第39話 それは唯一無二の
文字数 3,221文字
「はぁーっ、死ぬかと思ったぜ!」
――そういうわけで。時間軸は完全に現代へ戻ってきた。
つまり外見年齢が二十七歳の〝ヤミ属執行者の頂点〟となって久しいヴァイスと、普段はヤミ属界で医師業に勤しむ外見年齢が三十二歳のディル。ふたりが奇妙な地下通路から脱出した直後だ。
神陰力が制限され実体のまま閉じこめられた領域にて、ヴァイスは〝天国の地獄〟たる合成キメラ・イスマを執行した。
突然強くなった呪禍の苦痛によろめくヴァイス――過去の因縁に出会った影響か――にディルが己の毒血を与えていると、今度は激しい縦揺れと轟音がふたりを襲った。
ついで左右の出入り口からおびただしい数の合成キメラが出現、ふたりは瞬く間にそれらを地へ沈めて道を開き、先に進んでいった。
道は人間が二人並んで通れる程度の細道だった。かなり長く、時には二股三股に分かれていたり、部屋のように広くなっている領域もあった。
その領域には決まって広い作業台のようなものがあった。周囲には人間を始めとする生物の骨、ミイラ化した生物の一部が積み重なっていた。
それらを視野に収めつつ先を進み続けたものの、ついぞ脱出口が見つかることはなく。
もっとも、仮に脱出口が見つかっても〝神の供物庫〟のように生贄を用いた〝呪縛〟が外部から成されていた場合はどうあっても出られないわけだが、とにかく退路はどれだけ進んでも確認できなかった。
そのうえ合成キメラも止めどなく、天井も本格的に崩れ始め、ふたりはそろって最終手段を取ることを決めた。
左右から襲いかかってくる合成キメラを広範囲技で打ち倒し、ディルとヴァイスとで出せる限りの神陰力を天井へ力任せに放ったのだ。
正直なところ賭けだった。神陰力もある程度制限されているうえ〝呪縛〟が強く働いていた場合はムダ打ちに終わる可能性が高かった。
しかし、運はふたりに向いていた。
天井に大穴が空き、そこに夜空を認めればふたり申し合わせたように跳躍。地上に着地したと同時に下で派手な瓦解音。どうやら本当に間一髪だったらしい。
そして今。ディルは大きく吐息をついた。
「つうかマジで幸運だったよな……穴を空けたところに生物がいなかったのも含めてさ」
「ああ。本当に死ぬ一歩手前だったが」
ヴァイスはロングコートについた砂ぼこりを淡々と払いながら応じ、ディルはそれに笑った。
「ま、スリルはあったな」
ディルは穴を振り返る。しかし、数十秒前には確かにあったそれは既に跡形もなく消えていた。
だがそれを視認するふたりは驚かない。予想の範疇だったからだ。
「あの領域はどういう仕組みなのかね。今確認してもこの下に地下通路なんて確認できない。あの場所そのものがイスマの〝天国の地獄〟だったのか?」
現在、ディルとヴァイスは〝天国の地獄〟に潜りこんだ路地裏ではなく、その路地裏を臨めるほど高台の地に移動していた。
ここからは夜に沈んだ都市を一望できる。ディルは微妙な既視感を覚えるが、この場所がかつてイスマの邸宅が建っていた丘の上だと気づけば合点がいった。
「……さあな。どんなにしろ〝神の供物庫〟同様、実際には存在しない場所、あるいは離れた地点に存在する場所に移動させられたということになる。
私たちの力を考慮した仕掛けも施されていた。イスマを縛っていた鎖や道中にあった器具、生物の遺骸はずいぶん古びていた。生物外の存在が関わっていることは確定的だが、生半可な罪科獣にできる芸当でもない」
「ああ。〝悪魔神ウル〟のときの神官のような仲間が複数いる可能性はあるが、取りまとめてるヤツは相当な大物だろうぜ」
「そうだな。……」
ヴァイスは急に口をつぐんだ。その横顔はペストマスクに阻まれて伺い知れなかったが、彼の頭によぎる懸念はディルにも想像できた。
だが、現状ではまだ確定とする証拠に辿りつけていない。この大きな問題を、胸に灯った嫌な予感を解決するには、さらなる情報と解析が必要だ。
