第12話 見てるだけじゃない
文字数 2,984文字
「近づかないでやってもいいけどさ、どうするアスカ。どっちにしろこのままじゃ今度こそ殺されちまうぞ。オマエが死んだら響クンは拷問のすえに殺される運命だ」
「ッ……」
「アイツだけ逃がそうとかムリだぜ。海に来た時点でオレの手中だからな」
言いながらシエルはポケットから取り出した手を何やら動かした。
「ッ!!」
同時にアスカがビクリと大きく身体を揺らし、そして硬直。
「左足貫通だ。痛いだろ~」
響は息を呑む。
アスカは攻撃を受けたのだろう。シエルの言葉をそのまま受け取るならば、恐らく左足を水で貫通――人間であれば激痛でうずくまるような大ケガだ。
アメーバのような水も既に腰まで侵攻してきているため、依然として身動きは取れない。
アスカは〝炎〟を再度身体の周囲に灯して脱出をはかるが、やはり意味を成さない。
大量の水の前では炎など無きに等しいのだ。アスカにとってあまりにも分が悪すぎる戦いだ。
「次はどこにする? 右足でお揃いにしとくか? 背骨をちょっとずつ粉砕するのもいいな……このまま頭まで侵食して窒息ってのも悪くねぇ」
クスクス。シエルが笑う。神のごとく美しい姿で、悪魔のように。
恐ろしい――どうしようもなく恐ろしい存在だった。
「っ……!」
しかし、いやだからこそ。
響は己を奮い立たせて立ち上がり、手を前に突き出す。
そうして手の平に可能な限り〝風〟をため、それをアスカに思いきり打ち込んだ――ビュオォオォオオオンッ!!
一気に放たれた風の奔流はまっすぐ前へと吹きすさび、海水を掻き分け、アスカの腰までを覆う水を飛び散らせにかかる。
水を無尽蔵に蓄える海を相手取って勝るとは思っていない。実際にアスカの身体から海水を蹴散らせたのも一瞬だ。
だがそれで良かった。
風の余波を受けて瞬時に響の意図を理解したアスカは、風が海水を一瞬蹴散らしたと同時に地面を蹴り上げ大きく跳躍、浜辺へと着地できたのだから。
「アスカ君……!!」
「すまない。助かった」
響を背に浜辺でシエルと相対し直したアスカ。その左足のふくらはぎ付近のツナギには穴が空いていた。
重心もまた右に寄っている。やはり左足は深手のようだった。首に横一文字の傷もあるため、血の匂いは潮の香りがあっても消えることはない。
響は唇を噛む。
「ごめん、僕がもっと速く動けていれば」
「いい。それよりも――」
「へー、響クン権能まで使えるんだ? 半端者のくせにスゴイじゃん」
話をさせるかとばかりに割って入ってきたのはシエル。
膝下の波を掻き分けて浜辺へと上がり、立ちはだかるアスカも何のその、身体を傾け響へと視線を送ってくる。
「権能は〝風〟か? 逃げる勇気もなく固まってるだけのオマエが動くとは思わなかったぜ。
おかげでオマエへの殺意もムクムクとわいてきた」
「……!」
真っ向から炯々とした眼光を向けられ、響の喉がヒュ、と音を出した。
ギラギラ光る碧眼に視線をガンジガラメにされてしまえば最後、鼓動は警鐘を鳴らすかのようにさらに速くなり、全身の毛穴が一気に冷や汗を吹き出し始めた。
「は、ぁあ……ロセ……コロセ……」
シエルは瞬きもせずそんな響を見つめている。
美しいはずの音色が唱える殺意はまるで呪言のよう。彼の両目尻からドロリと溢れてその頬を汚すのは赤い赤い血。
「あ、あー、来た。やっぱ半端者といえど生物に殺意を向けるとテキメンだな……」
「……、」
「禁忌の絞首だよ。オマエに〝混血の禁忌〟を犯した罰が、こうしてオレを苛むんだ」
言いながらシエルは己の首を見せつける。そこに黒い線が三本走っていたのを響は先刻に確認していた。
