第23話 あるまじき進言
文字数 2,825文字
話は再び三百年前にさかのぼる。
すなわち神の子エレンフォールの〝魂魄執行〟執行期限当日。その指名勅令を負ったヴァイスがエレンフォールを殺さず、共に在ることを心に決めた直後。
「あンのバカやろう……!!」
ディルは悪態をつきながら裁定神殿へ全力疾走していた。
紋翼を使えばヤミ属界への帰還は一瞬だが、裁定領域や神域、防衛地帯へ直に降り立つことはできない。これは裁定神殿や神域がヤミ属にとって文字どおり心臓部であるからだ。心臓部を守る防衛地帯も同じ理由である。
それゆえディルが降り立ったのは直で降り立てるなかで最も裁定領域に近い場所――防衛地帯と職務地帯とを分ける灰色の巨大な壁門の前だ。
「俺たちが生物の生を守るなんざ、あっちゃならねぇんだ……!!」
ヤミ属は〝生物の死を守る〟ことを責務とする。そのヤミが任務を放棄したあげく生物の生に干渉するなど謹慎どころの話ではないだろう。
ディルは彼の剣幕に驚くガーディアンたちも何のその、防衛地帯を一気に走り抜けていった。
しかしどれだけ全力疾走してもヴァイスの姿が確認できない。実のところ、ヴァイスが裁定神殿へ向かったという確証があるわけではない。もしかしたら生物界の別の場所へ移動した可能性もある。
だが、ディルにはヴァイスがエンラのもとへ向かったはずだという確信があった。
『私は君を殺さない。君を生かし、君の道を守る』
――エレンフォールを生かすというのなら、何よりもまず〝エレンフォールを殺せ〟という神の命を撤回しなくてはならないからだ。
エレンフォールの〝魂魄執行〟を命じたヤミ神には自我がない。それゆえ撤回するにはヤミ属統主たる彼女の理解が必須だと考え至るのは想像にかたくなかった。
だからディルはこうして裁定神殿へ必死に走っている。ヴァイスを止めるために。
ヴァイスがエンラと相対する前に止めなければならない。ヴァイスに話をさせてはならない。エンラにヴァイスの思惑を悟られるだけでも大問題になってしまう。
しかし、現実はそう甘くなかった。
確かにディルの読みは当たっていた。だが、ディルの足ではヴァイスに追いつくことは叶わなかったのだ。
ディルが裁定神殿に到着したとき、神殿内からはヴァイスの声が漏れ聞こえてきていた。
ディルはゼエゼエと肩を激しく上下させながら、わずかに開いた大扉の隙間からまず内部を覗く。
「――ヴァイス。任務完遂の報告かと思ったが、どうも違うようであるな」
「はい。大事なお話があって参りました」
ヴァイスは表面上冷静であった。その背中はディルのように乱れてすらいない。
しかし玉座に座って魂魄へ〝裁定〟を施すエンラのすぐ目の前まで接近している姿に、やはり普段の状態とは程遠いことを再確認する。
もちろん玉座の傍らに控える側近長リンリンは「何ごとです?」と眉をひそめ、ヴァイスをいつもの謁見位置まで引き離そうとした。
だが当のエンラは首を横に振る。
「リンリンよい。してヴァイス、話とは如何なるものか」
まずい、とディルは思った。ヴァイスが話をする前に割って入らなければ。
しかしディルが内部へ突入する前にヴァイスは口を開いてしまった。
「今回ヤミ神から下ったエレンフォールの〝魂魄執行〟――これを撤回していただきたいのです」
逡巡なく放たれた言葉が裁定神殿内に反響した。
ああ、遅かった。これでは何らかの処分を免れない。ディルはその場で硬直してしまう。
神殿内の空気が凍った。正確に言うならば空気を凍らせたのはリンリンであり、エンラはさして驚くこともなく漆黒の眼球でヴァイスを見返していた。
「ふむ。エレンフォールとは今回の指名勅令の執行対象のことであるな」
「そうです。今回の〝魂魄執行〟には不可解な点があり、エレンフォールを執行すべきではないと判断しました。ゆえに指名勅令の撤回を求めます」
「な、な、なっ……何を言っているのですヴァイス殿? ヤミ神が下された命を撤回などできるはずもないでしょう!?」
リンリンがヴァイスに詰め寄る。エンラは手を上げるのみでそれを制した。
「ヴァイス、説明せよ。不可解な点とは?」
「エレンフォールの治癒の能力は〝原初返り〟によるものではありませんでした。彼は第三者から能力を与えられたのです。本人が言っていたので間違いありません」
「……ほう」
「加えてエレンフォールに治癒の能力を与えた者は『遠くない未来に死神が現れる』『この治癒の力を分け与えたことを死神が知ったなら大変なことになる』『だから秘匿しなさい』とも言ったそうです。
