第十三章五話 長としての高揚

文字数 5,023文字

 激しい轟音に全員が建物を出て、三つの峰が崩壊していく様を呆然と眺めた。誰もがかつてない場景に我を忘れ、ただ見つめていた。そして轟音がやみ、我に返ると一気に騒然となった。そんな混乱が極まる頃、彼らの前にマサルが現れた。僧兵姿の眷属たちは口々に、これはどういうことだ?民草(たみくさ)など峰に入れたのが悪かったのだ。そなた何かしたのだろう等々、マサルに向かって怒気を発散しながら言い募る。
 この上隠山(かみかくしやま)は、かつて明治期に修験道が廃止されるまで、この郷はおろか他県からも修験者が集う聖山であった。また、各神社の眷属たちにとっては三峰での行を終えることはそれだけでかなりの名声を得られることであり、誰もが一度は挑むことを夢見て山容を眺めていた。そのため彼ら山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の眷属は、山を管理している、それだけで敬意を持って特別視されていた。
 そんな自分たちの威光とも言える三峰が崩壊してしまった。これは、今更どうしようもないことにしか見えない。しかしそれでも慌てずにはいられなかった。
「みなさんに山王日枝神社第一眷属としてお伝えしたいことがあります」
 ここは伏龍寺境内(ふくりゅうじけいだい)、だがマサルはあえて神社の筆頭眷属としての立場で、静かに、気の立った仲間たちの顔を見回しながらゆっくりと声を発した。
「これは猿山(えんざん)殿の最期の言葉でもあります」
 眷属たちはあまりの展開に猿山のことまでは考えが及んでいなかったが、はっと老師のことを思い出し、まさか猿山殿が、という驚きとともに一気にマサルの言葉に耳を向けた。
「三峰は崩壊しました。これは恐らく、この地が崩壊に向かっていることの現れです。また災厄のために、すでに多くの眷属や民草(たみくさ)が死滅しました。我らは山王日枝神社並びに伏龍寺の眷属として、その悪鬼羅刹の所業を見過ごすべきではありません。すぐに山を降り災厄討伐に向かいましょう。みなが行かないのならば私一人でも参りますが、みなの中に菩薩心があることを私は信じています。みなの力でこの郷の眷属、民草、そして神々を救いましょう。今、動かねばみなさんの力を示す時宜はもう二度と来ません。さあ、私とともに山を降りましょう」
 言葉は丁寧だったが、口調は断固とした意志を反映していた。来ないなら来ないでいい、ただこれが最後の機会であると言外にも示しているように。
“何を訳の分からないことを言っておる”
“争うことはない。御仏の慈悲にすがろう”
“それより、みなで読経すべきだ。それがこの郷を救う唯一の手立てだ”
 眷属たちがマサルの言葉を振り払うように口々に言い立てる。その一つひとつをしっかり聴いた後、再びマサルが口を開く。
「もうすでに、祈りを捧げる時でも、読経する時でもありません。我々が動かねば何も変わらない。我々だけがこの郷を救うことができるのです。漫然と座して郷とともに消滅を待つか、悪鬼羅刹に抗いこの郷を救うか、もう考える余地もありません」
 ここで間を置いてマサルは仲間たちの顔を見渡した。これまで彼らにこれほど長広舌(ちょうこうぜつ)をふるったことなどない。何か指示しても反論ばかりしてくる相手に辟易(へきえき)として、いつも、ただ事務的に用件を伝えるだけだった。大抵、山王権現の御下命だったので渋々ながらも彼らは従っていた。しかし、肝心なやる気がないのでいつも中途半端、ほぼ、ただいるだけで助かることよりも余計な手間が増えるばかりだった。
 しかし、マサルは猿山の最期の言葉を聴き、ここまで山を下りる間に第一眷属としての自分の覚悟を固めた。ただ仲間を動かすだけではだめだ。ちゃんと向き合う。逃げてはならない。ちゃんとその行動の意義を伝えて納得して動いてもらう。そうしなければ猿山殿の後を継ぐ者としての第一眷属の名が泣くだろう。その覚悟を察したのか眷属たちは黙って、目、耳、そして心を傾けてマサルの次の言葉を待った。
「我らの源流たる比叡山延暦寺の僧兵たちは、朝廷からも、ままならぬもの、として恐れられていました。その流れをくむ我ら、今こそその力を世に示し、他の宮の者ども、(まが)の者どもにその力を示してやりましょう。災厄など我らにかかれば恐れるに足らず」
 再度、間を置いた。話すほどに気分が(たかぶ)ってきている。それが仲間たちにも伝染しているのか、それまで(なぎ)もない水面のようだった瞳に波紋が広がっていた。マサルはこれを最後と気持ちを更に奮い立たせた。
「無理強いはしません。恐れ、(おび)え、震えている者はここに残ればいい。神仏の力を身に宿し、怖れを知らず、正義を行う勇気のある者は山を降りよ、私に続け」
 誰も声を上げなかったが、誰もが手に持つ薙刀(なぎなた)の柄を力を込めて握っていた。彼らも内心分かっていた。眷属として今、何をするべきか。
 マサルはくるりと向きを変え本堂に面すると手を合わせ低く頭を下げた。そして頭を上げるとそのまま石段を下りていった。すると少しの間を空けて、一人の眷属が思い立ったように、同じく礼拝してその後を追った。そしてまた一人、やがて次々に。

