第11話 診察
文字数 2,810文字
響は〝窓〟の方へ身を乗り出し映像を必死に眺めた。
そこには確かに家族が鮮明に映っていた。
乃絵莉も祖父も祖母も元気そうだ。三人とも少し気だるげなのが気になったが、映像内のテレビに土曜日朝の番組が流れていたので寝起きと察しがついた。どうやら意識を失っている間に一晩明けていたらしい。
「これで信じてもらえたか?」
家族に外傷がないか念入りに確認している響へ男が声をかけてきた。それで我に返ると映像はプツンと途切れてしまう。だが、とりあえず家族の安否が分かったことは大きい。
「は、はい。家族がみんな無事なのは分かりました」
「そりゃ良かった。ひとまずホッとしたところで紅茶を一緒にどうだ?」
「……、」
「自己紹介が遅れたが、俺の名前はディル。君の身体の具合を知りたくてここに寝かせてた医者なんだが、その前に少しばかり俺の趣味に付き合ってくれると嬉しいぜ」
鷹揚な笑みと提案に響は口をつぐんだ。
家族が無事であることは映像で確認できたものの、本音を言えばもちろん今すぐ帰りたい。実際に家族と会うまでは心からの安心などできないからだ。
しかし、先ほどペストマスクのヴァイスは『家族のもとへ二度と帰ることができない』と言った。『家族が既に君の知る家族ではなくなった』とも。
それが何を意味しているかは定かではないが、根拠を聞く必要はあるのではないか。
そもそもとして響は、自分や周囲に何が起こって今こうしているのかも分からないのだ。今後のためにも情報収集は必要だろう――そう思った。
ディルと名乗った男は紫と黒のツーブロックヘアをしており、灰色の双眸を黒縁のメガネで覆い、あごには無精ひげをチラホラ生やしていた。
医者という名乗りのとおり白衣を着ているが、その白衣が使い古したようにクタクタなせいか取っつきやすい印象がある。
少なくともヴァイスのような無機質さはなく、先ほど過呼吸を起こした際の対応からしてまだ信用できそうだと響は感じた。
無論、油断はできるはずもないが、ディルならば突飛な行動に出ない限り知りたいことを教えてくれそうだ。そして家族のもとへ帰してくれそうだ。そう思った響は口を開いた。
「僕は響です、織部 響……。少しだけなら大丈夫です。僕も訊きたいことがあるので」
おずおず言えば、ディルは意気揚々と立ち上がる。
「よし決まりだな。リラックスしながら情報交換といこう。ヴァイス、とびきり美味い茶を頼む」
「……お前が淹れるんじゃないのか」
「たまにはお前の淹れた茶を飲みたいなぁ」
その言葉にヴァイスは「期待はしないでくれよ」と肩をすくめたあとで部屋の奥へ姿を消した。
* * *
ベッドを離れて促された場所は別室、診察室のごときスペースだ。
ディルと向かい合うようにイスへ腰かけて待っていると、程なくしてヴァイスが紅茶を運んできた。
盆の上にはティーカップが二客とティーポットがひとつ。それ自体におかしなところは見受けられないが、なにぶん運んできた彼が怖いので受け取るのにも勇気が要る。
「おら、飲みな。熱いから気をつけなよ」
「あ、ありがとうございます……」
ディルが気取らない様子で響の手にしたカップへ紅茶を注いでくる。
「俺は紅茶に目がなくてね。色んな銘柄を試すのが好きなんだが、これはそのなかでもお気に入りの茶葉だぜ」
「……美味しいです」
響は率直な感想を口にした。鼻を近づけた瞬間の鮮やかな香り、口に含んだときの熱さと華やかさ、少々の渋さに吐息がこぼれる。
同じように紅茶を口にしていたディルは響の言葉に人の良さそうな笑みを浮かべた。
それに安堵を重ねながら視線を動かす。
ヴァイスはやや離れた場所、もっと言えば廊下とつながっていると思しきドアの近くに立っている。
万が一にも逃さないためだろうか。とにかく存在が怖いので急いで視線を外した。
覚醒した当初は意識が向かなかったものの、部屋のなかはどことなく異国情緒あるいは異世界情緒が漂っている。
基本的には響の知る病院内のような風情だ。四方の壁には資料や文献が所狭しと押し込まれたキャビネットが敷き詰められ、診察ベッドも診察スペースも清潔感のある白を基調としている。
しかしよく見ると壁と天井には厳然とした境界がなく、あちこちの調度品も独特だ。しかも何故か足元が妙にふわふわしている。
窓の外は夜景色。そこまで暗く感じないのは月と星の輝きが差し込んでくるせいか――いや待て。おかしくないか?