しかし今、その黒線は赤黒く鈍い光を放って、まるで意志があるかのようにシエルの首をぎゅうぎゅうと締めつけていた。
「コロセ、コロ、セ、はは……ダメだ、っつーの」
それでもシエルは絞り出すような声で呪詛のごとく呟き続ける。
異様な姿だ。殺意に満ち満ちた視線から目を逸らしたいのに外せない。
アスカは強制的に繋がれた響とシエルの視線を遮るように移動した。
同時にシエルは再び背後の海水をザザアアアと持ち上げる。
シエルの背にある水の紋翼が再び増長していくが、海をわずかにでも離れたせいだろうか、それとも苦しいせいだろうか。先ほどよりは規模が小さい。
「はぁ、はは……負けはもう決まってるってのに健気で泣けてくるぜ。
オマエらはオレに蹂躙されることが既に決まってんだよ。こんな場所で戦闘を始めちまった、時点でな」
「……」
「なぁアスカ……アレまた見せてくれよ。オレがオマエの紋翼を響クンに埋め込んで〝混血の禁忌〟を犯したときの顔。
自責、後悔、現実を否定したい感情が綯い交ぜになった絶望の表情。あれ、マジで腰にキたんだよな」
「……」
「絶望ってのはいい。特に予想だにしない事態で一気に奈落へ突き落とされたときの絶望は、人間にとってのドラッグに等しい。
あの絶望を見るために今までやってきたといっても過言じゃな――」
「だから殺したのか」
暗い愉悦に彩られた言葉を阻んだのはアスカの低い声。
「あ?」
「ヤミ属執行者を、仲間を……ニネ先輩やサッズ、フィエナを殺したのも、自分の欲望を満たすためだったのか」
「――何を言うかと思えば」
そしてその問いに。
シエルは一呼吸のあとで満面の笑みを浮かべた。
「当たり前だろ、そのためにずっと猫かぶってきたんだ」
「……」
「〝堕天の子〟をわざわざ懐に入れる良い子ちゃん気取りのヤミ属どもを弄ぶために、オレは長年ガマンしてきたんだぜ? オマエとのクソ寒い兄弟ごっこもな!」
「…………」
嘲笑が夜の海に響く。
それを聞くアスカは何を思うのか、彼の背を眺めるばかりの響には想像しかできなかった。だが想像だけでこれほど苦しいこともない。
だってそうだろう。家族を、長い年月を共にした存在を失うことは。
大事な存在に背を向けられることは、あまりにも耐えがたいことではないか。
「アスカ君。僕にできること、ないかな」
それゆえ自身の唇から滑り出てきた言葉に響は驚かなかった。
アスカの方が背を揺らして驚きを示したくらいだ。
「僕はアスカ君たちの事情をよく知らない。
でも、仲間を殺して、アスカ君を傷つけて、あんな言い方をして……許せないよ」
どうにかしてアスカの力になりたかった。ひとりじゃないと知ってほしかった。
しかしアスカは少しの間のあとで首を横に振る。
「これは俺の戦いだ。手を出さなくていい」
「……、でも」
「気持ちだけで充分だ。俺は必ず、お前を守りきってみせる」
その言葉に響は二の句が継げなくなる。
そう、アスカにとって響は守る対象に他ならない。
確かに先ほど響が放った風はアスカを窮地から救った。だが、あんなものは運とタイミングが良かっただけだ。
「言うようになったなぁアスカ」
シエルはアスカの決意に再び笑い声を上げた。
「そうだ、覚悟を決めろ。今度こそオレを殺してみろよ……オレはそうやって向かってくるオマエと半端者を絶望の海に叩き落としてやるからさぁ!!」
シエルが言う。
ギリギリと締まる罪の首を押さえ、碧眼を狂乱の光で満たし、荒い呼吸と嘲笑を繰り返す美しくも酷薄なヒカリ属。
「そうして絶望を食らい尽くしたあとでオレも禁忌の洪水で溺れ死ぬ!
