第14話 権能〝 〟
文字数 3,465文字
ギュオオオォオオオ!!
台風を凝縮したような烈風をアスカはすんでのところで回避する。荒ぶる風はそのまま水のドリルと激突、そして束の間拮抗した。
「やった!? いやダメ、だ――!」
しかしそれは一瞬も一瞬だった。大海で作り上げられた水のドリルに烈風は飲み込まれる形で食われてしまった。
万事休す。今度は自分が貫かれ飲み込まれる番だ――響はまたも反射的に目をつぶろうとする。だがそれは突然阻まれた。
「!?」
一度真横に移動し、水のドリルと烈風の直撃を避けたアスカ。
彼が響を力の限り引っ張って遠くへ投げ飛ばしたのと、水のドリルが響の立っていた場所に襲いかかったのは寸分の時間差だった。
再び投げ飛ばされたのを響が自覚したのは砂浜をゴロンゴロンと転がり終えてから。
普通ならば痛みを感じるだろうが、今はそんな場合ではない。すぐに身を起こし顔を持ち上げる。
「……!」
視線の先のアスカとシエルは足元で水が引いていくのを尻目に、数メートルの距離を空けて再び対峙していた。
アスカは響を優先して逃したために水ドリルの攻撃を一部受けてしまったようだ。右脇腹が深くえぐれ、痛みをごまかすように舌打ちをする。
シエルはそんなアスカの前で吐息をついた。
「今ので終わりだと思ったんだが、しぶとくなったなぁアスカ」
アスカは肩で激しく呼吸を繰り返すのみだ。
「ああ、そうなった理由は分かるぜ。あの夜のオマエは任務も遂げられずオレも止められなかった。
自分のせいで半端者になっちまったアイツへの罪滅ぼしだろ」
アスカは睨むようにシエルを見る。シエルは肩を揺らして笑う。
「オマエはあの半端者のために何度でも立ち上がるんだろうな。憎悪がなくとも強くなれるのはエライことだぜ。
……だが足りねぇ。まだ全然足りねぇよ、アスカ」
「なんだと……」
「何度でも立ち上がれる理由を見つけ出せたとしても、オマエにはまだ覚悟がねぇ。違うか?」
「ッそんなことは、」
「あるだろ」
即答するシエルからは今の今まであった笑みが消えていた。美しい唇から滑り出される声は鋭利な氷のように冷え切っている。
「おいアスカ。もうひとつの権能を出してみろって言ってんだ。地の利がない今のオマエに必要なのは、力不足の生ッちょろい炎じゃねぇ」
「……、」
「権能〝断罪〟。
オマエが今まで決して使ってこなかった能力――対象の身体外殻を無視して核を直接砕ける〝断罪〟なら、禁忌を負ったオレなど一発で殺れる。そうだろ」
「ッ!」
「遊びは終わりだ、本気で来な!!」
言いながらシエルは手を前に突き出した。同時に砂浜から水柱が勢いよく立ち上がる。
直径一メートル、高さ十メートルほどのそれはアスカの立っている場所を一瞬にして奪うが、アスカの行動はそれよりも速かった。
片足を負傷しながらも弾丸のごとく突き進み、腕に力を込めて大鎌を持ち上げてはシエルへと繰り出す。
緻密な戦闘技術、肉体のしなやかさ、鋭利な感覚によって導き出された斬撃は目にも留まらぬ速さでシエルを狙う。
しかしシエルはそれを躱す。己とアスカの間にできた隙間へ水柱を噴出させて阻みにかかる。
アスカもまたそれを避ければ、シエルは次々と水柱や紋翼からの水撃を放っていった。
度重なる負傷にもかかわらずアスカの動きは衰えを知らなかった。むしろシエルの攻撃を躱しながら今まで以上に研ぎ澄まされていく。
気づけば違う場所へと瞬時に移動し、踏み込み、身体をひねり、あるいは回転させて遠心力をつけながら刃を叩きつけていく。
しかしシエルもまたそんなアスカの攻撃すべてを無意味にした。まるで覚悟の決まらない斬撃など不要だと言わんばかりに。
響はふたりの攻防を一心に見つめながら唇を噛んでいた。
知っている。響はアスカの葛藤を知っている。
彼らの事情を深く知らなくとも、完璧な理解でなくとも、兄弟同然に育ちバディとして共にあった相手を殺さねばならない苦しみは知っている。
頭で分かることと心で分かることは一致しない。
仲間三名を殺したシエルを執行しなければならないと懸命に刃を振るっても、決定打を出せないのは今なお心が拒否しているからだ。
「ッアスカ君、頑張れ!!」
だから響は声を張り上げた。
アスカの耳に届くように、心に届くように。
ひとりではないのだと知ってもらうために。
口だけの応援に何の意味があるのだろう。邪魔になる可能性だって充分にあった。証拠にシエルは吹き出すように笑う。
「ははっ、そんなモノが何の力に――そうか」
しかし。己へ懸命に刃を繰り出すアスカの瞳に炎のごとき意志が戻ってきたのに気がつけば、何故だか満足げに眉を持ち上げた。
そしてその瞬間だ。
その瞬間アスカはギリッと歯を食いしばりながら、大鎌の刃に炎ではないモノを灯らせた。
赤く燃え立つ炎とは正反対の、辺りの闇に同化するような冷たい黒き炎。
シエルの水撃を巧妙に避けながら隙を見定め、左胸へ狙い放つものこそ――
「ッ――〝断罪〟!!」
ザァン!!
