第31話 罪は黒呪
文字数 2,609文字
「エレンフォール、エレンフォール……!!」
ヴァイスは友の名を呟きながら何度も何度も〝逆行〟を試みる。時の金環はそのたび何度も何度も、ヴァイスを嘲笑うように弾け飛んだ。
それでもヴァイスは同じことを繰り返すしかない。すべてを失ったヴァイスには、これくらいしか捧げられるものがなかったのだ。
神核片が枯渇するほど神陰力を放出し、練り上げ、研ぎ澄まし、どうか助かってくれと願う。願って願って願って擦り切れそうになって、それでも願って、己をも削っていく。
しかし何も戻りはしない。むしろ無駄な行為を前に時間は刻々と過ぎ、エレンフォールの動きは緩慢になっていく。
上下運動を繰り返していた白目もいつしか目蓋に閉ざされ、絶叫も消えた。〝混血の禁忌〟が収まったわけでは決してない。身体がついに限界を迎えただけだ。
エレンフォールの魂魄は原型を留めていないほど激しく歪んでいる。肌も呪禍に染まり、すでに大半が黒い。
「……ッな、い」
そこでヴァイスは〝クロノス〟の発動をやめた。
理解したのだ。これまでの自分の行い、そのすべてがエレンフォールを苦しませているのだと。
「すまないッ……エレンフォール……」
そしてようやく思い知るのだ。ヤミ神から直々に指名勅令が下りた理由を。
ヤミ神は予見していたのだろう。他者の契約寿命を犯したエレンフォール。彼が〝混血の禁忌〟に遭い、呪禍にまで変じてしまう末路を。
その未来を免れるよう、ヤミ神は〝ヤミ属執行者の頂点〟たるヴァイスを指名したのだ。
だが、現実はこうだ。
ヴァイスが己の責務を放棄した結果、エレンフォールは最も酷い方法で死にたどり着いた。
もし〝魂魄執行〟を迅速に遂げられていたなら、他者の契約寿命を阻害した罪も少なく、様々なことを加味されたうえで問題なく転生できたはずなのに。
「……すまない……すま、ない……ッ」
――ヴァイスはモノのように動かなくなったエレンフォールを抱きしめる。
「私が、すぐに執行できていれば……君とまだ一緒にいたいなんて、思わなければ……」
パキ、ピシと何かが壊れる音がした。
目視するまでもない。呪禍によってエレンフォールの魂魄に深い亀裂が入り自壊し始めたのだ。そしてヴァイスには、否、この世の誰にもそれを止める手立てはなかった。
ならば転生ももはや不可能。
エレンフォールが二度と生まれ変わることはない――すべての生物を〝家族〟と信じて愛した人の子は、何より生きてほしいと願った友はここで永遠に終わる。
「……エレンフォール……」
後悔。絶望。自噴。そんな言葉で片付けられようか。神核片が引き攣れるように痛くて痛くてたまらない。しかしその痛みに苦悶する資格だってないのだ。
だからこそ、ヴァイスは今さら覚悟を決めた。
震える手を持ち上げ、傍らに発現していた浮遊短剣ゼクを手に取る。
そうしてまたエレンフォールの背に腕を回し、少しだけ躊躇したあとで――切っ先を彼の背の左側、細々と生存を続ける心臓めがけて突き刺した。
ぞぶ。柔らかい肉が切り裂かれる感触。
しかしこれほど重く固い感触もない。
ヴァイスは歯を食いしばりながら短剣ゼクを、今すぐ抜きたくなる衝動をこらえながら、エレンフォールの体躯に刃を深く深く潜りこませていく。
もはや絶叫はない。反射的な動作もない。エレンフォールにはもう、わずかに生きているという事実以外何も残っていなかった。
切っ先が心臓に到達し、またわずかな逡巡のあとに刺し貫いても、エレンフォールが意識を取り戻すことはなかった。ただひとつ、砕ける音だけを残し――そのまま静かに生を終えた。
そう、死んだのだ。魂魄もろとも。
「…………」
ヴァイスは短剣ゼクを消失させたあともエレンフォールを抱きしめ続けた。真っ黒な呪いに侵食されゆくその身体を強く強く引き寄せた。
呪禍は生み出した者が命を終えても残り続ける。消すこともできない。
さらにこぼれ落ちるほど増殖した黒泥は容易く伝染し、地まで流れればこの星に不治の傷をつけ、星の寿命まで削ってしまう。
ゆえに呪禍が発生した場合ただちにエンラへ報告し、呪禍の封印を行ってもらわねばならない。
