第38話 欲しいもの
文字数 3,424文字
「お、寸分の狂いもなくぴったりだな。さすがザドリック親方の封印防具だぜ」
ディルは口もとを綻ばせた。
灰の瞳に映るのは、右の腕と胸を覆う上半身防具、右の腰と足全体を覆う下半身防具、そしてグローブと靴――どれも金古美色で金属的な光沢を放つ封印具たちである。
大まかなサイズを事前に口頭で伝えただけだというのに、まるで試着を重ねたかのごとくピッタリと馴染む様はホレボレするほどだ。
「最後にこれを付ければ完成だ」
言いながらディルは傍らのテーブルに乗せてあるモノを手に取った。
同じく金古美色をしたそれは顔全体を覆うフルフェイスマスクだ。
のっぺりとした形状だが、口元部分だけが突き出ていてクチバシのようにも見える。人間が発明したペストマスクを参考にしたのだろうか。不気味極まりないものの頑丈そうなのは確かだった。
この封印防具一式はカナリアの制作者でもある〝想念鍛冶〟ザドリックに特急で造ってもらったものだ。
つい最近バディを失い、そのバディとの子を授かったことで執行者を引退した彼に無理を言うのは気が引けたが、他ならぬ彼自身が二つ返事で受け入れてくれたのだ。
いわく
『同胞の〝守りてぇ〟って想いは無下にしねぇよ』
『手ェ貸してやる。だからお前は絶対に守りやがれ』
と。
今、主に封印防具が守っているのはヴァイスの右半身だ。つまり呪禍の黒に侵された箇所を集中的に封印するためにこの防具は造られた。
――呪禍に侵されたヴァイスをディルが担いで帰還して以降、ヴァイスはしばらく意識を取り戻さなかった。
その間のディルは血眼になって呪禍に関する資料や文献を探しては読み漁り、呪禍を知るエンラや執行者にも話を聞いて回った。
その寄り集めた知識を肥やしに、己の権能〝毒〟で薬毒を生成し、おそるおそるヴァイスに投与した。とにかく必死だった。
何が功を奏してくれたのかは分からないが、ヴァイスは数日前に意識を取り戻した。
ヤミ属界で存在養分を補給できたことで呪禍に侵された箇所以外は既に全快しており、現状を言って聞かせれば取り乱すこともなかった。精神的な異常も見受けられない。
しかし意識を取り戻してから今日までの数日間、彼はディルの問いや軽口にも無表情で短い応答を返すだけだった。
それ以外は虚ろに黙りこくり続けた。起き上がりもせず、死んだように目を閉じてばかりだった。
「おう、似合うじゃん」
ヴァイスの面にフルフェイスマスクを装着し終えたディルは、半歩後退し、少し遠くからヴァイスを眺めながら感想を口にした。
しかしやはりヴァイスの反応はない。微動だにもせず、されるがまま。まるでトルソのようだ。
ディルは沈黙を埋めるように口を開いた。
「お前は今後、常にこの封印具一式をつけて活動することになる。
この部屋にはカナリアの〝バード・ケージ〟を張り巡らせてるから守られていたが、この領域を出ればたちまちに呪禍の餌食になる。
カナリアも本来は拘束して封印する道具だからな。自由に動くには使えないってことで、代わりに用意したのがこの封印具ってわけだ」
ディルの説明のとおり、病室の壁には格子状に展開されたカナリアが張り巡らされていた。
まるで鳥かごのようだが、この不自由がヴァイスを侵す呪禍を限りなく遅々とさせてくれたのだ。
「つっても、カナリアと同様この封印具でも完全に封印できるわけじゃない。目に見えない速度ではあるが進行はしてる。多分何をしても進行は完全に止められない……それくらい呪禍ってのは蝕む力が強いんだ」
「……」
「だからお前には封印具装着に加えて、もうひとつやることがある。
権能〝クロノス〟の常時発動――つまり右半身を広く侵している呪禍に対して〝逆行〟をかけ続け、さらに進行を妨げる。
それだけやっても進行遅延が関の山だろう。だが、これくらいすれば呪禍がお前の命を即座に奪うことはなくなる。
そうだな、何千年レベルでは平気になるはずだ。で、その間に俺は呪禍の解呪方法を見つけ出してみせる」
「……」
「ただし注意事項な。呪禍による狂おしい苦痛はどうしても付きまとうだろう。だからお前は今後も定期的に俺の毒血を摂取する必要がある。
