第四章一話 神とマガとウサギの社

文字数 3,517文字

 村境を過ぎたあたりから道に凹凸が増えはじめた。どうやら、いつの間にか御行幸道(みゆきみち)から人道へと移っていたようだ。
 乗用車が一台やっと通れそうな程度の道の上には(わだち)が伸び、それ以外の部分には背の低い草が茂っていた。その道を行くタカシの額に汗が噴き出す。急に気温と湿度が高くなったように感じられる。
 タカシのすぐ後ろでナミは、汗もかかずに歩いている。まだ暑さは感じる。しかし、もう気にならない程度には慣れてきていた。まったく気にならなくなるまであと少しだろう。ただ、横を歩いている少し(だる)そうなマコのことが心配だった。出会った時に被っていた麦わら帽子も禍津神(まがつかみ)から逃げる時にどこかに落としてきている。
「ねえ、大丈夫?歩くのがきつくなったら言いなさい。また抱えて飛んであげるから」
 あ、大丈夫です。まだ歩けます。というマコは、先ほど抱えられて高速で飛んだ時の、身体が縮み上がる怖さを思い出していた。あんな思いはなるべくなら回避したい。
 そんな二人のすぐ後ろには蝸牛(かぎゅう)とルイス・バーネットが並んで歩いていた。蝸牛は道中ずっと訊きたいと思っていたことを黒服山高帽姿の男に率直に問うていた。
「先頃、あなたが我に向けて発した言葉、あれは言霊ですよね。驚きです。我は自分の村からほとんど出たこともないし、世間知らずなのは承知しておりますが、それでも生まれてこの方、大神様以外に言霊を使う方がいるとは知りませんでした。あなたは、いったい何者なのですか?」
 蝸牛は目を輝かせ、ピシッと背筋を伸ばして歩いている。ルイス・バーネットはけっして背が低い方ではなかったが、蝸牛と並び立って話すと少し見上げる形になる。彼は見上げたまま、いつも通りの微笑みを(たた)えながら答えた。 
「僕はただの霊体だよ。言霊は僕の霊体としての能力なんだ。ただ、言霊は誰にでも使えるものだよ。僕は少しその力が強いだけ、意識的にその力を増幅されることができるだけさ」
「それでは我もあなたのように言霊を使えるようになるのでしょうか?」
「僕のように使うのは難しいかもしれないけど、ちゃんと相手に正対して、しっかりと言葉に自分の魂を乗せて発するように意識すれば、そのうち相手により強く言葉の力が届くようになるよ」
「そうですか。分かりました。精進します」
 その頃、先頭を行く玉兎(ぎょくと)は、道端の木にしがみついている、村に入ってから三匹目の禍い者を、そりゃーと言いつつ踏みつけて消滅させていた。その様子に緊張感は欠片も見られない。逆にそのすぐ後ろに控えて(まが)い者を警戒しているヨリモの方が緊張感にあふれていた。
「なあ、おチビちゃん。そんなに気負わなくても大丈夫だって。この村にはそんな大きな禍い者はいないから。生まれたてのちっちゃいのがうろついているだけだ」
 玉兎の言葉にヨリモは少しむっとした表情を見せた。
「私はヨリモ。おチビちゃんではありません。この村の眷属はあなた一人だけなのでしょう?だったら日頃からの駆除には手が足りていないんじゃありませんか。討ち漏らした禍い者が長じている可能性もあります。それが禍津神(まがつかみ)になっていないとも言い切れません。警戒するのは当然かと思いますが」
「この村には大きな禍い者はいないし、禍津神はもっといない」
「なぜそう言い切れるのです?民草(たみくさ)の数は少なくてもあなた一人ですべて見回れるほどこの村は狭くないと思いますが」
 玉兎は苦笑していた。ヨリモはまた少しむっとした。
「まあ、お社に行けば分かるよ」
「どういうことです」
 玉兎はヨリモの問いには答えず、また生まれたての小さな禍い者を蹴り上げて消滅させた。
 そうこうしているうちに、道の先に民家がちらほらと見えてきた。民家は二、三軒続いて建っているかと思うと途切れ、また二、三軒続いて建っていた。そのうち、道の左側の田園風景の中に、こんもりと樹々が生い茂る小山が現れた。一行が歩いている道からはその小山に一本脇道が伸びている。その脇道の入り口にはそこそこ大きな石の鳥居が建っている。どうやらそこがこの東野村(とうのむら)の鎮守、東野神社の入り口のようだ。
