第十二章二話 儚く消えた秘かな思い

文字数 4,727文字

 ヨリモ、秘鍵(ひけん)蝸牛(かぎゅう)、マガ、睦月(むつき)そしてタマの六人は八幡宮の境内(けいだい)も間近に見える家々の間で、熊野神社と八幡宮の眷属たちに囲まれていた。もう、どうにも逃れられそうにない状況だった。
「秘鍵殿、その腕に抱く者は誓約(うけい)(あかし)であろう。負傷しておるのか?どういうことだ。早く説明してもらおう」
 詰問ぎみのクレハの声に秘鍵は仕方なく答える。
「タマは(まが)い者との戦闘や災厄の力から自分の身や仲間を助けるために力をかなり使ってしまったようです。しかし、今は回復に向かっております。時間は掛かりそうですが、いずれ元の姿に戻るでしょう」
 クレハの視線はすっとヨリモに向かう。
「ヨリモ、そなたは息災そうだな」その問いに、ヨリモが、ハイ、と答えるとクレハは続けた。「そなたには、大切な誓約の証として何より頑強であるように、我が大神様が力を多量にお与えになられている。やはり稲荷神とは誓約を重要視する思いが違ったのだろう」
 それは、ととっさに秘鍵が反論しようとしたが、それより先にヨリモが発言した。
「タマ殿は私を助けるためにずっと力を使い続けてくれたんです。私がこうして元気でいられるのもタマ殿のお蔭なんです」
「ヨリモ、そなたは大神様や我らの、郷や神々の和を願う思いの結晶である。どのような目に遭おうとも頑健であること疑いようもない。それとも大神様や我らの思いをそなたは疑うのであるか?」
 一瞬、ヨリモが返答を言い淀んだので秘鍵が代わりに発言した。
「我が稲荷大明神様とてこの誓約を何より大切なものと(おぼ)()されておられます。そしてタマに対しても惜しみなく力を与えておられます。そのことは何よりも間違いないこと。どうか、八幡大神様の大前で申し開きをさせてもらえませぬか。きっとご納得いただけるものと存じます」
 クレハはじっと秘鍵の目を射るように凝視する。秘鍵も努めて穏やかに発している声とは裏腹に鋭い視線を射返していた。
 二人は隣村の第二眷属同士として旧知の仲であり、お互いに相手の有能さを認め合う仲であった。ごく合理的なクレハの性格上、無駄に馴れ合うことはなかったが、会えば普通に言葉を交わすし、業務上では信頼の置ける者と認めていた。だから、クレハは仕方がないというように言葉を継いだ。
「分かった。秘鍵殿、では大神様の大前にご案内しよう。しかしそなたの言を大神様が認められない時は、そなたの身もどうなるか分からぬぞ。よいな」
「けっこうです」秘鍵が頷きながら答えた。
 それから一行は八幡宮と熊野神社の眷属たちに取り囲まれながら八幡宮の境内に向かった。それはまさに連行されるといった厳めしさ。マガは境内の外で遊んでいて、よく玉兎(ぎょくと)に捕まって連れ戻されていたが、他の者にとっては、こんな罪人なみの扱いを受けることなど今までになく、東の山の端から陽が顔を出しはじめても、心は晴れず、緊張感が増していくばかりだった。
 境内の正面入り口に達するまでクレハは迷っていた。眷属たちを連れていくのは何も支障がない、が(まが)の者を境内に入れることには抵抗があった。クレハは移動しながらもじっと蝸牛の背中に視線を向けた。彼も東野村(とうのむら)禍津神(まがつかみ)を見るのは初めてだった。
 今まで、何かの問題を起こした訳ではない。しかし、しょせんは禍の者、信用すること自体が馬鹿げている。熊野の眷属たちの卜占(うらない)にも災いを成すと出ておったからな。とはいえ、境内の外で待たせて、もし暴れられでもしたら、民草(たみくさ)に影響が及ぶ。民草にとっては眷属も禍津神の姿も見えないが、暴れて生じた被害はもちろん民草に及ぶ。それなら、人員の多くいる境内地で警戒しておいた方が良いのだろう。それにもし、この禍の者が(よこしま)な考えを持っておったとしたら、この境内に張られている結界から内には入ってこれぬだろう。先ずは試してみるか。