つまりその者は私たちヤミ属の存在を知っている。自分の存在が白日のもとにさらされることを危惧しつつも、生物には持て余す能力をエレンフォールへ与えたのです」
「なるほど。他者から意図的に与えられた能力ならば、ただ能力を授けられただけのエレンフォールは被害者であり執行対象になり得ないという主張であるな。続けよ」
「その者は〝ハクア〟と名乗ったそうです。金髪紅眼、人型の全身から輝きを発し、頭上には四角光輪、背には真っ白な大翼が三対――。
私はその者の特徴を耳にしてすぐ誰を指しているのか察しました。エンラ様、あなた様も彼を知らないはずがない」
「……〝白亜〟。ヒカリ属第三の直系属子。ヒカリ神に仕えし神託者――エレンフォールに治癒の権能を与えたのはその白亜であると、貴様はそう申したいのだな」
「そうです」
きっぱりと、ヴァイスは言いきった。
「目的は不明。白亜様は凄惨な戦争を止めたいとお思いになったのかも知れませんし、毎日必死に祈るエレンフォールに慈悲心をお出しになったのかも知れません。
ですがヒカリ神からの勅令でなく私情であることだけは確かでしょう。そしてヒカリ属の私情でエレンフォールが犠牲になるのは明らかに間違っています」
「……」
「しかし、白亜様には禁を破ってまで干渉する意味が、重大な理由がきっとおありになったのだと思います。
ですからまずは調査を。どういった思惑でエレンフォールに治癒の能力を与えたのかを、まずは白亜様ご自身に尋ねるべきです。
そしてエレンフォールに与えた能力を剥がしていただく――それがこの指名勅令における最適解だと私は考えます」
「……」
「エンラ様、ヒカリ属界へ向かう許しを私にお与えください。今のヒカリ属界には統主らのご許可がなければ中へ入ることすらできないと聞いています。
それ以外でエンラ様のお手をわずらわせる気はありません。私がひとりで決着をつけますので、どうかお許しください」
滔々と話すヴァイス。それを黙って聞くエンラ。理解不能と言わんばかりに眉を寄せるリンリン。
裁定を待つ大量の魂魄はそんな三名が生み出す異様な空気を察したか、神殿の端へとふよふよ移動していく。
「貴様の主張、あい分かった」
そんななかエンラが口を開く。普段どおりの音色で。
「ゆえにヴァイス、まずは任務を遂げてくるがよい」
すなわち神の子エレンフォールの〝魂魄執行〟執行期限当日。その指名勅令を負ったヴァイスがエレンフォールを殺さず、共に在ることを心に決めた直後。
「あンのバカやろう……!!」
ディルは悪態をつきながら裁定神殿へ全力疾走していた。
紋翼を使えばヤミ属界への帰還は一瞬だが、裁定領域や神域、防衛地帯へ直に降り立つことはできない。これは裁定神殿や神域がヤミ属にとって文字どおり心臓部であるからだ。心臓部を守る防衛地帯も同じ理由である。
それゆえディルが降り立ったのは直で降り立てるなかで最も裁定領域に近い場所――防衛地帯と職務地帯とを分ける灰色の巨大な壁門の前だ。
「俺たちが生物の生を守るなんざ、あっちゃならねぇんだ……!!」
ヤミ属は〝生物の死を守る〟ことを責務とする。そのヤミが任務を放棄したあげく生物の生に干渉するなど謹慎どころの話ではないだろう。
ディルは彼の剣幕に驚くガーディアンたちも何のその、防衛地帯を一気に走り抜けていった。
しかしどれだけ全力疾走してもヴァイスの姿が確認できない。実のところ、ヴァイスが裁定神殿へ向かったという確証があるわけではない。もしかしたら生物界の別の場所へ移動した可能性もある。
だが、ディルにはヴァイスがエンラのもとへ向かったはずだという確信があった。
『私は君を殺さない。君を生かし、君の道を守る』
――エレンフォールを生かすというのなら、何よりもまず〝エレンフォールを殺せ〟という神の命を撤回しなくてはならないからだ。
エレンフォールの〝魂魄執行〟を命じたヤミ神には自我がない。それゆえ撤回するにはヤミ属統主たる彼女の理解が必須だと考え至るのは想像にかたくなかった。
だからディルはこうして裁定神殿へ必死に走っている。ヴァイスを止めるために。
ヴァイスがエンラと相対する前に止めなければならない。ヴァイスに話をさせてはならない。エンラにヴァイスの思惑を悟られるだけでも大問題になってしまう。
しかし、現実はそう甘くなかった。
確かにディルの読みは当たっていた。だが、ディルの足ではヴァイスに追いつくことは叶わなかったのだ。
ディルが裁定神殿に到着したとき、神殿内からはヴァイスの声が漏れ聞こえてきていた。
