第十三章一話 蔵破りの三眷属

文字数 5,170文字

 睦月(むつき)の左腕に包まれたままマガと蝸牛(かぎゅう)は暴れていた。
 とにかくここから逃げる、睦月は右手に持った剣を振り回しながら二人の身体を何とか押していく。すぐそのかたわらに秘鍵(ひけん)が並び立ち、二人を引っ張りながら境内(けいだい)の外へと向かっていく。熊野神社の眷属たちも地上から空中から秘鍵たちを追うが、少しでも近づくと秘鍵の尾が襲い掛かってくるので迂闊(うかつ)に近づく訳にいかなかった。
 やがて熊野の眷属たちを引き連れながらも秘鍵たちが境内から出ると、八幡宮の眷属たちと対峙していた白牛(はくぎゅう)がばったりとその場に倒れた。身体中に無数の傷がある。これまで動いていたのが不思議なくらいに。
 クレハはピクリとも動かぬ白牛に近寄り、検分した。これだけ攻撃されたにも関わらず、まだ消滅しないのか。何て頑丈さだ、と思いつつ。そして更に、腹部に空いた大きな傷、これはあの東野神社(とうのじんじゃ)相殿神(あいどのしん)につけられた傷。微妙に治癒しているように見える。禍津神(まがつかみ)をはじめ(まが)の者につけられた傷は回復しないはずだが。クレハは少し(いぶか)しく思った。
 そんなクレハの後方からマコモが歩み寄る。
「逃げた者たちを追いますか?」とクレハが訊く。
「いや、我らにはせねばならんことがある。大神様もお待ちである」とマコモが答える。
「白牛殿はいかがしますか?すぐに消滅することはないでしょうが、危険な状態であることは間違いありません」
「ふむ。今、天神村に返す訳にはいかん。我らはこれから災厄のもとへ行かねばならん。縛って斎館(さいかん)の中に閉じ込めておけ」
「分かりました」とクレハは答えると部下たちに指示を出し、すぐさま白牛を運び、出立の準備を整えた。
 社殿前には大の大人でも八人はいないと担げそうにない大きな御神輿(みこし)が台の上に置かれていた。その御神輿に八幡神(はちまんしん)分御霊(わけみたま)を遷す。重苦しい空気の中、誰もが慎重に作法を間違えぬように祭典を斎行していく。遷し終え、儀式事態が終わると御神輿を中心とした一行は列を組んで境内を発した。
 目指すは、災厄の鎮まる、郷の中心。

 少し前に目覚めていた。
 蔵の中、塗り壁の上に、鳥よけの格子のはまった明り取りがあり、ぼんやりと明るい。とはいえ、磁場が感じられるようになったヨリモには、真っ暗だとしてもおおよそ内部の構造は把握できていた。しかし、把握できたとしても扉には頑丈な錠が掛けられている。徒手空拳な現状では脱出することは不可能だった。
 身体が痛む。マコモの大力によって投げつけられたのだ。全身が砕けていないだけ儲けものだったのだろう。頭の中がぼやけている。みんなに否定された。きっと私の不適切な行動のせい。もう、何もする気になれない。彼女はただ横たわって壁際に並ぶ木箱を眺めていた。ここは祭具庫(さいぐこ)、お祭りで使う雑多な衣装や道具が納められている。
 八幡宮には境内に同じような蔵がいくつかある。そういえば、こんな蔵の中で豆吉や豆蔵や豆助に初めてあったのよね、とヨリモは思い出した。

