第7話 他愛のない時間
文字数 2,651文字
「……。もう切り替えられた?」
「何をだ」
「シエルのこと」
――間。短くも長くも思える沈黙がふたりの境界に落ちる。だからルリハは続けて口を開いた。
「なんて、まだまだかかりそうね」
「…………そんなことはない。もう切り替えてる」
「ふーん。そうは見えないけど」
「……」
「私、結構ドライだからあなたの気持ちの半分も理解できてないだろうけど、付き合いだけは長いもの。分かるわよ。
キララなんてもっと分かってるでしょうね。多分響さんも気にしてるわよ。一番近くにいるんだから」
「……」
「ねぇアスカ。もう少し、今のバディに甘えてもいいんじゃない」
「……そんな資格、俺にはない」
目を伏せ、口のなかで言うアスカ。
両手はツナギ服に覆われた腕をぎゅっとつかんでいる。その様はまるで手に未だ生々しく残る感触を消すようでもあり、力を欲するようでもあった。
ルリハはそれを横目にしながら小さく吐息をついている。その様は不器用で意地っぱりの幼なじみに呆れているようでも、同情しているようでもあり。
「ねねね、見て見て響クン。アスカとルリハが妙に話し込んじゃってる~!」
一方、キララと響は未だ同じ店のなかにいた。
相変わらずキララが服を見繕い、響がそれに付き合うという構図だ。
しかしキララが店外で肩を並べ口を動かすアスカとルリハに気づけば、内緒話をするかのように響の耳に口を近づけてくる。
響もまたキララに釣られてふたりに視線を移すと、確かにふたりは何か言葉を交わしているように見えた。
「ほんとだ。アスカ君も割と喋ってるみたいだし、珍しいな」
「むー。な~んかヤキモチ」
「あはは。お似合いな感じありますもんね」
「えー?」
「ほら、雰囲気がちょっと似てるっていうか」
全体的な雰囲気が似ている、くらいの軽いニュアンスで言ったのだが、キララは頬をふくらませて不服を露わにする。
キララはもしかしたらアスカが好きなのだろうか。恋愛的な意味で。
確かに前回もアスカにベッタリだったよなぁ、と記憶を巡らせたものの、逆にバディであるルリハを取られてヤキモチを焼いている可能性もあると思い直した。
「いいもん。ボクは響クンとデートもっと楽しむもん!」
「ふえ……!?」
考えに気をやっていたところでキララが負けじと響の腕を抱いてくる。
むにゅ、という柔らかい感触が不意打ちで、響は大きめの声を出して周囲の客の視線を集めてしまう。
きつく抱きしめられた腕はまた骨折の危険性を孕んだが、キララに下から覗き込まれれば拒否することなどできるはずもない。
響のドギマギを見てキララはヤキモチを呆気なく手放したようだ。「次あっち見ていーい?」と店内の端っこにあるワンピースエリアを指をさすので、響はようよう頷いた。
「そういえば響クン、執行者になって割と経つよね。慣れてきた?」
そちらへ向かう途中、キララが訊いてくる。
キララに自分たちがヤミ属執行者になったことはまだ話していなかったが、彼女らも存在養分を得るため定期的にヤミ属界へ帰還するのだ。エンラやディルを通じて知る機会は多かっただろう。
響は苦笑しつつも口を開く。
「執行者って言っても僕は雑用しかできないけど……アスカ君が執行するのを見るのには慣れてきたかも知れません。最初は〝魂魄執行〟だけでめちゃくちゃ落ち込んだんですよ。情けないけど」
「全然情けなくないよぉ。あれ、生物からしたら本当にキッツイと思うし」
生物からしたら、という言い方にやはり違いを感じる。
いくらカワイイモノが大好きな同年代の女の子に見えても、彼女は生物ならざる存在なのだ。
「あ、けど〝罪科獣執行〟だけは慣れる気がしない。まだ二回しかやってないってのもあるかも知れないけど、見てるだけで相当怖かったんで」
「分かる! 分かっちゃうよ~怖いよねぇ」
しかし次に返ってきたのは心のこもった同意だったので響はハタリと目をみはる。
「え、キララさんも?」
「キ・ラ・ラ♡ 敬語もダメだよ??」
「……キララ、も?」
「えへへ。そりゃ~怖いよぉ? 罪科獣って大体凶暴だし、頭いい個体多いし、油断するとすぐケガするし。できれば任務来るなーって思うくらいイヤなんだ」
一瞬驚いたものの、生物ならざる彼女らにも自我があり五感、痛覚があるのは分かっていることだ。死ぬことだってある。
