第5話 踏んだり蹴ったり
文字数 2,527文字
「――へっ?」
そしてもちろん、ディルの構想は実現しなかった。
確かにディルの言葉どおり戦闘は一瞬で終わった。ヴァイスへ即座に肉薄したディルは最適なタイミングで拳を振り下ろしたし、最後に視認したヴァイスはやはり身動きひとつ取っていなかった。
ゆえに自分の勝ちだと信じて疑わなかったのも仕方がない。だが、ヴァイスの肩に向けて放った拳が肉の感触を捉えることはなく。
それだけではなかった。次の瞬間、視界がぐるりと回転したと思ったら勢いよく吹き飛ばされていた。
否、そう認識できたのは背中が何かに衝突し、その何かが裁定神殿の壁だと分かってからだ。
しかもそう認識できても意味までは分からない。何故に今、自分は壁を背に、床に頭をつけて転がっているのか。
視界が上下逆転しているということは、かなり無様な格好をしているということでもある。なのに何故ヴァイスは今までと変わらない位置と姿勢で立っている。一体ぜんたい何が起こったんだ?
本当に、状況が理解できなさすぎた。それゆえリンリンの思わずといった風情の吹き出し笑いが聞こえてきても、近くに戻ってきたカナリアがどこか心配そうに突いてきても、ディルは目をパチパチと瞬かせることしかできなかった。
「戦闘終了。エンラ様、〝罪科獣執行〟の任務のご説明をいただければ」
しかしヴァイスの声がディルの聴覚に触れれば話は別だ。
ディルは床に手をついて反対を向いた身体を持ち上げ、空中に身を投げ出しては着地し直す。眉尻を吊り上げた。
「ッ、テメェなに勝手に次行こうとしてんだ、まだ終わってねぇぞ!!」
「決着がつきました。私の勝ちです」
「違うね! 確かにいつの間にか床に転がってたけどな、お前にヤラれた感覚なかったし何も見えなかったし! だから勝負はついてねぇ、戦闘は続行だ!」
「はい。任務に支障を来さないよう床へ転がすだけにしました。
何も視認できなかったのは、単純にあなたの動体視力が私の速さに追いつけなかったからです」
「ちッげぇええええし!!」
「エンラ様。任務のご説明を」
「ッ俺を! 無視すんじゃねー!!」
今度こそ堪忍袋の緒が切れた。それはもう盛大な音を立てて切れまくった。その結果は裁定神殿での権能使用、つまり〝毒〟の発動だ。
しかしそれは実行直前で阻まれた。〝毒〟を放つため己の背後に毒の紋翼を展開しようとした瞬間、活性化しかかっていた神核片が急激に勢いを緩めた。そこで我に返るも時すでに遅し。
ピィイイイイ!
肩にとまっていたカナリアが急に鳥のような鳴き声を上げる。
カナリアの封印拘束形態〝バード・ケージ〟――ゼンマイが忙しなく回転し、内側から質量以上の格子を生み出しては速やかにディルを拘束。
神陰力放出を強制的に止められたディルは再び床に転がされてしまったのである。
その後のことはディルにとって面白くないことのオンパレードだった。
拘束されたまま頭上で〝罪科獣執行〟任務二件の説明をエンラとリンリンが行い、ヴァイスもまたディルの了解も得ずうなずいた。
それからすぐに任務へ向かわされた。さすがにその時点でカナリアの拘束は解かれたが、決して簡単でない任務だったにもかかわらず、いずれも良いところのない戦果で終わってしまった。
一件目の執行対象はモジホコリの罪科獣であり、それなりの大きさの沼を支配するほどの大きさと重量だった。
この罪科獣は己の身を何百にも分けて核の場所を不明確にし、ディルやヴァイスを撹乱しようとした。
そのためディルはまず罪科獣の動きを止めようと沼全体に毒を放ったのだが――例によって共に戦うヴァイスへの注意喚起はなし――ヴァイスはその散布毒のわずかな隙間を縫って、最後方に控えていた核へ攻撃を浴びせ即座に戦闘終了となった。
二件目の執行対象は高山の頂きに巣食うオウギワシの罪科獣だ。
見るからに凶暴であったためディルは『俺がやる。黙って見てろ』と先輩らしくヴァイスに言ったのだが、罪科獣に弾丸のごとき飛翔と攻撃を繰り返され毒を撒き散らすばかりとなった。
無駄撃ちで疲弊が重なったころ、罪科獣の攻撃を真っ向から食らいそうな局面が発生。
ディルの身体が反射的にこわばったとき、素直に黙って見ていたヴァイスが動いた。彼はディルの前に立ちはだかり、一瞬で急所に強力な一撃を食らわせて戦闘終了となった。
