛情かけてやれ。シエルのフォローに甘えんなよ」
「……」
「ふむ。ディルよ、キラはどうだ」
「ああ、キラはホント元気ですよ。今のマイブームはヘアゴムで、髪遊びしてカワイイカワイイ言ってます。ルリハもよく遊びに来ますね。ただ……」
「ただ?」
「よくせがまれるんですけど、抱っこはしてやれず。それは悪ィなって思ってます」
頭を掻き、バツの悪い顔をしながらディル。
「毒気を周りに放つことはさすがにもうないですけど、俺は身体自体も毒なんで。一度気分悪くさせてからは断ってます」
「貴様はずいぶんと〝毒〟の制御を上達させたが、やはり日常のこととなると厳しいか」
「そうですね。毒と同義の俺の身体を丸ごと概念変えするのは段違いに難しいです。できて一秒、しかもそれをやってる間は何も手につかなくなります」
「完全に不可能なわけではないのだな。ならばさらに研鑽せよ。せがまれずとも自分から抱きしめてやれるくらいになれ」
「……いや……話聞いてました?」
「無論だ。〝毒〟制御の最難関を遂げてみよ。見事遂げた暁にはS級昇格も夢ではないぞ? 懐こいキラも喜ぶ。一石二鳥だ」
「……簡単に言わないでくれますか」
エンラの言葉にディルは苛立ちを隠すことができなかった。
話の途中にもかかわらず踵を返し、エンラやリンリン、ヴァイスが見ている前で裁定神殿を出ていく。