第19話 親愛なる友へ
文字数 2,565文字
「……、」
ヴァイスの制止にエレンフォールは時を止めた。
「頼むからやめてくれ。それ以上は何も言わないでくれ」
数秒後、エレンフォールの面が静かに引き歪む。拒絶された事実に、その原因を作った自分を責めるかのように。
「エレンフォール、何度だって言っているはずだ。私は君を殺さなければならないと。そのためにここへ来るのだと」
しかしその低く重い言葉に、まるで今にも泣き出しそうな音色に、エレンフォールはハタリと右目をみはることになる。
「私は君の言うとおり生物の命を狩る死神だ。今日までに君を殺さなくてはならない。今だって君を殺そうとしていた。
なのに何故そんなことを言うんだ。どうして死神と分かっていながら私を待ち望むんだ」
まるで堰を切った水のごとくヴァイスは続ける。
「私には感情が分からない。君の苦しみも理解できているとは思えない。
だが、君と時間を重ねるたびに満たされて私という存在が色づいていくのだけは分かる。それが心地よいというのも実感している」
「……」
「その感覚は私にあるべきではないのに、そう分かっているのに手放せない。だからどんどん増えていって、もっと手放せなくなって、……今だってそうなんだ。早く君を殺さなければいけないのに。そうあるべきなのに。
なのに私は君を失えない。今だって、こんな無意味な話ばかりを重ねて、執行できないでいる」
――それは懺悔のようだった。
罪を罪と認識しながら、それでも罪を犯し続けてしまうことを神の前で自白する咎人のようだった。
「……ヴァイス」
そしてそれを前にするエレンフォールは痛ましそうに目を細めた。だが、そのあとで唇は抑えられないとでも言うように孤を描きゆくのだ。
「ヴァイス。すまなかった」
その謝罪に、相反する声色に。ヴァイスは思わずといった風情で顔を持ち上げた。
「君の苦悩に気づけなかったこと、本当に申し訳なく思う。君が死神だと分かっていたのに死を拒否し続けたのも罪悪なことだった」
でもごめん。本当にごめん。自分の気持ちに嘘をつけないよ。笑ってごめんよ。本当に嬉しくてさ」
エレンフォールはこらえきれない様子でヴァイスに歩み寄った。
「君が俺に内側をさらけ出してくれたこと。そんなふうに考えてくれていたこと。君のなかに俺が居てくれたこと……ああ。
どうしよう。どうしたらいい。なんて俺はワルいんだ。君の苦悩を喜んだらいけないのに、君にまだ命を渡すわけにはいかないのに」
エレンフォールはなおも近づき、ヴァイスを抱擁しようとした。
だが、ヴァイスは霊体のままだ。衝動に任せたその動きは空振りして倒れるのが目に見えていた。
しかしそれをヴァイスは受け止めた。わざわざ実体化して、前のめりの体躯を両腕で受け止めた。
エレンフォールはその事実に美しい笑顔をくしゃりと台無しにした。右の片瞳からは大粒の涙がひとつふたつとこぼれ落ちていく。
「ヴァイス。俺には今、ひとつだけ分かったことがある」
ぐしゃぐしゃの顔。
「君は俺の友だちだ」
ヨレヨレの声。
「君のためなら俺は何だってしたい。この命だって喜んで渡したい」
まっすぐな心。
「でもすまない、今はやっぱり無理なんだ。俺はまだ死ねない。この戦争を終わらせなければならないから」
そうしてエレンフォールが次にしたことは、両耳につけていたピアスの右側を取り、ヴァイスに差し出すことだった。
「友よ、かけがえのない君。どうかこれを受け取ってほしい」
ロウソクの柔い光に照らされた金属、その中心を飾るターコイズのチャーム。
ヴァイスは首を横に振った。
「これは……君が身売りされる直前に、君の母がこっそり託した大事なものなんだろう。これだけは絶対に手放せないと君は以前話していたはずだ」
「うん。だから君に受け取ってほしいんだ」
「……、」
「俺は俺の、君は君の道を行かなくてはならない。君が葛藤のすえにどんな選択をしたとしても俺が裏切られたなんて思うことはない。俺も抵抗はするけど、そこは恨みっこなしだ。
けれど分かるんだ。どんなにしろ俺に残された道はきっと短いって。でも……ふたりの道がこうして交わってくれたことだけは、それだけははっきり幸福だったと言える。このピアスはそんな俺の気持ちだ」