生物のように生きることを本能とせずとも、強敵に恐怖を覚えるのは不思議なことではない。今まで響の周囲にそういう感情を表する存在がいなかっただけで。
「だから響クンもアスカもすごいなーって思ったよ。ボク、どっちの立場でも絶っっ対執行者になんて復帰しないもん」
「や、アスカ君は確かにすごいけど僕はただの雑用係だから」
「んーん。やろうと思ったのがすごいよ。響クンが志願したおかげでアスカは執行者に戻れたわけだし」
称賛を重ねられ、響は思わず照れ笑いを浮かべる。
しかしそれがすぐに消えてしまったのは、響の脳裏に〝あのとき〟のアスカの背中が浮かんできたからだ。
「でも、……うーん」
「なぁに?」
「……本当に良かったのかなって未だに思ったりしてるんだ。
キララさ……キララは前に言ったよね。『アスカ君には執行者としてどうしても果たしたかったことがあった』って」
「うん。言ったね」
「僕が執行者に志願したのはアスカ君のためだなんて言う気はないんだ。
でも、執行者として果たしたいことがあったアスカ君のためにもなれたら最高だな、って安直に考えてたのは事実でさ。
当時はその〝果たしたいこと〟が何なのかも知らなくて……それを知ってる今となってはあれで良かったのかな、なんて考えるんだよね」
つい先日、アスカは言ってくれた。『ヤミ属執行者を続けたい』と、自分の意志で。だからそれ自体にはもうわだかまりはない。
だが、アスカがシエルを自らの手で討った事実は未だ割り切れずにいる。
もし自分が執行者に志願しなかったなら――アスカは果たしたかったことを果たせなかっただろうが、こうして長く気落ちすることもなかったのではないかと。
響はシエルがヤミ属界にいたころのことを知らない。アスカにとってシエルがどれほどの存在だったのかなど分かりようもない。
だが、未だ苦しそうなアスカをどうにかしてあげたくて、しかしどうにもできなくて。響は今もずっと思い悩んでいた。
「それって、アスカがシエルを討った話だよね」
率直に問われて、響はいつの間にか伏せていた視線を上げる。するとそこには淡く微笑んだ少女。ゆえに苦笑してしまう。
「何をだ」
「シエルのこと」
――間。短くも長くも思える沈黙がふたりの境界に落ちる。だからルリハは続けて口を開いた。
「なんて、まだまだかかりそうね」
「…………そんなことはない。もう切り替えてる」
「ふーん。そうは見えないけど」
「……」
「私、結構ドライだからあなたの気持ちの半分も理解できてないだろうけど、付き合いだけは長いもの。分かるわよ。
キララなんてもっと分かってるでしょうね。多分響さんも気にしてるわよ。一番近くにいるんだから」
「……」
「ねぇアスカ。もう少し、今のバディに甘えてもいいんじゃない」
「……そんな資格、俺にはない」
目を伏せ、口のなかで言うアスカ。
両手はツナギ服に覆われた腕をぎゅっとつかんでいる。その様はまるで手に未だ生々しく残る感触を消すようでもあり、力を欲するようでもあった。
ルリハはそれを横目にしながら小さく吐息をついている。その様は不器用で意地っぱりの幼なじみに呆れているようでも、同情しているようでもあり。
「ねねね、見て見て響クン。アスカとルリハが妙に話し込んじゃってる~!」
一方、キララと響は未だ同じ店のなかにいた。
相変わらずキララが服を見繕い、響がそれに付き合うという構図だ。
しかしキララが店外で肩を並べ口を動かすアスカとルリハに気づけば、内緒話をするかのように響の耳に口を近づけてくる。
響もまたキララに釣られてふたりに視線を移すと、確かにふたりは何か言葉を交わしているように見えた。
「ほんとだ。アスカ君も割と喋ってるみたいだし、珍しいな」
「むー。な~んかヤキモチ」
「あはは。お似合いな感じありますもんね」
「えー?」
「ほら、雰囲気がちょっと似てるっていうか」
全体的な雰囲気が似ている、くらいの軽いニュアンスで言ったのだが、キララは頬をふくらませて不服を露わにする。
キララはもしかしたらアスカが好きなのだろうか。恋愛的な意味で。
確かに前回もアスカにベッタリだったよなぁ、と記憶を巡らせたものの、逆にバディであるルリハを取られてヤキモチを焼いている可能性もあると思い直した。