ディルはヴァイスの肩を軽く叩いた。
「うし、さっさと帰還してエンラ様に報告しようぜ。とりあえず今回は合成キメラ〝天国の地獄〟が悪性をキーにしてたって知れたのが大きな収穫だ。採取できたイスマの一部も大急ぎで解析したい。だが、あー……」
「どうした」
「後からワラワラ出てきた合成キメラの一部も採取しとけば良かったと思ってな。
単純にアリジゴクと合体させられてたイスマと違って、あいつらは千差万別で改造のされ方も凝ってた。何つうか、制作者? 造られた年代とか熟練度? が違うように見えたんだよ」
「確かに、後から現れた合成キメラたちはイスマと違って飢えた様子もなかった。漂わせる匂いもどこか違ったな」
「匂い……まぁでも、お前が言うんだからそうなんだろう。あいつらは俺たちと同様に何かを引き金として外部からやってきた可能性がある。しかし、それなら余計に失敗したな~」
「そんなお前にプレゼントだ」
「へ?」
少しずつ明るみ始めた空を仰ぎつつ悔いるディルに、ヴァイスはふと言った。カナリアに何やら指示を出しながら。
指示を受けたカナリアは、大きく口を開けて体内に圧縮貯蔵してあるモノをディルに見せてきた。
そこには合成キメラ・イスマの一部以外に複数の肉片が確認できる。あの部屋の石壁の一部や土片もだ。
ディルはメガネのツルを持ってまじまじと眺め、眉を持ち上げた。
「もしかしてお前、戦いながら採取しておいてくれたのか?」
「お前がそう言うと思ってな。全部ではないが」
「最高かよ。ま、プレゼントって言われると何か嫌だけどな」
「気を利かせたのに文句を言うのか」
「いやだってお前……肉片がプレゼントはちょっとさぁ」
「じゃあ何ならいいんだ」
「そりゃもちろん紅茶だろ。帰ったら一杯付き合え」
「……またか。お前は本当に好きだな」
どうやら他愛のない会話を交わせるくらいにはヴァイスの調子も回復してくれたようだ。ディルは密かに胸を撫で下ろす。
彼に与えた毒血の改良が上手くいったらしい。今回彼に与えたものはさらに毒気を強く、それでいて別の悪影響が出ないよう繊細に調整したものだ。
それくらい強くせねば呪禍の苦痛に対抗できなくなっているという事実は限りなく重いが、だからこそディルは気を引き締める。
この三百年間、ディルは医師としてヤミ属の生を守りながら、研究者として呪禍の解呪方法にも必死に取りかかってきた。
だが、見つからない。どれだけ時間を費やそうが、あらゆるモノを試そうが糸口すらつかめていない。
本当は気づいているのだ。
呪禍を解くすべはこの世にないのだと。そう分かっているからこそ、ディルは〝天国の地獄〟が解呪薬の入った瓶の幻を見せてきても心を乱さなかった。
呪禍――法外な苦痛、憎悪、怨嗟、赫怒。あらゆる悪事象から生み出される救済なき呪い。この星たる天地の神に不治の傷を刻みつけてしまうほどの事象。それは全知全能な存在ですら治癒できぬことの証左なのだ。
だが、ディルは諦めない。あの日あの夜に決意した思いには一点の揺らぎもない。
絶対に助ける。必ず守ってみせる。
ヴァイスを、唯一無二の相棒を。
「よし、そろそろ帰ろうぜ」
ディルは夜明けが近づいたこの地を無言で眺め続けるヴァイスに声をかけた。
彼は色なき髪を風になびかせながら小さくうなずく。
「お疲れさん。ヴァイス」
「お前も。助かったよ」
淡々とした音色。だが、だからこそ本音だと分かる相棒の言葉にディルはニッと笑みを広げた。
そうして紋翼を展開し、ふたりは帰るべき場所へと戻っていくのだった。
ディルの欲しいもの。それは呪禍を解呪する方法。
だが、さらに欲しいものはその先にある。
それはとても近くて遠いもの。昔も今も己の努力で手に入れるもの。
『あー、じゃあよ。……』
『俺、頑張るわ。毒を完全に制御できるようになってやる』
