第1話 狂気の幕開け

文字数 2,675文字

 そこに在るものはひとつ、圧倒的な狂気だった。

 密閉された空間だ。窓という窓、出入り口という出入り口が釘を打たれて閉鎖され、日の光はおろか月光や小虫の侵入すらも許さない。

 そこにひしめく人々は頭から被った黒布のなかで呪を唱え、それでいて一様に笑っている。生臭い供物の並ぶ祭壇を前にして。

「おぉ、偉大なる悪魔神。我らの悪魔神よ……ここに降臨したもう」

 人々の見上げる祭壇のすぐ前では、神官と呼ばれる壮年の男が一心に祈りを捧げている。

「この血塗られた糜爛黒夜に我らへ慈悲を与えたまえ、切なる願いを叶えたまえ――愚かなる者どもに恐怖を、絶望を、死を!」

 叫び声じみた呪いの声が真っ暗闇に響く。この閉鎖的な空間では反響すらしない。光もなければ音も途絶えた。あるのはただ人の悪性と供物だけ。それゆえ願いは聞き届けられた。

 ギイと音がした。棺の開く音がした。

 ああ、ああ。悪魔神よ。我らの神が今宵も降臨なされた。黒き人々が囁く。

 愉悦の入り混じった声に見守られながら、ゆっくりと棺は開かれていく。

 むせかえるような死臭も美酒に等しく、真っ暗闇に灯る黄色の光はさながら満ち月のよう。

「ああ、我らが悪魔神よ。どうか恵みたもう!」

 ――愚かなる者へ死を、我らに豊かな生を。





「ひ、ひいいぃいいいい……!!」
「20000回到達! お疲れさまでヤンス響ー!」

 片手で身体を持ち上げきった響は、死にそうな声とともにベシャリと地へ伏した。

 そのまま数分間フリーズ、限界まで追いつめた身体はまだまだ休みを欲しているとでも言うように荒い呼吸を繰り返す。

 自身の流した汗で床がベチャベチャになっているが、今の響にはそれを気にする余裕もない。

 ヴァイスの言を守って二倍に増やした筋トレも既に三回目だが、その程度で慣れるはずもなかった。

 何ヶ月と続けた一倍ですら終えるのに難儀していたため、二倍となった今では死にものぐるいの域だ。

 初めての〝罪科獣執行〟任務から三日が経っている。この三日間は〝罪科獣執行〟の任務を新たに与えられることはなく〝魂魄執行〟の任務もなかった。

 これはエンラの計らいだ。先日の〝罪科獣執行〟任務はヤミ神による指名勅令であったためエンラも声をかけないという選択肢はなかったようだが、アスカは直前に追加で休暇を命じられていた身である。それゆえこの三日間はアスカもバディである響も休みとなっていた。

 とはいえ、アスカも響もじっくり骨休みをしていたわけではない。

 アスカは眠るとき以外は屋上で筋トレや特訓に没頭していたし、響も似たようなものだった。ふたりで防御や回避の特訓もした。

 今日もこのあとアスカと合流し、アビー食堂で食事を摂り終えたあとは延々特訓する予定となっている。

 床にしばらく突っ伏していると少しは回復したので身を起こした。ついで腕の筋肉を目立たせるように関節を折り曲げてみた。

「うん、筋肉ついてきた気がする……!」

 二の腕でこんもりと存在を主張する筋肉を確認すれば大きく頷く。

 響は筋肉がつきづらい体質なのか数ヶ月筋トレを重ねたにしては薄かったものの、それでも結果が見えるのは嬉しいものだ。

 ご満悦な気分になりながら身体の汗を拭き終えると、応援やカウントのために外へ出てきてもらっていたユエ助が労いを求めて甘えてくるので、垂れ下がった耳の辺りを撫でつつ〝窓〟を開眼させた。

 同時に〝窓〟が宙に浮き、眼球を露わにしては生物界の映像を映し出し始める。

 〝窓〟は慣れたようにズーム・インして、日本、東京、響の生まれ育った家の屋内映像へと移り変わらせた。

 日本の現在時刻は夜八時ごろのようだ。

 祖父はリビングルームでテレビを観ており、祖母は何やらそわそわと落ち着かない様子でうろついている。

 祖父はリビングルームでテレビを観ており、祖母は何やらそわそわと落ち着かない様子でうろついている。妹だった乃絵莉は自室だろうか。姿がない。

 〝混血の禁忌〟によって生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となり、生物界を追われてしまった響は二度と彼らの家族に戻れない。

 何より家族だった人々は響のことを根本から忘れてしまっている。それでも響には今も大切で唯一無二の存在なのだ。

 と、響が小さな笑みを浮かべながら映像を眺め続けている前で祖母が動き出した。

 向かった先は玄関。そして玄関で靴を脱いでいるのは乃絵莉。

 祖母は眉をひそめながら乃絵莉にむけて口を開閉している。〝窓〟に音声はないので何を言っているのかは分からないが、表情を察するに帰りが遅いことを注意しているように思えた。

 しかし乃絵莉は祖母を睨みつけるばかりだ。廊下に上がったあとはリビングルームから顔を出して注意しようとする祖父も無視し、さっさと自分の部屋へ上がっていってしまう。

「……今日もか」

 響はひとりごちる。

 最近、乃絵莉の態度が急激に悪くなっていた。今では響が家族の一員だったころと全然違う。

 現在の乃絵莉は祖父母に反抗的な態度を取って無視をすることも多くなった。濃いめの化粧をするようになったしスカートも心配になるほど短い。

「乃絵莉……反抗期なのかな」

 高校生になったのだから順当な成長なのかと思うも、祖父母への態度は気になってしまう。響は反抗期がなかったので尚更だ。

 響や乃絵莉は物心ついたときから両親がいなかった。母親は乃絵莉を生んですぐ死に、父親は妻の死後に行方不明。そのため響や乃絵莉の面倒をずっと見てくれたのは祖父母なのだ。

 ゆえに祖父母をないがしろにして欲しくない。何か問題があっての現状ならば自分が力になりたいと強く思ってしまう。

 だが、乃絵莉も祖父母も響のことは一切覚えていない。さらにヤミ属執行者となった今は生物の生き方に干渉することも厳禁。ならば自分にできることは何ひとつなかった。

 ――と、そんなふうに沈んでいたところでドアのノック音が響く。

 響はユエ助を己の内に格納し〝窓〟を閉眼するとドアを開けた。するとそこにはアスカが立っている。

「アスカ君おはよう。どうしたの? まだ食堂へ行くには早……」

「ギャア!」

 己の言葉の途中で被さってきた甲高い声にビクリと肩を揺らす。

 一瞬アスカの声かと思ったがそんなはずはなく、別の何かから発されているものだ。

 アスカもまた無言で己の肩に留まっている存在を指差す。そこには一羽の黒ヤタガラス。

〝勅令、勅令。我ラガヤミ神ヨリ指名勅令アリ。

 アスカ、ヒビキ、両名ハ神域ヘ参上セヨ。

 罪科獣執行ノ任務デアル〟

「……!!」

 耳を疑う内容に響は大きく目を見開いた。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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