「……」
「ヴァイス……俺のかけがえのない友よ。存在してくれてありがとう。言葉を交わしてくれてありがとう。
――君の歩む道に祝福があらんことを」
「…………」
長い静寂が訪れた。時間が止まったのかとさえ思えるほどだ。
しかしやがて時は動き出す。ヴァイスが差し出されたピアスを受け取ったことによって。
それ自体は百歩ゆずって問題ではなかった。実際は生物に過干渉しているため大問題だが、このあとヴァイスがエレンフォールを速やかに執行できたなら表面上は丸く収まる。
「エレンフォール。君が死ぬ必要はない」
しかし、ヴァイスがピアスを胸の前で固く握りしめながら発した音色は。
「決めた……私は君を殺さない。君を生かし、君の道を守る」
覚悟を決めたように毅然と放たれた言葉は――決して看過できるものではなかった。ディルは目を見開き耳を疑った。
「少しの間ここを離れる。だが待っていてくれ。必ずすぐ戻ってくるよ」
エレンフォールもディルと似たような反応をした。ただし彼の場合は純粋な驚きだ。
「ヴァ、ヴァイス? 君は何をするつもりなんだ」
「私の道を君の道と同じにする。私は今、自分の気持ちに気づくことができた。私は友と、君と一緒にいたい」
「……、」
「ここに戻ってきたなら二度と離れることはない。君を守るために、この命を使う」
「そ、そんなことはしなくていい。でも……君と一緒に歩めるのは嬉しい。俺、本当はずっとずっと君の話を聞きたかったんだ」
「うん。約束する――次はとっておきの話をすると」
その言葉に、エレンフォールはまた涙と笑顔をこぼした。
ヴァイスはそれにひとつ頷くと紋翼を展開、迷いなく階層移動をした。ゆえにディルもまた紋翼を展開し追いかける。
ヴァイスが脇目も振らず向かった場所は分かっていた。
諸悪の根源たるイスマではない。相手部族長のもとでもない。
ヤミ属界、裁定神殿。そこにいるヤミ属の統主エンラ。
ヴァイスはきっと彼女のもとへ向かったはずだ――指名勅令の撤回を求めるために。
ヴァイスの制止にエレンフォールは時を止めた。
「頼むからやめてくれ。それ以上は何も言わないでくれ」
数秒後、エレンフォールの面が静かに引き歪む。拒絶された事実に、その原因を作った自分を責めるかのように。
「エレンフォール、何度だって言っているはずだ。私は君を殺さなければならないと。そのためにここへ来るのだと」
しかしその低く重い言葉に、まるで今にも泣き出しそうな音色に、エレンフォールはハタリと右目をみはることになる。
「私は君の言うとおり生物の命を狩る死神だ。今日までに君を殺さなくてはならない。今だって君を殺そうとしていた。
なのに何故そんなことを言うんだ。どうして死神と分かっていながら私を待ち望むんだ」
まるで堰を切った水のごとくヴァイスは続ける。
「私には感情が分からない。君の苦しみも理解できているとは思えない。
だが、君と時間を重ねるたびに満たされて私という存在が色づいていくのだけは分かる。それが心地よいというのも実感している」
「……」
「その感覚は私にあるべきではないのに、そう分かっているのに手放せない。だからどんどん増えていって、もっと手放せなくなって、……今だってそうなんだ。早く君を殺さなければいけないのに。そうあるべきなのに。
なのに私は君を失えない。今だって、こんな無意味な話ばかりを重ねて、執行できないでいる」
――それは懺悔のようだった。
罪を罪と認識しながら、それでも罪を犯し続けてしまうことを神の前で自白する咎人のようだった。
「……ヴァイス」
そしてそれを前にするエレンフォールは痛ましそうに目を細めた。だが、そのあとで唇は抑えられないとでも言うように孤を描きゆくのだ。
「ヴァイス。すまなかった」
その謝罪に、相反する声色に。ヴァイスは思わずといった風情で顔を持ち上げた。
「君の苦悩に気づけなかったこと、本当に申し訳なく思う。君が死神だと分かっていたのに死を拒否し続けたのも罪悪なことだった」
でもごめん。本当にごめん。自分の気持ちに嘘をつけないよ。笑ってごめんよ。本当に嬉しくてさ」
