第22話 渇望の終わり
文字数 2,285文字
獲物が落ちてこず、空腹にあえぐイスマは深いしわの刻まれた顔を引き歪ませた。
「あ、あ……ひもじい……くるしい、いたい……神よ、どうか……お救いくださ、ィい……」
その哀れな様子にディルは首を横に振るしかない。
「おいおい……三百年前の人間だぜ。まさかあの時代から今までずっと〝こう〟だったってことか?
ガンジガラメで動けないから〝天国の地獄〟でおびき寄せた人間を食べて、三百年生きながらえていたと?」
「……きっとそうなんだろうな。あの時代の結末――彼らの余生を知ることを禁じられた私には、何故こうなったかは分からないが」
「生物同士の接合。魂魄不明瞭。気持ちの悪い違和感。そして何より前例との状況酷似――えぐいな。
やはり〝天国の地獄〟イスマは罪科獣じゃない。何者かに捕まえられ、内外をいじくられたあげく幽閉された合成キメラだ」
誰が何の目的で? そう考えを進めたくなる頭を叱咤し、ディルはヴァイスへと目を向けた。
視線を感じたヴァイスはディルの灰瞳を見返すことはなく、ただ小さく頷く。
「私にやらせてほしい。ディル」
「……ヴァイス」
「安心してくれ。今の私は冷静だ。一部は解析用に残しておく」
そうしておもむろに掴んでいる茨を操り、イスマのもとへ単身で下っていった。
イスマはヴァイスが自ら我がもとへ近づいてきたことに一瞬色めき立ったが、すぐに体躯を硬直することとなる。
どうやら人間でないことは彼にも分かったらしい。
「あぁ、ア……しょ、食料じゃ、ない……? よもや、敵か……? 憎き△△族なの、かァ?」
しかしイスマがたどり着いた答えは今はなき過去の幻。ニイッと乾ききった唇を引き裂くようにして笑った。
「んん、んんんんンッしめた戦争、戦争だッ! 殺せ、奪えェッ!! 敵は兵もオンナもコドモもミナゴロシだああ、ああッ! 金をよこせッ! 食物をぉ、宝石を、すべての財を、資源をよこせェ!!」
「イスマ。エレンフォールが最後まで信じたかった人間。君がこんなところで長く苦しんでいるとは考えもしなかった」
ぼそり、とヴァイスはイスマに語りかける。イスマはヴァイスを仰ぎながらさらに喜色を浮かべた。
「エレ……えれん、フォール? そうだ思い出したァッ、エレンフォールはどこだ!!
神の子、あらゆる傷を治すキセキィイいい……アレさえあれば未来は明るい!! 探せ、さがせ、どこにカクれた!!」
「エレンフォールはもういない。二度と生まれ変わりもしない」
右耳のターコイズピアスを揺らしながら淡々と告げるヴァイス。
「彼は三百年前、魂魄まで粉々になった」
「ッ……うぐ、ぐうぅううウウ!!?? なぜっ、なぜだッッさてはお前が、お前がエレンフォールを殺したのかぁあああ!!」
「そうだ。私が殺したんだ」
殺意。紛れもない殺意がアリジゴクたるその体躯から噴出する。だが、それはかつて身近に置いたエレンフォールの死を悼むがゆえの殺意ではない。
「アレがあれば、我が部族は、私は安泰だったのにィいいいいい!! うううぅうう!! 戦争、そうだならば戦争しよう取り返そう、殺す、殺すゥ、敵は根絶やしだ!! そうで、なければッ我らは! 我らは安心して生きられんのだ、から!! あはッぐははははは!!」
「……」
「ああ~~あ、ああ、あ……だからエレンフォール様ァ我らをお救いくださいぃいッ……その奇跡このイスマだけのためにあれ、我らのためだけに死にたもう……我らを生かすため、神の子タるあなタはハははは……!!」
鼓膜が破れるがごとき絶叫。支離滅裂な言い分。
狂気にまみれながら、彼は〝神の子を取り返すため〟〝敵部族〟たるヴァイスへキバをむく。
己の身をがんじがらめに拘束していた鎖を一心不乱に破壊しては自由になった腕をゴムのように伸ばし――砂で不明瞭だった腰には他の生物の腕が三対、つまり六本接合されていた――四方の壁を力任せに殴り始めた。
