第8話 裁定領域~ヤミ属界案内~
文字数 3,210文字
防衛地帯を抜けると少しばかり視界が開けた。
構造上は高い壁で周りを囲まれてはいるものの、壁面は白く塗られており、地面も真っ白な石畳に覆われているので閉塞感はない。しかし代わりに背筋をまっすぐに伸ばさねばならないような緊張感に支配されている。
草原地帯を除けばこれまでの区域にはヤミが存在したが、ここには見る限りひとりもいない。あるものは月光すら反射しないほど漆黒の環状建造物。なんとも荘厳で、息をするのも恐る恐るになってしまう場所だ。
「……ここは……」
「裁定領域。あの真っ黒な建造物はヤミ属の統主・エンラ様が還ってきた魂魄の〝裁定〟を行う裁定神殿だ」
「裁定……」
その単語は以前にも聞いたような気がしたが、思い出せず響は頭をひねった。
「〝裁定〟とは罪を見定めること。そして魂魄の傷や歪みを正すことを言う。魂魄の罪を見定めることと魂魄を癒やすことは私たちにとって同義だからね」
「うわ!?」
ヴァイスの説明に耳を傾けていた響だったが、ふと視線を上空に向けるや否や目を丸くしてしまった。ヴァイスやアスカは胡乱げに響を見てくる。
「す、すみません。空が真っ白でビックリして!」
ヤミ属界は常夜の世界のはずだが裁定領域の上空は白い。というか輝いているため驚いてしまったのだ。
ヴァイスは同じように上空へ視線を向けるとひとつ頷いた。
「ああ、魂魄だよ。この裁定神殿こそが生を終えて還ってきた魂魄たちの目的地だからね」
「夜空が見えないくらいって、ウソみたいな量だ……」
言いつつも一方で合点がいく。
還ってきた魂魄がヤミ属界の空を漂う事実を初めて知ったのは一週間前。ヴァイスとふたりで空を見上げた折だが、そのとき確かに魂魄が決まった方向へ向かっているように見えた。それがこの場所、裁定領域にある神殿だったというわけだ。
「ヤミ属の最重要にして一番の割合を占める仕事は〝次の転生のために魂魄の傷や歪みを正すこと〟と以前話したが、実際のところ〝裁定〟はこの神殿におわすエンラ様しか行えなくてね」
「えッ。この量をひとりでこなしてるんですか!?」
「そうだよ。それに加えてヤミ属界全体を統べてもいるから相当に多忙なお方だ」
「うわぁ……すごく大変ですね」
そういえばロイドも〝エンラ様〟という名を口にしていた。彼の言によれば、エンラなる者は響が『何か困っていたら力になれ』とヤミ属に対して命じたヤミでもある。
響はそれに感謝を覚えつつ、しかし別のことが気になってしまった。
「……あの、エンラ様ってもしかして〝地獄のエンマ大王〟みたいな方だったりしますか?」
そう、マンガなどで時折見かける地獄のエンマ大王と名前や仕事が似ていることにワクワクを感じてしまったのだ。
ヴァイスは少しだけ思案するように黙ったあとで響に向き直る。
「まあ、当たらずも遠からずって感じかな。生物界の一部で語られるエンマ大王の見かけはエンラ様が元になっているらしいからね」
「わぁ、そうなんですね……!」
自分が知っている情報とつながったことに響は妙に感動した。これまで自分と馴染みのない出来事が続いたからだろうか、単純に暮らしていた生物界のことに触れられて嬉しかったのだろうか。
いずれにしろ響は目を輝かせていたのだが、アスカは言いづらそうに口を開いた。
「忠告しておくが……その話はエンラ様にしない方がいい」
「そ、そうなんです?」
「ふふ。生物界で目にする怖いエンマ大王像は、一度手違いでここに来て、それに気づいたエンラ様に生物界へ返された人間が描き起こしたものが元になっているらしいんだが……彼にとって本当に怖い体験だったんだろうね。
やたらといかめしく描かれてしまって、それを見たエンラ様はたいそう憤慨されたようだ。以降その話は私たちの間で禁句となっている。もう少しで謁見となるから気をつけるといい」
