第30話 自分なりの守り方
文字数 3,158文字
「どう切り出すべきか悩んで遅くなったが、俺が話したかったことはそれだ。執行者を辞める選択肢だってあると伝えたかった」
「え、で、でも。僕はエンラ様に自分で志願したんだよ」
「エンラ様が執行者になることを提案したのはお前の選択肢を増やすためだ。お前を苦しめるためじゃない」
『我は響の意志を尊重すると約束したゆえな、この提案は選択肢をひとつ増やそうというもので強制では決してない』
――確かにエンラはそんなことを言っていた。自分たちヤミ属の失態で〝半陰〟にしてしまった以上、響の自由は最大限尊重され保障されなくてはならないとも。
「一度志願したものを撤回するのも悪いことじゃない。むしろ受けた任務を遂げられない方がお前にとって悪いことになるだろう。
万が一生物の魂魄を執行できずに期限を過ぎれば、それこそ取り返しがつかなくなる。失敗した俺のように。そのせいで生物界から存在を抹消されたお前のように」
「……」
「だから無理に続ける必要はない。誰もお前を責めないし、逆に喜々として他の道を提示してくれるだろう。
生物が執行者になるだなんてヤミから見ても険しい道だからな。お前はよく頑張ったと思う」
「……」
「もう何も負わなくていい。生物と繋がっていたい気持ちを叶えてやれなくなるのはすまないが……お前がこの属界で平和に生きることは、皆が願っていることだ」
そこでアスカは一度唇を閉じた。
そのまま響の返事を待つかと思いきや、彼は繋いだ視線を一度外し、迷うように泳がせながら唇をまごつかせる。
それでもやがて視線は戻ってきて、アスカは思いきったようにまた口を開いた。
まっすぐ。響へ黒の視線を注ぎながら。
「だが、ひとつだけ言わせてくれ。俺はお前が〝魂魄執行〟に動揺して俺を止めたのも、死を待つばかりのジョン・スミスに声をかけ手を握ったのも、ヤミ属に対する侮辱だとは決して思わなかった」
「……、」
「何故なら本能だ。
あの人間もお前に言葉をかけられて安心して生を終えることができた。
娘や孫に会う明日に希望を抱き、妻と迎える結婚記念日を夢見ながら目を閉じられた。
それは彼にとって良いことだったと思う。生物にとって良い終わり方だったなら、ヤミ属にとってももちろん悪いことじゃない」
「……でも、でも。僕はジョンさんを騙したんだよ」
「ああ。だが、彼の死の間際にあったものは絶望ではなかった。少なくともジョン・スミスはその一点においては確実に救われた」
「……」
「俺たちにはお前のような発想はない。執行対象に声をかけ、手を握って看取るなんてことは恐らく誰もしたことがないはずだ。だからあれは、今も生物であるお前らしい死の守り方なんだ」
「……」
「お前は誰も侮辱してなんかいない。騙したかも知れないが彼には救いになった。
自分なりの方法で守ったんだ。……そしてそういう守り方もあっていいと、俺は思う」
「……うん。うん……」
気づけばふたりの歩みは再開していた。肩を並べて夜の世界を前に進んでいた。
響がそんな己の行動すら意識できていなかったのは、懸命に耐えていたせいだ。
涙がこぼれるのを。嗚咽が喉を滑るのを。アスカを困らせてしまうのを。
――同時に、響はこれまで解像度荒く刻まれていた己の生きる道が、緻密に改められていくのを感じていた。
エンラに提案され、大して考えもせず執行者を志願した。
アスカの紋翼を持ちながら漫然と生きることを悪いと思っていた。
〝執行者として果たしたいことがある〟というアスカを執行者に戻してあげたかった。
生物と、家族だった人々と少しでも繋がっていたかった。
だからヴァイスに止められても食い下がったし、地獄の特訓も乗り越えられた。
しかしそこには肝心の中身がなかった。中心にあるべき〝生物の死を守る〟ことが抜けていた。