すると壁は壊れ、剥がれた石片が逆円錐の先にいるイスマへと流れこんでいき、イスマはそれを次々と掴んではヴァイスへ投擲し始める。
ヴァイスは投擲された石片や殴打を仕掛け飛んでくる腕を最小限の動きで回避していく。ディルも同様だ。
〝天国の地獄〟イスマの戦闘能力は罪科獣に照らし合わせるとA級にも届かない。
数々の死線を越えてきたふたりにはイスマの攻撃など児戯に等しい。それでもヴァイスがすぐに執行に転じない理由を、ディルは知っていた。
「イスマ。魂魄を壊された君は二度と転生が叶わない。君の存在はここで終わる」
ヴァイスは重々しく言う。
イスマはもはや壊し尽くされていた。魂魄もいじくり回された形跡があり、壊れたぶんを補填するように他の生物の魂魄と繋ぎ合わされていた。
ヴァイスが執行すれば、途端に彼の魂魄は体躯と共に終わるだろう。
生物とは天地の狭間に生まれた子、かつ〝生きること〟を本能とする存在を指す。彼らはどんな境遇においても呼吸をし食物を摂取し、子孫を残して命をつなげてきた。
その生物に永遠なる死を与える――この事実に何の感慨も覚えないヴァイスはもういない。一度色を持った心は二度と白に戻れないのだ。
壊れたイスマには、もはや言葉は届かなかった。異形の彼にあるモノはただひとつ、生への妄執。
だからこそ一刻も早く終わらせてやらねばならない。
死をもって苦しみを終わらせてやることが、守ることがヤミ属執行者の役目なのだから。
ヴァイスは意を決したように左手をイスマの方へ突き出した。
唱える言の葉はただひとつ――
「〝茨〟」
――瞬間。〝天国の地獄〟たるイスマは終わりを迎えた。
「あ、あ……ひもじい……くるしい、いたい……神よ、どうか……お救いくださ、ィい……」
その哀れな様子にディルは首を横に振るしかない。
「おいおい……三百年前の人間だぜ。まさかあの時代から今までずっと〝こう〟だったってことか?
ガンジガラメで動けないから〝天国の地獄〟でおびき寄せた人間を食べて、三百年生きながらえていたと?」
「……きっとそうなんだろうな。あの時代の結末――彼らの余生を知ることを禁じられた私には、何故こうなったかは分からないが」
「生物同士の接合。魂魄不明瞭。気持ちの悪い違和感。そして何より前例との状況酷似――えぐいな。
やはり〝天国の地獄〟イスマは罪科獣じゃない。何者かに捕まえられ、内外をいじくられたあげく幽閉された合成キメラだ」
誰が何の目的で? そう考えを進めたくなる頭を叱咤し、ディルはヴァイスへと目を向けた。
視線を感じたヴァイスはディルの灰瞳を見返すことはなく、ただ小さく頷く。
「私にやらせてほしい。ディル」
「……ヴァイス」
「安心してくれ。今の私は冷静だ。一部は解析用に残しておく」
そうしておもむろに掴んでいる茨を操り、イスマのもとへ単身で下っていった。
イスマはヴァイスが自ら我がもとへ近づいてきたことに一瞬色めき立ったが、すぐに体躯を硬直することとなる。
どうやら人間でないことは彼にも分かったらしい。
「あぁ、ア……しょ、食料じゃ、ない……? よもや、敵か……? 憎き△△族なの、かァ?」
しかしイスマがたどり着いた答えは今はなき過去の幻。ニイッと乾ききった唇を引き裂くようにして笑った。
「んん、んんんんンッしめた戦争、戦争だッ! 殺せ、奪えェッ!! 敵は兵もオンナもコドモもミナゴロシだああ、ああッ! 金をよこせッ! 食物をぉ、宝石を、すべての財を、資源をよこせェ!!」
「イスマ。エレンフォールが最後まで信じたかった人間。君がこんなところで長く苦しんでいるとは考えもしなかった」
ぼそり、とヴァイスはイスマに語りかける。イスマはヴァイスを仰ぎながらさらに喜色を浮かべた。
「エレ……えれん、フォール? そうだ思い出したァッ、エレンフォールはどこだ!!