 ――――――――――

 元来、黄泉の宮と災厄の鎮座地とは繋がっていなかった。しかし、地揺れの影響で、地が裂け、所々崩落したことで道とは言えない程度の通路ができていた。そんな足もとの悪い道のりを一行は進んで行く。行けば行くほど水溜まりやぬかるみが増え、辺り一面の壁から水が(したた)っている。温度は高くないが湿度が高い。地下の閉塞感と相まって気分がすっきりしない。そんな中、カツミは気分を少しでも紛らわせたくて、出会ったばかりの時のような異形の姿に戻っている先導の醜女(しこめ)に質問した。
「そう言えば、そなた、黄泉(よみ)の宮を出たらその姿に戻ったが、このコは姿変わらないな。なぜだ?」
 醜女が振り返ってちらっとマコに視線を向けた。
「我らは大神様から離れると、この姿になる。そいつはまだ黄泉戸喫(よもつへぐい)してない。黄泉の住民になってない。だから姿変わらない」
 黄泉戸喫とは黄泉の国で調理された食事を摂取することであり、それを口にした死者は黄泉の国から出ることができなくなる、と言われている。カツミもサホも詳細は知らないがその概要くらいは知っている。そしてマコがまだ黄泉戸喫を済ませていないことを聞いて少し安堵した。
 それからカツミはサホのかたわらにすすっと近づいた。洞窟状の道が続いているため声が響かないように小声で話す。
「そなたは災厄を説得できると思うか?」
 彼としてはこれからの方針を確認しておきたかった。何せこれから災厄のもとへ向かうのである。一瞬の判断ミスでこちらが消滅しかねない。意思の疎通をしておきたかった。
「そんなことはしたことがない。分かる訳がないだろう」
 そりゃそうだ、とカツミは思った。
「説得に応じなかったらどうする?倒すか?」
「倒せるようなら」
「倒せなかったら?」
「逃げるしかないだろう」
 サホは少しムッとしながら言う。禍津神(まがつかみ)に出会う前の彼女なら、逃げる、などとは言わなかっただろう。しかし、彼女も禍津神に遭って、自分より強い者が確かに存在するという事実を嫌というほど実感した。これから向かう先には禍津神も比べものにならないほどの力を有すると言われている存在がいるのだ、強気一辺倒になれる訳がなかった。
「それより、そなた、黄泉大神(よみのおおかみ)啖呵(たんか)きっておったが、何か考えでもあるのか?」
 言われてカツミはきょとんとした顔をして答えた。
「ある訳ないだろ。災厄相手だぞ。行ってみて何かつけ入る隙でもあれば、つけ入るだけだ。それにあそこで黄泉大神に反抗する訳にもいかんだろう。それなら、そなたの仲間を助けるためにもその要求を呑むしかなかった。もし、どうにもならなかったら、このコを連れてどうにか地上に戻って、他の者たち引き連れてくればいい」
 やはりこいつ大して妙案があった訳ではないんだな、と思いつつサホが重ねて訊く。
「地上に戻る道があるのか?」
「さあな、そんな都合よくある訳ないだろうが、なければ探すしかないだろう」
 聞いて大きくため息を吐いたサホの後ろで不安そうな顔をしたマコがついてきていた。異形の醜女はもちろんだったが、目の前の二人ももちろん人間ではないだろう。そんな者たちにどこに行くのか分からないまま連れられていく。不安しかない。そんなマコに、ふとカツミが振り返って声を掛けた。
「これからちょっと危険な所に行くから、我らの後ろを離れないようにしてろよ。なるべくそなたを地上へ帰すようにするから」
 先頃、自分を誘拐した張本人、すんなりとその言葉を信用できない。ただ、危険な所に行くって、まだこれ以上不快な思いをしないといけないのかしら、と不安が増長した。災厄の分御霊に身体を乗っ取られ、こんな所に来ている。もう、家に帰りたい、誰か助けて、こんな時にナミさんがいれば……ふと頼り甲斐のある旅の仲間を思い出した。そんな彼女の鼻先に異臭が漂ってくる。
 とても臭い。何かが腐ったような臭い。次第に強くなっていく。地面も度々揺れるし、何か岩盤を壊しているような音もする。
「そこに、災厄、いる」
 醜女が指し示す先に向かうと、大きくがらんとした空洞が広がっていた。サホとカツミが手に持った松明(たいまつ)をかざす。その揺らぐ灯り程度では奥まではっきりとは照らせないくらい中は広かった。ただその空間を囲う岩壁はごつごつとした大きな凹凸だらけで、それを伝えば何とか奥まで行けそうではあった。また彼らの立つ岩場の二メートル程度下からは辺り一面、大量の水に満たされていた。その水面下の場景にサホとカツミは思わず生唾を呑んだ。
 水の中には、郷中に降った大雨の犠牲者だろうか、無数の民草(たみくさ)(むくろ)が浮かび、その下に土気色の巨大な禍い者が蠢いている。
 そして水の中心、おどろおどろしい巨大な黒い球体が無数の触手を辺り一面に伸ばし、動かしていた。
 醜女とマコはサホとカツミの後ろに隠れた。サホとカツミは眼前から(おびただ)しく吹きつけてくる負の感情の固まりのようなドロドロとした圧にただ、たじろいでいた。
 これは、これまでも経験したことがないほどの不快の予感、決して近寄ってはいけない(たぐい)の相手、二人ともに同じように感じていた。

