第30話 月光、激高、決行

文字数 3,123文字

 アスカの働きによって歪な者たちは殲滅できた。しかし、悪魔神ウルが遠吠えをすればまた現れることは間違いない。

 さらに悪魔神ウルは、アスカが倒した歪な者たちの死骸を左右の首で再び取り込み始めていた。このままでは自壊部分以外の傷をほぼ完治させてしまう。摂取した生物の要素も増やし、さらに厄介になっていくだろう。

 対してこちら側の状況は相当に厳しい。

 ジャスティンが未だ禁忌の絞首で戦闘不能状態、ベティはミランダの〝真実の鏡〟で鎮静状態、ユエ助も疲弊、ヒカリ属であるミランダにはそもそも戦闘能力がない。

 響など戦闘能力がない上にアスカの集中の邪魔になってしまっている。そのアスカも受傷でいつまで戦えるか分からない――かなりの劣勢だ。このままでは勝ちの目がまるで見えない。

「お願い……もう、やめてよ……」

 しかも、しかもだ。放心していたはずのベティが再び声を上げた。

 ミランダの〝真実の鏡〟の効果が不十分だったのか、それとも現実を認めたくない気持ちが勝ったのか。

 いずれにしろベティは再び権能を発動する兆候を見せている。響はゴクリと喉を鳴らした。まずい。脳裏に全滅の二文字がよぎる。

「……おい、アスカ。もう終いに、しようぜ」

 と――そこで不意に声を上げたのは、今なお禁忌の絞首に苛まれるジャスティンだった。

「〝断罪〟を、使え」

 悪魔神ウルに向けて再び地を蹴ろうとしていたアスカの肩が揺れる。

「言った、だろ、内側を直接、狙えとな……。コイツはどんだけ傷つけても、他のヤツを食らって、再生しちまう。オマエじゃ正攻法で攻撃しても、意味がねぇ。

 その点……〝断罪〟は、外側を無視して神核片を直接砕けるん、だったな……シエルもそれで、討ったんだろ? なら今も、使え」

 しかしアスカは一瞬間のあとで首を横に振った。

「〝断罪〟は使いません。使わない道を探るべきです」

「……」

「先輩の言うとおり〝断罪〟は神核片を直接砕きます。しかし砕いてしまえばウル先輩はヤミ神のもとに還ることもできなくなる。

 神核片が残っていればどれほど歪になっていようと助けられる可能性があります。ならどんなに難しくても諦めるべきじゃない」

「……」

「確かに、目の前のウル先輩は変わり果てています。正気はなく、身体にも神核片にも色々なモノを混ぜられ、呪禍の気配まである。

 でも、変わり果ててもウル先輩はウル先輩だ……俺が響に一瞬気をやってしまったとき、確実に殺せる局面だったにもかかわらず、ウル先輩は明らかに俺を殺すことを避けた。

 それは俺が知る優しいウル先輩の片鱗です。どれだけ変わってもウル先輩はウル先輩だという証拠です」

「ああ知ってる。オレも、戦闘中に感じた……アイツにはオレの知るウルが、わずかに残ってるとな。

 だが、それでもやれ……今すぐに、終わらせろ」

「……何故ですか。ジャスティン先輩はウル先輩が助かる可能性を閉ざしていいんですか」

「任務完遂には、それしか道はねぇ。オレもオマエも、きっとそのために呼ばれたんだ」

「ッでも、俺にウル先輩の神核片を砕く資格なんて――」

「資格なんざどうだっていい、ここには誰かがやらなくちゃならねぇことがあるだけだ!!」

「っ、」

「〝あれ〟はもうヤミ属執行者のウルじゃねぇ! カケラが残ってようがもはや元に戻ることも叶わねぇ骸だ!

