第36話 ゆえにコドモはオトナとなった
文字数 2,691文字
「まずはエレンフォール。今回の〝魂魄執行〟の執行対象であるが、ヤミ神より指名を受けたヴァイスはこの勅令任務を放棄した。
その結果エレンフォールは何者かによって害され、呪禍を生んだのち死した。ここまではよいな」
「……はい」
「帰還した貴様よりその旨の報告を受けてすぐ、我は近辺に常駐する執行者へ事後調査を命じた。
黒に染まったエレンフォールの肉体は街の外れに捨てられたとのことだ。〝神の皮をかぶった悪魔〟と罵られながらな」
「……」
「問題は魂魄の方だ。くまなく捜索させたが、やはり跡形もなく崩れてしまったようだ。無論我のもとにも還ってこぬ。とはいえ道理でもある。呪禍を生んだ魂魄が無事だった例は今までも存在せぬからのう」
「……そうですね」
「貴様は直接の現場を見ておらぬ。しかしヴァイスのもとにすぐ駆けつけたことで痕跡だけでも視認できたのは不幸中の幸いであった。
だが、渦中にあったであろうヴァイスが今も目を覚まさぬ以上、未だ明瞭にならぬ部分は多い。
とはいえ、それでも憶測を立てることはできる。呪禍を生み出したということは、エレンフォールは何者かによって〝混血の禁忌〟に遭わされたということだけは確信を持って言えよう」
「……エレンフォールには本当にすまないことをしたと思っています」
「うむ。我も重く重く受け止めねばならぬ。ヤミ属の所業はヤミ属統主たる我の所業でもある。二度とこのようなことが起きぬよう気を引き締めねばな」
「我が主。お話の途中で失礼いたしますが、ヴァイス殿の処分もこの場でご決定いただきたく」
そう言って神殿内に冷静な声を響かせたのは、エンラの傍らに控えている側近長リンリンだ。
「勅令任務、それもヤミ神のご指名までついた大事な任務を自らの意志で放棄したのです。生還したことは喜ばしく思いますが、ヴァイス殿には厳正な処分が必要と私は感じますわ」
「……ふむ」
「ヴァイス殿が〝ヤミ属執行者の頂点〟であったこと、お忘れなきよう。
彼に憧れ、彼のふるまいを模倣したがる執行者も多々あります。二度と繰り返さないためにも重罰は必要かと」
数秒黙るエンラ。その沈黙にこらえきれずディルは半歩踏み出しながらリンリンを見上げた。
「側近長リンリン、あんたの言うことにも一理はある。だがちょっと待ってくれ。
ヴァイスはエレンフォールから流れた呪禍に侵されて今も昏睡状態、執行者に戻れるかも、いや、いつ目を覚ますかも分からない状態だ。
あんたが真面目でヤミ属の責務に忠実なのは分かるが、そんなヴァイスに重い罰っていうのはやり過ぎなんじゃないですかね」
「でしたらディル殿、あなたが代わりに処分を受けてもよろしいかと。
バディ関係にある者には連帯責任が適用されます。ヴァイス殿の無茶な行動を止められなかったあなたにも罪があること、分かっているのでしょう?」
「もちろんですよ。じゃあ俺を謹慎領域に何百年と閉じこめますか? デケェ戦力を一気にふたり失うのはなかなか痛手だと思いますがね」
「これ、我を無視して白熱するでないわ」
軽く睨みあうふたり。そこに苦笑の水を差したのはエンラだ。
ふたりの視線が我に返ったように己の方へ戻ると、エンラはひとつ吐息をついたあとで紅の引いた唇を動かした。
「ヴァイスの処分は考えておらぬ。そもそもエレンフォールの生み出した呪禍に侵され、昏睡状態の今も止めどない苦痛にさらされている時点で報いは受けておるよ。
我にも呪禍を取り除くすべはないしのう。あやつは生きる限り、延々と狂おしい痛みに苛まれなければならぬのだ。例えディルの毒血があったとてな」
「……確かにそうですわね。承知しました」
「話を戻そう。次にエレンフォールが話しておったという〝ハクア〟と名乗りし者――そしてヴァイスに執行されたと思われる高次存在についてだ。
我はヴァイスが裁定神殿を飛び出して以降〝千里眼〟で執行地を視ておった。しかしあいにく、我の目には何の異常も映らなかった。恐らく阻害を受けたのだ」
「エンラ様の〝千里眼〟を阻める罪科獣なんてそうそういない。加えて俺が一命を取りとめたヴァイスを背負い帰還しようとした時点で、ヴァイスが殺したと思われるそいつの遺骸は核ごとキレイさっぱり消失したのを確認しています。
