第1話 トツゼンの呼び出し

文字数 2,541文字

 ヤミ属界、アスカと響の自宅。日常になりつつある、平和なある日。

「響」

 自室でのんびり過ごす響が〝窓〟で家族だった者たちの今を眺めていると、不意にアスカの声が耳へ入ってきた。

 部屋から顔を出して隣のリビングルームへ視線を投げれば、開け放たれた窓の前にアスカが立っているのが分かった。

 彼の肩には何やら小さなものが留まっている。どうやら鳥、しかも生身の鳥ではなくゼンマイ仕掛けの鳥だ。

 響がそのフォルムに既視感を感じたところでアスカが口を開いた。

「今しがたカナリアから伝令を受けた。今日、ヴァイス先輩がここに来るそうだ。遅くとも二時間以内には着くらしい」

「そういえば僕の中にある紋翼をまた使えないようにするって話だったもんね。

 あぁなるほど、見覚えがあると思ったらヴァイスさんと一緒にいた鳥だ。カナリアっていうんだね、君」

 言いながらアスカへ近づき、その肩で生身の鳥のような仕草をするカナリアに指を差し出す。

 ゼンマイ仕掛けの無機質な見た目でありつつも、カナリアはその指をクチバシで軽く突いては響の目元を緩ませた。

「カナリアは忙しいヴァイス先輩が言伝をするために使われることが多いな。他にも色々と機能があって便利らしい」

「優秀なんだね。あっ」

 カナリアは金属の光沢を放つ翼をおもむろに広げると、用は済んだとばかりにアスカの肩から窓の外へと飛び立っていった。恐らくヴァイスのもとへ戻ったのだろう。

「行っちゃった。忙しいヴァイスさんの鳥だからやっぱり忙しいのかな」

「そうかもな。ヴァイス先輩も今日の用事を終えたらまたすぐ生物界へ下りるはずだ」

「うわぁ……本当に忙しいんだね。そういえばヴァイスさんに会うのかなり久しぶりな気がするよ」

 最後にヴァイスと顔を合わせたのはヤミ属界の案内のときだ。となると既に一ヶ月近くヴァイスと会っていないことになる。

 この一ヶ月は存在養分を得るために生物界へ下りてキララやルリハと会ったり、毛玉型罪科獣に遭遇したりしたせいもあってか、ヴァイスに会うのはやけに久々な心地がした。同時に少しだけ緊張もしていた。

 使わないようヴァイスが細工していたらしい紋翼を、響は毛玉型罪科獣との一件で無理やり解き放った挙げ句二度も使用している。

 ヴァイスはその現場に居合わせなかったものの、あのときのことはもちろん耳に入れているはずだ。穏やかな雰囲気で顔を合わせられるとは思えなかった。

「……どうした。浮かない顔だな」

 不安が表情に出ていたらしい。しかし見上げた先のアスカも同じ思いを抱いているような気がした。アスカは端正な顔を常に仏頂面にしているので分かりづらいが、いつもより表情が固い。

「ほら、毛玉と戦ってるとき紋翼を二回も使っちゃったし、もしかしたら怒られたりするのかなって心配になっちゃってさ」

「……」

「ちょっ、そこで黙らないでよ。余計不安になってくるじゃん!」

「……注意は受けるかも知れないが、お前が叱られることはないと思う。俺は不可避だろうが」

「そ、そうなの?」

「毛玉を相手にしたとき、お前を危険にさらしたからな」

「ええ? でもあれはアスカ君が危険にさらしたわけじゃなくない? そもそも毛玉に出くわしたのは偶然なんだよね」

「そうだが、俺はお前を思いきり戦闘に巻き込んだ。オトリになるためにお前がビルの屋上から飛び降りたというのも、ヴァイス先輩としては話が違うとなるはずだ」

「だってあれは僕が勝手にやっただけだよ」

「独断させるほど難航したこと、飛び降りを実行させるほど他に気をやってしまったことは、俺がお前を守ると誓った以上叱責を受けて当然のことだ」

 思った以上に重く受け止められていたらしいことに響は心底驚いた。急いで首を横に振って否定する。

「いやいやいや、そこまで重く考えなくていいのに! 別に今無事ならそれでいいじゃん!

 ていうか前から思ってたけどアスカ君て色々反省しすぎじゃない? 毛玉を倒せたんだし、飛び降りた僕を助けてくれたんだからもっと胸を張って――」

 ヒヒーン、ブルルルルォ!

「うわ、なに!?」

 そんなところに馬のようないななきが割って入ってきて、響はビクリと肩を揺らした。しかし驚きはそれだけに留まらない。

「御免! アスカ殿並びに響殿、在宅であるか!」
「……、」

 外から明確に呼ばれ、アスカと響は顔を見合わせる。響き渡る声に引かれるようにアスカが玄関のドアを開けば、まず目に飛び込んできたのは馬にも鬼のようにも見える獣の険しい顔面だ。

 両こめかみには鋭い角、鋼のごとき筋肉に彩られた巨大な四足歩行獣――その恐ろしい姿にアスカの背後で様子をうかがっていた響はまたも肩を揺らした。

 アスカの視線を追って獣を見上げると、その背に誰かが乗っているのが見える。

「鬼馬に乗ったままで失礼する。両名にエンラスーロイ様よりご下命あり。裁定神殿まで参上願う。速やかに用意されたし」

 堅苦しい口調で述べる彼は緋色の短髪と橙の瞳を持つ精悍な顔つきをした青年だ。重々しい漆黒の鎧やマントは彼の屈強さと責務を具現しているように見えた。

 何より彼には見覚えがあって響は眉を持ち上げる。

「あ、この方確か……」
「神域守護騎士団のロイド団長。神域を防衛領域とするあなたが何故直々に?」

 響がその名を口にする前にアスカが胡乱げに問うた。

 そう、鬼馬と呼ばれた獣の背に乗っているのは、以前ヤミ属界を回った折に防衛地帯にてヴァイスから紹介を受けたガーディアン、神域守護騎士団団長のロイドだった。

 彼はアスカの言葉にさわやかな笑みを向ける。

「別件でエンラ様のもとへ参じた際、貴殿らをすぐに連れてくるようにと居住地帯防衛団への伝言を仰せつかった。しかし、せっかくの機会だからと自分がこうして参じた次第だ」

「そ、そうなんですね……」

 はきはきとした返答に気後れした声を出す響。

 彼の背後にはすっかり通りかかったヤミたちの野次馬が出来上がっている。

 居住地帯では日ごろ目にすることのないであろう鬼馬に乗ったロイドが高らかな声を響き渡らせたのだ、何だ何があったと集まってしまうのは仕方がないような気がした。

「そういった経緯であるため、自分が責任をもってお連れする。すぐに用意していただけるだろうか」
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