第一章五話 道行きてヤチマタ

文字数 4,255文字

 境内の端から、木立(こだち)の合間に見える二人連れの様子を見下ろしながら、秘鍵(ひけん)が傍らにいる宝珠(ほうじゅ)に向けて口を開いた。
「さて、いろいろとお疲れ様でした。本当に民草(たみくさ)を連れ帰ってくるとは。正直、半信半疑でしたが、これでエボシ殿の卜占(うらない)を信用する他ありませんな」
 宝珠は普段から憮然(ぶぜん)たる面持ちを崩さないたちだったが、更に苦虫を噛み潰したような顔をして、じっと眼下に視線を注いでいた。
神議(かむはか)りの首尾はいかがでしたか?つつがなく……」
「ああ、大神様たちの間ではごく穏やかに事終えられた。この度のこと、その分からぬ因果を求めつつも、残った“尾の楔”を各社の眷属で守護する、ということになった。我らも近く出立せねばならない」
「まあ、そうなるでしょうね。して、眷属たちの間では」
 宝珠が更に苦々しげに口を開いた。
「エボシの独壇場だ。自分の卜占を信用せぬからこんなことになる。特に“頭の楔”を守護する稲荷の社の者たちが自覚なく、何の備えもせなんだから、“頭の楔”が消え去ってしまった。これはひとえに稲荷の眷属らの落ち度だと言わねばならぬ、とご高説(たまわ)ったよ。これからは誰も熊野の眷属の言葉を疑うことがないように、とも」
「そうですか。それで他の社の眷属たちはどのような反応を?」
「みな、信用せなんだのは同罪じゃからな。誰も口を挟めなんだ」
「そうですか。確かに先頃、エボシ殿から伝達された卜占の通りに事が起きておりますから、反論のしようもないですね。確か、
  大地が揺れ 地が割れる
  北の(くさび)は地に呑まれ 水噴き上げる
  山の彼方の地は消えて 川は海に姿を変える
  地より這い出る(まが)の者 おちこちに(うごめ)きひしめく
  崩壊の音の迫り来て 川上に民草(たみくさ)を得る
  民草に誓約(うけい)の子を従わせ 郷を巡る
という内容でしたね。結局、我らはあまりのその内容に信じるよりも疑った。しかし今になってそれに従い民草を解き放ち、タマを随行させた。それが吉凶いずれとなるか、今はただ見守るしかないですね」
「ああ、しかし、エボシの言はいつも中途半端だ。結びがない。終わりがどうなるのかを言わん。あやつも分からないのかも知れぬが、意図的に隠しているようにも思える。だから、あやつは信用ならない」
「しかし、熊野の眷属たちの卜占が当たるのは厳然とした事実。彼らの言葉をないがしろにはできません」
「うむ、分かっておる。分かっておるから、我も事を荒立てず、ぐっと耐えてきたのだ。じゃなければあんなカラス野郎など一噛みに喰いちぎってやるのだが」
「ふふ、宝珠殿はそんなことはされませんよ。災厄を鎮め、この郷を守るためにはお社同士が睦び(やわ)らぐことが肝要。あなたはそれをよく存じておられる」
 ふん、と宝珠が更に不機嫌な表情を見せた。二人は稲荷社の第一、第二眷属としてこの地にお社が鎮座して以来の付き合いである。当然、お互いのことを熟知している。相手が今、どのようなことを考え、何を必要としているのかもおおよそ分かる。今はただお互いに、何一つ楽観視できない現状のためにはっきりと見通せない先行きに対する気遣(きづか)わしい思いを感じ取っていた。
「そう言えば、神議りの場に三輪の大神様はお(くだ)りになられましたか?」
「いや、いつも通り、大神様も眷属も来なんだ。“尾の楔”を守護する身ながら和を乱す。何とも忌々(ゆゆ)しきことである。三輪のお社には眷属も少ないし、あやつらには任せておけぬ。早急に対応せねばならぬ。とりあえず、すぐさま南方の春日、山王日枝(さんのうひえ)の眷属たちが“尾の楔”の守護に向かうことになっておる。我らは二日後の朝、その者たちと交代する」
「そうですか。では、その任は我にお命じに?」
「やめておく。そなたは怒らせると怖いからな。暴れて他の社の眷属を害しても困る。我が(ひき)いて参るよって、留守番を頼む」
「我はそんなに暴れたりしませんよ」
「どうだか。そなたのその柔らかい物腰も相手を油断させるために意図して見せているものなのは分かっておるからな。そなたは本当に喰えんやつだ」
「ひどいですね。我の物腰は品の良さの現れですよ。あなただって、本当は誰よりも優しいのにそうと見られるのが照れくさくてわざと厳格な態度でひとに接している」
「馬鹿を言え。そんなことがあるか。我は大神様の使いとして当然の態度を示しているだけだ。変な勘繰(かんぐ)りはよせ」
「まあ、そういうことにしておきましょう。それより、本当にタマを一人で民草につけておいて大丈夫でしょうか。彼は言わずもがなの大切な身。その身に何かあれば八幡様の不興(ふきょう)を買ってしまうのではありますまいか」
「うむ。心配は分かる。しかし、大神様の大御意(おおみごころ)だ。他の者を同行させれば卜占に反すると(おぼ)()されたのかもしれん。とにかく、八幡宮に向かうだけだし、あやつの力は強い。禍い者や他の眷属たちと争ってもやられることはあるまい。それに八幡大神様にあやつが健やかに成長しておる姿をご覧いただく、よい機会かも知れぬ。我らが手塩にかけて育て上げきた成果をな」
「そうですね。信じてみましょう。我らが育ててまいった幼児(おさなご)を」
 二人の視界の中にいた人間と眷属の二人連れは、やがて強い陽射しを浴びながら生命を謳歌(おうか)しているように枝葉を広げる樹々の中に呑み込まれていった。