ヴァイスもその手順は知っていた。しかし彼はエレンフォールを抱きしめたまま静止し続けている。
呪いの黒が増殖しエレンフォールの皮膚からこぼれ落ちようと、それがヴァイスに伝染しようと。ヴァイスはただ友の遺体を抱きしめ続けた。
「大丈夫……この星の寿命は、君の愛する〝家族〟が住むこの星だけは、必ず守る……せめて、せめて……」
語りかける。善性の強かった彼が一番に気にかけるであろうことを空っぽの身体に伝える。
一度生まれた呪禍を消すことはできない。抑えるためにはエンラの力が必須だ。だが、実はもうひとつだけ方法があるのだ。
それはこぼれ落ちる呪禍を他の誰かがすべて引き受けること。そして死ぬこと。そうすれば呪禍は跡形もなく消え去ってくれる。
ならばヴァイスの道は決まっていた。
――呪禍を抱いて、死のう。
「こんなにも……苦しい、のか……」
どろ、ポタ、ボタボタ、グチャ。
ひとつ落ちれば雨のようにこぼれ落ちてくる呪禍。エレンフォールの身体を伝い、ヴァイスの体躯へ。雨のように染み込んでいく。
そのたびに焼けつくような、刃に切り刻まれるような、傷口をぐちゃぐちゃに掻き回されるような、中身を壊されるような激痛が襲ってくる。
それは一過性のものではなく、一度痛めば延々と続き、さらに広がりヴァイスの体躯を蹂躙していった。
全身の力があれよあれよという間に抜け落ち、中身は気が狂いそうなくらいチグハグになり、すべてが悲鳴を上げ始めた。さっさと消えてしまった方が楽だ。
だが、エレンフォールの受けた痛みはこれ以上だと思えば、ヴァイスはエレンフォールを抱きしめる腕の力をさらに強め、次々とこぼれ落ちてくる呪禍を進んで受け入れた。
「……すま……な、……った……」
切れ切れの謝罪も虚しく空気に融けるのみ。意識は混濁、視界は極彩色でグズグズだ。自分すら保てなくなってきた。きっとあとわずかで死ぬ。
細切れになった意識のなかで生まれるはやはり後悔。
そこに相棒の姿を見つければ後悔はさらに増えていく。だがもう、彼の姿を脳裏に浮かべる資格だってない。
――ヴァイスはエレンフォールの遺骸を胸に抱きながら、黒に侵されたまぶたを閉じた。
ヴァイスは友の名を呟きながら何度も何度も〝逆行〟を試みる。時の金環はそのたび何度も何度も、ヴァイスを嘲笑うように弾け飛んだ。
それでもヴァイスは同じことを繰り返すしかない。すべてを失ったヴァイスには、これくらいしか捧げられるものがなかったのだ。
神核片が枯渇するほど神陰力を放出し、練り上げ、研ぎ澄まし、どうか助かってくれと願う。願って願って願って擦り切れそうになって、それでも願って、己をも削っていく。
しかし何も戻りはしない。むしろ無駄な行為を前に時間は刻々と過ぎ、エレンフォールの動きは緩慢になっていく。
上下運動を繰り返していた白目もいつしか目蓋に閉ざされ、絶叫も消えた。〝混血の禁忌〟が収まったわけでは決してない。身体がついに限界を迎えただけだ。
エレンフォールの魂魄は原型を留めていないほど激しく歪んでいる。肌も呪禍に染まり、すでに大半が黒い。
「……ッな、い」
そこでヴァイスは〝クロノス〟の発動をやめた。
理解したのだ。これまでの自分の行い、そのすべてがエレンフォールを苦しませているのだと。
「すまないッ……エレンフォール……」
そしてようやく思い知るのだ。ヤミ神から直々に指名勅令が下りた理由を。
ヤミ神は予見していたのだろう。他者の契約寿命を犯したエレンフォール。彼が〝混血の禁忌〟に遭い、呪禍にまで変じてしまう末路を。
その未来を免れるよう、ヤミ神は〝ヤミ属執行者の頂点〟たるヴァイスを指名したのだ。
だが、現実はこうだ。
ヴァイスが己の責務を放棄した結果、エレンフォールは最も酷い方法で死にたどり着いた。
もし〝魂魄執行〟を迅速に遂げられていたなら、他者の契約寿命を阻害した罪も少なく、様々なことを加味されたうえで問題なく転生できたはずなのに。
「……すまない……すま、ない……ッ」
――ヴァイスはモノのように動かなくなったエレンフォールを抱きしめる。
「私が、すぐに執行できていれば……君とまだ一緒にいたいなんて、思わなければ……」
パキ、ピシと何かが壊れる音がした。