「――どうされましたか」
そして現在、短時間のうちに任務を二件片づけたディルとヴァイスは裁定神殿前に立っていた。
エンラへの報告を終え、明日以降にこなす任務数件を新たに受け取って神殿を出た直後のこと。突然立ち止まったディルをヴァイスが振り返ったのだ。
ディルが立ち止まった理由は単純にヴァイスが気に食わなかったからだ。
今回も勝手にバディを決められた事実はもとより、そのヤミが年下で経験も浅いくせに自分より戦果を上げたこと。
エンラが『次の任務も頼んだ』と自分ではなくヴァイスに言ったこと。
そして何より――
「おいガキ」
「ヴァイスです」
「お前なんかガキで充分だ。お前、権能ふたつ持ってんだな」
ディルはぶっきらぼうに問うた。
大抵の場合、権能は一直系属子にひとつだけだ。ヤミ属の頭領であるエンラは例外としても、執行者の大多数はひとつの権能を持つ。だがヴァイスは戦闘中ふたつの権能を扱っていた。
ヴァイスは何ということはないと言わんばかりの無表情で首肯する。
「はい。ひとつは〝茨〟 任意の場所にあらゆる要素を調整可能な茨を発現させるものです。もうひとつは――」
「〝クロノス〟 個体の時間を操る権能。あのリヴィアタ様も持ってた特異な能力……そうだろ」
戦闘中、ヴァイスは罪科獣の動きを停止したり逆行させたりして、彼らの時間を自由自在に変えていた。そのようなことが可能な能力はディルの知るところではひとつしかなかった。
ヴァイスはまた普通のことのようにうなずく。
「そのようですね」
「……へぇ、じゃあお前はリヴィアタ様の生まれ変わりってわけか。そりゃ誰からも持てはやされて当然だよな」
ディルは口もとを歪めた。この鼻持ちならない子どもが過去に憧れを抱いた存在、権能を所持していることが気に入らなかったのだ。
そしてもちろん、ディルの構想は実現しなかった。
確かにディルの言葉どおり戦闘は一瞬で終わった。ヴァイスへ即座に肉薄したディルは最適なタイミングで拳を振り下ろしたし、最後に視認したヴァイスはやはり身動きひとつ取っていなかった。
ゆえに自分の勝ちだと信じて疑わなかったのも仕方がない。だが、ヴァイスの肩に向けて放った拳が肉の感触を捉えることはなく。
それだけではなかった。次の瞬間、視界がぐるりと回転したと思ったら勢いよく吹き飛ばされていた。
否、そう認識できたのは背中が何かに衝突し、その何かが裁定神殿の壁だと分かってからだ。
しかもそう認識できても意味までは分からない。何故に今、自分は壁を背に、床に頭をつけて転がっているのか。
視界が上下逆転しているということは、かなり無様な格好をしているということでもある。なのに何故ヴァイスは今までと変わらない位置と姿勢で立っている。一体ぜんたい何が起こったんだ?
本当に、状況が理解できなさすぎた。それゆえリンリンの思わずといった風情の吹き出し笑いが聞こえてきても、近くに戻ってきたカナリアがどこか心配そうに突いてきても、ディルは目をパチパチと瞬かせることしかできなかった。
「戦闘終了。エンラ様、〝罪科獣執行〟の任務のご説明をいただければ」
しかしヴァイスの声がディルの聴覚に触れれば話は別だ。
ディルは床に手をついて反対を向いた身体を持ち上げ、空中に身を投げ出しては着地し直す。眉尻を吊り上げた。
「ッ、テメェなに勝手に次行こうとしてんだ、まだ終わってねぇぞ!!」
「決着がつきました。私の勝ちです」
「違うね! 確かにいつの間にか床に転がってたけどな、お前にヤラれた感覚なかったし何も見えなかったし! だから勝負はついてねぇ、戦闘は続行だ!」
「はい。任務に支障を来さないよう床へ転がすだけにしました。
何も視認できなかったのは、単純にあなたの動体視力が私の速さに追いつけなかったからです」
「ちッげぇええええし!!」
「エンラ様。任務のご説明を」
「ッ俺を! 無視すんじゃねー!!」
今度こそ堪忍袋の緒が切れた。それはもう盛大な音を立てて切れまくった。その結果は裁定神殿での権能使用、つまり〝毒〟の発動だ。
しかしそれは実行直前で阻まれた。〝毒〟を放つため己の背後に毒の紋翼を展開しようとした瞬間、活性化しかかっていた神核片が急激に勢いを緩めた。そこで我に返るも時すでに遅し。
ピィイイイイ!