だが、一人の人間の死を前にし、アスカの言葉を胸に抱いて。
――響は己の生きる道を、今度こそ決めることができたのだ。
「アスカ君」
自宅の前に着いた。玄関のドアを開けるためにアスカは響の前に出るも、響はその背に声をかけてアスカの動きを止める。
ゆっくりと振り返るアスカは普段どおりの仏頂面だったが、視線が合うとその目は軽く見開かれた。
「アスカ君。僕、辞めないよ」
はっきりと意志を言葉にする。湧き上がってきた新しい思いをアスカにぶつけようとまた口を開く。
「これからも慣れることはないと思う。何回も落ち込むだろうし、執行者って言いながら雑務しか出来ないのは心苦しいし、アスカ君にもきっと迷惑をかけ続ける。……でも今、続けたいって思ったんだ」
「……」
「僕がジョンさんにしたことはやっぱり駄目だったと思う。例え救いになれたとしても嘘をつくのは良くなかったよ。
けど、アスカ君が伝えてくれた言葉で……僕はジョンさんを騙して見殺しにしたんじゃなくて、僕なりの方法でジョンさんの死を守れたんだって思えたんだ」
「……」
「だから続けたい。アスカ君と一緒に、これからも、皆の死を守りたいよ」
「……そうか」
響のまっすぐな視線、そして決意の言葉を真っ向から受けたアスカは小さく頷いた。
黒瞳はそんな響を映しても憂慮を孕んでいたが、それはきっとこれからふたり進む道が平坦でないことを分かっていたからだろう。
響もまたそれを理解していた。
だが、例え道中で転んでも、ケガをしてしばらく歩けなくなっても。ひとりではないから。隣を歩く存在がいてくれるから。
だからきっと守っていけるはずだ――今の響にはそんな確信があったのだ。
「それなら言うが……実は既に次の任務を受けている」
「えっ、そうなの?」
「ああ。エンラ様へジョン・スミスの魂魄を届けたときに渡された。
指名勅令ではなく通常勅令だったし、執行期限まで日数があったから保留にしていた。
お前が執行者を辞めると言ったなら、今から他の執行者へ代行を頼みに行こうと思っていた」
「そ、そうだったんだ……ごめん」
「いや。それより本当に行けるんだな。無理はするものじゃない」
「大丈夫。ありがとう、待っていてくれて」
少しばかり動揺しつつも大きく頷く響。
するとアスカは何故か自宅から数歩離れた。とりあえずこのまま帰宅すると思っていた響はもちろん首を傾げる。
「了解。じゃあ行くぞ」
「……ちょっ、まさに今から!?」
「ギリギリまで置いておいたからな。時間が差し迫っている。執行期限まであと一時間しかない」
「一時間!? うわぁ待って、突然すぎて心の準備できてないよ……落ち着け落ち着け、階層移動には心の平静が……そ、そうだ、生物界のどこに移動すればいいの?」
「アマゾンにあるヤムチャンカメレモスョプケ族の集落だ」
「ヤム――なんて!?」
予想だにしない返事に響が思わずツッコミを入れると、アスカは「さらに動揺させてすまない……」と自省の顔をしながら頭を掻いた。
だから響はそれ以上のツッコミを喉の奥にしまい込む。
気持ちを無理やり落ち着けて紋翼を展開、アスカの手を取ると生物界へ下りていくのだった――二度目の〝魂魄執行〟を遂げるために。
あとに残ったのは涼やかな風の音だけ。
「おう、盗み聞きとは趣味がいいな。ヴァイス」
このふたりの出来事を、ヴァイスは家の陰で密かに見守っていた。そんな彼が目をやった先にはニヤニヤと笑う相棒の姿。
「ディル。お前も同じ趣味を満喫しにきたんじゃないのか」
「まぁな。〝神核繋ぎ〟も失敗、響が初めての任務でふさぎこんでるって聞いて心配してたんでね」
「ああ。だがもう、無事に進めたようだ」
安堵を伴った優しげな声色は、長年のバディであるディルにとってもなかなかのレアリティを誇る。