 ――――――――――

「我らはこれから太占(ふとまに)を行い、その結果により郷中のみなを導くことになっております。もうすぐエボシ殿が戻ってこられるでしょう。お話があるならエボシ殿に願います」
 いくらクロウが言い募ってもコズミは同じような答えを繰り返す。
「だから、何度も言っておる。もう、卜占(うらない)をしている場合ではない。動かねばならない。郷中の力を結集して事態に対抗するのだ。すぐにみなを集めて出立しよう」
「ですから、これから太占を行って……」
 堂々巡り。エボシがいない現状、コズミを説得しなければ他の者も動かない。クロウは先ず里宮祭神の伊弉諾命(いざなぎのみこと)に拝謁してご下命を拝受しようとしたが、自分を警戒しているコズミに制されて現在にいたっていた。これは自分一人で行くしかないか、そう思いはじめた時、山の方から、ドドーンと衝撃音が小刻みな地揺れを伴いながら鳴り響いた。
 何事、とクロウとコズミが山の方に目を向けると、背の高い樹々の枝葉を鳴らしながら、中宮(なかみや)祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、にゅうと樹冠の上に実体化した厳めしい顔を現した。そして、地響きを轟かせながらズシンズシンと里に向かって進んでくる。
 クロウの脳裏にかつての事件の記憶がよみがえる。こんな時に、と思う。しかしこれは座視できない事態。最優先でどうにかしないといけない事態。
「あれは、中宮様?どういことだ、なぜに」
 エボシのいない現状、この場の指揮権は第二眷属であるコズミにある。彼は、これはすぐに対処しなければならないと判断して慌てた様子で声を発した。
「ここは里宮様に力を現していただくしかございませんな。すぐに奉告いたしてまいります」
「待て」すぐにクロウが制した。彼の脳裏には自分の仕える親子神をこれ以上対立させたくない気持ちが強かった。それは最後の手段にしたかった。「我が中宮様を押しとどめてまいる。そなたは他の眷属たちを集めてまいれ。急げ」
 コズミは久しぶりにクロウから指示された。現状、立場的には彼の方が上だったが、お互いに何かしっくりくる感じがした。だからコズミは頷くとそのまま飛んでいった。
 クロウも飛び立ち、素戔嗚尊の眼前に向かった。いくら大神様相手でも、二度も不覚を取られはしない、と決意を胸に秘めて。
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