『だからさ、俺が晴れて完全に制御できるようになったら――』
――そういうわけで。時間軸は完全に現代へ戻ってきた。
つまり外見年齢が二十七歳の〝ヤミ属執行者の頂点〟となって久しいヴァイスと、普段はヤミ属界で医師業に勤しむ外見年齢が三十二歳のディル。ふたりが奇妙な地下通路から脱出した直後だ。
神陰力が制限され実体のまま閉じこめられた領域にて、ヴァイスは〝天国の地獄〟たる合成キメラ・イスマを執行した。
突然強くなった呪禍の苦痛によろめくヴァイス――過去の因縁に出会った影響か――にディルが己の毒血を与えていると、今度は激しい縦揺れと轟音がふたりを襲った。
ついで左右の出入り口からおびただしい数の合成キメラが出現、ふたりは瞬く間にそれらを地へ沈めて道を開き、先に進んでいった。
道は人間が二人並んで通れる程度の細道だった。かなり長く、時には二股三股に分かれていたり、部屋のように広くなっている領域もあった。
その領域には決まって広い作業台のようなものがあった。周囲には人間を始めとする生物の骨、ミイラ化した生物の一部が積み重なっていた。
それらを視野に収めつつ先を進み続けたものの、ついぞ脱出口が見つかることはなく。
もっとも、仮に脱出口が見つかっても〝神の供物庫〟のように生贄を用いた〝呪縛〟が外部から成されていた場合はどうあっても出られないわけだが、とにかく退路はどれだけ進んでも確認できなかった。
そのうえ合成キメラも止めどなく、天井も本格的に崩れ始め、ふたりはそろって最終手段を取ることを決めた。
左右から襲いかかってくる合成キメラを広範囲技で打ち倒し、ディルとヴァイスとで出せる限りの神陰力を天井へ力任せに放ったのだ。
正直なところ賭けだった。神陰力もある程度制限されているうえ〝呪縛〟が強く働いていた場合はムダ打ちに終わる可能性が高かった。
しかし、運はふたりに向いていた。
天井に大穴が空き、そこに夜空を認めればふたり申し合わせたように跳躍。地上に着地したと同時に下で派手な瓦解音。どうやら本当に間一髪だったらしい。
そして今。ディルは大きく吐息をついた。
「つうかマジで幸運だったよな……穴を空けたところに生物がいなかったのも含めてさ」
「ああ。本当に死ぬ一歩手前だったが」
ヴァイスはロングコートについた砂ぼこりを淡々と払いながら応じ、ディルはそれに笑った。
「ま、スリルはあったな」
ディルは穴を振り返る。しかし、数十秒前には確かにあったそれは既に跡形もなく消えていた。
だがそれを視認するふたりは驚かない。予想の範疇だったからだ。
「あの領域はどういう仕組みなのかね。今確認してもこの下に地下通路なんて確認できない。あの場所そのものがイスマの〝天国の地獄〟だったのか?」
現在、ディルとヴァイスは〝天国の地獄〟に潜りこんだ路地裏ではなく、その路地裏を臨めるほど高台の地に移動していた。
ここからは夜に沈んだ都市を一望できる。ディルは微妙な既視感を覚えるが、この場所がかつてイスマの邸宅が建っていた丘の上だと気づけば合点がいった。
「……さあな。どんなにしろ〝神の供物庫〟同様、実際には存在しない場所、あるいは離れた地点に存在する場所に移動させられたということになる。
私たちの力を考慮した仕掛けも施されていた。イスマを縛っていた鎖や道中にあった器具、生物の遺骸はずいぶん古びていた。生物外の存在が関わっていることは確定的だが、生半可な罪科獣にできる芸当でもない」
「ああ。〝悪魔神ウル〟のときの神官のような仲間が複数いる可能性はあるが、取りまとめてるヤツは相当な大物だろうぜ」
「そうだな。……」
ヴァイスは急に口をつぐんだ。その横顔はペストマスクに阻まれて伺い知れなかったが、彼の頭によぎる懸念はディルにも想像できた。
だが、現状ではまだ確定とする証拠に辿りつけていない。この大きな問題を、胸に灯った嫌な予感を解決するには、さらなる情報と解析が必要だ。