「えっ、もしかして会うんですか? 今から?」
「ああ。行き当たりばったりでアポは取っていないが、君にとても会いたがっていたから突然でも許してくださるだろう」
「ええ……」
まさか心の準備もなしにエンマ大王の元となったヤミと顔を合わせることになるとは思わず響は狼狽える。
てっきり散歩程度のことだと思っていたのにとんだ事態になってしまった。しかもヤミ属界を治めるような相手に対して行き当たりばったりとは、それでいいのだろうか。
そんなことを思いつつも、響はヴァイスやアスカとともに漆黒の神殿へ進んでいく。失礼がないように可能なかぎり身だしなみを整えることも忘れない。
――ただの人間だったころ高校に着ていっていたカーディガンとワイシャツ、ブレザーズボンという出で立ちの時点でお察しかも知れないが。
神殿内は静寂に支配されていた。
神殿外と同様ヤミ属の姿も一切ない。足音すら立ててはいけないような心地、ヴァイスとアスカに前後を挟まれつつ長い廊下を歩いていけば、大きな扉に出会う。それと扉の前で佇む第三者にも。
「おや、側近長リンリン。どうしたのかな」
ヴァイスが声をかけると、リンリンと呼ばれた者は利発そうな笑みを向けてきた。
どことなく中華の雰囲気が漂う衣服を身にまとい、それでいてメガネの似合う秘書然とした女性だ。
「うふふ、気配を察知してからずっと待っておりました。ようこそ裁定領域へ。ヤミ属統主が心よりお待ちです」
「熱烈に歓迎されているね、響くん」
その言葉に困り笑いをするが、ひとりでに開かれていく扉に気づくとそうもいかなくなる。
緊張のために溜まっていた生唾を飲み下し、バクバクとうるさい心臓をなだめるように深呼吸。リンリンが中へ導いてくればヴァイスの後に続く。
「……、」
最初に目についたのは広大な空間だった。薄暗く静謐なのはさておき、環状であったはずの裁定領域に有り得ないほど広大。そしてそこに所狭しとシャボン玉のごとく浮かぶ無数の魂魄。
間近で見る魂魄は確かに汚れていたり歪になっていたりするものの、それぞれ好きに漂っては穏やかな点滅を繰り返したりしていて美しい。思わず吐息が漏れる。
「よくぞ参ったな、響よ!」
「ひぃっ!?」
そんなとき凛とした声が響の鼓膜をつんざいた。悲鳴を上げつつ前方へ視線を戻せば、魂魄が道を開けていくのに気づく。
そして開いた道、最奥にある玉座を離れゆっくりと現れたのは一目で高貴な存在だと分かる艶やかな美女だった。
魂魄の光によって鈍く輝く紅髪の長髪を高く結い上げ、強気にして優美な眉、形のよい唇に引かれた真っ赤な紅、額には生えた一角の黒角。
側近長たるリンリン同様に中華を感じさせるやや露出の多い装いは響をドギマギさせたが、何より驚かされたのは双眸の白目である部分が真っ黒であり、瞳がないことだった。
「我こそがヤミ属第一の直系属子にしてヤミ属統主、そして魂魄の裁定者・エンラスーロイである」
「はっ、はじめまして、僕、響といいます。よろしくお願いします……エンラ、スーロイ様」
記憶のなかのエンマ大王に似ていないのは言わずもがなだ。
それでも存在感は一線を画しているためガチガチになりつつ頭を下げる。すると数歩先のエンラは満足げに頷いた。
「〝エンラ〟でよいぞ。大事な名ではあるが普段呼びには長いのでな」
「は、はい……、!?」
と、響がたどたどしくも返事をしているところでエンラが突然距離をつめてきた。そしてものすごい間近で顔をまじまじ眺められる。
「あ、あのっ?」
「ふーむ。確かに双神の血が濃く原初返りを起こしておるか。あくまで幾分かだが」
「へ?」
「あとはそうさな、善性がなかなかに強い。だがその程度だ。分からんのう……我の目をもってしても貴様の身に下りた奇跡の正体が判然とせぬ」
「……、」
「口惜しいところだが、まぁよい。それよりも」
「ひっ!」