霊的存在に寄れば寄るほど遺骸の消失が速いのは周知の事実ですが、あれほどすぐに消失する存在なんて、生物はもちろん元が生物である罪科獣でも有り得ない。
遺骸からわずかに漂ってきていた気配がヒカリ属に酷似していた事実も含めて、見過ごすわけにはいきません」
「……ああ」
「エンラ様、不敬だとしても前回と同じことを言わせてください。俺は今回の件にヒカリ属第二の直系属子、そしてヒカリ属神託者の白亜様――もしくはその関係者が深く関与しているだろうと考えています。
きっとエレンフォールに〝混血の禁忌〟を犯したのもそうだ。そうでもなければヴァイスの行動にだって説明がつきません」
毅然と言いきったディルにエンラは小さくうなずく。
「そうさな……これほどの牌が出そろってなお否定するほど我も愚かではない。
しかし遺骸が早々に消失し、そのものを調査できなくなった時点で、我らが確定するすべを失ったのも事実。ヴァイスも依然として伏せる今、肝要となるのは過去ではなく未来であろう」
「ということは」
「ああ。これからヒカリ属界にリンリンを向かわせ、直接すべてを確認させる所存だ。とにかく〝ハクア〟を名乗り、生物を害した者が彼であったか否か。まずはそこを明確にせねばならぬ」
「もし本当にそうだったら……」
「大事も大事であるな。ヒカリ属の統主をタコ殴りする程度では到底済まぬくらいには」
「……」
「いずれにしろ、以降は我の管轄となる。ゆえにこの件について貴様らと話すのも一区切りとなろう。もっとも、事の運びによっては事情聴取の追加があるやも知れぬがな」
そこでエンラはふと口角を上げ、笑みを浮かべる。突然の表情の変化にディルはもちろん胡乱げだ。
「してディル。最後は貴様だ」
「……なんですか?」
「貴様も我に話があったのではないか? 我の千里眼にはそのように映るがのう」
どうやらディルの考えていたことはお見通しのようだ。出鼻をくじかれたディルは苦笑しつつ頭を掻いた。
しかしそんな心地になりながらも、灰瞳は澄んでまっすぐ前だけを見ている。
「実は俺、やりたいことができまして」
「ほう? それは如何なる道か」
まるで末弟の成長を喜ぶ姉のように黒い眼球を輝かせるエンラの前で、ディルは口を開いた。
――新たな道を、己の意志で切り開き始めたのだ。
その結果エレンフォールは何者かによって害され、呪禍を生んだのち死した。ここまではよいな」
「……はい」
「帰還した貴様よりその旨の報告を受けてすぐ、我は近辺に常駐する執行者へ事後調査を命じた。
黒に染まったエレンフォールの肉体は街の外れに捨てられたとのことだ。〝神の皮をかぶった悪魔〟と罵られながらな」
「……」
「問題は魂魄の方だ。くまなく捜索させたが、やはり跡形もなく崩れてしまったようだ。無論我のもとにも還ってこぬ。とはいえ道理でもある。呪禍を生んだ魂魄が無事だった例は今までも存在せぬからのう」
「……そうですね」
「貴様は直接の現場を見ておらぬ。しかしヴァイスのもとにすぐ駆けつけたことで痕跡だけでも視認できたのは不幸中の幸いであった。
だが、渦中にあったであろうヴァイスが今も目を覚まさぬ以上、未だ明瞭にならぬ部分は多い。
とはいえ、それでも憶測を立てることはできる。呪禍を生み出したということは、エレンフォールは何者かによって〝混血の禁忌〟に遭わされたということだけは確信を持って言えよう」
「……エレンフォールには本当にすまないことをしたと思っています」
「うむ。我も重く重く受け止めねばならぬ。ヤミ属の所業はヤミ属統主たる我の所業でもある。二度とこのようなことが起きぬよう気を引き締めねばな」
「我が主。お話の途中で失礼いたしますが、ヴァイス殿の処分もこの場でご決定いただきたく」
そう言って神殿内に冷静な声を響かせたのは、エンラの傍らに控えている側近長リンリンだ。
「勅令任務、それもヤミ神のご指名までついた大事な任務を自らの意志で放棄したのです。生還したことは喜ばしく思いますが、ヴァイス殿には厳正な処分が必要と私は感じますわ」
「……ふむ」
「ヴァイス殿が〝ヤミ属執行者の頂点〟であったこと、お忘れなきよう。
彼に憧れ、彼のふるまいを模倣したがる執行者も多々あります。二度と繰り返さないためにも重罰は必要かと」
数秒黙るエンラ。その沈黙にこらえきれずディルは半歩踏み出しながらリンリンを見上げた。