肩にとまっていたカナリアが急に鳥のような鳴き声を上げる。
カナリアの封印拘束形態〝バード・ケージ〟――ゼンマイが忙しなく回転し、内側から質量以上の格子を生み出しては速やかにディルを拘束。
神陰力放出を強制的に止められたディルは再び床に転がされてしまったのである。
その後のことはディルにとって面白くないことのオンパレードだった。
拘束されたまま頭上で〝罪科獣執行〟任務二件の説明をエンラとリンリンが行い、ヴァイスもまたディルの了解も得ずうなずいた。
それからすぐに任務へ向かわされた。さすがにその時点でカナリアの拘束は解かれたが、決して簡単でない任務だったにもかかわらず、いずれも良いところのない戦果で終わってしまった。
一件目の執行対象はモジホコリの罪科獣であり、それなりの大きさの沼を支配するほどの大きさと重量だった。
この罪科獣は己の身を何百にも分けて核の場所を不明確にし、ディルやヴァイスを撹乱しようとした。
そのためディルはまず罪科獣の動きを止めようと沼全体に毒を放ったのだが――例によって共に戦うヴァイスへの注意喚起はなし――ヴァイスはその散布毒のわずかな隙間を縫って、最後方に控えていた核へ攻撃を浴びせ即座に戦闘終了となった。
二件目の執行対象は高山の頂きに巣食うオウギワシの罪科獣だ。
見るからに凶暴であったためディルは『俺がやる。黙って見てろ』と先輩らしくヴァイスに言ったのだが、罪科獣に弾丸のごとき飛翔と攻撃を繰り返され毒を撒き散らすばかりとなった。
無駄撃ちで疲弊が重なったころ、罪科獣の攻撃を真っ向から食らいそうな局面が発生。
ディルの身体が反射的にこわばったとき、素直に黙って見ていたヴァイスが動いた。彼はディルの前に立ちはだかり、一瞬で急所に強力な一撃を食らわせて戦闘終了となった。
「――どうされましたか」
そして現在、短時間のうちに任務を二件片づけたディルとヴァイスは裁定神殿前に立っていた。
エンラへの報告を終え、明日以降にこなす任務数件を新たに受け取って神殿を出た直後のこと。突然立ち止まったディルをヴァイスが振り返ったのだ。
ディルが立ち止まった理由は単純にヴァイスが気に食わなかったからだ。
今回も勝手にバディを決められた事実はもとより、そのヤミが年下で経験も浅いくせに自分より戦果を上げたこと。
エンラが『次の任務も頼んだ』と自分ではなくヴァイスに言ったこと。
そして何より――
「おいガキ」
「ヴァイスです」
「お前なんかガキで充分だ。お前、権能ふたつ持ってんだな」
ディルはぶっきらぼうに問うた。
大抵の場合、権能は一直系属子にひとつだけだ。ヤミ属の頭領であるエンラは例外としても、執行者の大多数はひとつの権能を持つ。だがヴァイスは戦闘中ふたつの権能を扱っていた。
ヴァイスは何ということはないと言わんばかりの無表情で首肯する。
「はい。ひとつは〝茨〟 任意の場所にあらゆる要素を調整可能な茨を発現させるものです。もうひとつは――」
「〝クロノス〟 個体の時間を操る権能。あのリヴィアタ様も持ってた特異な能力……そうだろ」
戦闘中、ヴァイスは罪科獣の動きを停止したり逆行させたりして、彼らの時間を自由自在に変えていた。そのようなことが可能な能力はディルの知るところではひとつしかなかった。
ヴァイスはまた普通のことのようにうなずく。
「そのようですね」
「……へぇ、じゃあお前はリヴィアタ様の生まれ変わりってわけか。そりゃ誰からも持てはやされて当然だよな」
ディルは口もとを歪めた。この鼻持ちならない子どもが過去に憧れを抱いた存在、権能を所持していることが気に入らなかったのだ。