そして突然ガシリと頭の側面を掴まれる。その動きでふわりと芳しい香が漂ってくれば心臓が鞠のように跳ねた。
構造上は高い壁で周りを囲まれてはいるものの、壁面は白く塗られており、地面も真っ白な石畳に覆われているので閉塞感はない。しかし代わりに背筋をまっすぐに伸ばさねばならないような緊張感に支配されている。
草原地帯を除けばこれまでの区域にはヤミが存在したが、ここには見る限りひとりもいない。あるものは月光すら反射しないほど漆黒の環状建造物。なんとも荘厳で、息をするのも恐る恐るになってしまう場所だ。
「……ここは……」
「裁定領域。あの真っ黒な建造物はヤミ属の統主・エンラ様が還ってきた魂魄の〝裁定〟を行う裁定神殿だ」
「裁定……」
その単語は以前にも聞いたような気がしたが、思い出せず響は頭をひねった。
「〝裁定〟とは罪を見定めること。そして魂魄の傷や歪みを正すことを言う。魂魄の罪を見定めることと魂魄を癒やすことは私たちにとって同義だからね」
「うわ!?」
ヴァイスの説明に耳を傾けていた響だったが、ふと視線を上空に向けるや否や目を丸くしてしまった。ヴァイスやアスカは胡乱げに響を見てくる。
「す、すみません。空が真っ白でビックリして!」
ヤミ属界は常夜の世界のはずだが裁定領域の上空は白い。というか輝いているため驚いてしまったのだ。
ヴァイスは同じように上空へ視線を向けるとひとつ頷いた。
「ああ、魂魄だよ。この裁定神殿こそが生を終えて還ってきた魂魄たちの目的地だからね」
「夜空が見えないくらいって、ウソみたいな量だ……」
言いつつも一方で合点がいく。
還ってきた魂魄がヤミ属界の空を漂う事実を初めて知ったのは一週間前。ヴァイスとふたりで空を見上げた折だが、そのとき確かに魂魄が決まった方向へ向かっているように見えた。それがこの場所、裁定領域にある神殿だったというわけだ。
「ヤミ属の最重要にして一番の割合を占める仕事は〝次の転生のために魂魄の傷や歪みを正すこと〟と以前話したが、実際のところ〝裁定〟はこの神殿におわすエンラ様しか行えなくてね」
「えッ。この量をひとりでこなしてるんですか!?」
「そうだよ。それに加えてヤミ属界全体を統べてもいるから相当に多忙なお方だ」
「うわぁ……すごく大変ですね」
そういえばロイドも〝エンラ様〟という名を口にしていた。彼の言によれば、エンラなる者は響が『何か困っていたら力になれ』とヤミ属に対して命じたヤミでもある。
響はそれに感謝を覚えつつ、しかし別のことが気になってしまった。
「……あの、エンラ様ってもしかして〝地獄のエンマ大王〟みたいな方だったりしますか?」
そう、マンガなどで時折見かける地獄のエンマ大王と名前や仕事が似ていることにワクワクを感じてしまったのだ。
ヴァイスは少しだけ思案するように黙ったあとで響に向き直る。
「まあ、当たらずも遠からずって感じかな。生物界の一部で語られるエンマ大王の見かけはエンラ様が元になっているらしいからね」
「わぁ、そうなんですね……!」
自分が知っている情報とつながったことに響は妙に感動した。これまで自分と馴染みのない出来事が続いたからだろうか、単純に暮らしていた生物界のことに触れられて嬉しかったのだろうか。
いずれにしろ響は目を輝かせていたのだが、アスカは言いづらそうに口を開いた。
「忠告しておくが……その話はエンラ様にしない方がいい」
「そ、そうなんです?」
「ふふ。生物界で目にする怖いエンマ大王像は、一度手違いでここに来て、それに気づいたエンラ様に生物界へ返された人間が描き起こしたものが元になっているらしいんだが……彼にとって本当に怖い体験だったんだろうね。
やたらといかめしく描かれてしまって、それを見たエンラ様はたいそう憤慨されたようだ。以降その話は私たちの間で禁句となっている。もう少しで謁見となるから気をつけるといい」
「えっ、もしかして会うんですか? 今から?」