つっても苦痛を全部取り除けるわけじゃねぇのは悪いが……そっちも改良していくし、充分な量をいつも用意しておくからさ。今はそれで勘弁してくれよ」
「……」
「それと神陰力な。さすがのお前でも〝クロノス〟を常に自分へ発動させながら強力な罪科獣を相手にし続けるのは厳しいときがあると思う。
だから封印にかかる方の神陰力は俺が全部受け持つ。あー、なんか勝手に〝神核繋ぎ〟されたからな? ま、そのよしみってことで必要量は供給してやるよ」
「……」
「あとはカナリアか。この〝バード・ケージ〟状態を解除したあとはお前に預ける。
俺は今後ヤミ属界で医師業が主となるからお前と行動することは難しくなるが、カナリアは簡単な命令も聞ける。
万が一封印具が壊れそうなとき、俺の助けが必要なのに念話が届かないときとか。そんなときはカナリアを使って俺を呼んでくれ。すぐ駆けつける」
「……」
「とまぁ、執行者復帰にあたって話しておきたいことはそれくらいだな。なんか質問あるか?」
できるだけ明るい声で述べながら、ディルは再びヴァイスを見上げた。
しかしヴァイスはやはり微動だにしない。まるで静止画のようにその場に佇むだけだ。
「……何故だ」
だが、その彼がふと問いを発した。数日間ろくに紡がれなかった音色は今にも消え入りそうなほどにかすれている。
「何故、助けた。何故そうまでして私を生かそうとする」
「あん?」
「私はあのときに消えるべきだった。
エレンフォールを守れなかった。最も惨たらしい方法で永遠の死に至らしめた。お前や育て子たち――ヤミ属すべてに背を向けた。
それほどに罪深い私が、お前に過分な負担をかけてまで生きていいわけがない」
「……」
「私にはもう、何の価値もないんだ」
病室に波紋を描く言葉たち。その音色はまるで涙のようだ。
だからといって憐憫を誘いたいわけではない。否定を期待しているわけでもない。ただ淡々と自分の罪を告白するだけの。
「バーカ。そんなのはお前だけで決めるモンじゃねぇよ」
だからディルは言って、ヴァイスの肩を軽く殴ってみせるのだ。日常だった日々とこれからをつなぎ合わせるように。
「少なくとも俺には価値しかねぇ。お前を奇跡的に助けられたこと、今後も助けられること……俺にとっちゃ何にも代えがたいモンだ。何ら負担じゃねぇっつの」
ペストマスクの奥をまっすぐ見つめる。
ヴァイスの肩に拳を当てたままの姿勢。その手の内にはディルの毒血で満たされたボトル数本が握られている。
「それにだ。罪深いと思うなら尚更生きろ。エレンフォールのことを悔いるならこれからも生物の死を守っていけ。
育て子たちをこれ以上哀しませんな……ずっとずっと俺の相棒でいろ」
「……」
「ヴァイス。今のお前なら分かるはずだ。
俺がお前に抱いてる気持ちは、お前がエレンフォールに抱いた気持ちと一緒だってこと」
――その言葉に、その声色に。
ヴァイスは一度肩を揺れ動かした。そうしてまた数秒静止したあと、己の肩に当てられたディルの拳、その手首をつかむ。
「……そうか」
声はもはや、かすれていなかった。
「ならば生きねばならないな。
どんなに罪深くとも、贖いには到底及ばなくとも――私はすでに、その色を知っているから」
権能〝クロノス〟発動。
ついでディルが握っていたボトルをしっかりと受け取る。
それらを見届けたディルはカナリアの〝バード・ケージ〟を解除する。
平常の小鳥形状を取り戻したカナリアは、一歩を踏み出したヴァイスの肩に留まった。
カツン、カツン、カツン――甲高い靴音を立てながらヴァイスはディルの傍らを通り過ぎる。
呪いにまみれた体躯で。
真っ白な道でも空っぽな道でもなく。
暖色も寒色も綯い交ぜになった道を進んでいく。
「……俺、欲しいもんがあるんだよ」
ヴァイスとカナリアがいなくなったあと。ディルはぽつりと独りごちた。
「ようやく手に入ると思ったのに、ずいぶん遠のいちまったもんでな。
……でも。それを見るためならまだまだ頑張れるんだ、俺は」
手首に残った感触を噛みしめるように続けて、ディルもまた踵を返す。新たな道を切り開いていく。
