第13話 変な奴

文字数 3,238文字

「おい」
「は、はい」
「ケガはないか」
「ないです。ごめんなさい……」

 響はすぐに謝罪を口にする。

 アスカに黙って出ていったこと、子どもたちと共に草原地帯へ出てしまったこと、紋翼を出した挙げ句子どもにケガを負わせるところだったこと――叱責を受けて当然のことをしでかした自覚があったからだ。

 しかしアスカは響の謝罪に首を傾げる。

「なんで謝る」
「え、だって……まずアスカ君に言わず外に出ちゃったし」

 言えばアスカは少し考えるように黙ったあとで再び口を開いた。

「まあ……俺が同行していればさっきみたいな事態には陥らなかっただろうな」

「ウッ。本当にごめん」

「だが、そっちはどちらかというと俺の落ち度だ。お前が別行動を取るのをすぐに気づけなかったのは俺だからな」

「いやいや! そんなの疲れちゃうし、アスカ君にはアスカ君の時間があるんだし……ていうか草原地帯って来ちゃいけない場所だったんだね。てっきり自由に散歩していい場所だと思ってた」

「……お前はどうなんだろうな。居住地帯の外に出ることを禁止されているのは傍系のヤミだ。紋翼を持っているという意味ではお前は当てはまらないと思うが……」

「ごめん。ボウケーノ、ヤミ?」

 聞き慣れない単語に今度は響が首を傾げる番だ。アスカは小さく首肯する。

「〝傍系属子〟とも言うがな。ざっくり説明すると、ヤミ神の神核から直接生み落とされた〝直系属子〟とは違ってヤミから生まれたヤミのことをいう」

「えっ、全員がヤミ神から生まれるわけじゃないんだ?」

「ああ。むしろヤミの総数からすると俺やヴァイス先輩のような直系属子の方が圧倒的に少ない」

「じゃあ大体のヤミは傍系属子ってことか……」

「そうだ。そして傍系属子は基本的に紋翼を持たない。だからあいつらは紋翼を見たがっていたんだ」

「あぁなるほど!」

 腑に落ちる響。

 さらに〝紋翼がないと執行者の資格を失う〟という情報を思い出せば、執行者がどれだけ特別な仕事であるかも理解する。

「ちなみに、傍系属子も直系属子が同伴するなら草原地帯に出ていいことになっている。

 ガーディアンも傍系で構成されてはいるが許可されている。その理由は、草原地帯に点在する脅威に対処できる力を持っているからだ」

「……じゃあやっぱり僕も出るべきじゃなかったね。確かに紋翼は持ってるけど、使い方も分からないし対処もできないし」

 響の言葉にアスカは仏頂面に渋い色をにじませる。

「俺も説明を疎かにしていた。お前が外出するときは常に俺がいるから大丈夫だろうと思っていたが……気を緩めた一瞬にこういうことは起こるものだな」

 バツが悪そうに言いながら頭をぞんざいに掻くアスカ。

 今の彼は外出時に着る灰色のツナギではなく、半袖白のTシャツに黒のジャージボトムというラフな服装をしていた。

 どう見ても急ぎの出で立ちだ。しかもその身体は汗に濡れ、あちこちに小さな傷もあった。

 屋上での用を終えて階段を下りてすぐ響の不在に気づいたのだろうか。どんなにしろ急いで追いかけてきたのは間違いがないだろう。

 しかし、ここで疑問がわき起こる。

 響が家から草原地帯にたどり着くまで十分はかかっている。見つからないようコソコソと移動したので誰の目にも留まっていない。つまり捜索の一助になる目撃情報もアスカは得られなかったはずだ。

 普通、捜索をするならば自宅の近所、様々な店がある職務地帯から取りかかるだろう。少なくとも響にはそれが普通に思える。しかしそれならば響が草原地帯にたどり着いた時間の何倍も時間がかかるはずだ。

