第2話 異世界さんぽ

文字数 2,954文字

「じゃあ見晴らしの良い場所へ案内しよう」

 少し心の余裕ができた響は歩きながら辺りを見回した。

 現在時刻は夜。しかし黒の帳に浮かぶ大きな月と瞬く星々に照らされて界隈はやはり明るい。

 今歩いている場所は住宅街のように見える。まるでファンタジーの世界で描かれるような変わった作りの家が建ち並び、出歩く者たちにもウラ淋しい雰囲気はない。

 しかも彼らは響の事情を知っているのか「身体もう平気なの?」とか「つらかったね」とか「困ったことがあるなら遠慮なく頼ってくれよな」とか、すれ違うたびに優しい言葉をかけてくれる。

「大丈夫かい。みんな君のことを心配していたんだが、今の君には重荷だったかも知れないな」

 それらが減ったタイミングで一息をついているとヴァイスが声をかけてきた。

「ああいや、そんなことは」

「ならいいんだが」

「……アビーさんも声をかけてくれた皆さんも、人間じゃないんですよね」

「そうだ、全員ヤミだよ。ここはヤミ属の住む世界〝ヤミ属界〟だからね」

「みんな優しいんですね。少し、びっくりしました」

「怖いと思ったかい」

「正直。……だって死神みたいなもの、なんでしょう?」

 恐る恐るヴァイスを見上げると、彼は小さく肩を揺らす。ペストマスクで表情が伺い知れないが、恐らく笑ったのだろう。

「そうだね。だが私たちは任務として生物を死に至らしめるだけで、イタズラに命を狩っているわけではないとだけは付け加えさせてほしい。〝生物の死を守る〟ことがヤミ属の仕事だから殺しているんだ」

 その言葉で不意に黒髪の男・アスカのことを思い出す。反射的に鼓動が速くなったが勇気を出して口を開く。

「その……黒髪の、アスカという方も任務で僕を殺そうとしたんですか……?」

「そうだよ。〝織部 響の魂魄を回収せよ〟って任務が下ったからアスカは君を殺そうとした。ためらった挙げ句に失敗してしまったけどね」

「あの金髪碧眼の、僕の心臓を抉った方は……?」

「ヒカリ属のシエルだね。安心していい、彼は絶対にこのヤミ属界に来られない――つまり君は今後二度と命を狙われることはないよ」

「……そう、ですか」

 ひとまずの安堵を得て響は胸を撫で下ろした。

 だが、あの夜のことは今思い出しても悪夢のようだ。

 バイト帰りの夜、待ち伏せたアスカに銃を向けられ、急いで家に帰れば妹も祖父母も見つけられず、再び待ち伏せらせて発砲され。

 逃げ惑い、他の誰にも会えず、ようやく第三者に会えたと安心して近づけば金髪のヒカリ属・シエルに捕まった。その後追いかけてきたアスカとシエルは何故か戦い始めたが、勝負はすぐについた。

 敗したのはアスカ。彼はうつ伏せで地に伏したが、シエルはその背に生えた翼のようなものを無理やり引きちぎり――そこまで思い返した響はハッとして再びヴァイスを見上げた。

