第2話 ひさびさの生物界!

文字数 2,687文字

 思わず感嘆の声を上げて、傍らで同じように実体化を完了したアスカを驚かせてしまった。ディルには笑われた。

 だが謝ることも照れくさくなることも忘れていた。久々の生物界が嬉しくて嬉しくて泣きそうになっていたのだ。

 ヤミ属界は常夜の世界だ。大きな月と星が常に空で光っているので明るくはあるが、やはり響は太陽が恋しかった。いや、本当は生物界のすべてが恋しかった。

 何故なら十七年という長い年月を過ごしたのだ。そんな場所に、もう二度と来られないと思っていた場所にまた降り立つことができたのだ。だから胸がいっぱいになってしまうのも仕方がない。

 その後ディルが昼食を提案してきたので、店の選択を任された響は熟考してハンバーガーのファストフード店を選んだ。特に遠慮したわけではなく、どうせなら馴染みのあるものを味わいたかっただけだ。

 本当は祖母の手料理が一番馴染みがあって何より食べたかったものなのだが、それが無理なことは響自身が痛いほどよく知っていたため口にしなかった。

 道中は大変だった。走り出したい欲求を懸命にこらえながら、まるで初めて東京に来た人間のように懐かしい街並みをキョロキョロ見回し続けた。

 そして久々に食べたハンバーガーの味といったら!

 ガブリと頬張ってはひと噛みふた噛み。口いっぱいに広がるチープな味わいのハンバーグやバンズ、ピクルスやケチャップ。その懐かしい味をずっと噛み締めていたいのに、身体も待ってましたとばかりに嚥下をしてしまうのだから困ってしまう。

 揚げたてのフライドポテトは熱くてヤケドをした、かわいそうな口内をシュワシュワのコーラで冷やした。しかしナゲットも熱くて同じことを繰り返した。美味しい。本当に美味しい。

 だから食後の気分は最高の一言に尽きた。店を出て晴れやかな空を仰ぎ見たときの心の跳ね方は尋常でなかった。

 ディルはそんな響の髪をワシワシと乱したあとで「じゃあ〝次〟行くか」とイタズラっぽいウインクをしてきた。

 次とは一体なんだろう? 見当がつかないがきっと嬉しい場所に違いない。

 そう目を輝かせる響の放りこまれた先が、そう、ポップでキュートな曲とアイドルふたりのカワイイ歌声、そして男たちの野太い咆哮が戦争を行うライブ会場だったというわけだ。



 ――というわけで話は冒頭に戻る。

「さて☆ ボクたちの銃口も君たちの撃ち抜かれたいハートも暴発寸前に熱くなってきたところで、次が最後だよ~!」

「えー!!」

「私たちが蜂の巣にしてあげるわ。喜びなさい」

「うおぉおおおおお!!」

「……うぉおお……」

 楽しくないわけではない。アイドル関係は未知の世界ではあるが、目の前の少女たちの作り出すライブ感はそんな響の心もワクワクとさせてくれた。

 しかし根本的に、何故こういう状況になっているのかが意味不明すぎて集中しきれないのだ。



「みんな~ありがとう♪ またボクたちの的になりに来てね~♡」

 疑問符を大量に生成しながらもライブは無事終了。

 アイドル二人は退場し、「ふぅ……今日も良い的になれたぜ」「蜂の巣どころか何も残ってねぇ、真っ白さ……」と歴戦の目をしながら去っていく男たちの背中を見送ったあとで響とアスカも会場を後にした。耳の奥がキーンとする。

「なんか……すごかったね」
「……ああ……」

 疲労感が強いのか、動揺が続いているのか。アスカは形容しがたい横顔をしながら短く相づちを打った。

 ディルが待ち合わせ場所に指定した場所は――そう、何故かあの場所に響たちを放りこんだ彼自身は来なかったのだ――ライブ会場のすぐ近く。人気のない路地裏の行き止まりだ。

「おう、楽しめたか?」

 ディルはカフェで買ってきたと思われるテイクアウト用のドリンクカップを口に運びながら気楽な様子で手を上げてきた。

「楽しめましたが……突然チケットを渡されたと思ったらライブ会場に放りこまれたので何事かと思いました」

「ははは、悪い悪い。飯食ってたら思ったより時間が押してな、急いでたんだ」

 近づいたディルからは紅茶の芳しい香りが漂ってきて、響は喉の乾きを自覚する。約二時間弱のライブで戸惑いながらも身体を動かしたせいだろう。

 それを察したかディルは傍らに置いた紙袋を漁るように言う。指示されたとおり紙袋を開くと、そこにはディルが手にしているものと同じドリンクカップが四つも収まっていた。

 どうやらアスカや響のぶんも買っておいてくれたらしいが、残りはお土産だろうか。とりあえず各々礼を言って受け取った。

「でも、どうしてディルさんは観なかったんですか?」

「チケットが二枚だけだったからな。仕事やりに一旦戻ってたし」

「えっ? ヤミ属界にですか?」

「生物界に下りても仕事が減るわけじゃないからなぁ。仕事をこなしたり突然出ていったことを怒られたりしてたのさ」

「すみません……」

「いんや、今から行こうっつって連れてきたのは俺だぜ。お前らがライブを楽しめたんなら良かったよ」

 言いながらディルは鷹揚な笑みを広げる。となればそれを見上げる響が次に考えることは先ほどのライブやアイドルたちのことだ。

「あの、つかぬことをお聞きしますが……ディルさんって、あの子たちのファンだったりしますか?」

 カップのなかの温かいココアをすするのを中断して恐る恐る問いを投げる。

 前もってチケットを用意していたのだ、本来はディルが彼女たちのライブを観る予定だったのではないだろうか。

 しかしチケットは二枚だけ。それも急遽三名で生物界へ下りるしかなくなったとあれば、気の良さそうな彼は楽しみを響とアスカに譲り、自分は仕事に戻るという選択をしたのではないか。

 響の問いかけにディルは黒縁メガネの奥にある灰目を細めてみせる。

「そうだなぁ。ファン……そういう見方もあるかもな」

「やっぱり。じゃあディルさんもライブ楽しみにしてましたよね? お客さんも満員でしたし、チケットの競争率も高そうだったのに譲ってもら――」

「〝がんなぁ♡きゅーと〟。ここ数年、彗星のように現れてぐんぐんファンを増やしてる地下アイドルコンビだ。

 普通のやり方じゃ確かにチケットは用意できなかっただろうが、気に病むことじゃないぜ。なにせ俺には最強のツテがあるもんでね」

「……?」

「アスカ~~♡♡♡♡」

 そのとき、薄暗い路地裏には到底似つかわしくない声が辺りに響き渡った。

 まるで鈴のように可憐な声だ。一体何だと振り返れば、響の背後に立っていたアスカの腰をうしろからホールドする細い両腕を見つける。

 アスカは手にしていたココアを落とさないように気をつけながら顔をしかめていた。
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