 しかしアスカが響を見つけるのは異様に早かった。あまりにも的確に見つけられた気がする。

「そういえば、アスカ君はどうしてすぐ僕を見つけられたの?」

「俺は常にお前の居所が分かるから、それを追ってきただけだ」

「……あ、そっか! 僕の中にある紋翼は元々アスカ君のものだから感知できるんだったね」

 以前、響が〝半陰〟となってすぐのころ、ヴァイスと草原地帯を散歩しているところを満身創痍のアスカが追ってきたことがあった。

 そのときアスカは言っていた。響のなかにある自分の紋翼を感知したのだと。紋翼は響の身体に入ったあとでもアスカの所有物であったことを忘れていないようで、探知機のような役割を果たしているらしい。

 諸々の理解が済んだ響は大きく吐息をついた。

「いやぁ、でも、アスカ君がすぐに駆けつけてくれて本当に助かったよ。そういう意味では紋翼のおかげだね。

 あ、でも紋翼があったからあの子にケガをさせるところだったのもあるし……うーん、良かったのか悪かったのか分からないな」

 そんなふうに苦笑しているところで不意に思い出されたのは先日のキララの言だ。

『紋翼がなくなったってことは執行者としての戦闘能力の大半を失ったってことと同じなんだ』

『アスカには執行者としてどうしても果たしたかったコトがあったのにって思っちゃってさ』

『アスカの希望になってあげて欲しいんだ』

「……」
「どうした」

 急に黙り込んだ響をアスカは胡乱げに見下ろす。響は少し逡巡しつつも、そんなアスカを見上げた。

「突然なんだけど、紋翼をアスカ君に返すことってできないのかな?」

「……なに?」

「僕にはやっぱり宝の持ち腐れだと思ってさ。毛玉との戦いのときも僕じゃ使いこなせなかったし。

 それに、紋翼があったらアスカ君は執行者に戻れるんだろ? 執行者に戻れたら、やりたいことを諦めないで済むんだよね」

「……それはキララあたりからの情報か」

「うん。でも内容までは聞いてないよ。ただ、そのときから返せるなら返したいって思うようになってさ」

「不可能だ」

 アスカは固い声色で言いながら首を横に振った。

「紋翼を根本から失った俺も、その紋翼を魂魄に埋め込まれたお前もこうして生存できていること自体が奇跡だ。同じことを試みて無事で済むとは到底思えない」

「……そっか……」

 答えを予想できなかったわけではない。だが、ただの人間だった響には想像もつかないことをやってのけるヤミ属だからこそ〝もしかしたら〟を捨てきれなかった。

「紋翼のことは気にしなくていい。使いこなす必要もない。

 生物としての存在養分を得るため今後も定期的に生物界へ下りることにはなるが、この前のようにヤミ神未観測の罪科獣に出くわすなんてことは二度とないだろう。それくらい珍しいことだったんだ」

「……」

「それに、お前の紋翼は以前のように使えなくされる予定だ。ヴァイス先輩の時間が空き次第だからいつになるかは分からないが、遠くない未来であることは確かだ。

 だから今までのように無いものとして扱ってくれて構わない。それまでは重荷を背負わせてしまうことになるが……」

「違うんだ。重荷とかそんなじゃなくて、申し訳ないって思うんだよ」

 その言葉にアスカは眉根をさらに寄せる。

「申し訳ない?」

「だってアスカ君が紋翼を失ったのも、その紋翼が僕のなかにあるのもアスカ君のせいじゃないだろ」

「……、」

「紋翼を失くさなかったらアスカ君は執行者として自分がやりたいことをやれた。僕のために自分の時間を削る必要だってなかったはずだから……重荷じゃなくて、悪いなって思うんだ」

「……」

 これまでひとりで悶々と考えていたこと。それらがぽろりとこぼれた。

 帰還して以来、響は毛玉型罪科獣との一件で自分のなかに紋翼があること、そしてキララに聞いた話をずっと考えていた。

 まだ寿命の残っている響を殺せなかったばかりに紋翼を失い、執行者も続けられなくなり、中途半端な存在になった響を守ることになってしまったアスカ。もし紋翼を返す術があったならアスカは自由になれるのにと。

 ざああ、と沈黙の間を風が吹き抜けた。

 響の目の前で月明かりに照らされるアスカは目を伏せている。思慮を抱える黒瞳が今何を見ているのか響には見当もつかない。

「お前は……変な奴だな」

 そしてその唇から放たれた言葉に響は目をしばたたかせることとなった。
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