 そう思いつつ、クレハは先導して境内地へと入っていった。秘鍵は腹を(くく)ったという顔つきをしてただ静かに鳥居を(くぐ)る。睦月は敵意を向けてくる周囲の眷属たちに警戒心を振り撒きながらすぐに対抗できるような心構えでついて行く。ヨリモはそれまで何人かの八幡宮の眷属たちに声を掛けていた。これまでともに同じ境内で同じ時間を過ごしてきた仲間たち、何とかみんなに同調してほしい、一人でも二人でもこちらに非がないことを理解してもらえたら、という思いで話し掛けていた。しかし、誰もそれに応えてくれない。
 これまで何となく感じていた疎外感。今はひしひしと感じられる。誰にも私の声は届かない……。鳥居を潜る頃には、もうすっかり、話して分かってもらうことを諦めた。
 境内に足を踏み入れる際、蝸牛は背中にピシッと電流が走る感覚を抱いた。おう、と思わず声を上げた。同時に、ひゃあ、という小さな叫び声が背中から聞こえた。慌てて蝸牛が振り向きながら訊く。
「マガ殿、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」もそもそと動いて口を開いてそう言うとまたマガは動かなくなった。二人はそのまま鳥居を潜っていった。
 社殿横の広庭に張った幕の前で、紫色した狩衣を着装したマコモが腕を組み、足を大きく開いて胡床(こしょう)という木製の腰掛けにでんと座っていた。その両脇には武装した八幡宮の眷属たちが立ち並んでいる。
 秘鍵が進み出て挨拶を述べる前にクレハがマコモの前に至る。
「大神様の分御霊(わけみたま)はお戻りか?」と訊く。
「うむ、つい先ほどお戻りだ」とマコモが答える。
「我が大神様が稲荷神に贈った誓約の証はあの様だ」そう言って秘鍵の抱えているタマを指さす。「ヨリモはいたって元気だがな」
 マコモが鋭い眼光をタマとヨリモに向ける。ヨリモはつい目を逸らした。
「マコモ殿、そのことについては我が、八幡様に釈明申し上げる。どうか殿内(でんない)への参入をお許しくだされ」
 秘鍵がマコモに歩み寄りながら声を掛けた。口調は丁寧だが、頭は下げない。マコモは秘鍵の目を凝視している。誰もが身のすくむような思いを抱くその視線に対して、意識して気を張りながら秘鍵は目を逸らさずに更に近づいていく。自分の双肩には稲荷神社の誇りが掛かっているとの一心で。するとマコモが立ち上がり(あご)を上げ見下ろすように秘鍵を見つめたまま言った。
「よかろう、ついてまいれ」
 マコモは、クレハに他の者たちへの警戒を怠ることがないようにと言い残すと、私も一緒に大神様に奉告いたします、と言うヨリモの同道を許し、他に数人の部下を連れて社殿へと参入していった。
 社殿の東側の格子窓から射すような鋭い朝の陽光が、床面の一画を四角に区切って明るく照り輝かせていた。そんな一日のはじまりの明るさとはかけ離れた厳めしい雰囲気が、本殿から階下へと流れていた。とても希望も安堵も安心感も抱くことができない雰囲気。これは、きっと、大神様の荒御霊(あらみたま)の表れ、長年この地に住み、何度も大神様に拝謁しているヨリモでさえこのような雰囲気に接することは初めてだった。思わず全身が小刻みに震える。歯の根が合わない。社殿入り口から前に進むことができない。
 ヨリモの前で秘鍵も同じように感じていた。しかし、それでも彼は足を進めた。畳敷きの拝殿中央に進み出ると本殿に向き直り、抱いていたタマを畳の上に横たえると正座し、同時に平伏して奏上をはじめた。
「掛けまくも(かしこ)き八幡大神の大前に(かしこ)み恐みも(もう)さく……」
 秘鍵は細心の注意を払い、慎重に言葉を選びながら、ここまでの経緯とタマの状態が安定して時間を掛ければ間違いなく回復すること、そして、稲荷神が八幡神との誓約を何より重要視し、その誓約の堅固なることを祈念して、タマに最大限の力を与え、これまで大切に育ててきたことを縷々(るる)として述べ連ねた。