「さて、じゃあ色々診させてくれよ。痛いことはしないからな」
「は、はい」
そんなところでディルが声をかけてきたため疑問が吹き飛んでしまった。
まずは上衣を脱ぐよう求められ、半裸になれば左胸を中心に色々と調べられる。
そこで気がついたが、左胸には惨たらしい傷跡があった。十中八九シエルという金髪の男に胸を貫かれたせいだ。
正直、今の響には何が夢で、何が勘違いで、何が現実かの判別は難しかった。こんな傷跡があっても痛くもかゆくもなく、こうしていられる現状に首をひねりたくなる。
やはり夢だったのか? と一瞬思うも、しかしその傷跡をもう一度目の当たりにすると、生々しい現実感を感じざるを得ない。
「ん、解析終了。伏せってたときと変わらず特に異常なし。体感として痛むところは? もしくは変な感じがするところとか」
「いえ……どこも痛くないです。変な感じもしません」
次に軽く運動をさせられる。身体を動かしてみてもやはりいつもどおりだ。傷跡が突っ張る感じすらない。
「身体能力も問題なし。思考能力も大丈夫そうだ」
「良かった……」
響はシャツを身にまとい直しながらほっと胸をなで下ろした。そして安堵したならば次に話すことは決まっている。
「それで、あの……さっきヴァ、ヴァイスさん? に言われたんですが、僕の家族が僕の知る家族でなくなった、っていうのはどういう意味なんでしょうか?
それと、僕が家族のところに二度と帰ることができないっていうのも意味が分からなくて……まさかこのまま監禁……なんて、そんなことないですよね?」
「え、お前そんなことまで言ったの? 覚醒してすぐに?」
響の言葉にディルは目を丸くしながらヴァイスへ視線を移した。ヴァイスは小さくうなずく。
「大事なことは歪曲的に伝えるべきじゃないと思ってな」
「いやまぁ確かに一理あるが……タイミングと言葉はもう少し選ぶべきだったと思うぜ。ごめんな、響くん」
「いえ、それはもう良いんです。そんなことより説明がほしいです。僕は今すぐにでも帰りたいので」
「……そうだよなぁ」
ディルはティーカップに手を伸ばしながら困ったように笑う。カップを傾け、残った紅茶をすべて嚥下すればフウと吐息をひとつ。
その時点で笑みは消えていて、無精ひげがありつつも整った面には至極真面目な表情が広がっているばかりだった。空気が変わったのを感じて響の背がひとりでに正される。
そこには確かに家族が鮮明に映っていた。
乃絵莉も祖父も祖母も元気そうだ。三人とも少し気だるげなのが気になったが、映像内のテレビに土曜日朝の番組が流れていたので寝起きと察しがついた。どうやら意識を失っている間に一晩明けていたらしい。
「これで信じてもらえたか?」
家族に外傷がないか念入りに確認している響へ男が声をかけてきた。それで我に返ると映像はプツンと途切れてしまう。だが、とりあえず家族の安否が分かったことは大きい。
「は、はい。家族がみんな無事なのは分かりました」
「そりゃ良かった。ひとまずホッとしたところで紅茶を一緒にどうだ?」
「……、」
「自己紹介が遅れたが、俺の名前はディル。君の身体の具合を知りたくてここに寝かせてた医者なんだが、その前に少しばかり俺の趣味に付き合ってくれると嬉しいぜ」
鷹揚な笑みと提案に響は口をつぐんだ。
家族が無事であることは映像で確認できたものの、本音を言えばもちろん今すぐ帰りたい。実際に家族と会うまでは心からの安心などできないからだ。
しかし、先ほどペストマスクのヴァイスは『家族のもとへ二度と帰ることができない』と言った。『家族が既に君の知る家族ではなくなった』とも。
それが何を意味しているかは定かではないが、根拠を聞く必要はあるのではないか。
そもそもとして響は、自分や周囲に何が起こって今こうしているのかも分からないのだ。今後のためにも情報収集は必要だろう――そう思った。
ディルと名乗った男は紫と黒のツーブロックヘアをしており、灰色の双眸を黒縁のメガネで覆い、あごには無精ひげをチラホラ生やしていた。
医者という名乗りのとおり白衣を着ているが、その白衣が使い古したようにクタクタなせいか取っつきやすい印象がある。
少なくともヴァイスのような無機質さはなく、先ほど過呼吸を起こした際の対応からしてまだ信用できそうだと響は感じた。
無論、油断はできるはずもないが、ディルならば突飛な行動に出ない限り知りたいことを教えてくれそうだ。そして家族のもとへ帰してくれそうだ。そう思った響は口を開いた。
「僕は響です、織部 響……。少しだけなら大丈夫です。僕も訊きたいことがあるので」
