第13話 ブラックアウト

文字数 2,713文字

 ディルは表情をさらに引き締めた。

「いいか、難しいと思うが可能な限り冷静に聞いてくれ。

 織部 響は〝混血の禁忌〟によってその身にヤミ属の血を混入された結果、生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となり、この星からヤミ属と再定義された。

 つまり生物界に存在すべきでない者と位置づけられた」

「……」

「よって生物界で君が生物として存在していた痕跡は根本から消え、君の家族も、友達も知り合いも君の一切を忘れてしまった。

 もっと正確に言えば初めから居なかったことになった。だから君が生物界で今までどおり生きることは不可能になってしまった」

「……」

「君の家族は君を覚えていない。二度と思い出すこともできない。織部 響――君が人間として存在していた事実は、生物界にひとカケラも残っていない」

「は、ははは……」

 突拍子のない話に響は笑い声を上げざるを得なかった。嘘をつくにしてももう少しマシなつき方があるだろう。あまりにも下手だ。

 だから今すぐに撤回してほしい。「冗談だ」とドッキリの看板を見せてきて、だまされたことに怒りつつも「なーんだ」と笑わせてほしい。安心させてほしい。

「ホントやめてください、さすがに嘘だって分かります。そんなこと起こるわけないです。

 そういうのはゲームとかマンガの世界です。僕ももうそういうの信じられる年じゃないですし、いい加減本当のことを話してもらえませんか?」

 しかしディルはもう何も言わず響を見つめていた。まるで目で本当のことだと語るように。

 だから響は自分で否定するしかなかった。

「嘘だ……嘘に決まってる……僕を帰さないための嘘ですよね? そう言ってください。

 誰も僕のことを覚えてないとか、生き物じゃなくなったとか、初めから居ないことにされたとか……っそんなの有り得るわけないじゃないですか!」

 それでもディルは目で語り続ける。ゆえに響は救いを求めるように今度はヴァイスを振り返るしかない。

 しかしどれほど待とうがヴァイスも撤回してくれず、部屋には無言ばかりが充満していく。それが残酷で、残酷すぎて。響は首を何度も横に振るしかなくなる。

「ッもうやめてください! お願いですから、もう限界なんです! 有り得るはずがないんだ、だって僕、昨日まで普通に生きてたんですよ!?

 ハデに寝坊して、乃絵莉に起こされて、朝からいっぱいヘマして、授業受けて、バイトに行って……最近ちょっとツイてない、けどどこにでもいる普通の人生を送ってたのに……なのに、こんなことあっていいわけがないじゃないですか!」

 こらえきれずイスから立ち上がる。制するようにディルが手を伸ばすものの、響はそれを払いのけた。

「近づくな、帰してください! もう喋らないで、たくさんです、何も信じない! きっと夢なんだ、早く覚めてよ! こんなところに居たくない、家に帰らせてよ……!!」

「……そうなるよなぁ」

「一度響くんと家族だった人々を会わせてみればいい」

 再び錯乱する響にディルが頭を掻いて苦笑すると、背後で黙って成り行きを見守り続けていたヴァイスが声をかけてきた。

 その言葉に響は勢いよく振り返る。

「本気で言ってんのかよ、ヴァイス」

「もちろん本気だよ。私たちが生物と必要以上に干渉することは禁じられているが、前代未聞の事態だ。

 人間だと信じる今の彼に私たちヤミ属の規則はまだ適用されなくていい。何より、自分の状況をはっきり把握させないのは酷だろう」

「現実を見せる方が酷だと思――」

「ッ行きたいです! 帰ります、家族に会わせてください!!」

 食い気味に懇願してくる響にディルがまた頭を掻く。しかし響は止まらない。

「大丈夫です、家族は絶対に僕のことを覚えてます! それで僕はそのまま帰ります、いいですよね!?」

「うん。君の家族が君のことを覚えているなら帰って構わないよ、響くん」

 代わりにヴァイスが答えれば、響は飛び上がるほどに歓喜した。

 家族のもとへようやく帰れると、また乃絵莉を兄として守れると――そのときの響は信じて疑いもしなかったのだ。





 それからすぐ、響はヴァイスに連れられ生物界へ降り立った。

 瞬きをした次の瞬間に診察室から響の家の近くへ移動したのは不可解であったものの、これで最後だと思えば気にする必要もない。

「君を霊体から実体へと変化させた。確かめておいで。私は実体化せずに近くで見守っている」

 そんなヴァイスの言葉にも上の空で頷いて、響は帰路をひた走った。

 昨夜アスカとシエルの戦闘で損壊したはずの家屏や道路、電柱がすっかり元通りになっていることもどうでも良かった。

 とにかく帰りたい。日常に戻りたい。家族に、乃絵莉や祖父母に一刻も早く会いたい!

 家の前にたどり着いた。門屏を越え、合鍵が見つからなかったのでベルを鳴らす。程なくして玄関のドアが開けば響の心は安堵一色に染められた。

「はーい」
「乃絵莉!」

 迎えてくれたのは妹の乃絵莉。なんだか妙に懐かしく感じるその面を見て、響は感激を隠せなかった。

 無事で良かった、帰ってこられて良かった。これでもう全部元通り――

「あの……どなた、ですか……?」

 ――しかしその一言。その一言に響はフリーズする。頭が真っ白になる。

 だが「ああなるほど、これは冗談だ」と思いこめば再度口を開く。

「どなたって、お前さぁ。兄貴に決まってるだろ?」
「えっと……? 私、一人っ子なんですけど」
「へ」
「私にお兄さんはいません……」

 その聞き捨てならない言葉に、心から困惑した表情に。響はドアを開けたままの姿勢の乃絵莉を改めて見下ろした。

 しかしそんなことをしてみても乃絵莉は眉を寄せ続けるばかりで、やはり「ドッキリでした」なんて笑ってはくれない。

 玄関先での異常を察したか、祖父と祖母もやってくる。

「じいちゃんとばあちゃんなら……僕のこと、分かるよね……?」

 だが結果は同じだ。どちらも顔を見合わせては首を傾げ、苦笑し。それでも響がそこを動けないでいると、やがて祖父は警戒するように乃絵莉と祖母を家のなかへ戻るよう促す。

 普段交流のあったはずの隣人たちも、騒ぎを聞きつけたか遠巻きにこちらを眺めている。完全に不審者を見るような目つきで。ヒソヒソと言葉を交わしながら。

 ――そこで響の世界はまたもブラックアウトした。

 脳が情報を処理しきれなくなったか、現実を認めたくなかったか、心が限界を迎えたか。いずれにしろ響は皆が見ている前で意識を失ってしまった。

 その瞬間にヴァイスが響を受け止め、共にその場を離れたので大した騒ぎにはならなかったものの、それから数日は彼らの間で不審者二人の話がウワサになったという。

- 第2章ヘツヅク -
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