第11話 太母

文字数 2,568文字

「こちらにおわしますのが我らヤミ神の神核にございます」

 扉の先――途方もなく広く高い空間。広大すぎる領域の中央に〝それ〟はあった。

 言葉のみで形容するならば宙に浮いた巨大な黒鉱石でしかないそれは、しかし内に苛烈にして柔らかな炎を秘め、響を見つめている。

 否、そんな気がするだけだ。〝それ〟に自我はないと分かる。だのにそう感じてしまう。

 超越した有り様だ。圧倒的な存在感なのに存在を感じない。存在を感じないのに目の前に在る――言葉などでは到底説明しきれない感覚だ。

 しかしだからこそ本能的に悟っている。〝それ〟は紛れもなく母であると。踏みしめ、寝転び、生を繰り返した地そのものなのだと。常に愛され見守られてきたのだと。

「…………」

 正直なところ、響は密かに考えていた。

 ヤミ神の神核に会えるのならば、自分をただの人間に戻してくれるよう直談判してみようと。だがそんな思いは一瞬で吹き飛んでしまっていた。

 無理だ。あまりにも存在が違いすぎる――

「あらまあ。どうやらヤミ神が直系属子を生み落とされるようですわ」

 アウラーエがふと声を上げた。響にはそれがどういう意味か分からなかったが、見上げたままの神核のほんの一部がパキリと軽やかな音を立てて砕けたのだけは分かった。

 それはゆっくりと響たちの立つ地点まで降下し、次第に一握りの黒い鉱石のようだったものが人の赤ん坊のカタチに覆われていく。地に着地すれば元気な産声を上げ、それをヤーシュナが抱き上げた。

「新たなヤミが誕生いたしました。この子もいずれ執行者として生物界を翔けましょう」

「……、執行者になるってもう決まっているんですか?」

「そうだよ」

 思わず問えば、応じたのは傍らのヴァイスだ。

「先ほど説明しそびれてしまったが、私たちヤミ属はヤミ神の神核の一部を核とする属集だ。

 生物は双神の子ども、ヤミ属はヤミ神単身から生まれた子どもというわけだ。自我を付与された分身体――あるいは神の手足とも言える。

 こうして直接生み落とされる私たちは、ヤミ神の勅令を全うするために多大な力を与えられている。つまり、私たちは生まれながらにして執行者になることを運命づけられている」

「ええ。我らヤミ属はヤミ神の〝生物の死を守る〟という願いを果たすために存在するのです」

「ふふ、可愛い。あなたは一体どのような力を授かったのかしらね」

「……」

 返事すらできず、響は赤ん坊を見下ろし続けた。

 生み落とされて間もない小さな命。それでも赤ん坊の左胸はいつかのアスカやディルのように発光している。

 不思議だ。そして少しだけ哀しい――

 そんなところで不意に温かな視線を感じた気がした。響は顔を上げる。

 視線の先には誰もいなかった。ただ、ヤミ神の神核が在るだけだった。





「おーい、響くん?」
「わ……!?」

 眼前で手を振られて響はハッと目を見開いた。次の瞬間ペストマスクに視界を覆われれば完全に我に返った。

 いつの間にか神塔を出ていたらしい。塔は既に消失しており、響は白い石畳の上にヴァイスと肩を並べて立っていた。

 後半の記憶がないのは脳が処理能力を越えてしまったせいだろう。ヴァイスは響の大仰なリアクションに肩を揺らす。

「す、すみません。ぼーっとしてました」

「いやいや。ずいぶん疲れさせてしまったようだ」

「いえ、楽しかったです……最初の方はですけど」

「ははは。内側へ進めば進むほど神気が濃いからね。私もヤミ神のお目にかかることはほぼないから、少しばかり緊張したな」

「そうなんですか」

「ああ、ここに来ることはあっても普段は塔に入ることすらないんだ」

 それを上の空で聞きながら響は先ほどのことを思い出す。

「……ヤミ神には自我がないんですよね」

「そうだ。太古の昔には自我があり意思疎通も直接はかれたようだが、生物が爆発的に増えた折に破棄されたのだとエンラ様は仰っていた。生物の根ざす地の役割、つまり礎に徹するために」

「でも、自我がないのにすごく、温かかった気がして……」

「歓迎されていたんだろう。自分の子どもが神核にまで会いに来てくれたことはきっと認識なさっていたはずさ。例え自我がなくてもね」

「……」

「さあ、案内はこれで終了だ。アスカと合流しよう」

 裁定領域の入り口まで戻ると、壁に背をつき腕を組んだ姿勢のアスカと出会った。

 どうやらエンラとの話は終わっていたらしい。物憂げな横顔であったが、己の方に向かってくるヴァイスや響に気がつくと急いで姿勢を改めた。

「アスカ。どうだった」
「エンラ様の了承をいただけました」
「そうか。良かった」
「?」

 響にはふたりの会話の意味が分からず頭に疑問符が浮かんだが、特に説明はなく、そのまま三名で帰路につく運びとなった。

 妙に重く感じる身体を引きずるようにして防衛地帯を抜け、職務地帯も通り過ぎる。



「しかし、赤ちゃん可愛かったね」

 道中。先ほどのことを思い出していたのか、ヴァイスはぽつりとそんなことを言ってきた。

「はい。色々びっくりしましたが、ぷにぷにで可愛かったですね」

「ヤミ神のお目にかかったときに運良く直系属子の誕生に立ち会えたんだよ、アスカ。赤ん坊の君を初めて抱いたときのことを思い出して感慨深くなってしまったんだ」

「……それは、何というか……良かったです」

 アスカはどう言葉を返すか迷うような顔をしつつも返事をし、それにヴァイスが笑う。

 響はその言葉の内容ややり取り、アスカへのヴァイスへの態度に特有の親密さをまたも感じた。思わずふたりの顔を交互に見上げてしまう。

「なんだい? 響くん」

「あ、いえ……ヴァイスさんとアスカさんがどういう関係なのか気になったというか」

 言いつつこれまでのことを思い出す。

 アスカがヴァイスのことを〝先輩〟と呼んでいることは知っている。だがただの先輩後輩のようには思えなかった。

 何故なら、ヴァイスに貸してもらった絵本はアスカが小さなころ読んでいたものだという。

 ヴァイスはアスカの赤ん坊時代を当たり前のように知っているようだし、アスカの受け答えをたしなめたのも『アスカはそこまで弱い子じゃない』と確信の乗った物言いも、近しい間柄でなければ気軽にできはしないだろう。

 ヴァイスは響の疑問に「ああ」と声を上げた。

「そういえば言っていなかったな。アスカは私の子どもだよ」
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