 鳥居をくぐり両脇に雑草が生い茂る、踏み固められた舗装されていない参道を進む。水溜まりの名残がそこかしこに見られる。まっすぐな参道の先に山頂に続く石段が空に向かって伸びている。そこまでは陽射しを(さえぎ)るものとてなく、照らされるままに身を晒し肌を焦がすしかなかったが、その石段の両側には背の高い樹々が空を覆うように繁茂していた。石段の上、樹冠の合間に見える青い空からそよそよと緩やかな風が吹いてきて、一行の(ほお)を撫でながら通りすぎた。樹々の中に無数に存在するのであろう、(せみ)たちが短い命を謳歌するように高らかに声を上げている。その声に交じって風に揺れた葉っぱが(こす)れ合い、涼し気な音を辺りにまき散らす。ささやかなコーラス。蝉たちは更に声を張り上げる。
 所々に背の低い雑草が顔をのぞかせる石段を、玉兎を先頭に一行は進んだ。ざっと見ると五十段ほどだったが、傾斜が急で一段、一段も高く作られていた。手すりはない。踏み外さないように自然と前傾姿勢になりつつタカシは上る。一歩、一歩進むたびにその額からは汗がにじみ出てくる。他の同年代男性と比べて、それほど体力的に劣ってはいないと自負していたが、暑気に包まれた現状では足が重く一段上るたびに息が切れる思いだった。ただ頂上からの吹き下ろしの風だけが救いだった。
 振り返るとナミとマコが遅れていた。サンダル履きのマコには石段を上るのは少し骨が折れるようだった。低めに空中を飛んでいるナミがその手を取って励ましながら進んでいた。タカシは立ち止まり二人の到着を待った。他の眷属たちやルイス・バーネットも立ち止まった。
「おい、人間ども。お前たち、若いのに情けないな。ここいらの爺さん婆さんはこの石段をホイホイと上ってくるぞ。日頃から歩かないから、こんな坂で息が切れるんだぞ」
 少し先で立ち止まって玉兎が言った。他の眷属たちもそうだが、彼も平気な顔つきをしている。タカシは同属のマコに親近感を抱いた。
「大丈夫かい?あともう少しだから、頑張って」
 マコがすぐ近くまで上ってきたところでタカシが声を掛けた。はい、とマコが笑顔を湛えながら答えた。その笑顔を見ながら、やっぱり姉妹だな。どことなく似ている、とタカシは思った。そして、この世界のリサに少しずつでも近づいている気がして、少し希望を見出した気分になった。
 少しして、一行は石段を上りきった。
 周りを樹々に囲まれた開けた土地。決して広くはないその土地の奥に、トタン板に屋根や壁を覆われた、まるでバラックのようなこじんまりとした社殿が建っていた。所々に古びた木肌が見えるところから、元は木造建築だったのだろうが、痛み損なわれ、補修もできず、かろうじてトタン板で応急処置しているという風情。何とか雨露だけはしのげるといった建物にしか見えない。彼らの足元からそんな社殿まで細く石畳が伸びている。
「おい、神。帰ったぞ」
 玉兎が急に声を上げた。彼の視線の先、社殿の前方に紺色の作務衣(さむえ)を着て作業用麦わら帽子を被って座り込んでいる一人のひとの姿があった。その紺色作務衣の人物が片手に抜いた雑草を握ったまま立ち上がり、彼らの方に振り返った。
「ああ、うさぎ。なかなか帰ってこないから、捕まって丸焼きにでもされているのかと思ったよ。それはそうと友達を連れてくるなんて、珍しいな」紺色作務衣の人物が朗らかにそう言うと、続けてタカシたちに向かって声を掛けた。「あなたたち、そんなところに立ってたら暑いでしょ。社務所に入ってよ。遠慮しなくてもいいからね」
「別にこいつらは友達じゃねえよ。あんたに用があるっていうから連れてきたんだよ」
「あ、そう。まあ、とにかく皆さんを社務所にご案内して」
 紺色作務衣の人物は長身で、麦わら帽子の下には豊かな黒髪、輪郭は細く、頬の肉は薄く、目や口は細く、どことなく気怠げな雰囲気を(かも)し出している。その容貌を今度は社殿に向けて、多少大きな声で呼び掛けた。
「マガ、うさぎが帰ってきたよ。お客さんも一緒だ。出ておいで」
 話の内容からして、この紺色作務衣の人物がこの神社の神様のようだ。それにしても今まで会った神様とは著しく様子が異なる。タマやヨリモもどう対応していいか困惑しているようだ、そうタカシが思っていると急に社殿からドタドタという音が聞こえた。
 タマは全身に電流でも流れているような感覚を覚えた。横にいるヨリモも同じ感覚を抱いたようで一瞬にして険しい表情になり、身構えた。タマはとっさに他の全員に叫んだ。
「気をつけろ。禍の者がくる!」
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