「何卒、我らの和を尊ぶ心根、()ぐしとみそなわして大御心穏(おおみごころおだ)ひに我らが過ち犯さん罪穢れあらんをば(かむ)見直し聞き直し給いて、この誓約を弥遠(いやとお)弥永(いやなが)に続けさしめ給えと恐み恐みも白す」
 大きくはないが張りのある声。淀みなく一言々々はっきりと余計な抑揚なく述べられる言葉。ただ当然言うべきことを淡々と述べているだけだと思える口調。ヨリモはその声に力を得た気がした。自分の立場が間違いではない気がした。だから奏上が終わると急いで秘鍵の横、少し後方まで進み本殿に向かって座った。自分もちゃんとご説明申し上げなくては。しかし、本殿からは威圧感しか感じられないような声。
 ――ならん。先ほど、そなたの神は我の意向に背き抵抗した。また誓約の証もその通り。これでは我らの誓約は成り立たん。申し開きがあるなら、そなたではなく神、自ら我が前に進み出よ。
 秘鍵は平伏したままだったが、目を見開き、歯を喰いしばった。それは我が大神様に下手に立てと言うことか。ここまであからさまに服従を強いるとは、そう思うと二の句が継げなかった。場の雰囲気が最高潮に険悪になっていく。秘鍵殿にはここまで感謝してもしきれないほどに助けてもらった。何とか力にならなくては、と慌ててヨリモが口を開いた。
「大神様。タマ殿は私の身を助けるためにご自身を犠牲にされたのです。タマ殿がおられなければ私はもう消滅していたことでしょう。ですから、悪いのは私なんです。秘鍵殿を、稲荷神社の方々を責めないでください。お願いします」
 一瞬、社殿内が、そこにいた八幡宮の神や眷属の苦笑で満たされた気がした。末席の者が何をえらそうに、そなたが軽々しく口を挟むような事案ではない、と言われている気がする。
「ヨリモ、そなたの奏上をまだ許してはおらぬ。控えておれ」マコモのこれまた威厳のある声。ヨリモは思わず口を(つぐ)んだ。
 そして、場が淀んだ。すでに神が裁可を下した、誰もそれに異を唱えられない。釈明する者たちが相手の威に()され声を上げることができないでいる。
 そこにいる者たちをおおう重苦しさを払うように、返答を必要としない、ただ決めたことを伝えるためだけに八幡神が言い放つ。
 ――稲荷の眷属よ。そのタマは我の(ぎょく)。返してもらうぞ。
 その声が室内に響くと同時に、横たわっていたタマの身体が、急に白い光に包まれた。
 えっ?思わずヨリモは声を上げた。
 白い光は静かに浮かび上がっていく。次第に中心に集まっていく。徐々に小さく形を変えていく。
 見る間に、片手に収まるほどの小さな丸い玉に変化していく。
 そして、ゆっくりと畳の上に降下していった。
 眷属の一人が小さな茜色の座布団を敷いた台を両手で捧げ持ちながらその玉を受け、そのまま本殿前に設けられている案という木製の机の上に台ごと置いた。

 ヨリモは目を見開き、唇をわなわなと震わせながらその情景を呆然と眺めていた。
 面白くもない日常の、心の()り所として、大切に抱き続けてきた秘かな思いが、(はかな)くも消えた。
 ヨリモの中で、何かが、弾けた。
「何を、大神様、タマ殿に何を……。きっと、元に戻ったのに、まだ生きられたのに。何で、そんなことを、何でそんなことをするんです。何で?どうして?何で?」
 今の今までずっと我慢してきた。自分の気持ちを言うことも、したいことをすることも。そうすることが当然で、自然なことだと思っていた。それを周囲は求めていたし、そうしないと自分は立派な眷属になれないと思っていた。でも、もう、どうでもいい。我慢してきた結果がこれならば、立派な眷属になどなれなくてもいい。今ここで消滅したとしてもどうでもいい。胸が、痛い。幾千幾万の呻き声と叫び声が反響して膨張を続けている。口を開けばそんな声が漏れ出てくる。
 近くにいた仲間だった眷属が怖い顔をして近寄ってくる。手を伸ばし、やめんか、不敬であるぞ、と言いながら。彼女は口を開いた。叫び声が呻き声が漏れ出てくる。
 いや――!
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