「いいもん。ボクは響クンとデートもっと楽しむもん!」
「ふえ……!?」
考えに気をやっていたところでキララが負けじと響の腕を抱いてくる。
むにゅ、という柔らかい感触が不意打ちで、響は大きめの声を出して周囲の客の視線を集めてしまう。
きつく抱きしめられた腕はまた骨折の危険性を孕んだが、キララに下から覗き込まれれば拒否することなどできるはずもない。
響のドギマギを見てキララはヤキモチを呆気なく手放したようだ。「次あっち見ていーい?」と店内の端っこにあるワンピースエリアを指をさすので、響はようよう頷いた。
「そういえば響クン、執行者になって割と経つよね。慣れてきた?」
そちらへ向かう途中、キララが訊いてくる。
キララに自分たちがヤミ属執行者になったことはまだ話していなかったが、彼女らも存在養分を得るため定期的にヤミ属界へ帰還するのだ。エンラやディルを通じて知る機会は多かっただろう。
響は苦笑しつつも口を開く。
「執行者って言っても僕は雑用しかできないけど……アスカ君が執行するのを見るのには慣れてきたかも知れません。最初は〝魂魄執行〟だけでめちゃくちゃ落ち込んだんですよ。情けないけど」
「全然情けなくないよぉ。あれ、生物からしたら本当にキッツイと思うし」
生物からしたら、という言い方にやはり違いを感じる。
いくらカワイイモノが大好きな同年代の女の子に見えても、彼女は生物ならざる存在なのだ。
「あ、けど〝罪科獣執行〟だけは慣れる気がしない。まだ二回しかやってないってのもあるかも知れないけど、見てるだけで相当怖かったんで」
「分かる! 分かっちゃうよ~怖いよねぇ」
しかし次に返ってきたのは心のこもった同意だったので響はハタリと目をみはる。
「え、キララさんも?」
「キ・ラ・ラ♡ 敬語もダメだよ??」
「……キララ、も?」
「えへへ。そりゃ~怖いよぉ? 罪科獣って大体凶暴だし、頭いい個体多いし、油断するとすぐケガするし。できれば任務来るなーって思うくらいイヤなんだ」
一瞬驚いたものの、生物ならざる彼女らにも自我があり五感、痛覚があるのは分かっていることだ。死ぬことだってある。
生物のように生きることを本能とせずとも、強敵に恐怖を覚えるのは不思議なことではない。今まで響の周囲にそういう感情を表する存在がいなかっただけで。
「だから響クンもアスカもすごいなーって思ったよ。ボク、どっちの立場でも絶っっ対執行者になんて復帰しないもん」
「や、アスカ君は確かにすごいけど僕はただの雑用係だから」
「んーん。やろうと思ったのがすごいよ。響クンが志願したおかげでアスカは執行者に戻れたわけだし」
称賛を重ねられ、響は思わず照れ笑いを浮かべる。
しかしそれがすぐに消えてしまったのは、響の脳裏に〝あのとき〟のアスカの背中が浮かんできたからだ。
「でも、……うーん」
「なぁに?」
「……本当に良かったのかなって未だに思ったりしてるんだ。
キララさ……キララは前に言ったよね。『アスカ君には執行者としてどうしても果たしたかったことがあった』って」
「うん。言ったね」
「僕が執行者に志願したのはアスカ君のためだなんて言う気はないんだ。
でも、執行者として果たしたいことがあったアスカ君のためにもなれたら最高だな、って安直に考えてたのは事実でさ。
当時はその〝果たしたいこと〟が何なのかも知らなくて……それを知ってる今となってはあれで良かったのかな、なんて考えるんだよね」
つい先日、アスカは言ってくれた。『ヤミ属執行者を続けたい』と、自分の意志で。だからそれ自体にはもうわだかまりはない。
だが、アスカがシエルを自らの手で討った事実は未だ割り切れずにいる。
もし自分が執行者に志願しなかったなら――アスカは果たしたかったことを果たせなかっただろうが、こうして長く気落ちすることもなかったのではないかと。
響はシエルがヤミ属界にいたころのことを知らない。アスカにとってシエルがどれほどの存在だったのかなど分かりようもない。
だが、未だ苦しそうなアスカをどうにかしてあげたくて、しかしどうにもできなくて。響は今もずっと思い悩んでいた。
「それって、アスカがシエルを討った話だよね」
率直に問われて、響はいつの間にか伏せていた視線を上げる。するとそこには淡く微笑んだ少女。ゆえに苦笑してしまう。