相棒のために。相棒のためと信じる自分のために。
ディルは口もとを綻ばせた。
灰の瞳に映るのは、右の腕と胸を覆う上半身防具、右の腰と足全体を覆う下半身防具、そしてグローブと靴――どれも金古美色で金属的な光沢を放つ封印具たちである。
大まかなサイズを事前に口頭で伝えただけだというのに、まるで試着を重ねたかのごとくピッタリと馴染む様はホレボレするほどだ。
「最後にこれを付ければ完成だ」
言いながらディルは傍らのテーブルに乗せてあるモノを手に取った。
同じく金古美色をしたそれは顔全体を覆うフルフェイスマスクだ。
のっぺりとした形状だが、口元部分だけが突き出ていてクチバシのようにも見える。人間が発明したペストマスクを参考にしたのだろうか。不気味極まりないものの頑丈そうなのは確かだった。
この封印防具一式はカナリアの制作者でもある〝想念鍛冶〟ザドリックに特急で造ってもらったものだ。
つい最近バディを失い、そのバディとの子を授かったことで執行者を引退した彼に無理を言うのは気が引けたが、他ならぬ彼自身が二つ返事で受け入れてくれたのだ。
いわく
『同胞の〝守りてぇ〟って想いは無下にしねぇよ』
『手ェ貸してやる。だからお前は絶対に守りやがれ』
と。
今、主に封印防具が守っているのはヴァイスの右半身だ。つまり呪禍の黒に侵された箇所を集中的に封印するためにこの防具は造られた。
――呪禍に侵されたヴァイスをディルが担いで帰還して以降、ヴァイスはしばらく意識を取り戻さなかった。
その間のディルは血眼になって呪禍に関する資料や文献を探しては読み漁り、呪禍を知るエンラや執行者にも話を聞いて回った。
その寄り集めた知識を肥やしに、己の権能〝毒〟で薬毒を生成し、おそるおそるヴァイスに投与した。とにかく必死だった。
何が功を奏してくれたのかは分からないが、ヴァイスは数日前に意識を取り戻した。
ヤミ属界で存在養分を補給できたことで呪禍に侵された箇所以外は既に全快しており、現状を言って聞かせれば取り乱すこともなかった。精神的な異常も見受けられない。
しかし意識を取り戻してから今日までの数日間、彼はディルの問いや軽口にも無表情で短い応答を返すだけだった。
それ以外は虚ろに黙りこくり続けた。起き上がりもせず、死んだように目を閉じてばかりだった。
「おう、似合うじゃん」
ヴァイスの面にフルフェイスマスクを装着し終えたディルは、半歩後退し、少し遠くからヴァイスを眺めながら感想を口にした。
しかしやはりヴァイスの反応はない。微動だにもせず、されるがまま。まるでトルソのようだ。
ディルは沈黙を埋めるように口を開いた。
「お前は今後、常にこの封印具一式をつけて活動することになる。
この部屋にはカナリアの〝バード・ケージ〟を張り巡らせてるから守られていたが、この領域を出ればたちまちに呪禍の餌食になる。
カナリアも本来は拘束して封印する道具だからな。自由に動くには使えないってことで、代わりに用意したのがこの封印具ってわけだ」
ディルの説明のとおり、病室の壁には格子状に展開されたカナリアが張り巡らされていた。
まるで鳥かごのようだが、この不自由がヴァイスを侵す呪禍を限りなく遅々とさせてくれたのだ。
「つっても、カナリアと同様この封印具でも完全に封印できるわけじゃない。目に見えない速度ではあるが進行はしてる。多分何をしても進行は完全に止められない……それくらい呪禍ってのは蝕む力が強いんだ」
「……」
「だからお前には封印具装着に加えて、もうひとつやることがある。
権能〝クロノス〟の常時発動――つまり右半身を広く侵している呪禍に対して〝逆行〟をかけ続け、さらに進行を妨げる。
それだけやっても進行遅延が関の山だろう。だが、これくらいすれば呪禍がお前の命を即座に奪うことはなくなる。
そうだな、何千年レベルでは平気になるはずだ。で、その間に俺は呪禍の解呪方法を見つけ出してみせる」
「……」
「ただし注意事項な。呪禍による狂おしい苦痛はどうしても付きまとうだろう。だからお前は今後も定期的に俺の毒血を摂取する必要がある。