エレンフォールはこらえきれない様子でヴァイスに歩み寄った。
「君が俺に内側をさらけ出してくれたこと。そんなふうに考えてくれていたこと。君のなかに俺が居てくれたこと……ああ。
どうしよう。どうしたらいい。なんて俺はワルいんだ。君の苦悩を喜んだらいけないのに、君にまだ命を渡すわけにはいかないのに」
エレンフォールはなおも近づき、ヴァイスを抱擁しようとした。
だが、ヴァイスは霊体のままだ。衝動に任せたその動きは空振りして倒れるのが目に見えていた。
しかしそれをヴァイスは受け止めた。わざわざ実体化して、前のめりの体躯を両腕で受け止めた。
エレンフォールはその事実に美しい笑顔をくしゃりと台無しにした。右の片瞳からは大粒の涙がひとつふたつとこぼれ落ちていく。
「ヴァイス。俺には今、ひとつだけ分かったことがある」
ぐしゃぐしゃの顔。
「君は俺の友だちだ」
ヨレヨレの声。
「君のためなら俺は何だってしたい。この命だって喜んで渡したい」
まっすぐな心。
「でもすまない、今はやっぱり無理なんだ。俺はまだ死ねない。この戦争を終わらせなければならないから」
そうしてエレンフォールが次にしたことは、両耳につけていたピアスの右側を取り、ヴァイスに差し出すことだった。
「友よ、かけがえのない君。どうかこれを受け取ってほしい」
ロウソクの柔い光に照らされた金属、その中心を飾るターコイズのチャーム。
ヴァイスは首を横に振った。
「これは……君が身売りされる直前に、君の母がこっそり託した大事なものなんだろう。これだけは絶対に手放せないと君は以前話していたはずだ」
「うん。だから君に受け取ってほしいんだ」
「……、」
「俺は俺の、君は君の道を行かなくてはならない。君が葛藤のすえにどんな選択をしたとしても俺が裏切られたなんて思うことはない。俺も抵抗はするけど、そこは恨みっこなしだ。
けれど分かるんだ。どんなにしろ俺に残された道はきっと短いって。でも……ふたりの道がこうして交わってくれたことだけは、それだけははっきり幸福だったと言える。このピアスはそんな俺の気持ちだ」
「……」
「ヴァイス……俺のかけがえのない友よ。存在してくれてありがとう。言葉を交わしてくれてありがとう。
――君の歩む道に祝福があらんことを」
「…………」
長い静寂が訪れた。時間が止まったのかとさえ思えるほどだ。
しかしやがて時は動き出す。ヴァイスが差し出されたピアスを受け取ったことによって。
それ自体は百歩ゆずって問題ではなかった。実際は生物に過干渉しているため大問題だが、このあとヴァイスがエレンフォールを速やかに執行できたなら表面上は丸く収まる。
「エレンフォール。君が死ぬ必要はない」
しかし、ヴァイスがピアスを胸の前で固く握りしめながら発した音色は。
「決めた……私は君を殺さない。君を生かし、君の道を守る」
覚悟を決めたように毅然と放たれた言葉は――決して看過できるものではなかった。ディルは目を見開き耳を疑った。
「少しの間ここを離れる。だが待っていてくれ。必ずすぐ戻ってくるよ」
エレンフォールもディルと似たような反応をした。ただし彼の場合は純粋な驚きだ。
「ヴァ、ヴァイス? 君は何をするつもりなんだ」
「私の道を君の道と同じにする。私は今、自分の気持ちに気づくことができた。私は友と、君と一緒にいたい」
「……、」
「ここに戻ってきたなら二度と離れることはない。君を守るために、この命を使う」
「そ、そんなことはしなくていい。でも……君と一緒に歩めるのは嬉しい。俺、本当はずっとずっと君の話を聞きたかったんだ」
「うん。約束する――次はとっておきの話をすると」
その言葉に、エレンフォールはまた涙と笑顔をこぼした。
ヴァイスはそれにひとつ頷くと紋翼を展開、迷いなく階層移動をした。ゆえにディルもまた紋翼を展開し追いかける。
ヴァイスが脇目も振らず向かった場所は分かっていた。
諸悪の根源たるイスマではない。相手部族長のもとでもない。
ヤミ属界、裁定神殿。そこにいるヤミ属の統主エンラ。
ヴァイスはきっと彼女のもとへ向かったはずだ――指名勅令の撤回を求めるために。