「ああ。行き当たりばったりでアポは取っていないが、君にとても会いたがっていたから突然でも許してくださるだろう」
「ええ……」
まさか心の準備もなしにエンマ大王の元となったヤミと顔を合わせることになるとは思わず響は狼狽える。
てっきり散歩程度のことだと思っていたのにとんだ事態になってしまった。しかもヤミ属界を治めるような相手に対して行き当たりばったりとは、それでいいのだろうか。
そんなことを思いつつも、響はヴァイスやアスカとともに漆黒の神殿へ進んでいく。失礼がないように可能なかぎり身だしなみを整えることも忘れない。
――ただの人間だったころ高校に着ていっていたカーディガンとワイシャツ、ブレザーズボンという出で立ちの時点でお察しかも知れないが。
神殿内は静寂に支配されていた。
神殿外と同様ヤミ属の姿も一切ない。足音すら立ててはいけないような心地、ヴァイスとアスカに前後を挟まれつつ長い廊下を歩いていけば、大きな扉に出会う。それと扉の前で佇む第三者にも。
「おや、側近長リンリン。どうしたのかな」
ヴァイスが声をかけると、リンリンと呼ばれた者は利発そうな笑みを向けてきた。
どことなく中華の雰囲気が漂う衣服を身にまとい、それでいてメガネの似合う秘書然とした女性だ。
「うふふ、気配を察知してからずっと待っておりました。ようこそ裁定領域へ。ヤミ属統主が心よりお待ちです」
「熱烈に歓迎されているね、響くん」
その言葉に困り笑いをするが、ひとりでに開かれていく扉に気づくとそうもいかなくなる。
緊張のために溜まっていた生唾を飲み下し、バクバクとうるさい心臓をなだめるように深呼吸。リンリンが中へ導いてくればヴァイスの後に続く。
「……、」
最初に目についたのは広大な空間だった。薄暗く静謐なのはさておき、環状であったはずの裁定領域に有り得ないほど広大。そしてそこに所狭しとシャボン玉のごとく浮かぶ無数の魂魄。
間近で見る魂魄は確かに汚れていたり歪になっていたりするものの、それぞれ好きに漂っては穏やかな点滅を繰り返したりしていて美しい。思わず吐息が漏れる。
「よくぞ参ったな、響よ!」
「ひぃっ!?」
そんなとき凛とした声が響の鼓膜をつんざいた。悲鳴を上げつつ前方へ視線を戻せば、魂魄が道を開けていくのに気づく。
そして開いた道、最奥にある玉座を離れゆっくりと現れたのは一目で高貴な存在だと分かる艶やかな美女だった。
魂魄の光によって鈍く輝く紅髪の長髪を高く結い上げ、強気にして優美な眉、形のよい唇に引かれた真っ赤な紅、額には生えた一角の黒角。
側近長たるリンリン同様に中華を感じさせるやや露出の多い装いは響をドギマギさせたが、何より驚かされたのは双眸の白目である部分が真っ黒であり、瞳がないことだった。
「我こそがヤミ属第一の直系属子にしてヤミ属統主、そして魂魄の裁定者・エンラスーロイである」
「はっ、はじめまして、僕、響といいます。よろしくお願いします……エンラ、スーロイ様」
記憶のなかのエンマ大王に似ていないのは言わずもがなだ。
それでも存在感は一線を画しているためガチガチになりつつ頭を下げる。すると数歩先のエンラは満足げに頷いた。
「〝エンラ〟でよいぞ。大事な名ではあるが普段呼びには長いのでな」
「は、はい……、!?」
と、響がたどたどしくも返事をしているところでエンラが突然距離をつめてきた。そしてものすごい間近で顔をまじまじ眺められる。
「あ、あのっ?」
「ふーむ。確かに双神の血が濃く原初返りを起こしておるか。あくまで幾分かだが」
「へ?」
「あとはそうさな、善性がなかなかに強い。だがその程度だ。分からんのう……我の目をもってしても貴様の身に下りた奇跡の正体が判然とせぬ」
「……、」
「口惜しいところだが、まぁよい。それよりも」
「ひっ!」
そして突然ガシリと頭の側面を掴まれる。その動きでふわりと芳しい香が漂ってくれば心臓が鞠のように跳ねた。