 それは彼女が生まれて数年後の文月(ふみつき)のこと。
 その蔵は八幡宮が恵那郷に鎮座して以来、永年に渡って記録されてきた資料や有力者によって奉納された古文書等を保管する蔵だった。八幡宮では毎年、旧暦の七月である文月にすべての古文書や書類を外に出し、陰干しする慣例があった。その日、ヨリモは先輩眷属に命じられてその手伝いをしていた。何百年もの間、溜め込まれた書類の数は膨大で、先輩たちは座って一つひとつ内容を確認しながら運ばれてくる書類や古文書を風に当てた。彼女は蔵と先輩たちとの間を往復して重い荷物を運んでいく。最初、一緒に運んでいた仲間たちは徐々に他の用事に向かってしまい次々に姿を消した。結局、最初から最後まで運んだのは彼女だけだった。夕刻に近づくと外に出した書類たちを箱に納め、また蔵へと運ぶ。すべてを運び終えた頃には薄闇が辺りを覆っていた。
 最後の箱をもとあった場所に戻し終えて、彼女はさすがにその場にへたりこんだ。疲れ切っていた。少し休みたい。けっしてサボっている訳じゃない。少し息を整えているだけ。外に出たら人の目がある。休めない。だからここで少し休んで……いつの間にか箱に寄り掛かって眠っていた。
 ぼやけた頭にギギギギという扉の(きし)む音。そしてガシャンと鍵を掛ける音。
 慌てて目を覚ました。辺りは真っ暗闇、すぐに自分が蔵の中に閉じ込められたことを悟った。
 予想外な展開に彼女は困惑した。しかし慌てはしなかった。きっと自分がいないことに誰かが気づいて間もなく捜しにきてくれるだろう。それまでの辛抱だ。まったく何も見えず怖いけれど少しの間だ。我慢しよう……
 いくら待っても誰もこない。人探しをしている気配すらない。確かに夜目の利かない八幡宮の眷属たちは夜間は活動しないし、早く就寝する。それでも私がいないことに誰も気づいていないの?誰一人?まさか、そんなはずはない、とは思えない夜の静寂(しじま)だった。
 ヨリモは生まれて初めて、骨身に染みる心細さを感じた。自分の寄る辺のなさに身を縮めた。
 結局、そのまま日が昇った。頭上の明り取りから入る朝陽の欠片で蔵の中が明るくなった。
 彼女は一晩中、切なさに包まれて眠ることもできず、ただちょこんと一つ所にじっと座っていた。
 床の一点をただぼうっと眺めている。何の変化もない場景。と、突然小さな灰色の何かが彼女の視界の端に入った。驚いて目を見開いたヨリモはそれがまごう事なきネズミであると察した。そして、ひいっ、と声を上げた。彼女はネズミが怖かった。なぜって、蔵の多いこの八幡宮にとってネズミは害獣そのもの。だから周りのみんなが毛嫌いしていた。それで自然と怖い存在だと思い込んでいたのだ。
 その灰色のネズミは彼女が声を上げると同時にどこかに消えた。周囲を見回す。いない、いない、気のせい?と思った拍子(ひょうし)に右後ろ側から視線を感じて、とっさに振り向いた。
 そこには薄暗い中に浮かぶ六つの小さくて(つぶ)らな瞳。木箱の上に乗ってこちらを見つめていた。
 再度、ひいっ、と叫んで後退(あとずさ)りした。もちろんヨリモの方が身体が大きいし、襲われることなどないのだろうが、どうにも怖くて(おび)えていた。そんな彼女を小さな瞳たちが不思議そうに眺めていた。そこには敵意も(さげす)みも偏見もなかった。ただ、しっかりと彼女のことを見つめていた。
 蔵の中の空間は荷物さえなければそれほど狭くない。しかし荷物が山積みになっていて身を隠せるような場所もない。だから仕方なくその場でネズミたちの姿を見つめていた。どう動くか予想がつかず、目が離せなかった。
 やがてチュッ、チュッと三匹の小さな鳴き声が蔵の中に響いた。何やら三匹で話し合っているような。
 そのうち一匹がどこかに消えた。残った二匹が木箱から降り、彼女に向かって手招きした。大黒社(だいこくしゃ)の眷属であるネズミたちはある程度の知能がある。手招きくらいは容易(たやす)いことだった。それを知らないヨリモは驚いた。が、相手にある程度の知能があると分かると怖さが消えた。それでその後をついていくことにした。
 招かれるままに蔵の隅まで行く。そこにある木箱の裏にネズミたちは入っていった。ヨリモはその重い木箱を押してずらす、すると隠れていた壁に小さな穴が空いていた。人型のままでは通れなくても小鳩になればなんとか通れそうな穴が。
 三匹とはそれ以来の付き合い。私は彼らに食料や必要な物を提供する。彼らは私が寂しい時や困った時に助けにきてくれる。とても、心強い存在。