「…………ガッ、……ア、ぁア……!!」
黒き斬撃はまっすぐシエルへ食らいついた。
シエルは握りつぶされるような呻き声を絞り出しながら己の左胸へ手を這わせる。
そこから響くのはピキ、キシ、パリと何かが次々と割れるような音。
何か言葉を発しようと開かれた唇からこぼれ落ちるはおびただしき血。
遅ればせながら左胸にも放射状に赤が伸びていく。
立つことすらままならなくなった足はフラフラと血で汚れた砂浜に足跡を残し。
背に展開していた巨大な水の紋翼も維持できなくなったか形を失い、ただの海水に戻って砂浜へ染み込んでいく。
だから背に残ったのは非対称で引きちぎられた残骸のごとき本来の紋翼のみ。
やがてパリン、と一際高く上がった破裂音と同時に、シエルは糸が切れたかのごとくその場へ倒れた。
そうして倒れたが最後、二度と動かなくなる。
――響は息を潜めて、それを遠く凝視することしかできなかった。
「……響……大丈夫か」
ゆえにアスカがいつの間にか響のもとへ辿り着いていたことにも気づかなかった。
響は目の前で手を差し伸べてくるアスカへとようよう視線を持ち上げる。
もう大鎌を手にしていないことから、戦闘は完全に終わったのだと分かった。
アスカの首や足、脇腹からの流血は未だ止まっておらず、長く続いた戦闘によって息も上がっているものの、瀕死というわけではなさそうだ。
しかしアスカの表情がよく見えない。
逆光のせいだろうか。それとも別の理由だろうか。どんなにしろ響もまた自分の眼球を重く感じて目を伏せた。
差し伸べられた手へ自分の手を伸ばす。負傷したアスカの手を借りるというのも変ではあったが、とにかく響は立ち上がる。
「ありが、とう……」
「ケガは」
「僕は大丈夫だけど……アスカ君は……」
「問題ない。属界で数日ジッとしていれば治る程度だ」
「そっか。……」
「帰るぞ」
一体どんな言葉をかければよいのだろう――そう悩んで口をつぐんでしまった響を知ってか知らずか、アスカは言った。
「要素は充分得られた。もうここに留まる理由はない」
そして続ける。感情の見えない声で。
「シエルも、終わった。心臓である神核片を砕いた。だから二度と起き上がることはない」
「…………」
「行こう」
ボソリとアスカは言って。
もはや起き上がることも動くこともないシエルを振り返ることなく歩を進めていく。
彼は一体どこへ行くというのだろう。
ヤミ属界へ帰還するならば一歩も動く必要はない。響が紋翼を展開するのを待てばいいだけだというのに。
――それでも、アスカは現実から目を逸らすかのごとく月光の融ける海辺を歩いていく。
響はもう一度シエルの方へ視線を向けた。
夜の帳、さざなみが押し寄せては引いていく浜辺でシエルは確かに動かないままだったが、その遺骸の境界はゆらりと揺らぎ始めている。
ヤミ属やヒカリ属の身体は、死を迎えると空気に融けるように消失するらしい。
そうして生物の魂魄が〝裁定〟を受けるためにヤミ属界へ還るのと同様に、残った神核片だけが己の属親である神のもとへ還っていくという。
ただしそれは神核片が無事であった場合の話だ。
砕かれた神核片は神のもとへ還ることもなく、身体外殻と一緒に消えるのだ。
つまりアスカがシエルに放った権能〝断罪〟とは、完全なる死をもたらす能力なのだ――
「…………」
だから響もまた目を逸らす。そうしてただ前に進み続けるアスカの方へ向き直り、彼の背を追ったのだった。
台風を凝縮したような烈風をアスカはすんでのところで回避する。荒ぶる風はそのまま水のドリルと激突、そして束の間拮抗した。
「やった!? いやダメ、だ――!」
しかしそれは一瞬も一瞬だった。大海で作り上げられた水のドリルに烈風は飲み込まれる形で食われてしまった。
万事休す。今度は自分が貫かれ飲み込まれる番だ――響はまたも反射的に目をつぶろうとする。だがそれは突然阻まれた。
「!?」
一度真横に移動し、水のドリルと烈風の直撃を避けたアスカ。
彼が響を力の限り引っ張って遠くへ投げ飛ばしたのと、水のドリルが響の立っていた場所に襲いかかったのは寸分の時間差だった。
再び投げ飛ばされたのを響が自覚したのは砂浜をゴロンゴロンと転がり終えてから。