つっても苦痛を全部取り除けるわけじゃねぇのは悪いが……そっちも改良していくし、充分な量をいつも用意しておくからさ。今はそれで勘弁してくれよ」
「……」
「それと神陰力な。さすがのお前でも〝クロノス〟を常に自分へ発動させながら強力な罪科獣を相手にし続けるのは厳しいときがあると思う。
だから封印にかかる方の神陰力は俺が全部受け持つ。あー、なんか勝手に〝神核繋ぎ〟されたからな? ま、そのよしみってことで必要量は供給してやるよ」
「……」
「あとはカナリアか。この〝バード・ケージ〟状態を解除したあとはお前に預ける。
俺は今後ヤミ属界で医師業が主となるからお前と行動することは難しくなるが、カナリアは簡単な命令も聞ける。
万が一封印具が壊れそうなとき、俺の助けが必要なのに念話が届かないときとか。そんなときはカナリアを使って俺を呼んでくれ。すぐ駆けつける」
「……」
「とまぁ、執行者復帰にあたって話しておきたいことはそれくらいだな。なんか質問あるか?」
できるだけ明るい声で述べながら、ディルは再びヴァイスを見上げた。
しかしヴァイスはやはり微動だにしない。まるで静止画のようにその場に佇むだけだ。
「……何故だ」
だが、その彼がふと問いを発した。数日間ろくに紡がれなかった音色は今にも消え入りそうなほどにかすれている。
「何故、助けた。何故そうまでして私を生かそうとする」
「あん?」
「私はあのときに消えるべきだった。
エレンフォールを守れなかった。最も惨たらしい方法で永遠の死に至らしめた。お前や育て子たち――ヤミ属すべてに背を向けた。
それほどに罪深い私が、お前に過分な負担をかけてまで生きていいわけがない」
「……」
「私にはもう、何の価値もないんだ」
病室に波紋を描く言葉たち。その音色はまるで涙のようだ。
だからといって憐憫を誘いたいわけではない。否定を期待しているわけでもない。ただ淡々と自分の罪を告白するだけの。
「バーカ。そんなのはお前だけで決めるモンじゃねぇよ」
だからディルは言って、ヴァイスの肩を軽く殴ってみせるのだ。日常だった日々とこれからをつなぎ合わせるように。
「少なくとも俺には価値しかねぇ。お前を奇跡的に助けられたこと、今後も助けられること……俺にとっちゃ何にも代えがたいモンだ。何ら負担じゃねぇっつの」
ペストマスクの奥をまっすぐ見つめる。
ヴァイスの肩に拳を当てたままの姿勢。その手の内にはディルの毒血で満たされたボトル数本が握られている。
「それにだ。罪深いと思うなら尚更生きろ。エレンフォールのことを悔いるならこれからも生物の死を守っていけ。
育て子たちをこれ以上哀しませんな……ずっとずっと俺の相棒でいろ」
「……」
「ヴァイス。今のお前なら分かるはずだ。
俺がお前に抱いてる気持ちは、お前がエレンフォールに抱いた気持ちと一緒だってこと」
――その言葉に、その声色に。
ヴァイスは一度肩を揺れ動かした。そうしてまた数秒静止したあと、己の肩に当てられたディルの拳、その手首をつかむ。
「……そうか」
声はもはや、かすれていなかった。
「ならば生きねばならないな。
どんなに罪深くとも、贖いには到底及ばなくとも――私はすでに、その色を知っているから」
権能〝クロノス〟発動。
ついでディルが握っていたボトルをしっかりと受け取る。
それらを見届けたディルはカナリアの〝バード・ケージ〟を解除する。
平常の小鳥形状を取り戻したカナリアは、一歩を踏み出したヴァイスの肩に留まった。
カツン、カツン、カツン――甲高い靴音を立てながらヴァイスはディルの傍らを通り過ぎる。
呪いにまみれた体躯で。
真っ白な道でも空っぽな道でもなく。
暖色も寒色も綯い交ぜになった道を進んでいく。
「……俺、欲しいもんがあるんだよ」
ヴァイスとカナリアがいなくなったあと。ディルはぽつりと独りごちた。
「ようやく手に入ると思ったのに、ずいぶん遠のいちまったもんでな。
……でも。それを見るためならまだまだ頑張れるんだ、俺は」
手首に残った感触を噛みしめるように続けて、ディルもまた踵を返す。新たな道を切り開いていく。
相棒のために。相棒のためと信じる自分のために。