第1話 山、延々と

文字数 2,648文字

 それはセピア色の記憶だ。

 初めて訪れた生物界。しんと静まり返った森のなか。

 光に満ちた世界はまぶしくて、怖くて、育て親であるヴァイスの足にしがみついてばかりいた。

 しかしふとした瞬間、誰かに呼ばれた気がすると一目散に駆けていく。

 制止の声は背中で聞いた。自分を捕まえようとする手は器用にすり抜け、ただただ前に進んでいった。無数に茂る木々の間を縫い走り、行く手を阻む草やぶをかき分けた。

 暗くて鬱蒼としているのに、その場所だけは違った。木々自身が避けるかのごとく円状にぽっかりと開けた空間。

 そこにひとり、自分より少し大きいくらいの子どもが倒れていた。

 いや、打ち捨てられていた。ボロボロに傷ついて、大量の血の海に沈んで、死んだような顔で虚空を見つめて。

『会えてうれしいな。かなしいな』

 口が勝手に動いたのを覚えている。臆面もなく近づき、血に汚れた冷たい手を握ったことも。

『でもだいじょうぶ。もう、へいきだよ』

 それで焦点を取り戻す子どもの美しき瞳。頭上で見守る空のごとき雄大な碧。

 ゆえにそこだけは――彼を殺した今も、決してセピア色に染まらない。



* * *



 きつく傾斜のついた山のなかを歩いている。それはもう延々と歩いている。

「大丈夫かい。響くん」

 ヴァイスは数歩後ろでヒイヒイと荒い呼吸を繰り返す響を振り返りながら問うた。

 響はやけに重い頭を持ち上げて笑ってみせるが、少しぎこちなかったかも知れない。

「は、はい。全然、大丈夫、です」

「さっきから全然大丈夫そうに見えないが……まだまだ傾斜は続くし、おぶってあげようか」

「……いえ、いえ! 僕がこの任務を受けるって決めましたし、指定の場所に降りられなかったのは僕の責任なんで、自分で歩きます!」

 一瞬迷ってしまったものの最終的には首を横に振ってヴァイスの申し出を拒否する響。

 ヴァイスはペストマスクの顎のあたりに手をやって思案する仕草をした。

「そこまで言うなら君の意志を尊重するが、無理はしないことだ。

 今からその調子では肝心の任務に支障が出てしまう。アスカ、もう少しゆっくり歩くとしよう」

「了解です」

「うぅ、すみません」

 アスカはヴァイスよりも先を歩いていたが、呼びかけられたために前進を止めて遅々とした速度の響やそれに合わせて歩くヴァイスを待っている。

 既に二時間以上急傾斜の山を登り続けているというのに、彼らには一切疲労の兆候が見えなかった。

 響だって毎日きつい筋トレをこなして体力増強に努めているのだが、歴然とした体力格差はそう簡単に埋まってくれないらしい。

 ――ここは生物界、日本。それもある山の頂き付近だ。

 約二時間前、響たち三名は木々がせめぎ合い、ヤブや倒木が行く手を阻むこの山林の中腹に降り立った。以降は延々と休むことなく登り続けている。

 それもこれも、響があらかじめ相談して決めた指定ポイントとは違う場所に降り立ってしまったからだ。

 もう何十回と紋翼を使用して生物界へ降りているのだが、未だに百発百中で目当ての場所に降り立つことができない。紋翼の扱いは本当に難しい。



 何故三名でこんな山中を歩いているのか、そもそもの発端はつい先日のこと。

 防具工房〝リュニオン〟にてリェナから防具を受け取ろうというとき、一羽の黒ヤタが響のもとへ舞い降りたことから始まった。

 黒ヤタとは伝令ヤタガラスのうち神託者の伝令役を担う霊獣のことである。

 そして黒ヤタがやってくるということは自身にヤミ神から指名勅令が下されたということと同義であり、アスカと響は急いで神託者の待つ神域へと向かったのだった。

 双子のように左右対称。そしてやはり淑女にしか見えない神託者たちアウラーエとヤーシュナは、息を切らしながらやってきたふたりに淡々とヤミ神からの指名勅令を授けた。

 響とアスカに構われたがるラブを抑えつつ――後に知ったのだが、ラブもまたアウラーエとヤーシュナの子どもであるらしい。もう何がなんだか――告げた内容は〝罪科獣執行〟。今回日本で観測された罪科獣、その討伐だった。

『ふーむ……よもや〝罪科獣執行〟の指名勅令まで貴様らに下るとはな』

 その後、神域と裁定領域の境界で待っていた側近長リンリンに連れられて裁定神殿へ向かい、ふたりを迎えたエンラは玉座にて魂魄の裁定をしながら渋い顔をした。

『我らが神のご判断は常に正しいとはいえ貴様らに務まるか、ちと心配だのう』

 ちなみに顔を合わせると必ずあったハグのお誘いが今回はなかった。それどころではなかったのだろう。『アスカには追加の休暇を言い渡したばかりであるが、状況が状況だ』と本題にすぐ入った。

『あ、あの。〝罪科獣執行〟っていうのは……?』

 それゆえ響は恐る恐る訊いた。

 罪科獣という単語自体は過去に何度も耳にしたことがあった。

 初めて聞いたのは生物としての存在養分を得るために生物界の日本に下りたときだったか。

 突如として現れたバレーボールサイズの毛玉をアスカはそう呼称し、妖怪みたいなものだと教えられ、以後はその程度の理解で止まっていた。

 しかしその毛玉型の罪科獣は響を狙っていたフシがあり、ヴァイスもそれを危惧して響がヤミ属執行者になり生物界に降りることを拒否していたのだ。

 今回下りた指名勅令もまた〝罪科獣執行〟というのであれば、さすがにもっと知識は必要だろう。

『〝罪科獣執行〟とはその名のとおり罪科獣を執行――つまり討伐する任務だ。

 そして罪科獣とは、魂魄が転生する際に我々と結んだ寿命の契約を無視し続けた結果、魂魄が変容し尽くした元生物のことをいう。魂魄が汚れ歪み果てた生物の末路ということだ』

『……、』

『罪科獣の〝罪科〟とは我らの罪である。すなわち変容しきるまで彼らの魂魄を執行できなかった罪を指す。

 それゆえ我らは命を賭けても彼らを確実に迅速に執行せねばならぬ。そうでなければ他の生物の魂魄も危険にさらされるのでな」

『罪科獣は他の生物を襲うから……?』

 響の問いにエンラは首肯した。

『然り。罪科獣は生物の肉体や魂魄を存在養分とする。

 寿命の契約を反故し輪廻転生から外れた彼らは、本来であれば生物界に有り得てはならぬものである。

 そして有り得てはならぬ存在がもたらす生物の死――それもまた有り得てはならぬものとなる』

『……罪科獣の手にかかった生物は自分の契約寿命を全うできずに死ぬ。

 罪科獣が存在するということは、そのまま契約の不履行看過を意味する』

 説明を付け足すアスカにエンラは再び頷いた。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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