みんな仲良く心中ってわけだ、最高にトべるだろうぜ!!」
「ッ……」
「アイツだけ逃がそうとかムリだぜ。海に来た時点でオレの手中だからな」
言いながらシエルはポケットから取り出した手を何やら動かした。
「ッ!!」
同時にアスカがビクリと大きく身体を揺らし、そして硬直。
「左足貫通だ。痛いだろ~」
響は息を呑む。
アスカは攻撃を受けたのだろう。シエルの言葉をそのまま受け取るならば、恐らく左足を水で貫通――人間であれば激痛でうずくまるような大ケガだ。
アメーバのような水も既に腰まで侵攻してきているため、依然として身動きは取れない。
アスカは〝炎〟を再度身体の周囲に灯して脱出をはかるが、やはり意味を成さない。
大量の水の前では炎など無きに等しいのだ。アスカにとってあまりにも分が悪すぎる戦いだ。
「次はどこにする? 右足でお揃いにしとくか? 背骨をちょっとずつ粉砕するのもいいな……このまま頭まで侵食して窒息ってのも悪くねぇ」
クスクス。シエルが笑う。神のごとく美しい姿で、悪魔のように。
恐ろしい――どうしようもなく恐ろしい存在だった。
「っ……!」
しかし、いやだからこそ。
響は己を奮い立たせて立ち上がり、手を前に突き出す。
そうして手の平に可能な限り〝風〟をため、それをアスカに思いきり打ち込んだ――ビュオォオォオオオンッ!!
一気に放たれた風の奔流はまっすぐ前へと吹きすさび、海水を掻き分け、アスカの腰までを覆う水を飛び散らせにかかる。
水を無尽蔵に蓄える海を相手取って勝るとは思っていない。実際にアスカの身体から海水を蹴散らせたのも一瞬だ。
だがそれで良かった。
風の余波を受けて瞬時に響の意図を理解したアスカは、風が海水を一瞬蹴散らしたと同時に地面を蹴り上げ大きく跳躍、浜辺へと着地できたのだから。
「アスカ君……!!」
「すまない。助かった」
響を背に浜辺でシエルと相対し直したアスカ。その左足のふくらはぎ付近のツナギには穴が空いていた。
重心もまた右に寄っている。やはり左足は深手のようだった。首に横一文字の傷もあるため、血の匂いは潮の香りがあっても消えることはない。
響は唇を噛む。
「ごめん、僕がもっと速く動けていれば」
「いい。それよりも――」
「へー、響クン権能まで使えるんだ? 半端者のくせにスゴイじゃん」
話をさせるかとばかりに割って入ってきたのはシエル。
膝下の波を掻き分けて浜辺へと上がり、立ちはだかるアスカも何のその、身体を傾け響へと視線を送ってくる。
「権能は〝風〟か? 逃げる勇気もなく固まってるだけのオマエが動くとは思わなかったぜ。
おかげでオマエへの殺意もムクムクとわいてきた」
「……!」
真っ向から炯々とした眼光を向けられ、響の喉がヒュ、と音を出した。
ギラギラ光る碧眼に視線をガンジガラメにされてしまえば最後、鼓動は警鐘を鳴らすかのようにさらに速くなり、全身の毛穴が一気に冷や汗を吹き出し始めた。
「は、ぁあ……ロセ……コロセ……」
シエルは瞬きもせずそんな響を見つめている。
美しいはずの音色が唱える殺意はまるで呪言のよう。彼の両目尻からドロリと溢れてその頬を汚すのは赤い赤い血。
「あ、あー、来た。やっぱ半端者といえど生物に殺意を向けるとテキメンだな……」
「……、」
「禁忌の絞首だよ。オマエに〝混血の禁忌〟を犯した罰が、こうしてオレを苛むんだ」
言いながらシエルは己の首を見せつける。そこに黒い線が三本走っていたのを響は先刻に確認していた。
しかし今、その黒線は赤黒く鈍い光を放って、まるで意志があるかのようにシエルの首をぎゅうぎゅうと締めつけていた。