だからディルは得をしたような気分になりつつ口を開くのだ。
「きっと良いバディになるぜ、あいつら」
「え、で、でも。僕はエンラ様に自分で志願したんだよ」
「エンラ様が執行者になることを提案したのはお前の選択肢を増やすためだ。お前を苦しめるためじゃない」
『我は響の意志を尊重すると約束したゆえな、この提案は選択肢をひとつ増やそうというもので強制では決してない』
――確かにエンラはそんなことを言っていた。自分たちヤミ属の失態で〝半陰〟にしてしまった以上、響の自由は最大限尊重され保障されなくてはならないとも。
「一度志願したものを撤回するのも悪いことじゃない。むしろ受けた任務を遂げられない方がお前にとって悪いことになるだろう。
万が一生物の魂魄を執行できずに期限を過ぎれば、それこそ取り返しがつかなくなる。失敗した俺のように。そのせいで生物界から存在を抹消されたお前のように」
「……」
「だから無理に続ける必要はない。誰もお前を責めないし、逆に喜々として他の道を提示してくれるだろう。
生物が執行者になるだなんてヤミから見ても険しい道だからな。お前はよく頑張ったと思う」
「……」
「もう何も負わなくていい。生物と繋がっていたい気持ちを叶えてやれなくなるのはすまないが……お前がこの属界で平和に生きることは、皆が願っていることだ」
そこでアスカは一度唇を閉じた。
そのまま響の返事を待つかと思いきや、彼は繋いだ視線を一度外し、迷うように泳がせながら唇をまごつかせる。
それでもやがて視線は戻ってきて、アスカは思いきったようにまた口を開いた。
まっすぐ。響へ黒の視線を注ぎながら。
「だが、ひとつだけ言わせてくれ。俺はお前が〝魂魄執行〟に動揺して俺を止めたのも、死を待つばかりのジョン・スミスに声をかけ手を握ったのも、ヤミ属に対する侮辱だとは決して思わなかった」
「……、」
「何故なら本能だ。
あの人間もお前に言葉をかけられて安心して生を終えることができた。
娘や孫に会う明日に希望を抱き、妻と迎える結婚記念日を夢見ながら目を閉じられた。
それは彼にとって良いことだったと思う。生物にとって良い終わり方だったなら、ヤミ属にとってももちろん悪いことじゃない」
「……でも、でも。僕はジョンさんを騙したんだよ」
「ああ。だが、彼の死の間際にあったものは絶望ではなかった。少なくともジョン・スミスはその一点においては確実に救われた」
「……」
「俺たちにはお前のような発想はない。執行対象に声をかけ、手を握って看取るなんてことは恐らく誰もしたことがないはずだ。だからあれは、今も生物であるお前らしい死の守り方なんだ」
「……」
「お前は誰も侮辱してなんかいない。騙したかも知れないが彼には救いになった。
自分なりの方法で守ったんだ。……そしてそういう守り方もあっていいと、俺は思う」
「……うん。うん……」
気づけばふたりの歩みは再開していた。肩を並べて夜の世界を前に進んでいた。
響がそんな己の行動すら意識できていなかったのは、懸命に耐えていたせいだ。
涙がこぼれるのを。嗚咽が喉を滑るのを。アスカを困らせてしまうのを。
――同時に、響はこれまで解像度荒く刻まれていた己の生きる道が、緻密に改められていくのを感じていた。
エンラに提案され、大して考えもせず執行者を志願した。
アスカの紋翼を持ちながら漫然と生きることを悪いと思っていた。
〝執行者として果たしたいことがある〟というアスカを執行者に戻してあげたかった。
生物と、家族だった人々と少しでも繋がっていたかった。
だからヴァイスに止められても食い下がったし、地獄の特訓も乗り越えられた。
しかしそこには肝心の中身がなかった。中心にあるべき〝生物の死を守る〟ことが抜けていた。
だが、一人の人間の死を前にし、アスカの言葉を胸に抱いて。
