第7話 役満・地和
文字数 2,535文字
「ふふん。まずは一勝であるな、ヴァイス」
二の句を継げなくなってしまった響にそう判断を下したエンラは、さながら議論観賞をしているかのような様子だ。
「せめて楽しげな雰囲気はお慎みくださいませ我が主。もともとはあなた様がまいたタネでしょうに……」と小さな声でリンリンが注意を促すも、どこ吹く風なのは統主の豪胆さゆえか。
ヴァイスはエンラの審判を耳に入れたあとは響の傍らに立つアスカへ向き直った。アスカがさらに身を固くする気配が響にも伝わってくる。
「さてアスカ。これまでのやり取りを踏まえた上で、君の考えを聞かせてくれるかな」
ごくり、とアスカが喉を鳴らした。彼にとっても育て親だったヴァイスは恐怖の対象であるようだった。
それでもアスカはゆっくりながら言葉を紡ぐ。
「……俺は……俺は、何があっても響を、響の生きる道を守ります……それだけです」
「そうだ。君は星屑の草原で響くんに誓ったね、そのために命を使うと。エンラ様にも私にも許しを得て、君の生涯の任務は響くんの守護となった。だから君のその答えは間違っていない。半分はね」
ヴァイスはアスカへと一歩近づく。
「アスカ。君が以前は持ち得なかった強い意志を持てるようになったことを私はとても喜ばしく思っている。だが今、以前は持っていた物理的な強さを失っている。
はっきり言おう。君は弱い。そんな君が罪科獣や強敵に万が一出くわしたとき、響くんを守り通せるとは思えない」
「……」
「先日の毛玉型罪科獣、回避能力がやけに高かったものの戦闘能力自体は低かったらしいね。
しかしいくら響くんを抱えながらの戦闘だったとはいえ、君はそんな罪科獣にすら難航した。響くんが無謀な機転をきかせなかったら勝てたかも分からない。
その事実を正しく認識できているかい? 否ならば話にならないし、応ならば『何があっても守る』という言葉は撤回すべきだろう」
「……」
「君が守れるのは、あくまでヤミ属界で生活する響くんだけだ。その前提があったからこそ私は君の決意を認め、君に響くんを任せた」
「……」
「響くんを守り抜きたいと真に思うのなら、君が今すべきことは彼の願望を受け入れるのではなく異を唱えることだと思うんだが、どうかな」
「…………」
アスカは唇を噛み締めたままうなだれた。探しても探しても言葉が見つからないようだった。
虚しい静寂が裁定神殿のなかを通り抜ける。誰も微動だにせず、薄暗闇を穏やかに明滅するのは辺りに漂う魂魄のみ。
「なんだ、少しくらい言い返さぬかアスカ」
「……ヴァイス先輩がおっしゃることは……正しいです」
エンラの問いにアスカはそれだけ答えた。その横顔には隠しても隠しきれぬ自噴、そして自責が渦巻いている。
それを見ている響は、何故だろうか――悔しい気持ちに苛まれた。
確かにヴァイスが自分に向けた言葉は響にも正しいと感じられた。アスカの危険を考えることもせず執行者を志したことは反省すべきだとも思った。少なくとも熟考しアスカと話し合うべきだった。
だが、悔しかった。アスカがこんな表情で俯かねばならないことが、無性に悔しかった。
『お前が今も生物だから、俺は守りたいと思った。力になりたいと思った。強くなろうと心に決め、立ち上がれた』
『お前の生きる道を、俺は必ず守り通す』
頭に反響するのは数日前のアスカの言葉。思い浮かぶのは連日屋上で鍛錬を繰り返してきたであろうアスカの姿。
「ふむ。ならば勝負はつい――」
「っじゃあ、頑張って鍛えます……!」
ゆえにエンラが幕を閉じようとするのを阻んで響は声を上げた。すると視線が一斉に響へと集まる。
それも構わず響は一歩前に出ながら再び口を開いた。
「確かにヴァイスさんの言うとおりです。自衛する力もない僕が執行者になりたいだなんて言っちゃいけなかったと思います。
でも、だから、これから僕とアスカ君は一生懸命鍛えることにします。ヴァイスさんが言っていた問題点を全部つぶします」
「……、」
「たくさん頑張ります。僕は自分の身を守れるように、アスカ君は紋翼がなくたって他の執行者に負けないくらい強くなれるように。