「コロセ、コロ、セ、はは……ダメだ、っつーの」
それでもシエルは絞り出すような声で呪詛のごとく呟き続ける。
異様な姿だ。殺意に満ち満ちた視線から目を逸らしたいのに外せない。
アスカは強制的に繋がれた響とシエルの視線を遮るように移動した。
同時にシエルは再び背後の海水をザザアアアと持ち上げる。
シエルの背にある水の紋翼が再び増長していくが、海をわずかにでも離れたせいだろうか、それとも苦しいせいだろうか。先ほどよりは規模が小さい。
「はぁ、はは……負けはもう決まってるってのに健気で泣けてくるぜ。
オマエらはオレに蹂躙されることが既に決まってんだよ。こんな場所で戦闘を始めちまった、時点でな」
「……」
「なぁアスカ……アレまた見せてくれよ。オレがオマエの紋翼を響クンに埋め込んで〝混血の禁忌〟を犯したときの顔。
自責、後悔、現実を否定したい感情が綯い交ぜになった絶望の表情。あれ、マジで腰にキたんだよな」
「……」
「絶望ってのはいい。特に予想だにしない事態で一気に奈落へ突き落とされたときの絶望は、人間にとってのドラッグに等しい。
あの絶望を見るために今までやってきたといっても過言じゃな――」
「だから殺したのか」
暗い愉悦に彩られた言葉を阻んだのはアスカの低い声。
「あ?」
「ヤミ属執行者を、仲間を……ニネ先輩やサッズ、フィエナを殺したのも、自分の欲望を満たすためだったのか」
「――何を言うかと思えば」
そしてその問いに。
シエルは一呼吸のあとで満面の笑みを浮かべた。
「当たり前だろ、そのためにずっと猫かぶってきたんだ」
「……」
「〝堕天の子〟をわざわざ懐に入れる良い子ちゃん気取りのヤミ属どもを弄ぶために、オレは長年ガマンしてきたんだぜ? オマエとのクソ寒い兄弟ごっこもな!」
「…………」
嘲笑が夜の海に響く。
それを聞くアスカは何を思うのか、彼の背を眺めるばかりの響には想像しかできなかった。だが想像だけでこれほど苦しいこともない。
だってそうだろう。家族を、長い年月を共にした存在を失うことは。
大事な存在に背を向けられることは、あまりにも耐えがたいことではないか。
「アスカ君。僕にできること、ないかな」
それゆえ自身の唇から滑り出てきた言葉に響は驚かなかった。
アスカの方が背を揺らして驚きを示したくらいだ。
「僕はアスカ君たちの事情をよく知らない。
でも、仲間を殺して、アスカ君を傷つけて、あんな言い方をして……許せないよ」
どうにかしてアスカの力になりたかった。ひとりじゃないと知ってほしかった。
しかしアスカは少しの間のあとで首を横に振る。
「これは俺の戦いだ。手を出さなくていい」
「……、でも」
「気持ちだけで充分だ。俺は必ず、お前を守りきってみせる」
その言葉に響は二の句が継げなくなる。
そう、アスカにとって響は守る対象に他ならない。
確かに先ほど響が放った風はアスカを窮地から救った。だが、あんなものは運とタイミングが良かっただけだ。
「言うようになったなぁアスカ」
シエルはアスカの決意に再び笑い声を上げた。
「そうだ、覚悟を決めろ。今度こそオレを殺してみろよ……オレはそうやって向かってくるオマエと半端者を絶望の海に叩き落としてやるからさぁ!!」
シエルが言う。
ギリギリと締まる罪の首を押さえ、碧眼を狂乱の光で満たし、荒い呼吸と嘲笑を繰り返す美しくも酷薄なヒカリ属。
「そうして絶望を食らい尽くしたあとでオレも禁忌の洪水で溺れ死ぬ!
みんな仲良く心中ってわけだ、最高にトべるだろうぜ!!」