おずおず言えば、ディルは意気揚々と立ち上がる。
「よし決まりだな。リラックスしながら情報交換といこう。ヴァイス、とびきり美味い茶を頼む」
「……お前が淹れるんじゃないのか」
「たまにはお前の淹れた茶を飲みたいなぁ」
その言葉にヴァイスは「期待はしないでくれよ」と肩をすくめたあとで部屋の奥へ姿を消した。
* * *
ベッドを離れて促された場所は別室、診察室のごときスペースだ。
ディルと向かい合うようにイスへ腰かけて待っていると、程なくしてヴァイスが紅茶を運んできた。
盆の上にはティーカップが二客とティーポットがひとつ。それ自体におかしなところは見受けられないが、なにぶん運んできた彼が怖いので受け取るのにも勇気が要る。
「おら、飲みな。熱いから気をつけなよ」
「あ、ありがとうございます……」
ディルが気取らない様子で響の手にしたカップへ紅茶を注いでくる。
「俺は紅茶に目がなくてね。色んな銘柄を試すのが好きなんだが、これはそのなかでもお気に入りの茶葉だぜ」
「……美味しいです」
響は率直な感想を口にした。鼻を近づけた瞬間の鮮やかな香り、口に含んだときの熱さと華やかさ、少々の渋さに吐息がこぼれる。
同じように紅茶を口にしていたディルは響の言葉に人の良さそうな笑みを浮かべた。
それに安堵を重ねながら視線を動かす。
ヴァイスはやや離れた場所、もっと言えば廊下とつながっていると思しきドアの近くに立っている。
万が一にも逃さないためだろうか。とにかく存在が怖いので急いで視線を外した。
覚醒した当初は意識が向かなかったものの、部屋のなかはどことなく異国情緒あるいは異世界情緒が漂っている。
基本的には響の知る病院内のような風情だ。四方の壁には資料や文献が所狭しと押し込まれたキャビネットが敷き詰められ、診察ベッドも診察スペースも清潔感のある白を基調としている。
しかしよく見ると壁と天井には厳然とした境界がなく、あちこちの調度品も独特だ。しかも何故か足元が妙にふわふわしている。
窓の外は夜景色。そこまで暗く感じないのは月と星の輝きが差し込んでくるせいか――いや待て。おかしくないか?
「さて、じゃあ色々診させてくれよ。痛いことはしないからな」
「は、はい」
そんなところでディルが声をかけてきたため疑問が吹き飛んでしまった。
まずは上衣を脱ぐよう求められ、半裸になれば左胸を中心に色々と調べられる。
そこで気がついたが、左胸には惨たらしい傷跡があった。十中八九シエルという金髪の男に胸を貫かれたせいだ。
正直、今の響には何が夢で、何が勘違いで、何が現実かの判別は難しかった。こんな傷跡があっても痛くもかゆくもなく、こうしていられる現状に首をひねりたくなる。
やはり夢だったのか? と一瞬思うも、しかしその傷跡をもう一度目の当たりにすると、生々しい現実感を感じざるを得ない。
「ん、解析終了。伏せってたときと変わらず特に異常なし。体感として痛むところは? もしくは変な感じがするところとか」
「いえ……どこも痛くないです。変な感じもしません」
次に軽く運動をさせられる。身体を動かしてみてもやはりいつもどおりだ。傷跡が突っ張る感じすらない。
「身体能力も問題なし。思考能力も大丈夫そうだ」
「良かった……」
響はシャツを身にまとい直しながらほっと胸をなで下ろした。そして安堵したならば次に話すことは決まっている。
「それで、あの……さっきヴァ、ヴァイスさん? に言われたんですが、僕の家族が僕の知る家族でなくなった、っていうのはどういう意味なんでしょうか?
それと、僕が家族のところに二度と帰ることができないっていうのも意味が分からなくて……まさかこのまま監禁……なんて、そんなことないですよね?」
「え、お前そんなことまで言ったの? 覚醒してすぐに?」
響の言葉にディルは目を丸くしながらヴァイスへ視線を移した。ヴァイスは小さくうなずく。
「大事なことは歪曲的に伝えるべきじゃないと思ってな」
「いやまぁ確かに一理あるが……タイミングと言葉はもう少し選ぶべきだったと思うぜ。ごめんな、響くん」
「いえ、それはもう良いんです。そんなことより説明がほしいです。僕は今すぐにでも帰りたいので」
「……そうだよなぁ」
ディルはティーカップに手を伸ばしながら困ったように笑う。カップを傾け、残った紅茶をすべて嚥下すればフウと吐息をひとつ。
その時点で笑みは消えていて、無精ひげがありつつも整った面には至極真面目な表情が広がっているばかりだった。空気が変わったのを感じて響の背がひとりでに正される。