「側近長リンリン、あんたの言うことにも一理はある。だがちょっと待ってくれ。
ヴァイスはエレンフォールから流れた呪禍に侵されて今も昏睡状態、執行者に戻れるかも、いや、いつ目を覚ますかも分からない状態だ。
あんたが真面目でヤミ属の責務に忠実なのは分かるが、そんなヴァイスに重い罰っていうのはやり過ぎなんじゃないですかね」
「でしたらディル殿、あなたが代わりに処分を受けてもよろしいかと。
バディ関係にある者には連帯責任が適用されます。ヴァイス殿の無茶な行動を止められなかったあなたにも罪があること、分かっているのでしょう?」
「もちろんですよ。じゃあ俺を謹慎領域に何百年と閉じこめますか? デケェ戦力を一気にふたり失うのはなかなか痛手だと思いますがね」
「これ、我を無視して白熱するでないわ」
軽く睨みあうふたり。そこに苦笑の水を差したのはエンラだ。
ふたりの視線が我に返ったように己の方へ戻ると、エンラはひとつ吐息をついたあとで紅の引いた唇を動かした。
「ヴァイスの処分は考えておらぬ。そもそもエレンフォールの生み出した呪禍に侵され、昏睡状態の今も止めどない苦痛にさらされている時点で報いは受けておるよ。
我にも呪禍を取り除くすべはないしのう。あやつは生きる限り、延々と狂おしい痛みに苛まれなければならぬのだ。例えディルの毒血があったとてな」
「……確かにそうですわね。承知しました」
「話を戻そう。次にエレンフォールが話しておったという〝ハクア〟と名乗りし者――そしてヴァイスに執行されたと思われる高次存在についてだ。
我はヴァイスが裁定神殿を飛び出して以降〝千里眼〟で執行地を視ておった。しかしあいにく、我の目には何の異常も映らなかった。恐らく阻害を受けたのだ」
「エンラ様の〝千里眼〟を阻める罪科獣なんてそうそういない。加えて俺が一命を取りとめたヴァイスを背負い帰還しようとした時点で、ヴァイスが殺したと思われるそいつの遺骸は核ごとキレイさっぱり消失したのを確認しています。
霊的存在に寄れば寄るほど遺骸の消失が速いのは周知の事実ですが、あれほどすぐに消失する存在なんて、生物はもちろん元が生物である罪科獣でも有り得ない。
遺骸からわずかに漂ってきていた気配がヒカリ属に酷似していた事実も含めて、見過ごすわけにはいきません」
「……ああ」
「エンラ様、不敬だとしても前回と同じことを言わせてください。俺は今回の件にヒカリ属第二の直系属子、そしてヒカリ属神託者の白亜様――もしくはその関係者が深く関与しているだろうと考えています。
きっとエレンフォールに〝混血の禁忌〟を犯したのもそうだ。そうでもなければヴァイスの行動にだって説明がつきません」
毅然と言いきったディルにエンラは小さくうなずく。
「そうさな……これほどの牌が出そろってなお否定するほど我も愚かではない。
しかし遺骸が早々に消失し、そのものを調査できなくなった時点で、我らが確定するすべを失ったのも事実。ヴァイスも依然として伏せる今、肝要となるのは過去ではなく未来であろう」
「ということは」
「ああ。これからヒカリ属界にリンリンを向かわせ、直接すべてを確認させる所存だ。とにかく〝ハクア〟を名乗り、生物を害した者が彼であったか否か。まずはそこを明確にせねばならぬ」
「もし本当にそうだったら……」
「大事も大事であるな。ヒカリ属の統主をタコ殴りする程度では到底済まぬくらいには」
「……」
「いずれにしろ、以降は我の管轄となる。ゆえにこの件について貴様らと話すのも一区切りとなろう。もっとも、事の運びによっては事情聴取の追加があるやも知れぬがな」
そこでエンラはふと口角を上げ、笑みを浮かべる。突然の表情の変化にディルはもちろん胡乱げだ。
「してディル。最後は貴様だ」
「……なんですか?」
「貴様も我に話があったのではないか? 我の千里眼にはそのように映るがのう」
どうやらディルの考えていたことはお見通しのようだ。出鼻をくじかれたディルは苦笑しつつ頭を掻いた。
しかしそんな心地になりながらも、灰瞳は澄んでまっすぐ前だけを見ている。
「実は俺、やりたいことができまして」
「ほう? それは如何なる道か」
まるで末弟の成長を喜ぶ姉のように黒い眼球を輝かせるエンラの前で、ディルは口を開いた。
――新たな道を、己の意志で切り開き始めたのだ。