 あの時と同じように背後からチュッ、チュッと声が聞こえた。ヨリモは振り返りながら微笑んだ。
「あなたたち、この蔵にも穴、空けてたの?」

 外は静かだった。昼日中にこんなに静かなことなど今までにない。誰もいない。訳が分からないが絶好の機会と、ヨリモは社殿に向かった。まだタマ殿が残されていればいいけど、と思いながら。
 社殿付近まで進むと、それまでヨリモの肩に乗っていた灰色毛並みの豆吉と茶の毛色の豆蔵は地に降り立ち、さっと社殿の床下から内部に入っていった。ちなみに白ネズミの豆助はヨリモの結んだ豊かな黒髪の中に潜んでいた。
 拝殿入り口扉に達する頃には豆吉も豆蔵も戻ってきて再度彼女の肩の上に登っていた。内部にも誰もいないという報告を二匹から聴くと、ヨリモは扉に手を掛けた。念のため慎重に音を立てないように開いて中に入る。
 やはり誰もいない。がらんとしている。中央に進み出ながら本殿へと視線を向ける。そこにタマが形を変えた(ぎょく)の姿はなかった。彼女はもちろん落胆した。一息大きく吐いた。と、突然、声が響いた。それはとてもしっかりとした芯のある気丈さの感じられる声。慈しみにあふれているようにも聞こえる。
 ――ヨリモ、そなた何をしておる。
 その声を聞いた途端、ヨリモはその場に正座して平伏した。三匹の眷属ネズミたちは慌ててヨリモの胴鎧(どうよろい)の内側に身を隠す。この声は神功皇后(じんぐうこうごう)様。なぜ、神功皇后様が?
 神々は普段、社殿奥に控えている。人々や眷属たちの呼び掛けにより表に出てくるが、八幡宮では通常、表に出てくるのは八幡大神だった。八幡大神の母神である神功皇后がこのように自分から表に出てくることはめったにないことだった。
 ――そなた、大神様に逆らって捕まって幽閉されておったのではないのか。
 ああ、全部ご存じだ。何ら言い逃れできない。どう答えればいいのか分からず、ヨリモはただ、あの、その、と言い淀むばかりだった。
 ――しかし、そなたの立ち回り、なかなかのものであったな。やはり我が目を掛けていただけのことはある。
 本殿の奥から聞こえる声は少し楽しそうに響いていた。しかしヨリモは自分が社殿内で暴れ回ったところを敬愛する神功皇后に一部始終見られていたと知り、恥ずかしさが先行して、更に返答ができなくなっていた。
 ――我もな、大神様を身籠っておる時、ただ生まれ出ずる我が子のためとなりふり構わず敵を討ち滅ぼした。まつろわぬ者どもを平らげて、身内の者も従わねば倒して、大神様のために世を平定したのだ。そなたも大切な者のために暴れたのだろう。やり方は良いとは言えんが、その気持ちは分かる。
 ヨリモはただ、ただ平伏するばかり。
 ――大神様は分御霊を災厄のもとへ向かわせた。そのため奥に籠っておられる。
 ヨリモは平伏したまま目を見開いた。大神様が災厄のもとへ?なぜ、大神様直々(じきじき)に?
 ――大神様は災厄とこの郷との縁を切ることでこの郷を守ろうとされている。しかし、それがうまくいくかどうかは災厄次第だ。もし、こちらの望みが聞き入れられぬ時は、大神様御自(おんみずか)ら郷内の神々、眷属を(ひき)いて災厄と対峙するつもりなのだ。そのために災厄のもとへ向かわれた。
 ヨリモは再度目を見開いた。自分が気を失っている間にそんな事態になっていたとは。
 ――ヨリモ、そなた、大神様を止めよ。
 ヨリモは突然の意外な言葉に思わず顔を上げた。私が大神様を止める?
 ――どうも、郷中八社の和が乱れておる。このままではもしもの時、誰も大神様の御言葉に従わぬかもしれぬ。そうなれば大神様のあのご気性だ。お一人でも災厄と対峙しようとするだろう。しかし、それは、憂うべきこと。どうなるか、先が見えぬ。
 ヨリモは、そんな、と言うきり言葉が継げない。
 ――そなたは誓約の子、特別な子だ。そなたなら大神様の力になれるのではないか。
 そんな、とヨリモは再度言った。私にそのような力など……
 ――どちらにせよ、そなたは大神様のもとに向かわねばならぬ。そなたが捜しておる玉は大神様の分御霊が持っておられる。(まこと)の玉には魂を鎮める力がある。持つ者の魂を安定させ、敵に使えば、その荒振(あらぶ)る御霊をその内に鎮めることができる。ただし、敵に対して使えばもう二度と玉になった眷属は元に戻らんだろう。
 ヨリモは最大限に目を見開き、本殿を凝視する。
 ――玉を使わせたくないのなら、行け。そして大神様を止めよ。
「しかし、私はみんなに信用されていません。誰も私の言うことなど聞きません。いくら神功皇后様の言いつけでも、それは、とても、難しいかと」
 ――ふん、言うことを聞かぬなら、聞かせればいい。状況によっては手段を選ぶべきではない時もある。そなたには力がある。さあ、これをそなたに授ける。遠慮なく力を発揮してまいれ。
 突然、本殿前に(やり)が姿を現した。宙を浮きながらゆっくりとヨリモの眼前に移動してきた。ヨリモはその槍をうやうやしく拝受した。
 そうだ、どちらにしても私は行かねばならない。タマ殿を元の姿に戻さないといけない。そのためには争いの只中にも(ひる)まず向かわねば。
 ヨリモは改めて平伏すると、立ち上がりそのまま社殿を出た。そしてすぐさま走り出した。三匹の眷属ネズミとともに。
 目指すは、災厄の鎮まる、郷の中心。
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