普通ならば痛みを感じるだろうが、今はそんな場合ではない。すぐに身を起こし顔を持ち上げる。
「……!」
視線の先のアスカとシエルは足元で水が引いていくのを尻目に、数メートルの距離を空けて再び対峙していた。
アスカは響を優先して逃したために水ドリルの攻撃を一部受けてしまったようだ。右脇腹が深くえぐれ、痛みをごまかすように舌打ちをする。
シエルはそんなアスカの前で吐息をついた。
「今ので終わりだと思ったんだが、しぶとくなったなぁアスカ」
アスカは肩で激しく呼吸を繰り返すのみだ。
「ああ、そうなった理由は分かるぜ。あの夜のオマエは任務も遂げられずオレも止められなかった。
自分のせいで半端者になっちまったアイツへの罪滅ぼしだろ」
アスカは睨むようにシエルを見る。シエルは肩を揺らして笑う。
「オマエはあの半端者のために何度でも立ち上がるんだろうな。憎悪がなくとも強くなれるのはエライことだぜ。
……だが足りねぇ。まだ全然足りねぇよ、アスカ」
「なんだと……」
「何度でも立ち上がれる理由を見つけ出せたとしても、オマエにはまだ覚悟がねぇ。違うか?」
「ッそんなことは、」
「あるだろ」
即答するシエルからは今の今まであった笑みが消えていた。美しい唇から滑り出される声は鋭利な氷のように冷え切っている。
「おいアスカ。もうひとつの権能を出してみろって言ってんだ。地の利がない今のオマエに必要なのは、力不足の生ッちょろい炎じゃねぇ」
「……、」
「権能〝断罪〟。
オマエが今まで決して使ってこなかった能力――対象の身体外殻を無視して核を直接砕ける〝断罪〟なら、禁忌を負ったオレなど一発で殺れる。そうだろ」
「ッ!」
「遊びは終わりだ、本気で来な!!」
言いながらシエルは手を前に突き出した。同時に砂浜から水柱が勢いよく立ち上がる。
直径一メートル、高さ十メートルほどのそれはアスカの立っている場所を一瞬にして奪うが、アスカの行動はそれよりも速かった。
片足を負傷しながらも弾丸のごとく突き進み、腕に力を込めて大鎌を持ち上げてはシエルへと繰り出す。
緻密な戦闘技術、肉体のしなやかさ、鋭利な感覚によって導き出された斬撃は目にも留まらぬ速さでシエルを狙う。
しかしシエルはそれを躱す。己とアスカの間にできた隙間へ水柱を噴出させて阻みにかかる。
アスカもまたそれを避ければ、シエルは次々と水柱や紋翼からの水撃を放っていった。
度重なる負傷にもかかわらずアスカの動きは衰えを知らなかった。むしろシエルの攻撃を躱しながら今まで以上に研ぎ澄まされていく。
気づけば違う場所へと瞬時に移動し、踏み込み、身体をひねり、あるいは回転させて遠心力をつけながら刃を叩きつけていく。
しかしシエルもまたそんなアスカの攻撃すべてを無意味にした。まるで覚悟の決まらない斬撃など不要だと言わんばかりに。
響はふたりの攻防を一心に見つめながら唇を噛んでいた。
知っている。響はアスカの葛藤を知っている。
彼らの事情を深く知らなくとも、完璧な理解でなくとも、兄弟同然に育ちバディとして共にあった相手を殺さねばならない苦しみは知っている。
頭で分かることと心で分かることは一致しない。
仲間三名を殺したシエルを執行しなければならないと懸命に刃を振るっても、決定打を出せないのは今なお心が拒否しているからだ。
「ッアスカ君、頑張れ!!」
だから響は声を張り上げた。
アスカの耳に届くように、心に届くように。
ひとりではないのだと知ってもらうために。
口だけの応援に何の意味があるのだろう。邪魔になる可能性だって充分にあった。証拠にシエルは吹き出すように笑う。
「ははっ、そんなモノが何の力に――そうか」
しかし。己へ懸命に刃を繰り出すアスカの瞳に炎のごとき意志が戻ってきたのに気がつけば、何故だか満足げに眉を持ち上げた。
そしてその瞬間だ。
その瞬間アスカはギリッと歯を食いしばりながら、大鎌の刃に炎ではないモノを灯らせた。
赤く燃え立つ炎とは正反対の、辺りの闇に同化するような冷たい黒き炎。
シエルの水撃を巧妙に避けながら隙を見定め、左胸へ狙い放つものこそ――
「ッ――〝断罪〟!!」
ザァン!!