ディルはゼエゼエと肩を激しく上下させながら、わずかに開いた大扉の隙間からまず内部を覗く。
「――ヴァイス。任務完遂の報告かと思ったが、どうも違うようであるな」
「はい。大事なお話があって参りました」
ヴァイスは表面上冷静であった。その背中はディルのように乱れてすらいない。
しかし玉座に座って魂魄へ〝裁定〟を施すエンラのすぐ目の前まで接近している姿に、やはり普段の状態とは程遠いことを再確認する。
もちろん玉座の傍らに控える側近長リンリンは「何ごとです?」と眉をひそめ、ヴァイスをいつもの謁見位置まで引き離そうとした。
だが当のエンラは首を横に振る。
「リンリンよい。してヴァイス、話とは如何なるものか」
まずい、とディルは思った。ヴァイスが話をする前に割って入らなければ。
しかしディルが内部へ突入する前にヴァイスは口を開いてしまった。
「今回ヤミ神から下ったエレンフォールの〝魂魄執行〟――これを撤回していただきたいのです」
逡巡なく放たれた言葉が裁定神殿内に反響した。
ああ、遅かった。これでは何らかの処分を免れない。ディルはその場で硬直してしまう。
神殿内の空気が凍った。正確に言うならば空気を凍らせたのはリンリンであり、エンラはさして驚くこともなく漆黒の眼球でヴァイスを見返していた。
「ふむ。エレンフォールとは今回の指名勅令の執行対象のことであるな」
「そうです。今回の〝魂魄執行〟には不可解な点があり、エレンフォールを執行すべきではないと判断しました。ゆえに指名勅令の撤回を求めます」
「な、な、なっ……何を言っているのですヴァイス殿? ヤミ神が下された命を撤回などできるはずもないでしょう!?」
リンリンがヴァイスに詰め寄る。エンラは手を上げるのみでそれを制した。
「ヴァイス、説明せよ。不可解な点とは?」
「エレンフォールの治癒の能力は〝原初返り〟によるものではありませんでした。彼は第三者から能力を与えられたのです。本人が言っていたので間違いありません」
「……ほう」
「加えてエレンフォールに治癒の能力を与えた者は『遠くない未来に死神が現れる』『この治癒の力を分け与えたことを死神が知ったなら大変なことになる』『だから秘匿しなさい』とも言ったそうです。
つまりその者は私たちヤミ属の存在を知っている。自分の存在が白日のもとにさらされることを危惧しつつも、生物には持て余す能力をエレンフォールへ与えたのです」
「なるほど。他者から意図的に与えられた能力ならば、ただ能力を授けられただけのエレンフォールは被害者であり執行対象になり得ないという主張であるな。続けよ」
「その者は〝ハクア〟と名乗ったそうです。金髪紅眼、人型の全身から輝きを発し、頭上には四角光輪、背には真っ白な大翼が三対――。
私はその者の特徴を耳にしてすぐ誰を指しているのか察しました。エンラ様、あなた様も彼を知らないはずがない」
「……〝白亜〟。ヒカリ属第三の直系属子。ヒカリ神に仕えし神託者――エレンフォールに治癒の権能を与えたのはその白亜であると、貴様はそう申したいのだな」
「そうです」
きっぱりと、ヴァイスは言いきった。
「目的は不明。白亜様は凄惨な戦争を止めたいとお思いになったのかも知れませんし、毎日必死に祈るエレンフォールに慈悲心をお出しになったのかも知れません。
ですがヒカリ神からの勅令でなく私情であることだけは確かでしょう。そしてヒカリ属の私情でエレンフォールが犠牲になるのは明らかに間違っています」
「……」
「しかし、白亜様には禁を破ってまで干渉する意味が、重大な理由がきっとおありになったのだと思います。
ですからまずは調査を。どういった思惑でエレンフォールに治癒の能力を与えたのかを、まずは白亜様ご自身に尋ねるべきです。
そしてエレンフォールに与えた能力を剥がしていただく――それがこの指名勅令における最適解だと私は考えます」
「……」
「エンラ様、ヒカリ属界へ向かう許しを私にお与えください。今のヒカリ属界には統主らのご許可がなければ中へ入ることすらできないと聞いています。
それ以外でエンラ様のお手をわずらわせる気はありません。私がひとりで決着をつけますので、どうかお許しください」
滔々と話すヴァイス。それを黙って聞くエンラ。理解不能と言わんばかりに眉を寄せるリンリン。
裁定を待つ大量の魂魄はそんな三名が生み出す異様な空気を察したか、神殿の端へとふよふよ移動していく。
「貴様の主張、あい分かった」
そんななかエンラが口を開く。普段どおりの音色で。
「ゆえにヴァイス、まずは任務を遂げてくるがよい」