――響は己の生きる道を、今度こそ決めることができたのだ。
「アスカ君」
自宅の前に着いた。玄関のドアを開けるためにアスカは響の前に出るも、響はその背に声をかけてアスカの動きを止める。
ゆっくりと振り返るアスカは普段どおりの仏頂面だったが、視線が合うとその目は軽く見開かれた。
「アスカ君。僕、辞めないよ」
はっきりと意志を言葉にする。湧き上がってきた新しい思いをアスカにぶつけようとまた口を開く。
「これからも慣れることはないと思う。何回も落ち込むだろうし、執行者って言いながら雑務しか出来ないのは心苦しいし、アスカ君にもきっと迷惑をかけ続ける。……でも今、続けたいって思ったんだ」
「……」
「僕がジョンさんにしたことはやっぱり駄目だったと思う。例え救いになれたとしても嘘をつくのは良くなかったよ。
けど、アスカ君が伝えてくれた言葉で……僕はジョンさんを騙して見殺しにしたんじゃなくて、僕なりの方法でジョンさんの死を守れたんだって思えたんだ」
「……」
「だから続けたい。アスカ君と一緒に、これからも、皆の死を守りたいよ」
「……そうか」
響のまっすぐな視線、そして決意の言葉を真っ向から受けたアスカは小さく頷いた。
黒瞳はそんな響を映しても憂慮を孕んでいたが、それはきっとこれからふたり進む道が平坦でないことを分かっていたからだろう。
響もまたそれを理解していた。
だが、例え道中で転んでも、ケガをしてしばらく歩けなくなっても。ひとりではないから。隣を歩く存在がいてくれるから。
だからきっと守っていけるはずだ――今の響にはそんな確信があったのだ。
「それなら言うが……実は既に次の任務を受けている」
「えっ、そうなの?」
「ああ。エンラ様へジョン・スミスの魂魄を届けたときに渡された。
指名勅令ではなく通常勅令だったし、執行期限まで日数があったから保留にしていた。
お前が執行者を辞めると言ったなら、今から他の執行者へ代行を頼みに行こうと思っていた」
「そ、そうだったんだ……ごめん」
「いや。それより本当に行けるんだな。無理はするものじゃない」
「大丈夫。ありがとう、待っていてくれて」
少しばかり動揺しつつも大きく頷く響。
するとアスカは何故か自宅から数歩離れた。とりあえずこのまま帰宅すると思っていた響はもちろん首を傾げる。
「了解。じゃあ行くぞ」
「……ちょっ、まさに今から!?」
「ギリギリまで置いておいたからな。時間が差し迫っている。執行期限まであと一時間しかない」
「一時間!? うわぁ待って、突然すぎて心の準備できてないよ……落ち着け落ち着け、階層移動には心の平静が……そ、そうだ、生物界のどこに移動すればいいの?」
「アマゾンにあるヤムチャンカメレモスョプケ族の集落だ」
「ヤム――なんて!?」
予想だにしない返事に響が思わずツッコミを入れると、アスカは「さらに動揺させてすまない……」と自省の顔をしながら頭を掻いた。
だから響はそれ以上のツッコミを喉の奥にしまい込む。
気持ちを無理やり落ち着けて紋翼を展開、アスカの手を取ると生物界へ下りていくのだった――二度目の〝魂魄執行〟を遂げるために。
あとに残ったのは涼やかな風の音だけ。
「おう、盗み聞きとは趣味がいいな。ヴァイス」
このふたりの出来事を、ヴァイスは家の陰で密かに見守っていた。そんな彼が目をやった先にはニヤニヤと笑う相棒の姿。
「ディル。お前も同じ趣味を満喫しにきたんじゃないのか」
「まぁな。〝神核繋ぎ〟も失敗、響が初めての任務でふさぎこんでるって聞いて心配してたんでね」
「ああ。だがもう、無事に進めたようだ」
安堵を伴った優しげな声色は、長年のバディであるディルにとってもなかなかのレアリティを誇る。
だからディルは得をしたような気分になりつつ口を開くのだ。
「きっと良いバディになるぜ、あいつら」