「…………ガッ、……ア、ぁア……!!」
黒き斬撃はまっすぐシエルへ食らいついた。
シエルは握りつぶされるような呻き声を絞り出しながら己の左胸へ手を這わせる。
そこから響くのはピキ、キシ、パリと何かが次々と割れるような音。
何か言葉を発しようと開かれた唇からこぼれ落ちるはおびただしき血。
遅ればせながら左胸にも放射状に赤が伸びていく。
立つことすらままならなくなった足はフラフラと血で汚れた砂浜に足跡を残し。
背に展開していた巨大な水の紋翼も維持できなくなったか形を失い、ただの海水に戻って砂浜へ染み込んでいく。
だから背に残ったのは非対称で引きちぎられた残骸のごとき本来の紋翼のみ。
やがてパリン、と一際高く上がった破裂音と同時に、シエルは糸が切れたかのごとくその場へ倒れた。
そうして倒れたが最後、二度と動かなくなる。
――響は息を潜めて、それを遠く凝視することしかできなかった。
「……響……大丈夫か」
ゆえにアスカがいつの間にか響のもとへ辿り着いていたことにも気づかなかった。
響は目の前で手を差し伸べてくるアスカへとようよう視線を持ち上げる。
もう大鎌を手にしていないことから、戦闘は完全に終わったのだと分かった。
アスカの首や足、脇腹からの流血は未だ止まっておらず、長く続いた戦闘によって息も上がっているものの、瀕死というわけではなさそうだ。
しかしアスカの表情がよく見えない。
逆光のせいだろうか。それとも別の理由だろうか。どんなにしろ響もまた自分の眼球を重く感じて目を伏せた。
差し伸べられた手へ自分の手を伸ばす。負傷したアスカの手を借りるというのも変ではあったが、とにかく響は立ち上がる。
「ありが、とう……」
「ケガは」
「僕は大丈夫だけど……アスカ君は……」
「問題ない。属界で数日ジッとしていれば治る程度だ」
「そっか。……」
「帰るぞ」
一体どんな言葉をかければよいのだろう――そう悩んで口をつぐんでしまった響を知ってか知らずか、アスカは言った。
「要素は充分得られた。もうここに留まる理由はない」
そして続ける。感情の見えない声で。
「シエルも、終わった。心臓である神核片を砕いた。だから二度と起き上がることはない」
「…………」
「行こう」
ボソリとアスカは言って。
もはや起き上がることも動くこともないシエルを振り返ることなく歩を進めていく。
彼は一体どこへ行くというのだろう。
ヤミ属界へ帰還するならば一歩も動く必要はない。響が紋翼を展開するのを待てばいいだけだというのに。
――それでも、アスカは現実から目を逸らすかのごとく月光の融ける海辺を歩いていく。
響はもう一度シエルの方へ視線を向けた。
夜の帳、さざなみが押し寄せては引いていく浜辺でシエルは確かに動かないままだったが、その遺骸の境界はゆらりと揺らぎ始めている。
ヤミ属やヒカリ属の身体は、死を迎えると空気に融けるように消失するらしい。
そうして生物の魂魄が〝裁定〟を受けるためにヤミ属界へ還るのと同様に、残った神核片だけが己の属親である神のもとへ還っていくという。
ただしそれは神核片が無事であった場合の話だ。
砕かれた神核片は神のもとへ還ることもなく、身体外殻と一緒に消えるのだ。
つまりアスカがシエルに放った権能〝断罪〟とは、完全なる死をもたらす能力なのだ――
「…………」
だから響もまた目を逸らす。そうしてただ前に進み続けるアスカの方へ向き直り、彼の背を追ったのだった。