目視するまでもない。呪禍によってエレンフォールの魂魄に深い亀裂が入り自壊し始めたのだ。そしてヴァイスには、否、この世の誰にもそれを止める手立てはなかった。
ならば転生ももはや不可能。
エレンフォールが二度と生まれ変わることはない――すべての生物を〝家族〟と信じて愛した人の子は、何より生きてほしいと願った友はここで永遠に終わる。
「……エレンフォール……」
後悔。絶望。自噴。そんな言葉で片付けられようか。神核片が引き攣れるように痛くて痛くてたまらない。しかしその痛みに苦悶する資格だってないのだ。
だからこそ、ヴァイスは今さら覚悟を決めた。
震える手を持ち上げ、傍らに発現していた浮遊短剣ゼクを手に取る。
そうしてまたエレンフォールの背に腕を回し、少しだけ躊躇したあとで――切っ先を彼の背の左側、細々と生存を続ける心臓めがけて突き刺した。
ぞぶ。柔らかい肉が切り裂かれる感触。
しかしこれほど重く固い感触もない。
ヴァイスは歯を食いしばりながら短剣ゼクを、今すぐ抜きたくなる衝動をこらえながら、エレンフォールの体躯に刃を深く深く潜りこませていく。
もはや絶叫はない。反射的な動作もない。エレンフォールにはもう、わずかに生きているという事実以外何も残っていなかった。
切っ先が心臓に到達し、またわずかな逡巡のあとに刺し貫いても、エレンフォールが意識を取り戻すことはなかった。ただひとつ、砕ける音だけを残し――そのまま静かに生を終えた。
そう、死んだのだ。魂魄もろとも。
「…………」
ヴァイスは短剣ゼクを消失させたあともエレンフォールを抱きしめ続けた。真っ黒な呪いに侵食されゆくその身体を強く強く引き寄せた。
呪禍は生み出した者が命を終えても残り続ける。消すこともできない。
さらにこぼれ落ちるほど増殖した黒泥は容易く伝染し、地まで流れればこの星に不治の傷をつけ、星の寿命まで削ってしまう。
ゆえに呪禍が発生した場合ただちにエンラへ報告し、呪禍の封印を行ってもらわねばならない。
ヴァイスもその手順は知っていた。しかし彼はエレンフォールを抱きしめたまま静止し続けている。
呪いの黒が増殖しエレンフォールの皮膚からこぼれ落ちようと、それがヴァイスに伝染しようと。ヴァイスはただ友の遺体を抱きしめ続けた。
「大丈夫……この星の寿命は、君の愛する〝家族〟が住むこの星だけは、必ず守る……せめて、せめて……」
語りかける。善性の強かった彼が一番に気にかけるであろうことを空っぽの身体に伝える。
一度生まれた呪禍を消すことはできない。抑えるためにはエンラの力が必須だ。だが、実はもうひとつだけ方法があるのだ。
それはこぼれ落ちる呪禍を他の誰かがすべて引き受けること。そして死ぬこと。そうすれば呪禍は跡形もなく消え去ってくれる。
ならばヴァイスの道は決まっていた。
――呪禍を抱いて、死のう。
「こんなにも……苦しい、のか……」
どろ、ポタ、ボタボタ、グチャ。
ひとつ落ちれば雨のようにこぼれ落ちてくる呪禍。エレンフォールの身体を伝い、ヴァイスの体躯へ。雨のように染み込んでいく。
そのたびに焼けつくような、刃に切り刻まれるような、傷口をぐちゃぐちゃに掻き回されるような、中身を壊されるような激痛が襲ってくる。
それは一過性のものではなく、一度痛めば延々と続き、さらに広がりヴァイスの体躯を蹂躙していった。
全身の力があれよあれよという間に抜け落ち、中身は気が狂いそうなくらいチグハグになり、すべてが悲鳴を上げ始めた。さっさと消えてしまった方が楽だ。
だが、エレンフォールの受けた痛みはこれ以上だと思えば、ヴァイスはエレンフォールを抱きしめる腕の力をさらに強め、次々とこぼれ落ちてくる呪禍を進んで受け入れた。
「……すま……な、……った……」
切れ切れの謝罪も虚しく空気に融けるのみ。意識は混濁、視界は極彩色でグズグズだ。自分すら保てなくなってきた。きっとあとわずかで死ぬ。
細切れになった意識のなかで生まれるはやはり後悔。
そこに相棒の姿を見つければ後悔はさらに増えていく。だがもう、彼の姿を脳裏に浮かべる資格だってない。
――ヴァイスはエレンフォールの遺骸を胸に抱きながら、黒に侵されたまぶたを閉じた。