神の子、あらゆる傷を治すキセキィイいい……アレさえあれば未来は明るい!! 探せ、さがせ、どこにカクれた!!」
「エレンフォールはもういない。二度と生まれ変わりもしない」
右耳のターコイズピアスを揺らしながら淡々と告げるヴァイス。
「彼は三百年前、魂魄まで粉々になった」
「ッ……うぐ、ぐうぅううウウ!!?? なぜっ、なぜだッッさてはお前が、お前がエレンフォールを殺したのかぁあああ!!」
「そうだ。私が殺したんだ」
殺意。紛れもない殺意がアリジゴクたるその体躯から噴出する。だが、それはかつて身近に置いたエレンフォールの死を悼むがゆえの殺意ではない。
「アレがあれば、我が部族は、私は安泰だったのにィいいいいい!! うううぅうう!! 戦争、そうだならば戦争しよう取り返そう、殺す、殺すゥ、敵は根絶やしだ!! そうで、なければッ我らは! 我らは安心して生きられんのだ、から!! あはッぐははははは!!」
「……」
「ああ~~あ、ああ、あ……だからエレンフォール様ァ我らをお救いくださいぃいッ……その奇跡このイスマだけのためにあれ、我らのためだけに死にたもう……我らを生かすため、神の子タるあなタはハははは……!!」
鼓膜が破れるがごとき絶叫。支離滅裂な言い分。
狂気にまみれながら、彼は〝神の子を取り返すため〟〝敵部族〟たるヴァイスへキバをむく。
己の身をがんじがらめに拘束していた鎖を一心不乱に破壊しては自由になった腕をゴムのように伸ばし――砂で不明瞭だった腰には他の生物の腕が三対、つまり六本接合されていた――四方の壁を力任せに殴り始めた。
すると壁は壊れ、剥がれた石片が逆円錐の先にいるイスマへと流れこんでいき、イスマはそれを次々と掴んではヴァイスへ投擲し始める。
ヴァイスは投擲された石片や殴打を仕掛け飛んでくる腕を最小限の動きで回避していく。ディルも同様だ。
〝天国の地獄〟イスマの戦闘能力は罪科獣に照らし合わせるとA級にも届かない。
数々の死線を越えてきたふたりにはイスマの攻撃など児戯に等しい。それでもヴァイスがすぐに執行に転じない理由を、ディルは知っていた。
「イスマ。魂魄を壊された君は二度と転生が叶わない。君の存在はここで終わる」
ヴァイスは重々しく言う。
イスマはもはや壊し尽くされていた。魂魄もいじくり回された形跡があり、壊れたぶんを補填するように他の生物の魂魄と繋ぎ合わされていた。
ヴァイスが執行すれば、途端に彼の魂魄は体躯と共に終わるだろう。
生物とは天地の狭間に生まれた子、かつ〝生きること〟を本能とする存在を指す。彼らはどんな境遇においても呼吸をし食物を摂取し、子孫を残して命をつなげてきた。
その生物に永遠なる死を与える――この事実に何の感慨も覚えないヴァイスはもういない。一度色を持った心は二度と白に戻れないのだ。
壊れたイスマには、もはや言葉は届かなかった。異形の彼にあるモノはただひとつ、生への妄執。
だからこそ一刻も早く終わらせてやらねばならない。
死をもって苦しみを終わらせてやることが、守ることがヤミ属執行者の役目なのだから。
ヴァイスは意を決したように左手をイスマの方へ突き出した。
唱える言の葉はただひとつ――
「〝茨〟」
――瞬間。〝天国の地獄〟たるイスマは終わりを迎えた。