だから強くなれたそのときは、僕とアスカ君が執行者になることを許してほしいです。お願いします!」
必死に伝える。気持ちが届いてくれるよう強く願いながら頭を下げる。
――しかし。それでもヴァイスが頷くことはなかった。ただ黙って響を見下ろすのみだった。
まるで高い高い鉄壁だ。感情だけでは決して越えられない壁。
怖くて仕方がない。逃げ出したい。だが、それでも踵を返したがる足に力を込めて留まり続ける。
目を逸らしたい気持ちをぐっとこらえ、ヴァイスの面を見上げ続ける。それが今の響にできるたったひとつの強さだったのだ。
「響く――」
そしてヴァイスが何か言いかけようとした、そのときだ。
「……!」
どこからともなく現れた一羽の黒カラスがバサバサと音を立てながら羽ばたき寄っては、響の肩に留まった。
驚いて視線をやった先のカラスは足が三本。その姿に見覚えはあったが、何故自分の肩に留まったのか分からず困惑しているところでカラスがギャアと声を上げる。
すると不思議なことに頭へ直接言葉が流れ込んできた。
〝勅令、勅令。我ラガヤミ神ヨリ指名勅令アリ。
アスカ、ヒビキ、両名ハ神域ヘ参上セヨ――魂魄執行ノ任務デアル〟
「……、」
反射的にアスカの方を見る。
カラスは声を発したわけではなかったが、恐らくアスカにも同じメッセージが届いたのだろう。信じがたい表情で眉根を寄せながら響の視線を受け止める。ヴァイス、リンリン、エンラでさえも時を止めている。
「くく、くくく。伝令ヤタガラスに神託者、そして我らがヤミ神のお出ましとは大変な番狂わせだのう。さしずめ役満・地和といったところか」
最初に衝撃が去ったのはエンラだ。玉座に背を預けながらヴァイスの背中へ愉快そうに声をかけた。
「貴様の負けである、ヴァイス。指名勅令がただの勅令でないことは貴様もよく知るところであろう。
他ならぬヤミ神がこやつらへ直々に任務を下されたのだ。ならばもはや貴様の出る幕ではない」
「…………」
――しかし。
ヴァイスはそれでも引き下がらなかったのである。
二の句を継げなくなってしまった響にそう判断を下したエンラは、さながら議論観賞をしているかのような様子だ。
「せめて楽しげな雰囲気はお慎みくださいませ我が主。もともとはあなた様がまいたタネでしょうに……」と小さな声でリンリンが注意を促すも、どこ吹く風なのは統主の豪胆さゆえか。
ヴァイスはエンラの審判を耳に入れたあとは響の傍らに立つアスカへ向き直った。アスカがさらに身を固くする気配が響にも伝わってくる。
「さてアスカ。これまでのやり取りを踏まえた上で、君の考えを聞かせてくれるかな」
ごくり、とアスカが喉を鳴らした。彼にとっても育て親だったヴァイスは恐怖の対象であるようだった。
それでもアスカはゆっくりながら言葉を紡ぐ。
「……俺は……俺は、何があっても響を、響の生きる道を守ります……それだけです」
「そうだ。君は星屑の草原で響くんに誓ったね、そのために命を使うと。エンラ様にも私にも許しを得て、君の生涯の任務は響くんの守護となった。だから君のその答えは間違っていない。半分はね」
ヴァイスはアスカへと一歩近づく。
「アスカ。君が以前は持ち得なかった強い意志を持てるようになったことを私はとても喜ばしく思っている。だが今、以前は持っていた物理的な強さを失っている。
はっきり言おう。君は弱い。そんな君が罪科獣や強敵に万が一出くわしたとき、響くんを守り通せるとは思えない」
「……」
「先日の毛玉型罪科獣、回避能力がやけに高かったものの戦闘能力自体は低かったらしいね。
しかしいくら響くんを抱えながらの戦闘だったとはいえ、君はそんな罪科獣にすら難航した。響くんが無謀な機転をきかせなかったら勝てたかも分からない。
その事実を正しく認識できているかい? 否ならば話にならないし、応ならば『何があっても守る』という言葉は撤回すべきだろう」
「……」
「君が守れるのは、あくまでヤミ属界で生活する響くんだけだ。その前提があったからこそ私は君の決意を認め、君に響くんを任せた」