 外側も内側もいいようにされた挙げ句殺戮の道具に使われてよう、今だって親や仲間を殺すように仕向けられてる、神核片もグチャグチャだ……存在すればするほど苦しいだろうさ、ヤミだってのに呪禍になりかかってんのがその証拠じゃねぇか!」

「……」

「オレが執行してやれれば良かった。だがオレじゃできなかった。間に合わなかった。

 もうオマエしかいねぇんだ……オマエならウルを全部終わらせてやれる。すべての苦しみからすぐに解放してやれるんだ」

「……」

「だから頼む――アスカ」

「…………」

 アスカは何も言わずジャスティンの言葉を聞いていた。

 大鎌を掴むその手はやけに重く見え、響の目に映る背はひどく大きなものを負っているように見えた。

 それでもやがてアスカは動き出す。

 大鎌を持つ右手を横に伸ばし、権能を発動する。陰なる神力が腕や大鎌の柄を伝い、ズズズと音を立てながら三日月の刃を覆っていく。

 熱く燃えくゆる炎とはまったく逆の、冷えきった黒き炎。

 アスカのもうひとつの権能〝断罪〟

 響は後方からそれをただ見ているが、それだけで内側は悲鳴を上げるかのようにヒリヒリと痛み始めた。

 〝断罪〟を目にするのはこれで二度目だ。

 一度目は生命防具ユエ助を造ってもらうためリェナに頼まれたお使い時。月の要素を集めに生物界へ下りていった際、姿を現したシエルに。

 あのときは一瞬の出来事だったためよく分からなかったが、今なら分かる。

 すべての生物、罪科獣、そして恐らくヤミ属やヒカリ属。

 自我ある者なら本能的に忌避するものだ――万物を強制的に終わらせるこの権能は。

 悪魔神ウルはすっかり再生を終えていた。

 アスカのまとう空気が様変わりしたのを察したか、左右の首を体躯の上へ戻しては再び獣の態勢となり臨戦態勢を取った。

 月光を放つ三つの双眸はどれもが焦点を失っている。彼に権能〝断罪〟への畏怖はなかった。

「い、嫌だ……お願い、ダメ、ダメだよ、やめて、アタシの子どもを、アスカ……ッ」

 ベティもまた押し寄せる死の気配に激しく動き始めた。ジャスティンの胸からどうにかして出ようともがく。

 しかしジャスティンがそれを許さない。決して緩まぬ禁忌の絞首に顔色を土気色にさせながら、それでもベティをきつく抱きしめ続けた。

 最初に動いたのは悪魔神ウルだった。強靭な後ろ足で地を蹴り、あまりの膂力に床が大きく割れたのを置いてアスカに飛びかかった。

 だがアスカは前にも後ろにも動かない。ただ大鎌をゆらりと構えるのみ。

 そうして悪魔神ウルがあと少しでアスカの頭を丸呑みにせんとする刹那、


「ッお願い、お願いウルを殺さないでぇえええ!!」


「――〝断罪〟」


 放たれる金切り声の絶叫。そのなかで重く静かな声が、響の耳朶を打つ。

 気づけばアスカは悪魔神ウルの後方にいた。黒い斬撃もまた背後。振り返り再び臨戦態勢を取ることもなく、その場に佇んでいる。

 悪魔神ウルは黒い斬撃が当たったと思われる直後、その場で静止した。飛びかかった速度は一体どこへ消えたのか――まるで一瞬を切り取られたかのように三つの口を大きく開けた姿勢のまま硬直している。

 不意にピシ、パリン、とガラスが割れるかのごとき音が響いた。

 同時に悪魔神ウルが瓦解していく。ツギハギだらけの身体が次々に自壊していく。

 右と左の首が首根からポキリと折れては地を転がり、分厚い肉がボトボトと落ち、死臭を撒き散らしながら内臓が辺りにほとばしり、眼球がこぼれ、牙が抜けていった。

 中身は外側以上にツギハギだらけだった。まるで実験のようでも遊ばれたようでもあった。

 響は絶句しながら悪魔神ウルが崩れていくのを見つめるしかない。

 アスカはゆっくりと動く。

 目をそらしては駄目だと言い聞かせるように、己が終わらせた仲間を振り返る。

「!」

 ――そうやって皆が息を呑んで最期を見届けるなか。

「ウル……」

 ジャスティンが気づいた。ベティも気づいた。すべての要素が剥がれ落ちた末、そこに残ったボロボロのヤミが、自分の左胸にあるモノを押さえこむかのごとく身体を丸めたことに。

 次の瞬間には消え失せる己の神核片。そこに灯り消えぬ呪禍が、この世界を傷つけぬように。まるで親に教えられたことを愚直に守るかのように。

 ウルは最後の力を振り絞りながら、その身を散らしていった――
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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