 タマの足は速い。次第にゆっくりとした歩みになっていたが、それでもタカシは早足で追いかけなくてはならなかった。タマはたまに立ち止まってタカシを待ち、互いの距離が縮まるとまた小走りに駆けていった。
 そうこうしている内に、ふとタマが立ち止まり、今度はタカシが自分のかたわらに来るまで待っていた。
「ここが八衢(やちまた)だ。ここから御行幸道(みゆきみち)に入る。はぐれるなよ」
 タマが指し示す先には田園風景の中に舗装されていない細い道が交差する四つ角が見えるばかり。
「ヤチマタ?」
「八は多いという意味で、(ちまた)とは分岐のことだ。八衢とは、たくさんの道が交わっている場所のことだ」
「たくさんの道?ただの農道が交差している四つ角にしか見えないけど」
「節穴め、よく見ろ。前後上下左右いたる所から道が延びているだろう。そなたは先ほど御行幸道に入っているのだ。よく見れば見えるはずだ」
 タカシはじっとその交差点を凝視してみた。ただの四つ角以上には見えない。とはいえ先ほどの神社境内の例もある。もしかしたら、今は見えていないだけ、という可能性も否定できない。じっと見ていたら場景が変化するのかもしれない。
 しばらく凝視を続けてみた。するとそのうち、ぼうっと交差点の上部の空間が(ゆが)んだような気がした。その歪みは次第に大きくなり、延びていき、彼方へと続いていく。また更に上空にも歪みが見えた。それは次第にはっきりとした道となり、交差点に達し、交わると地下へとそのまま延びていった。いったん、見える、そう自覚すると、一瞬にして周囲に数多(あまた)の道が出現した。ほとんどがこの八衢で交わり、彼方へと延びていった。
「ちゃんと見えるようになったみたいだな。良かったよ。見えない道には入れないからな。そうなったら人の道を歩いていかねばならないが、かなり遠回りになってしまうのだ。さあ、行くぞ、遅れるなよ」
 そう言いながらタマは一本の道に入り、そのまま進みはじめた。タカシもその後を追った。

 それー、と言いながらタマは白い輝きを投げつけて小さな虫のような禍い者を消し去った。これで五匹目だった。稲荷神社の境内を出てから所々に潜伏していた。そのすべてをタマは楽しそうに殲滅(せんめつ)していった。
 タマの足取りは軽かった。
「何か、すごく楽しそうだね」見ているこっちまで楽しい気分になってくる、そんなタマの高揚した姿が不思議でタカシは訊いてみた。
「そりゃあね。大神様や仲間たちから離れて境内の外に出るなんて初めてかもしれん。大神様はもちろん御神徳高く何よりも(あが)(たてまつ)る存在であらせられるし、宝珠殿や秘鍵殿をはじめ眷属のみんなもそのお力、その人格ともに素晴らしい方々ばかりである。我は、その一員であることを誇りに思う。ただ、宇賀稲荷神社の眷属の中で我が一番の若輩者だ。大神様や仲間たちに失礼のないよう一日中気を張り、気を配っている。だから、たまにこうしてのんびりと誰にも気兼ねせず散策できるのはとても楽しいのだ」
 ポンポンと飛び跳ねるような声が辺りに散らばっていく。
「おそらく大神様が、我がいつもよく働くので、たまには息抜きをしてこいと(おぼ)()されて我をそちに同行させたのだろう。何とも広大無辺なお慈悲ではないか。我はその思し召しを無駄にせぬように、ゆっくり羽を伸ばすことにした。そちも急いで用件を済ます必要はないぞ。何ならこの郷の中をぐるりと案内してやろうか。ただし、見どころや観光名所なんかは皆無だがな」
 本当に遠足にでも行くような雰囲気を振りまいている。その姿を見ているとタカシはほっと安堵の心持ちを抱いた。前にいた世界では、リサを救いたい一心で無茶なこともし、辛い体験もした。その甲斐あってか何とかリサと出会い、その世界の崩壊を防ぐことができた。しかし、こちらの世界に来てみると、また一からのはじまり、振り出しから。たった一人、どうすればいいのか分からず、何の予備知識もなく放り出された、そんな不安を抱いていた矢先の出会いだった。例え、少年でもこの世界で連れができたことは、彼に一縷(いちる)の希望を抱かせた。
 そんなタカシとタマの間に横合いから土気色したバレーボールほどの球体がころころと転がりながら姿を現した。それは唐突に、何の前触れもなく、ごく自然な感じて転がってきた。そしてタカシの目の前で急に割れたかと思うと中から無数の細く短い脚が現れてシャカシャカと地を掻いて彼の足元に移動してきた。
 タカシはタマに声を掛けて知らせようとした。が、待てよ、と思った。このダンゴムシみたいな生き物は色合いといい質感といい、禍い者で間違いないだろう。さっきタマは禍い者はケガレの一種だと言っていた。それなら、自分は前の世界でケガレを消滅させる能力があった。この生き物にもその力が有効かもしれない。そう思いいたってタカシはじっと足元の禍い者を見つめた。禍い者の方でも、その目がどこにあるのか分からなかったが、じっとこちらに注意を払っているように感じた。相手は得体の知れない生き物だ。そういった恐ろしさはある。しかし、きっと大丈夫、そんな気もしていた。リサの魂の中では自分は特別な存在なんだ、そういう確信に近い思いがあった。彼はゆっくりと禍い者に向けて手を差し出した。
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