「……」
「響くんを守り抜きたいと真に思うのなら、君が今すべきことは彼の願望を受け入れるのではなく異を唱えることだと思うんだが、どうかな」
「…………」
アスカは唇を噛み締めたままうなだれた。探しても探しても言葉が見つからないようだった。
虚しい静寂が裁定神殿のなかを通り抜ける。誰も微動だにせず、薄暗闇を穏やかに明滅するのは辺りに漂う魂魄のみ。
「なんだ、少しくらい言い返さぬかアスカ」
「……ヴァイス先輩がおっしゃることは……正しいです」
エンラの問いにアスカはそれだけ答えた。その横顔には隠しても隠しきれぬ自噴、そして自責が渦巻いている。
それを見ている響は、何故だろうか――悔しい気持ちに苛まれた。
確かにヴァイスが自分に向けた言葉は響にも正しいと感じられた。アスカの危険を考えることもせず執行者を志したことは反省すべきだとも思った。少なくとも熟考しアスカと話し合うべきだった。
だが、悔しかった。アスカがこんな表情で俯かねばならないことが、無性に悔しかった。
『お前が今も生物だから、俺は守りたいと思った。力になりたいと思った。強くなろうと心に決め、立ち上がれた』
『お前の生きる道を、俺は必ず守り通す』
頭に反響するのは数日前のアスカの言葉。思い浮かぶのは連日屋上で鍛錬を繰り返してきたであろうアスカの姿。
「ふむ。ならば勝負はつい――」
「っじゃあ、頑張って鍛えます……!」
ゆえにエンラが幕を閉じようとするのを阻んで響は声を上げた。すると視線が一斉に響へと集まる。
それも構わず響は一歩前に出ながら再び口を開いた。
「確かにヴァイスさんの言うとおりです。自衛する力もない僕が執行者になりたいだなんて言っちゃいけなかったと思います。
でも、だから、これから僕とアスカ君は一生懸命鍛えることにします。ヴァイスさんが言っていた問題点を全部つぶします」
「……、」
「たくさん頑張ります。僕は自分の身を守れるように、アスカ君は紋翼がなくたって他の執行者に負けないくらい強くなれるように。
だから強くなれたそのときは、僕とアスカ君が執行者になることを許してほしいです。お願いします!」
必死に伝える。気持ちが届いてくれるよう強く願いながら頭を下げる。
――しかし。それでもヴァイスが頷くことはなかった。ただ黙って響を見下ろすのみだった。
まるで高い高い鉄壁だ。感情だけでは決して越えられない壁。
怖くて仕方がない。逃げ出したい。だが、それでも踵を返したがる足に力を込めて留まり続ける。
目を逸らしたい気持ちをぐっとこらえ、ヴァイスの面を見上げ続ける。それが今の響にできるたったひとつの強さだったのだ。
「響く――」
そしてヴァイスが何か言いかけようとした、そのときだ。
「……!」
どこからともなく現れた一羽の黒カラスがバサバサと音を立てながら羽ばたき寄っては、響の肩に留まった。
驚いて視線をやった先のカラスは足が三本。その姿に見覚えはあったが、何故自分の肩に留まったのか分からず困惑しているところでカラスがギャアと声を上げる。
すると不思議なことに頭へ直接言葉が流れ込んできた。
〝勅令、勅令。我ラガヤミ神ヨリ指名勅令アリ。
アスカ、ヒビキ、両名ハ神域ヘ参上セヨ――魂魄執行ノ任務デアル〟
「……、」
反射的にアスカの方を見る。
カラスは声を発したわけではなかったが、恐らくアスカにも同じメッセージが届いたのだろう。信じがたい表情で眉根を寄せながら響の視線を受け止める。ヴァイス、リンリン、エンラでさえも時を止めている。
「くく、くくく。伝令ヤタガラスに神託者、そして我らがヤミ神のお出ましとは大変な番狂わせだのう。さしずめ役満・地和といったところか」
最初に衝撃が去ったのはエンラだ。玉座に背を預けながらヴァイスの背中へ愉快そうに声をかけた。
「貴様の負けである、ヴァイス。指名勅令がただの勅令でないことは貴様もよく知るところであろう。
他ならぬヤミ神がこやつらへ直々に任務を下されたのだ。ならばもはや貴様の出る幕ではない」
「…………」
――しかし。
ヴァイスはそれでも引き下がらなかったのである。