第2話 死ぬかと思った

文字数 2,572文字

「……ただちに向かえます。大丈夫だな、響」

 ロイドの確認にアスカは響を振り返る。

 あまりにも突然で色々と状況に追いつけていないが、今のアスカと響は既に謁見に耐える格好――これは前回の謁見で注意を受けなかった普段着を今日も身につけているという意味であって、正装というわけではない――をしている。ならば確かにエンラの元へすぐ向かうことは可能だ。

 ヴァイスがあと少しでここを訪れると分かっていながら留守にするのは気が引けたものの、このヤミ属界を統べるエンラの参上命令であれば優先されるべきはこちらなのだろう。

 何よりアスカがそう判断したのなら、未だヤミ属界の常識を把握しきれていない響は頷くしかない。

「了解した。では自分のうしろへ。響殿は鬼馬へ乗るのが初めてか。初の騎乗は少々難儀するだろうが、その鐙に足をかけられれば鞍に座るのはそう難しくないかと」

 言いながらロイドは鬼馬に何やら命じ、アスカと響が乗りやすいよう九十度回転してくれた。

 とはいえ響は馬にも乗ったことがないので、鞍や鐙が何かも知らない。

 おろおろしていると、それを察したアスカがどこへ足をかければよいか、どこへどうやって座ればよいかを説明してくれて無事ロイドのすぐ後ろへ座ることができた。

 ちなみに鬼馬は巨大なので鐙の位置も相応に高く、股が裂けそうだったのはナイショだ。

 響の後ろの鞍へさっさとアスカが乗ればロイドは進行を開始。まるでモーセの海割りのように道を開ける野次馬たちをはるか上から見下ろしている。

 見慣れ始めた近所も視点を変えるだけで新鮮に感じ、響はきょろきょろと辺りを見回した。

 常夜も少しだけ近い気がする。鬼馬が歩くごとに起こる振動や、ロイドの鎧やマントに覆われた凛々しい背中にも妙にワクワクが止まらなかった。

 しかしそんな響もすぐに疑問符を生成することになる。

「あ、あのロイドさん。エンラ様のいる裁定神殿に向かうんですよね? こっちは草原地帯への道ですが……」

 先ほどロイドは『裁定神殿まで参上願う』と言っていた。だが、鬼馬がパカパカドシンドシンと音を立てながら歩く先に待っているのはヤミ属界の外側、つまり草原地帯だ。

 ヤミ属界は各地帯が環状に分かれている。一番端が草原地帯に囲まれる居住地帯、その内側が職務地帯、さらにその内側にある防衛地帯を進んでようやく裁定神殿のある裁定領域となる。

 それゆえ円の外側に向かうのではなく内側へ、つまり現在の進行方向とは真逆に進まなければならない。

「はっはっはっ、逆方向なのは無論分かっている」

 ロイドは笑い声を上げながらも居住地帯を出て草原地帯へと入った。そうして鬼馬が草を踏みしめるや否や同方向へ軽く疾走を開始。

 軽くとはいえ脚力がすさまじいのだろう、みるみるうちに居住地帯が遠のいていく。

 響は鋭い風を全身に受けながら疑問符を生成し続けている。

 一体何がどうなっているのか。後ろのアスカを振り返ろうとしたところで鬼馬は少しずつ速度を緩め、そうかと思えば百八十度方向転換をし。

 ロイドの威勢のよい掛け声と同時に、これまでとは比較にならないほどの速度で草原地帯を駆け抜け始めた。響の身体がグンと後ろに引っ張られる。

「オアアァアアアアア!?」
「響、ロイド団長の腰に掴まれ! あと口閉じてろ、舌噛むぞ!」

 すぐ背後にいるはずのアスカの声すら驚異的な速度によって遠く聞こえる。だが言われるまま必死で風に抵抗してロイドの腰に腕を回し、唇を引き結んだ。

 居住地帯がぐんぐんと近づいてきたが響の視点では何も見えない。しかしこの速度ではすぐに居住地帯へ衝突してしまうことだけは分かった。一体ロイドは何を考えているのだろう。とにかく止めなければ。

「跳躍せよ、シェンタロン!!」

 そう思った瞬間、ロイドの掛け声と共に鬼馬は跳んだ。

 踏み込みによって一際強い衝撃が響の身体に加わり、反射的に閉じた目を開けるころにはすさまじい速さと跳躍力で居住地帯、職務地帯を飛び越えている最中だった。つまり鬼馬は空中を跳んでいる。

 あまりのことに呆気に取られながら風を切っていれば、あっという間に防衛地帯の上空真上へ到着。

 草原地帯の全力疾走で得た前進も頃合いよくそこで途切れ、鬼馬は真下に落ちていく。

「っ!、~~!?、~~~~!!!!」

 あ、これ死ぬ――今度は下から突き上げてくる風に響は自分の短い一生を思った。まさか死因が鬼馬の落下だとは思わなかった。

 ひゅううううううううぅぅぅ、ズドォン!!

 鼓膜が破れるような音を立てながら、鬼馬はたくましい足で着地する。

 音の割には身体に伝わる衝撃はそれほどではなかったが、それでも巨大な鬼馬の上に鎧を着たロイドと響、アスカが乗っているのだ。なかなかの余韻が身体に伝わって痺れた。

「よし、防衛地帯まで近道ができたな。ここからは歩いて――ど、どうした響殿!?」

 だから至って普通の様子でロイドが振り返ってきても響は満足に返事することもできなかった。

 へなへなと力の抜けた響を後ろから支えながらアスカは言いにくそうに口を開く。

「……ロイド団長。ガーディアンが急ぎのときにこういった移動をすることをヤミ属界に来て日の浅い響は知りません。

 それと、いくらヤミ属の血が入っているとはいってもヤミ属よりは頑健でないので……事前に気がつかなかった俺も俺ですが、今後はもう少し、お手柔らかにしていただければ」

「す、すまない。エンラ様のもとにすぐ連れて行くことで頭がいっぱいになっていたようだ。大事はないか、響殿。ディル殿に診ていただいた方がよいだろうか」

「だ、大丈夫です~……」

 申し訳なさそうに眉を寄せるロイドへヨレヨレの声で言う響。

 確かにかなりの驚きと衝撃ではあったが、毛玉型罪科獣との戦闘でビルから飛び降りたときに感じた恐怖よりはまだマシだった。

 ほんの少しではあるがヤミ属界をはるか上空から見られたのも楽しいと思えた。

 とはいえ足はまだガクガクしており、鞍から下りるのにも非常に手間取ってしまう。

「団長、どこへ行っていたのです!?」

「何か急務でございましたか。シェンタロンに乗って出るほどの事件が? しかし単身で向かうというのは――」

 響がアスカの補助を受けながら鬼馬を下り、防衛地帯に着地したところで複数の足音が聞こえてきた。
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