「あ、あの。大丈夫なんですか?」

「うん?」

「アスカさん。だってあのとき翼みたいなのをブチブチってされて……血もすごく出てて。最後はピクリとも動かなくて」

「ありがとう。重傷も重傷だったからね、意識はまだ戻らないが峠は越したよ」

「じゃあ命は」

「ああ。少なくとも命は保証された」

 含みは感じたものの、その言葉に響は胸を撫で下ろす。

「自分を殺そうとしたアスカを気にかけてくれるなんて、優しいね」

 しかしすぐ、ヴァイスの言葉にゆるゆると首を振ることになる。

「いや、そういうわけじゃ……」

 命を狙われた側のする反応でないのは響にも分かっていた。別に善人ぶりたいわけでもない。

 だが血まみれのまま動かなくなったアスカに抱いた当時の感情にも嘘はつけない。

 平和に平凡に生きてきた響には鮮烈な赤も死も重すぎた。そしてそこに乃絵莉が血まみれで倒れていた例の悪夢が重なった。それだけなのだ。

「……その、アスカさんが回復したら、僕はまた命を狙われたりするんでしょうか……」

 だから次にする心配は自分のことだった。しかしヴァイスはすぐに首を横に振る。

「いいや。以前ディルが言っていたようにそれは絶対にない。アスカに与えられた任務は終了だ。君の死を守る――魂魄を回収する必要がなくなったからね」

「そう、なんですか?」

「君はもう純粋な人間ではない。半分は生物だが半分はヤミ属の〝半陰〟であり、存在としてはヤミ属側になってしまった。ヤミ属が守るのは生物の死だけなんだ」

 口をつぐむ響に察したか、ヴァイスは響を見下ろしてきた。

「すまない。言葉を選ぶべきだったね」

「い、いえ……実際、家族も僕のこと完全に忘れてましたし……本当にもう普通の人間じゃないんだろうなって分かります……はは」

「……」

「ただその、分からないことだらけだなって、思って。ヤミ属は死神みたいなもので……でもイタズラに命を狩ってるわけでもなくて、そのうえ生物の死を守る? 生物を殺すことが守ることになるっていうのが変だなとは、思いました」

 響の言葉にヴァイスはうなずく。

「確かに生物の価値観としては理解しづらいことかも知れないね。突然命を狙われる側からしたら間違っても守られているようには見えないだろうし」

「まあ……そうですね」

「ヤミ属の仕事にも色々と種類があってね、アスカが君が殺そうとしたのもそのなかのひとつに過ぎない。

 最重要にして一番の割合を占めているのは、次の転生のために魂魄の傷や歪みを正すことなんだ」

「……、」

「生物は寿命まで生きたあと、肉体を脱ぎ捨てた魂魄だけの状態になってこのヤミ属界まで自発的に還ってくる。そして生を終えた魂魄というのは程度の差はあっても一様に汚れ歪んでいるんだ」

「そ、そうなんですか?」

「生きるのも大変だからね。その魂魄の汚れを洗い流したり形をきれいに戻したりして、転生を司るヒカリ属――天使のようなものと思ってくれて構わないが、彼らのもとへ送り出すことをヤミ属は一番の仕事とする。

 ほらごらん。空から降ってきているあの無数の球体は全部還ってきた魂魄だ」

 視線を促された響は少しの間のあとに目を見開く。

「あれって魂!? そんなことあるんだ……全部星だと思っていました」

「もちろん星もあるが、動いているのは全部魂魄だよ」

 ただの夜空に浮かぶ星だとばかり思っていた無数の魂魄は、確かに空を漂いながら少しずつふわふわと落ちてきていた。

 しかもそれはすべて決まった方向へ向かっているようにも見える。

「魂魄はこれから〝裁定〟と呼ばれる儀式を経て正され、それが済めばヒカリ属のもとへ移動し、次は転生という運びになる。

 転生が決まった魂魄は例外なく寿命の契約を結んでから生物界に誕生する。大抵の生物はその契約寿命どおり死に、ヤミ属のもとへ再び自発的に戻ってくる。

 そして次の転生に向けてヤミ属に魂魄をきれいに正され、また転生の準備に入る――こんなふうに生物は生死の循環を永遠に繰り返すんだ」

「あれですかね、輪廻転生とかそういう……」

「大枠の理解はそれで構わないよ。だが中には例外もあってね、寿命の契約を破ってでも強引に生き続ける生物がいる。私やアスカはそういった例外たちに死を与えることを任務とする〝執行者〟という存在なんだ」

「そうだったん、ですね。……」

「何か言いたそうだね」

「…………生きたい人をそのまま生かし続けるのは、ダメなんでしょうか」
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