ディルはヴァイスの肩を軽く叩いた。
「うし、さっさと帰還してエンラ様に報告しようぜ。とりあえず今回は合成キメラ〝天国の地獄〟が悪性をキーにしてたって知れたのが大きな収穫だ。採取できたイスマの一部も大急ぎで解析したい。だが、あー……」
「どうした」
「後からワラワラ出てきた合成キメラの一部も採取しとけば良かったと思ってな。
単純にアリジゴクと合体させられてたイスマと違って、あいつらは千差万別で改造のされ方も凝ってた。何つうか、制作者? 造られた年代とか熟練度? が違うように見えたんだよ」
「確かに、後から現れた合成キメラたちはイスマと違って飢えた様子もなかった。漂わせる匂いもどこか違ったな」
「匂い……まぁでも、お前が言うんだからそうなんだろう。あいつらは俺たちと同様に何かを引き金として外部からやってきた可能性がある。しかし、それなら余計に失敗したな~」
「そんなお前にプレゼントだ」
「へ?」
少しずつ明るみ始めた空を仰ぎつつ悔いるディルに、ヴァイスはふと言った。カナリアに何やら指示を出しながら。
指示を受けたカナリアは、大きく口を開けて体内に圧縮貯蔵してあるモノをディルに見せてきた。
そこには合成キメラ・イスマの一部以外に複数の肉片が確認できる。あの部屋の石壁の一部や土片もだ。
ディルはメガネのツルを持ってまじまじと眺め、眉を持ち上げた。
「もしかしてお前、戦いながら採取しておいてくれたのか?」
「お前がそう言うと思ってな。全部ではないが」
「最高かよ。ま、プレゼントって言われると何か嫌だけどな」
「気を利かせたのに文句を言うのか」
「いやだってお前……肉片がプレゼントはちょっとさぁ」
「じゃあ何ならいいんだ」
「そりゃもちろん紅茶だろ。帰ったら一杯付き合え」
「……またか。お前は本当に好きだな」
どうやら他愛のない会話を交わせるくらいにはヴァイスの調子も回復してくれたようだ。ディルは密かに胸を撫で下ろす。
彼に与えた毒血の改良が上手くいったらしい。今回彼に与えたものはさらに毒気を強く、それでいて別の悪影響が出ないよう繊細に調整したものだ。
それくらい強くせねば呪禍の苦痛に対抗できなくなっているという事実は限りなく重いが、だからこそディルは気を引き締める。
この三百年間、ディルは医師としてヤミ属の生を守りながら、研究者として呪禍の解呪方法にも必死に取りかかってきた。
だが、見つからない。どれだけ時間を費やそうが、あらゆるモノを試そうが糸口すらつかめていない。
本当は気づいているのだ。
呪禍を解くすべはこの世にないのだと。そう分かっているからこそ、ディルは〝天国の地獄〟が解呪薬の入った瓶の幻を見せてきても心を乱さなかった。
呪禍――法外な苦痛、憎悪、怨嗟、赫怒。あらゆる悪事象から生み出される救済なき呪い。この星たる天地の神に不治の傷を刻みつけてしまうほどの事象。それは全知全能な存在ですら治癒できぬことの証左なのだ。
だが、ディルは諦めない。あの日あの夜に決意した思いには一点の揺らぎもない。
絶対に助ける。必ず守ってみせる。
ヴァイスを、唯一無二の相棒を。
「よし、そろそろ帰ろうぜ」
ディルは夜明けが近づいたこの地を無言で眺め続けるヴァイスに声をかけた。
彼は色なき髪を風になびかせながら小さくうなずく。
「お疲れさん。ヴァイス」
「お前も。助かったよ」
淡々とした音色。だが、だからこそ本音だと分かる相棒の言葉にディルはニッと笑みを広げた。
そうして紋翼を展開し、ふたりは帰るべき場所へと戻っていくのだった。
ディルの欲しいもの。それは呪禍を解呪する方法。
だが、さらに欲しいものはその先にある。
それはとても近くて遠いもの。昔も今も己の努力で手に入れるもの。
『あー、じゃあよ。……』
『俺、頑張るわ。毒を完全に制御できるようになってやる』
『だからさ、俺が晴れて完全に制御できるようになったら――』